第十九話 全ての元凶





 目的地に着くと、彼女はすぐに大砲に目を向け、訝しんだ。やがて外に出ると、ここら一帯を見渡して訊いた。


「赤坂が初めてここに来た時、砲身は洋館に向いてた?」


「ああ。何か分かるのか?」


 彼女は顎に手を添えて考え込む素振りを見せると、やがて「赤坂から私たちの正体を聞いた時、上手く魔術が作用しなかった時に備えて、何か私たちを別で殺す手段があると推測していたけど、これかもしれない」と丁寧に説明した。


「なるほどな。確かに、不意からこんなものを食らえば、いくらお前たちとはいえ、即死は免れないな」続いて俺は廃屋を指差した。「となれば、あそこは待機上ってことか? 卒業を予定した戦争の時には、ここに人が送られて、万が一に備えている、とか?」


「そうかもしれないね」


「ふうん……」


 胸を撫で下ろし、深く息を吐く。不可解だった謎に合理的な説明がついたことで、心を蝕んでいた不安は薄らいだ。


「赤坂、これが気になってたこと?」そう言って、彼女は嬉しそうに微笑んだ。


「あ、いや……」反射的に否定の声を上げてしまう。このまま隠し通すのも無理だと察し、素直に打ち明けた。「実は、俺に嫌がらせしてくる奴が、ここの存在を隠してたんだ。だから、何となくそこがまだ気になってる」


「そっか」彼女は少し考え込むと、荷台へ歩き、積んでいた武器を手に取った。「行こう、赤坂」そのまま大砲の方へと向かい始めた。


 そうして俺たちは、一つずつ大砲を調べていった。今回は懐中電灯があるので、砲身の中もある程度まで見ることが出来た。だが、これといって違和感は見当たらなかった。


 続いて廃屋へと向かう。ナディアは武器を俺に預けると、椅子や机を持ち上げ、品定めするかのごとく入念に眺め回していく。しかしまた、何も見つけることは出来なかった。


 だが、最後に棚を持ち上げたところで、俺の背筋はぞくっと震えた。


 ──棚の下には、人が通れるような床扉が設置されていた。


「……赤坂」彼女は臆することなく膝を折り、扉の持ち手を何度も引っ張って言った。「鍵がかかっていて、開けられない。どうする?」


 しばらく考え込んだ。その上で、彼女にこう訊いた。


「強引には、開けられるか?」


 ほんの数秒間を空けてから、彼女は目を丸くした。「そんなことして大丈夫?」


「ああ」と力強く頷いた。「誰が開けたか、さえ分からなければいい。……本当は引き返したいところだが……」視線を斜め下に落として、「すまない」とつけ加えた。


「……分かった」彼女は覚悟を決めたような凛々しい顔つきで、小さく頷いた。


 扉の持ち手をしっかりと掴み、腰が上げられる。やがて、腕に力がこもったのが分かると、ガコッと鍵穴部分から鈍い音がして、扉は全開した。


 中には、真下に掘り進められた空洞があった。そしてそこには、赤錆のついたハシゴがかけられている。何となく、嫌な予感がし始めた。


 彼女はやがて、懐中電灯で空洞を照らした。数メートル先に、これまた人が通れそうな洞窟が横へ二つ続いていた。


「行こう」彼女は顔を強張らせて俺を見上げた。「トラップとかもあるかもしれない。この先の光景には、常に注意を向けて」


「ああ」


 返事を聞くと、彼女はハシゴを踏み、地下へ潜っていく。ほどなくして、彼女から合図が出ると、俺も同じようにして下り始めた。


 ハシゴは掴むたびに、冷たい赤錆が手のひらに粘着して少し気持ちが悪かった。だが、耐久性に欠けている様子はなく、安心して彼女の隣まで下りることが出来た。


 手についた赤錆をズボンで擦り落とし、辺りを観察する。二つの洞窟は、まるで人工的に掘られたかのごとく綺麗に、真っ直ぐに続いていた。一方の道の奥は僅かに月明かりが差し込んでいたが、もう片方はどんよりとした暗闇が伸びていた。


