第十八話 卒業パーティーと





 洋館に戻ると、エントランスホールでフェリシアが優しく出迎えてくれた。


「先ほどナディアが起きてきました。食堂であなたが帰ってくるのを待っていますよ」彼女は嬉しげに微笑んだ。


「すまない、遅くなった」頭を下げ、そそくさとスリッパに履き替えた。


「赤坂!」食堂に足を踏み入れた瞬間、俺の存在に気づいたナディアは全速力で駆けてきた。やがて俺の胸にしがみつくと、頬を紅潮させて、嬉しそうに問うてくる。「これは、どういう意図で?」


「ご期待通り、お前の卒業パーティーだよ」彼女を床へ降ろし、サイドテールを崩さないように優しく頭を撫でた。「どうだ? 気に入りそうか?」


「うん!」嬉しさという感情を顔いっぱいに表現させて、彼女はぶんぶんと縦に首を振った。しかし、ふと思い出したように頬に手を当てると、恥ずかしそうにゆっくりと顔を俯かせた。


「どうした?」


 反応がない。さらに「どうした?」と訊こうとしたところで、フェリシアは中腰になって彼女と視線を合わせる。やがて、その肩に手を置いて微笑んだ。


「自然と出来たじゃない、ナディア」


 二人の間でしか話題が通じていない気がして、小首を傾げる。


 フェリシアの言葉に、ナディアはゆっくりと顔を上げると微笑んだ。


「ありがとうね、赤坂。もし天国がなかったら、私はいつまでも感情を表に出せずに、人生を終えていたことになる。それってものすごく悲しいことだと思わない?」


 少し考えてから答えた。「表に出さなくとも、ちゃんと感じられているのなら、別に気にすることじゃないと思うが……」膝を折って、優しく彼女の頭に手を乗せた。「お前がそれで満足したのなら、それはすごく素晴らしいことだと思う」


「うん!」満足げな笑みで頷くと、彼女は俺たちの袖を掴んで、くいっと引っ張って言った。「早くみんなで食べよう!」





 食事を終えた後は、余っていた材料を使って二人に簡単な料理を教えた。卵焼き、味噌汁、ハンバーグ、サラダ。ナディアの料理センスはとても高くて、あっという間に作法を習得していったが、フェリシアは少しばかり苦戦していた。


 昼食では、そうやって自炊したものをメインに添えた。ある料理は塩が効き過ぎていたり、ある料理は味が極端に濃いかったりしていたが、おかしくなって笑い合う食卓は、十分に俺たちの心を満たすことが出来ていたように思う。


 それから夜までは、太陽の日を満遍なく浴びて、中庭の芝生でゴロゴロとぶつかり合ったり、起きて鬼ごっこをしたりと、まったりという言葉が一番似合う時間を過ごしていた。たったこれだけのことなのに、不思議と俺たちから笑みは消えなかった。

 夕食は、レストランの料理を余すことなくいただいた。それから風呂を済ませると、三人で、夜風に当たるために二階のベランダへ出た。


 今夜は星があまり見えなかった。ただただ、吸い込まれるような漆黒の空が続いていた。だが、それはそれで綺麗だと思った。ナディアは目を輝かせて、その景色に釘づけになってくれていた。


「赤坂」ふと、彼女は夜空に目を向けたまま言った。「フェリシアには、今日以上の幸せを与えてね」


「な、ナディアっ!」あまりにも唐突ないじりに、フェリシアは耳を真っ赤にさせた。「何言ってるの!?」


「赤坂」ナディアは彼女の様子に微笑みながら続けた。「私には、今日以上の幸せというものが想像出来ないけど、与えてね。でないとフェリシア、がっかりしちゃうよ」


「こ、こら!」痺れを切らしたフェリシアは、頬を酷く紅潮させて立ち上がり、彼女の背後に移動する。やがて両方のこめかみに拳を当てて、グリグリと痛めつけた。「急に恥ずかしいこと言わないの」


「ごめん、ごめん」


 ナディアは半笑いで体をジタバタとさせ、軽く抵抗している。やがて、フェリシアは「もう」とため息を吐くと、彼女を開放させて腰に手を当てた。


「……で、フェリシア」少し間を空けると、彼女はフェリシアの方へ向き直って問うた。「あの言葉は、ちゃんと言ったの?」


 あの言葉? と訊こうとしたところで、途端にフェリシアは狼狽しながら彼女の口を手で塞いだ。やがて、唇をわなわなと震わせながら、フェリシアはゆっくりとこちらへ向いて、ぎこちない笑みを浮かべた。


