第十七話 鬼胎





 足早に玄関を飛び出し、ガレージへ向かおうとした瞬間、中庭で洗濯物を干しているフェリシア、その様子をベンチから眺めているナディアがこちらを向いて目を見張った。俺は「すまない」と謝罪してから、再び足を動かした。


「赤坂、朝ご飯なら」ナディアが声を張って俺を呼び止めた。「海に連れていってくれたおじさんが、届けてくれた」


「そうなのか……」


 足を止め、もう一度「すまないな」と彼女たちの方へ向き直って謝罪する。二人は優しい微笑みで首を横に振ってくれた。


「それよりも赤坂さん」フェリシアは洗濯物箱を空にすると、微笑んで問うた。「もう、気持ちの整理は出来ましたか?」


「あ、いや……」首を横に振っていいだろうかと少しの間逡巡して、俺は嘘を吐いた。「ああ。問題ない」


「そうですか」途端に、彼女の目は憂いを帯びたように感じられた。「よかったです」心なしか、声音も冷たくなった気がした。


 全て分かっている、と彼女の雰囲気は言っている。だから俺は、ナディアにまで悟られたくはない、と目で訴えかけた。彼女は渋々頷いた。


 視線を逸らし、ナディアのもとへ歩み寄る。隣に腰をかけて、青空を見上げると、空に目を向けたまま彼女は訊いてきた。


「どうしたの?」


「いや、何でもない」


 話題はないが、とにかく彼女のそばに寄り添いたかった。何かをしてあげなければ、と漠然とした使命感もあったが、何をすればいいのかは分からなかった。


 フェリシアは芝生に三角座りをすると、やがてぽとりと背中から倒れて太陽を見上げた。そんな静寂が続いていく中、ふと俺はナディアへ質問した。


「ナディアってさ、感情の起伏が少ないが、十分に楽しめてない……ってわけじゃ、ないよな?」


「うん」その返事は、俺の声と被さる勢いで早かった。「ルシアナの卒業パーティーの時の料理、船から観た景色、どれも心が躍った。育った環境上、表に感情を出すっていう行為に慣れていないだけ」


「育った環境……」少し記憶を漁り、彼女たちの出身地を思い出した。「孤児院、だったか」


 フェリシアはイザベラが卒業する前夜、両親を亡くしたことを明かした。他の四人にもこういった過去があるのだとしたら、本当にどこにも救いなんて見当たらない。その中で希望を探してもがく自分は、もはや滑稽とまで言えるかもしれないな、と気づかれないように鼻で笑った。


 ナディアは一呼吸分の間を空けると、淡々と続きを話し始めた。


「私たちはもともと、死んだように暮らしていた。イザベラの両親は通り魔に殺され、ルシアナの両親は殺人事件の被害者となり、カミラの両親は銀行強盗の人質となって殺され、フェリシアの両親は事故死して、私の両親は、産んで間もない頃に馬鹿みたいに二人で無理心中した。そうやって孤児院に引き取られても、毎日大人のサンドバッグになる生活。……あなたが明かしてくれた〈ロシエント〉の真相が事実なら、天国を信じ込ませた魔術協会は、そんな私たちを救おうとした部分があったのかもしれないね」


 言葉が、出てこない。


 喉に苦しみがつっかえて声を発せない、というのもあるが、ここでかけるべき適切な言葉が思い浮かばなかった。


 俯いて、額に手を当て、前髪をかき上げる。彼女の言葉に見張っていた目が乾燥し始め、ぱちりと瞬きをする。目尻からあまりにも大粒の涙がこぼれた。


 やっぱり、彼女たちに救いなんてなかった。


 そして彼女たちは、そのことを十分に自覚も出来ない。


 あまりにも残酷な現実に、俺は今一度、どうにかなってしまいそうな絶望感に襲われた。


 ああ、なら、なおさら俺は頑張らなくちゃいけないことになる。


 絶対に死ぬまで笑顔にさせ続け、本物の幸せを感じさせてあげないと。


「……よしっ」


 胸苦しさを押し込めて、両頬を思いきり叩いて喝を入れた。ナディアは驚いた顔で少しの間俺を見据えると、やがて薄く微笑んだ。


「無理ばかりしないでね。特にフェリシアの前では。心配でいつも苦しそうにしてる」


「そ、そうか……」


「うん」


「お前ら、仲いいのか?」


 その問いに、彼女は動きをピタリと止めた。それから少し間を置いて、寂しそうな目で答える。


「分からない。イザベラも、ルシアナも、カミラも、心の底からは仲がよくないのかもしれない。多分、向こうもそう思ってる」


「どうしてだ?」


「独りが、身体に馴染んでいるから」


 ああ、と俺は、多く語らずともその言葉に得心出来た。


「洋館に送り込まれた初めの頃は、ルシアナはあれほど元気じゃなかった。カミラも、多分、お嬢様に憧れていたのだと思うけど、それを前面に押し出すようになったのはもう少しあとで、ただの寡黙で見窄らしい雰囲気の人だった。イザベラも、フェリシアも、私も、全員あなたが知っている姿ではなかった。好んで一人でいるようにして、交友を避けていた。そして、今もその傾向が少し残っている。だから、心の底から仲がよくなれたのかは、分からない」