 彼女は少し考え込む素振りを見せた後、先が見えない方に灯りを向ける。一見して、トラップのようなものは見受けられなかったが、足場は凹凸の水溜りがやけに酷く、かなり歩きづらそうに思える。蜘蛛の巣もいくつか出来上がっており、不穏な空気感は強まっていた。


 それから俺たちは、警戒の目を配りながら、辿々しくその奥へ進んでいった。ぴちゃりと水溜りに足を入れ、いつの間にか顔に張りついていた蜘蛛の糸を取り、そうして五分ほど歩いただろうか。一本道の奥には壁があり、行き止まりとなっていた。


「ここで終わりか……?」


 眉間にしわを寄せ、俺は頭を掻く。同時に彼女はその壁に歩み寄ると、コンコンと手の甲で叩いた。やがて小首を傾げると、またそれを何度か繰り返し、ふと口を開いた。


「奥に空洞がある。壁も薄い。行き止まりに見せかけてるだけ」


「本当か?」俺は瞠目しながら提案した。「なら、ここも壊そう」


「いや、そんなことをしなくても、多分スイッチが隠されているはず」そう答えると、彼女は足元の地面を注視して続けた。「これは、万が一見つかった時のために、ただの洞窟と言い訳にするためのものだと思われる。だから、奥へ続くスイッチがあるはず。それも多分、足元」


「足元?」俺は同じように視線を落とした。「何で分かる?」


「不自然に凹凸が多い。それに、水溜りも。隠すならここが最適」


 そこまで答えると、彼女はふと思い立ったように俺の腕を掴んで、入り口の方へ駆けた。次に、武器に魔力のオーラを集中させていく。やがてそれを下から上へ振り上げて、洞窟に突風を巻き起こした。


 何のつもりだ、と訊こうとした。だがその手間が省けたのは、見事に足場から順に水溜りの水が奥へと追いやられ、地面が剥き出しになっていたからだ。


 そうして、水抜き作業を繰り返して、俺たちは入念に地面を調べ上げていった。だが、何も見つけられないまま時が過ぎていき、ついに行き止まりまで戻ってきてしまった。


 ふと、彼女は足元の地面に目を凝らした。


「赤坂」地面から目を離さずに、俺の方へ手招きをする。「ここ、砂に違和感がある」


「どれだ?」


 そう言って彼女へ歩み寄ろうとする矢先、前方から大きな機械音が鳴った。目を向けると、行き止まりの壁がスライドするようにゆっくりと地面へ消えていき、その先には洞窟が姿を見せた。


 彼女の足元を確認する。そこには、砂に汚れ、石に傷つけられた、こぢんまりとした魔力探知の装置があった。それは街中でもよく見かけるもので、魔力に反応して扉が開閉する装置なんかが有名どころの、俺には無縁の白い長方形の機械だ。一つ違う点と言えば、パッケージ部分にネームペンで『魔力水晶でも可』と掠れた字で記されていることくらい。なぜこのような改造が施してあるかは不明だ。田淵自身か、仲間──もしいるとしたら──の誰かが魔力なしなのだろうか。


 やがて彼女は、洞窟の奥へ懐中電灯を向ける。だがその光は暗闇に呑み込まれて、途中から何も映さなくなっていた。


「行こう」彼女は独り言のように言うと、奥へと進み始めた。


 そうして行き着いた先の空間には、幅三メートル、高さ六メートルほどの巨岩が、鎮座するみたいに置いてあった。それ以外は暗くて上手く視認することが出来ない。彼女は壁に設置されていた電力源をそっと押し込み、たちまち天井から全体に淡い光を輝かせた。


