第二十話 崩壊





 その後、落ち着いたところで俺たちは外へ出た。とにかく、このことをいち早く本部に連絡しなければいけない。暗闇の中で、乗ってきた車を探し始めた。


「いやぁ」唐突に、森の奥からその声は聞こえてきた。「田淵さんたちは、死んじゃいましたか」


 前方から人影が近づいてきていることを視認する。それが誰と決まったわけでもないのに、俺の膝は途端に竦み始めた。今の弱りきった心に、これ以上の絶望を与えられることを、酷く身体が拒んでいることが分かった。


 そして、次第に人影は色を見せた。ビジネススーツ、マッシュの髪型、愛想のよい顔。それらの特徴は、記憶の中のある人物と一致する。沸々と怒りが込み上げてきて、その青年に、殺意を込めて睨みつけた。


「お前が最後の構成員か……!」


「ええ。中島、と言います。赤坂さん」彼はズボンのポケットに片手を忍ばせると、田淵を連想させるような嫌な笑みを浮かべた。「いやぁ、それにしても、仲間を二人も失うと少し悲しい気持ちになりますねえ。人の死なんてどうでもいいはずなのに、心が痛いです」彼は幼稚な演技で胸元を掴み、悲しげな顔で首を横に振る。やがて俺たちの方へ目を向けると、途端に口角を上げた。「でも、ありがたいですよ、赤坂さん。田淵さんたちがいなくなったということは、もう僕の邪魔をする人間もいなくなったというわけです」


 そう言うと、彼はポケットから手を外へ出した。何気ない仕草だったが、ふとそこへ違和感を覚えた。


 彼の手には、ショートアンテナのついた小型のリモコンが握られていた。一見してみると何かの家具用品にも思えるが、この状況から考えて、それが資料にあった『エネミーコントローラー』なのだと推察するのは容易だった。


 瞬間、ナディアはハンマーを腰に構え、彼のもとへ突っ走った。だが、彼の体に攻撃が当たろうとしたその矢先、彼女は地上から湧き出た何かに勢いよく跳ね返された。地に足を滑らせて勢いを殺し、やがて俺のもとまで戻ってくる。


 彼女を跳ね返したのは、何かの生物の足だった。非常に先端は鋭く、その生物は、そのまま大地から何本もの足を出現させ、やがて全身を見せた。


 そいつは、ムカデ、だと思われた。背中は黒く染まり上がっていて、触覚は俺たちの方へ威嚇するみたいに伸びている。気色の悪い顔のサイズは通常の何倍もあり、そこから推測するに、恐らく全長五十メートル以上はあるだろう。


 ふと、夜空に違和感を抱いて恐る恐る見上げた。そして、全身が震え上がった。規格外の巨体を誇った鳥類が二種類、それぞれ何十匹もの群れを成して空を舞っていた。


 気がつけば、地上にはムカデだけでなく、蛾や蝶の巨獣までもが多数に出現し、俺たちを四方から囲んでいた。森はその巨体により押しつぶされ、全く原型をとどめなくなっている。


 怖気づきながらも、俺は巨獣の数をざっと確認した。だが、地上だけでも二百匹ほどは見受けられた。


 彼はふと、手からコントローラーを落とすと、独り言のように喋り始めた。


「田淵さんはねえ、よく躾けてきました。絶望には、ちゃんとした与え方がある、と。鳥類の暴走の場合は、人類に追い討ちをかけるようにしてやった方が、絶望の色が素晴らしくなる、と」やがて、彼は両手を天に突き出して高らかに笑った。「私には、そんなことなんてどうでもいい! 絶望? 知りませんよ。この世界を巨獣で満たし、魔力なしの私は、世界の頂点に君臨するのです!」