「……何だ?」


 何となく取るべき行動は分かっていたが、俺は意地悪をして、あえて疑問符を投げかけた。すると彼女は、まず目をぱちくりと見開いた。次に肩透かしを食らったような顔を浮かべると、やがて深くため息を吐く。


「もういいです。水を取ってきます」


 そう言って、不満そうにベランダを去っていった。


 やがて、俺とナディアは引き寄せられるように顔を見合わせた。


「はあ」と彼女は、呆れた目で俺を見据え、わざとらしくため息を吐いた。





 二十二時半。二人と別れてからというもの、自室でベッドに寝転がって、天井を見上げているだけだった。


 眠る気はあった。だが、寝て起きたら戦争当日になってしまうことに対する怖さや、朝の不可解な大砲が気になって、瞼がくっついてくれなかった。


 そうして二十三時になっても、全く眠りにつくことが出来なかった。時計の音と夜の鳥の鳴き声だけが響く暗闇に、少しずつ感覚がおかしくなっていった。


 明日で、ナディアは死ぬ。そして、二日後か三日後にまた戦争は行われて、フェリシアも死にゆく。


 そうやって、絶望と消魂の螺旋は、どこまでも続いていく。


 慈悲もなく。救済もなく。


「……寝られるわけがない」


 気晴らしになり得るかどうか分からないが、散歩でもしてみようか、とゆっくり起き上がった。


 どうせ外に出るなら、また大砲の場所にでも行ってみるか、と普段着に着替えて、廊下へ出た。


 一階へ降り、倉庫から懐中電灯を一つ手に取る。そして、玄関へ向かう途中、ふと、階段を下る足音が聞こえてきた。


「どこへ行くんですか?」振り返ると、フェリシアはそわそわした様子で俺のもとまで駆け下りてきた。「こんな真夜中に。しかも、行くところなんて限られると思いますが」


「ちょっと、気になる場所があってな」下手な嘘は彼女には通用しないだろうと思って、素直にそう答えた。


「あまり、危険なことはしないでくださいね」彼女は俺のもとまで歩み寄ると、憂わしげな目で袖を掴んだ。「いなくなったら、許しませんから」


「心配するな」出来る限り心丈夫な顔を作って続けた。「そんなにヤバくはならねえよ」


 彼女は依然そわそわしたままだったが、やがて落ち着き出すと、ゆっくりと袖を離してくれた。


 玄関口へ行き、靴を履いて彼女へ振り返る。


「じゃあな」


 そう笑うと、彼女は少しもの悲しげな顔で見送ってくれた。


 本当に、そんなに心配することじゃないんだよな、と微笑みながら外へ出る。夜の寒々しい空気に涼みながら、小走りでガレージへ向かった。


 車の鍵を挿し込み、運転席の扉を開ける。その瞬間、俺の全身は一瞬身震いした。

 助手席の窓越しに、武器を片手にナディアがこちらを覗き込んでいた。


「びっくりさせるな……!」鳥肌の立った腕を撫でる。「幽霊かと思ったぞ……」


「幽霊だなんて……」彼女は少し頬を膨らませると、助手席の扉を開いて乗り込んだ。「存在感がないのはデフォルト。知ってるでしょう?」


「そんな悲しい事実は知らない。それよりも、何のつもりだ? ドライブや夜景を見るために行くわけじゃないぞ?」


「そう。なら、なおさら私が必要」彼女は運転席に身を乗り出して、俺の袖をぐいっと引っ張った。


「……すまない、ナディア」彼女の手を優しく払い、首を横に振った。「今から行く場所は、明日卒業するお前に、見せていい景色じゃないと思う。だから……」


 彼女はそれを遮った。


「馬鹿言わないで。そんな場所に、一人で行かせるわけにはいかない」


「いや、と言われてもだな……」


 頭を掻いて逡巡する。いつまでも結論を出せずにいると、彼女は真剣な顔つきで言った。


「赤坂。私は赤坂の役に立ちたい。だから、私を連れていって。ボディーガードとして」


「……戦場に行くわけじゃないんだから、ガード役なんて不要だと思うが」


「でも、もしも赤坂に何かあったら、フェリシアは酷く悲しむ。だから、気がかりな点があるなら、私がいるうちに全て解消させておいてほしいの。明日死にゆく人からの、最後のお願い」


「……そうか」彼女が心からそれを望んでいるのであれば、ここで遠慮し続けるのは、ただの嫌がらせのようなものかもしれないな、と思った。「お前を連れていこう」


 彼女は微笑んで、馬鹿、と言わんばかりに俺の腹を突いた。




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