 巨岩の正体は、規格外の大きさを誇る魔力水晶だった。それも、俺たちの知っているものよりか、かなり濃い紫で彩られている。てっぺんの方には不自然に凹凸も出来ており、ノコギリのようなもので削られた痕がある。こんな陰気臭い場所でも水晶は輝いて、泥をところどころに塗られながらも透き通るような美しさを維持していた。


 空間は、だいたい幅、奥行、高さ、どれも七メートルほどのサイコロ型をしており、地層が剥き出しの状態だった。左の壁には、たくさんの書類を詰めた本棚がいくつか並び、右には長細い机の上にガラス容器がいくつも置かれている。その中は若干血色に濁っており、生き物の心臓のようなものが不吉に浮かんでいた。


 他にも、肝臓、内蔵、脳味噌と、あらゆるものが展示品のように飾られている。俺は思わず身震いをした。


「どういうことだ……」今一度空間を眺め回し、尻込みをした。「これが田淵の隠していたものなら、あいつは何を企んでるんだ……?」


「とにかく、調べてみないことには分からない」


 行こう、とつけ加えて、彼女は臆することなく書類棚の方へ歩き始める。やがて、俺も恐る恐るそのあとに続いた。


 棚の前に立ち、適当に目についたものを一冊手に取る。何十ページもあるその用紙の束は『経過観察 その十』と題されている。視線を落とし、書類の一ページ目から飛ばし飛ばしに捲っていった。



『四百二日目』


 実験体『一』の調子は良好だ。魔力侵食率は六十パーセントにまで達し、再生能力、身体能力と共に、レベル六へと向上した。


 実験体『ニ』から『十』まで、以下同文とする。


 実験体『十一』から『十四』は、今日も暴走を始めず、穏やかに暮らしていた。



『六百八十二日目』


 実験体『一』の調子は良好だ。既に魔力侵食率は九十パーセントにまで達しており、再生能力、身体能力はレベル八にまで向上している。だが、未だ〈ロシエント〉を苦戦させるには至れていない。


 実験体『ニ』から『十』まで、以下同文とする。


 実験体『十一』から『十四』は、今日も暴走を始めず、穏やかに暮らしていた。



『七百十五日目』


 実験体『一』の調子は良好だ。本日の戦争を経て、魔力侵食率は百パーセントにまで達し、約二日ほどで全身を再生出来るようになった。また、同じように向上した身体能力では、ようやく〈ロシエント〉を苦戦させるに至った。


 実験体『三』と『五』と『六』と『七』と『十』は、以下同文とする。


 実験体『ニ』と『四』と『八』と『九』においては、残り数日で魔力侵食率は百パーセントにまで達することが予想される。


 実験体『十一』から『十四』は、今日も暴走を始めず、穏やかに暮らしていた。



 きめ細かに書類を読む必要はなかった。終始このように、同じ文言しか書かれていないからだ。


 資料をパタリと閉じ、息を呑む。同時に、脳には無数の疑問が溢れ返った。


『実験体』とは何だ? 明らかに巨獣のことを示しているように思えるが、なぜそう呼称している?


『魔力侵食率』とは何だ? イザベラは死にゆく前、巨獣が強くなっていると言っていたが、ここに記されている身体能力の向上のことと関係があるのか?


 ルシアナが卒業して以降、緊急で戦争に駆り出されることが相次いだ。それは、『約二日ほどで全身を再生』出来るようになったからことと関係があるのか?


『暴走を始めず、穏やかに暮らしていた』とはどういう意味だ? 