 その言葉に、俺は何の反応も示せなかった。絶望の淵に立たされて、反論を上げる気力すら起きなかった。


「はは……」


 情けない声が出た。だが、恥ずかしくはなかった。この惨状を見て、俺のように消魂しない人間は存在しないと考えていた。


 ふと、ナディアへ視線を向けると、彼女は冷静に辺りを観察していた。目の動きから察するに、恐らく抜け道を探し出しているのだろう。


 ──そうだ。俺は何をしている。ここで諦めてしまえば、彼女たちに幸せを与えることなんて無理じゃないか。


 巨獣たちを注視しながら彼女の手を握り、ジリジリと足を前へ出していく。


 どこかに抜け道がないものかと、五感を最大限に集中させて希望を探し始める。


 だが、彼女はふと、思いついたように俺の手を振り払った。そして、一歩前へ出ると、ハンマーを構えて攻撃態勢を整えた。


「おい、……何のつもりだ」


「私が全て蹴散らさなきゃ」


 そう答えて、彼女は全身から魔力のオーラを湯気のように発生させた。やがてそれらは、一点にハンマーへと集約されていく。


 それは、今までに見たことのないような濃い魔力の塊。振るえば大陸を一つ破壊しそうな、そんな覇気のある恐怖。


 その莫大な魔力の量に、巨獣はがらりと威嚇を解いた。本能が悟ったのだと思う。これほどの魔力は、食らいきれないと。


 そんな彼女へ、俺の腕は自然と伸びていった。「……やめろ。冗談言うんじゃねえ……!」


「冗談なんかじゃない」彼女は冷静にそう返すと、俺の手を振り払った。「このままだと被害が甚大になる。赤坂のいる世界は、私が守るから」その声音は儚げなものだったが、それでもどこか力強く感じられた。


「待ってくれ……」彼女の視線まで膝を折り、肩を掴んでこちらへ向かせる。そして、その覚悟の決まったような目を見据えて問いかけた。「お前、その意味が分かってるのか……!?」


 この数を相手にすれば、確実に彼女は二千二十匹以上を倒すことになる。


 そうすれば彼女は、死んでしまうことになる。


 それでも、彼女は再度、俺の手を振り払うと背中を向けた。


 そして、震えた声で訥々と紡いだ。


「赤坂は、私たちに幸せを与えようと、必死だった。……だから、今度は私が赤坂を幸せにする。生きて……幸せになって」


「馬鹿言うな! これからじゃないか……!」途端に涙が溢れ出したが、気にせずに声を張って続けた。「あれだけの資料が見つかったんだ! 何とか希望を見出して、これからお前たちも幸せになるんだ! 全部、これからなんだ……! これから幸せを、自分の手で掴んでいくんだよ……!」


 幾度となく、有り余る声量を用いて高唱の限りを尽くした。


 そして俺は、また彼女の腕を掴んだ。


 だが、彼女は優しくその手を払った。


「赤坂」そう切り出して、彼女はまた震えた声で紡いだ。「赤坂がいなかったら、本物の幸せを知れなかった。赤坂がいなかったら、いつまでも感情を表に出すことがままならなかった。赤坂は、いっぱい私に、私たちに与えてくれた。だからもう、……十分だよ……」


 どうして、……どうして。


 全身の力が抜け、膝から崩れ落ちていく。そんな俺を置いて、彼女は一歩、また一歩と前へ出た。


 やがて、腰を落とし、攻撃態勢を再度整える。


 そして彼女は、──巨獣の方へ突っ走った。


 渾身の魔力を込めて振るわれた攻撃に、巨獣は僅か一撃でノックアウトした。続けて、一斉に彼女へ襲いかかる蛾と蝶の群れを纏めて弾き飛ばしていく。そのまま十匹、二十匹と、瞬く間に巨獣は即死の損傷を伴い、地に伏せていった。