 明確な答えを探し求めて、また新たに書類を一冊手に取った。



『エネミーコントローラーについて』


『概要』


 現在、もとの理性、知性を維持している実験体は、『十一』と『十二』と『十三』と『十四』の四種類。本体では、魔力探知を用いて特定のコマンドを打ち込むことで、それらの巨獣の中の死んだ魔力に火を灯し、遠隔で暴走させることが出来る。


 なお、一度暴走させた巨獣をもとの状態に鎮めることは出来ない。



 次のページには、『一』から『十』までの数字を不規則に並べたコマンドのようなものが載っている。それ以降は、本体の詳しい説明が何ページにも渡って記載されていた。その内容を要約すると、まず、本体に付属されたショートアンテナを用いて、近場の死んだ魔力を探知。次に、決められた数字のコマンドをコントローラーに入力することで、アンテナから生きた魔力の電波を散らす。もともと四種類の巨獣には死んだ魔力が大量に注入されており、そうして、そいつらも他と同じように暴走を始めるのだという。だが、死んだ魔力を生き返らせると暴走するという原理については、ここでは記されていなかった。


 これは田淵が開発したものなのだろうか。それとも他に、仲間がいるのだろうか。


 何はともあれ、巨獣を暴走させる、という記述から、俺の中で黒幕の正体は半ば定まった状態になった。


「赤坂」ふと、反対側から書類を漁っていたナディアは俺を呼んだ。「見て」言葉は淡白だったが、彼女の顔は強張っていた。


 何を見つけたというのだろうか。足早に彼女のもとへと足を運ぶ。


 中には、文章を並べられた用紙が一枚だけ入れられていた。


 深呼吸を挟んで心を落ち着かせたのち、上から順に目を通していった。



『本計画の構成員』


田淵隆たぶちたかし


貝田秀夫かいだひでお


中島鷹斗なかじまたかと


『概要』


 実験体『一』から『十』の魔力侵食率は百パーセントにまで達した。これに伴い、本計画をついに最終段階へ移行させる。


 移行のタイミングは、現在の〈ロシエント〉が全員いなくなった瞬間とする。実験体『十一』から『十四』をそこらで解放させ、世界中を絶望の色で満たすのだ。



 読み終えた後、俺は拳を震わせて、握っていたファイルをぐしゃりと潰した。


 今まで溜まっていた憤り。それは火山の噴火のように爆発して、俺の頭を一気に蝕んだ。


「赤坂」彼女は俺へ向き直ると、「他にも色々と読んだ」と前置きして続けた。「実験体の正体は、巨獣のこと。巨獣のもとは、小式島にいた既存の動物たち。この人たちは、巨獣を創り出している。そして、黒曜石のオブジェクトは、別世界からの侵略を示唆させるためのフェイク……」


 ふと、彼女はぴくりと片眉を上げて、雰囲気を剣呑とさせた。やがて焦燥感に駆られるように俺の腕を掴むと、水晶の裏側へ駆け込んだ。


「誰か来る」彼女は小声で呟くと、ハンマーの持ち手を握り締めた。


 確かに、彼女の言う通りだった。耳を澄ますと、こちらへ近づく足音が聞こえてくる。恐らく人数は二人。


 そして、その足音はやがて、この部屋に反響した。


「動くな!」嗄れた男の声が響いた。「水晶の裏に隠れているのは分かっている。殺されたくなければ、両手を頭に組んで姿を見せろ!」そう言って、拳銃のセーフティーを外す音が聞こえた。


 息を殺しながら逡巡する。やがて、ふと彼女は顔を引き攣らせながらゆっくりと立ち上がると、ハンマーを腰に構えた。


 その時、自然と腕は彼女の方へ伸びた。そして、ああ、そうだなと自分の行動に得心する。


 いくら彼女とはいえ、真正面から拳銃を構えた二人に立ち向かうのは不利が過ぎる。なら、「幸せを感じさせる」と豪語しつつ、こんな最悪な状況下に彼女を立ち合わせた罰として、俺が隙を作るくらいのことはしなくてはならないだろう。


 彼女の肩に手を置いて立ち上がり、やがて俺は、潔く彼らに姿を見せた。


 二人の正体は想像していた通りだった。田淵と大柄は入り口前に立って、俺にサプレッサーのついた銃口を向けている。


 たちまち、田淵は警戒心を解くように、ふっと顔を綻ばせた。


「赤坂さん、よくここが分かりましたねえ」


 彼のその声がトリガーとなって、プツリと理性の糸が切れた。


「田淵……」拳を握り締めて、殺意を込めた目を作り上げた。「お前は……お前たちは……!」


「いやあ、全く想定外ですよお」彼は銃口を下ろすと、両手を広げて気持ちよさげに訊いてきた。「どうやってここの存在、知っちゃいました?」


「教えるかよ!」


「はははっ」彼は途端に吹き出すと、「あなた一人でここに来ている辺り、どこかに情報がもれた……というわけではないようですねえ。ならよかったです」と喋って高らかに笑った。


「田淵……! 答えろ!」書類棚に目をやって問う。「お前らが……お前らが全ての元凶なのか!?」


「ええ」端的にそう答えると、彼は止まることのない笑みで俺を見据えた。


「田淵……!」


「いやぁ!」彼は次第に笑みを大きくしていくと、言葉を発することが難儀な様子で言った。「素晴らしい絶望顔ですよ……! 赤坂さん……!」


「黙れ! どうやって巨獣を創り出した!? お前らがこんなことをする理由は何なんだ!?」


 彼は俺の質問に答えることなく、やがて腹を抱えてうずくまり、笑いながらケホケホと咳き込んだ。


「田淵!」


「はいはいぃ」彼は少し間を置いて、体をよろけさせながらぎこちなく立ち上がると、続けた。「言われなくても教えますよ。果てしない絶望感に苛まれながら死んでいただくのは、私が一番本望とするところですから」


 彼は目頭に溜まった涙を手の甲で拭いながら、背後の壁にもたれかかる。


 やがて、不敵な笑みで俺を見据えて話し始めた。


「魔力。それはですねえ、あなたも知っている通り、漠然と何かを強化するものです。私たちは、それを応用したまでに過ぎません。小式島の動物の体内に直接大量の魔力を投入し、身体能力、生命力、再生能力、成長速度……と、ありとあらゆるものを強化させたんです。しかしですねえ、その代償として奴らは、知性や理性を保つことがままならなくなりました。脳は極度の魔力中毒に陥り、そうして……、魔力だけを追い求めて襲う、あの巨獣が出来上がるわけですよお」


「……そんな……」弱々しい声がもれ、唇がわなわなと震え始めた。


 少しの間彼は俺の反応に口角を上げていると、「これが魔力です」と、部屋の巨大な水晶を指差して続けた。「闇市場で購入致しました。いやぁ、高かったですよお。まだ別の場所にもありますが、これは本来の水晶の、加工を施す前のものですから、魔力の濃度が極めて高く……投入すればすぐに暴走してくれます」


「……そんなことをした、……理由は……!」


 か細い声に沸々と込み上げる怒りを乗せて問う。彼は先ほどまでの上機嫌を一変、笑みを引き攣ったものにさせて訥々と語った。


「それはですねえ、私が、絶望が大好きだからですよ。……幼い頃からゴミのように扱われ、生きる意味もなかった……。毎日暴力を繰り返され、飯なんて何日も食えなかった……。そんな私に、周りは誰一人として手を差し出さない……。私とは無縁の幸せを、これ見よがしに振り撒いていくだけ。……私はその頃から強く望んでいました。誰もが、同じ絶望に突き落とされればいいのに……と」


「……何だよそれ……。だからと言って……こんなことをしていい理由にはならないだろう!」拳を震わせて、俺は叱りつけるように叫んだ。


「あなたねえ……」彼は俺をギロリと睨みつけると、壁に裏拳を思いきり打ちつけた。「あなたも望んでいたではありませんか。私はそれを、実行に移したまでですよ」


 そう言って、彼はまた銃口を向ける。やがて、ふと人格が入れ替わったように顔を綻ばせた。


「さて、赤坂さん。あなたにはもう少し生きてもらって、散々絶望に打ちのめされてから、使い捨てられるように死んでいただきたかったです。しかしまあ……、こうなっては仕方ありませんねえ……」


 彼はゆっくりと、引き金を引き始めた。大柄もそれに合わせて、同じように指を動かした。


 ここで、終わるのか? 