 たちまち空からは鳥類の群れが飛んできた。彼女は地上の巨獣を相手に取りながらも、それを次々と地面へ撃ち落としていく。


 幾度となくそれは繰り返され、彼女の儚い哀哭が一帯に響き渡る。


 地上の巨獣をあと僅かにしたところで、──羽根は、開花した。


 それは、華麗だ、と思う反面、やはり儚げだとも感じた。寿命があと一時間と宣告されれば、当然のように得心してしまえるような、そんな仮初めの美しさ。


 彼女はその羽根で、天に昇った。光の粉を散らして、夜空を暗闇から輝きの世界へと導いていくみたいに舞って、空の巨獣を一匹、二匹と倒していく。


 やがて、夜空の支配者となった彼女は、ふと力を抜いて、地上へ真っ逆さまに落ちていった。ややあってから羽根は羽ばたき、風の軌道に乗ってこちらへ向かい始める。


 そうして、ハンマーを頭上に振り上げると、巨大ムカデの背中へ一直線に振り下ろした。


 ──直後、死角からのムカデの攻撃に、彼女の腹は、背中からスラリと貫かれた。血しぶきが盛大に舞い散り、羽根は精気を失ったかのようにして萎んでいく。ハンマーを握る手さえ離した彼女は、死人のように首を垂らした。


 だがその瞬間、彼女は体から一筋の魔力の閃光を放った。それを中心としてそれは瞬く間に膨らんでいき、やがて、辺り一帯を大きく巻き込んだ大爆発を引き起こした。


 突風に俺は廃屋の壁まで吹き飛ばされると、体に杭を打たれたみたいに動けなくなった。やがて視界は光に包まれ、ところどころ、星みたいな粒が煌めき始める。


 ──ねえ、赤坂。


 その光の中で、俺はナディアと出会った。脳が作り出した幻影かもしれないし、本人なのかもしれない。宙に浮いた彼女は羽根で俺を包み込むと、優しい微笑みを浮かべて言った。


 ──脳裏にとんでもない清福が過ぎってくる。そこへ行けと、誰かが囁いている。多分、そこは天国。私はもう、行かなくちゃならない。


 やめてくれ、と俺は叫ぼうとした。だが、それを予知していたかように彼女は首を横に振って、俺の口を手でそっと塞いだ。


 ──赤坂に出会えて、幸せだった。赤坂がいない人生なんて、考えたくない。それくらいあなたは、私にとって、かけがえのない存在だよ。


 そして、満面の笑みを浮かべて彼女は俺から離れると、羽根を羽ばたかせる。


 じゃあね、と口を動かして、たちまち天に昇っていった。


 それから数分が経って、俺はすっかり静寂が訪れていた辺りを見渡した。森の自然は全てなぎ倒され、奥に広がるコンクリ世界がはっきりと映り込んでいる。前方には、隕石の衝突した跡みたいな巨大な穴が出来上がっていた。


 全てを消し飛ばした、その真ん中に、一人の少女がうつ伏せで倒れていた。


 その姿に俺は、感情の爆発を止められなかった。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 俺は泣いた。泣き叫んだ。その号哭は、まるでこの世の終わりみたいな絶望に色塗られたものだった。聴いた人間にたちまち不運を齎してしまうような、そんなもの恐ろしいものだとも思った。


 でも止まらなかった。涙は滝のように流れ出した。このままだと自分が壊れてしまうって、手に取るように分かるくらい苦しみに打ちのめされた。


 ああ、ナディア。俺はこれで本望のはずだ。死ぬ前に本物の幸せを与えられて、お前がそれに喜んでくれたのなら、ここまで悲しむ必要なんてないはずなんだ。


 でもさ、これからだったじゃないか。これからお前は、一人の女の子として、普通に生活していけるかもしれなかったじゃないか。


 喉が潰れていく。涙が枯れていく。


 全身に力が、入らなくなっていく。





 そうして、俺は一晩中泣きじゃくっていた。


 駆けつけた本部の人間に引き取られ、話を訊かれた時も。


 洋館に帰って、フェリシアと顔を合わせた時も。


 その後も俺はずっと、泣いていた。


 ずっと、ずっと。




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