 ここで俺は、死ぬのか?


 引き金が引かれていくにつれて、漠然としていた死の不安は正体を見せてきた。心臓は早鐘を打ちつけ、全身が震えだす。見張っていた目は焦点が合わなくなっていった。


 果てしない冷や汗はやがて服にべったりと侵食していき、フェリシアに、ナディアに、世界に対する鬼胎は姿を消していく。何も考えられなくなり、ただ目前の光景へのもの恐ろしさだけが脳を支配した。


 そして、終わりは唐突にやってきた。


 引き金が引かれ、耳を塞ぎたくなるような銃声が響き渡る。反射的に目を瞑り、痛みが身体に伴う、その時を待った。


 そんな時は、来なかった。


 恐る恐る視界を解放した先には、一人の女の子が立っていた。背中を満遍なく血の色で濡らして、がくがくと震える足で踏ん張りをつける、か弱そうな女の子が。


「ナ……ナディア……」


 何とか声を絞り出して、名前を呼ぶ。同時に彼女は、顔から地面へ崩れ落ちた。

 ぴくり、と彼女の体が跳ねる。その生命反応は、俺にささやかな希望をもらたした。


 どうか、彼女だけは守ろう。竦む足を動かして、仁王立ちするように彼女の前へ出た。


 瞬間、背後から足首を力強く掴まれた。


「ダメだよ……赤坂……」


「何言って……」


 ぎこちなく肩越しに振り返ると、彼女はゆっくりと体を起こし、やつれた笑みを俺に向けた。


 やがて、ハンマーを支えに立ち上がった彼女は、辿々しく水晶の方へ歩いていく。その姿に、彼らの方から強い歯軋りが鳴った。


「化け物めぇ!」


 田淵の叫びが合図となり、二人は幾度となく銃弾を彼女へ発砲した。


 肩が撃ち抜かれた。


 膝が撃ち抜かれた。


 腹が撃ち抜かれた。


 頬が撃ち抜かれた。


 太ももが撃ち抜かれた。


 血が舞った。


 涙が舞った。


 掠れ声が上がった。


 戦慄き声が上がった。


 そうして、血の色に染まり上がった彼女は、マリオネットみたいに不器用に踊った。それでも地から足を離すことはなく、一歩、また一歩と、ぎこちなく歩いた。


 やがて、彼女は水晶のもとへと辿り着いた。二人は共に弾数を切らし、息を荒くしてやりきった顔をしている。


 だが、彼女はやられてなんかいなかった。


 水晶に手を当てて、──その途方もなく大量の魔力を、一気に全身に帯びた。


 瞬間、視界に眩い閃光が走った。目前を腕で覆い、やがて光が落ち着いてきたところで瞼を開いた。


 莫大なオーラに包まれた彼女の体は、傷をみるみるうちに回復させていた。部屋中を煌びやかな紫に彩り、幻想的な景色を作り上げる。だが、彼女自身から漂うのは、それとは真逆の濃い黒をした憤怒。拳を握り締め、歯軋りを鳴らしていた。


「……許さない」


 そう呟くと、彼女はその場から一瞬で姿を消した。次の瞬間、彼らの方へ巻き起こされた突風に、部屋の何もかもが宙を舞った。二人は無様にも、壁へと体をめり込ませた。


 いつの間にか二人の目前に立っていた彼女は、やがて大柄の頭を掴み、握り締めた。殺さないように手加減はしているようだったが、彼は一秒も持たないうちに白目を剥いて失神した。


 次に彼女の視線は、隣の田淵へと向かった。同時に突風は収束し、宙のあらゆるものが重力に屈服した。


「はは……」彼は酷く引き攣った笑みを浮かべ、独り言のようにぶつぶつと言った。「私が……絶望している、だと……? 私が絶望するなんて、あってはならないのに……。私こそが、絶望の支配者だと言うのに……」


「黙れ」彼女はぴしゃりと言い放つと、やがて、この世に蔓延る憤怒を集約したみたいな恐ろしい声色で叫んだ。「お前たちのせいで! 私たちがどれほどの苦しみを受けたと思ってるんだ!? なあ!? ふざけんな! ふざけんなあああ!」


 彼女は怒りに任せてハンマーを振りかぶった。そして、一切の迷いなくそれを振り下ろそうと腕を動かした。


「ナディア!」咄嗟に叫んだ。その瞬間、彼女の動きはぴたりと止まった。「人殺しになる気か!?」持てる限りの体力を尽くして、そう叫んだ。


 俺の言葉に、彼女は全身を小刻みに震わせた。やがて、彼から数歩後ずさると、隣の壁に体を向ける。そして、自分の中で暴れる何かを御するみたいに呻き声を上げ、その壁へ八つ当たりするようにハンマーを振るった。同時に、嗚咽を酷く交えた涙声で、哀哭も響かせた。


「ああああああああああああ! ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 心火の中に、青い悲しみの炎が入り混じったような声だった。壁は殴られた箇所からひげ根のように割れ目を入れ、天井からはいくつか石礫が落ちてきた。


 やがて、辺りは落ち着くと、彼女の荒い息だけが響く静寂が訪れた。その中でふと、泡を噴いた田淵は地面へ崩れ落ちた。そんな彼を見て、彼女は怒りを鎮めるように瞼を閉じた。


「こいつらは……、然るべきところに渡そう……」


 ああ、と絞り出すまで、いくらか時間を要することになった。





 少しの間、俺たちは会話を交えることなく、互いに気持ちを整理していた。


 俺の中にあった、果てしない憤り。憂い。それらは一旦鎮めることは出来たが、いつ暴れ出すか分からない。脆い鉄柵に竜を閉じ込めるみたいに、それは不安定なものだった。


「赤坂」ふと、彼女は訥々と話し始めた。「もしも天国が、本当に私たちの妄想なのだとしたら、……私たちは、〈ロシエント〉は、……何のために生まれてきたの。……巨獣を滅ぼすため? 世界を守るため……? でも、その全容は、こんなにもふざけたものだった。こんなことに私たちは踊らされて、幾度となく偽りの幸福に縋って、命をゴミ箱に放り投げるかのごとく捨ててきたのだと思うと、……虫唾が走ってたまらない。……神様は、恐ろしいほど不平等だ。無実の罰にしては、有罪よりも遥かに重たい。偶発的な呪いにしては、怨念よりも深く濃い。……きっと、絶望という言葉は、……私たちに当てはめるためだけに造られたものなんだ」


「……ナディア」


 何か言ってあげないと、すぐにでも壊れると思った。


 何かしてあげないと、このまま死んでしまうんじゃないかと思った。


 だから、急いで彼女のもとへ駆け寄り、救いたい、ただその一心で体を抱きしめた。


「これだけ資料が見つかれば、何か希望を見つけ出せるはずだ……! だから、諦めるな……! お前とフェリシアは……、必ず死なせない……! これからも生きて、もっともっと幸せを感じるんだ!」


 そう高唱して、ふと俺は大量の涙を流した。感情の大半を哀切で占め、強く優しく彼女を抱き寄せた。


 やがて、俺の背中に両手が回された。まさに女の子というべき質感の柔らかな腕は、次第に力がこもっていく。それからふと、彼女は「うん」と消え入りそうな涙声で返事をした。


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