「なるほどな……」両膝に腕を乗せ、体の重心を前へ傾けながら口を開いた。「あれだけ仲よさげにしてたら、もう友達って認めるのが普通だと思うけどな」


「そうなの……?」彼女はきょとんとした顔で言った。「私たち、友達になれていたの?」


「そうだろうに」俺は微笑んで返した。「あまり気にすることじゃない。流石にあの光景は、友達同士のそれだぜ」


「……そっか」少しの間考え込む素振りを見せた後、彼女は優しい笑みを浮かべる。そして、独り言のように続けた。「最近のフェリシアは、そばから私たちを眺めてるだけだけど……、彼女とも友達になれてるのかな」


 俺はそれを、肯定も否定もしなかった。ゆっくりと立ち上がって、代わりにこう言っておいた。


「朝食は、朝昼兼用にするとして、昼まで洋館の掃除をしてくる。その間、二人で何か遊んでろよ。フェリシアとの仲が不服なら、それを縮めるいい機会だろう」


「……赤坂」彼女は少し瞠目すると、やがて、くすりと微笑んだ。「ありがとう。赤坂はここに来る前まで、何をしていたの?」


「数年前に仕事を辞めて、ずっと家に引きこもっていたよ」


 その答えに彼女は目を丸くした。「……赤坂は、もっと評価されるべき人間だと思うけど」


「どうしてだ?」鼻で笑われると思っていたが、予想外の返答に聞き耳を立てて問うた。


 彼女はそんな俺に小首を傾げながら答えた。


「赤坂と私たちって、出会ってから、まだあまり日にちが経ってない。なのに、私たちにどこまでも真摯に向き合ってくれている。多分、こんなに優しい人は、あまりいないと思う」


「……いや」視線を逸らし、頭を掻きながら一部訂正した。「出会った時から、俺の中では、お前たちは重要な存在になってくれていた。だから、日にちとかは別に、関係ない、かな……」なぜか本来の話し方を見失っていき、最後の方は逃げるように声をか細くさせた。


「ふうん」彼女は頬を紅潮させると、少し身を縮こませて視線を逸らした。「何もしてないと思うけど、そう言ってくれるのは、素直に嬉しい」


「そうか……」


 それならよかった、と少し熱くなっていた顔を手うちわで仰いで、玄関の方へ歩き出した。





 気がつけば一時間半が経過していたが、掃除は全体の半分も終わっていなかった。のんびりやっていたつもりはないが、何となく、身体が動くことを拒否しているみたいな、そんな虚無感があった。


 二階の廊下のモップがけをしている最中、ふとフェリシアは背後から俺の肩をぽんぽんと叩いた。特に掃除に熱中していたわけではないのに、何となくそれまで彼女の存在感に気づくことが出来ず、一瞬肩が跳ねるように震えた。


「お昼ですよ」彼女は俺の額から滴る汗をハンカチで拭って、ふふっと笑った。「早くしないと、ナディアが怒りますよ」


「そうだな」笑い返して、辺りに散らばった掃除道具を集め始めた。「ナディアとはどうだったんだ?」彼女との距離が遠くなり、少し声を張って問うた。


「どうってことありませんよ」彼女は声音に笑みを混ぜて答えた。「楽しそうに遊んでくれました。一対一は初めてでしたけど、いつも通りです」


「そうか」全ての道具を廊下の端に纏め、近くの水道で手を洗う。「そりゃよかった」


 彼女のもとへ戻ると、やがて、足並みを揃えて一階の階段へ歩き始めた。


 道中、なぜか彼女から度々視線を感じていた。対する俺は、逃げるようにそれとは反対側の方向へ視線を飛ばしていた。


「赤坂さん、私のこと嫌いですか?」やがて、ため息混じりに彼女は訊いてきた」


「いや、違う」自然と言葉が早口になっていた。「なんかまあ……」緊張で上手く言葉が出てこず、少しの間沈黙を要して、「ナディアに何を言われたんだ?」と話題を変えた。


「何も言われてません」彼女は少し不服そうな顔で頬を膨らませた。「ただ、二人きりなので、ちょっと頑張ってみようと思っているだけです」


「そ、そうか」俺は人差し指で頬を掻いた。


「そうですよ……」


 照れてきたのか、彼女は少し声をか細くさせた。そのまま両手の指と指を合わせて、足取りを遅くさせる。彼女の方へ振り向くと、自然と目が合い、すぐにお互い別の方向に逸らしてしまった。


 それから、何十秒か沈黙が続いていた。指の骨を鳴らしたり、足の指を上下に動かしたりして、何とか昂る気持ちを抑えつけようとする。多分、彼女も同じような感情を抱いていた。


「あの、赤坂さん」耐えきれなくなった彼女は切り出すが、やけに抑揚が大きかった。即座に両手で口元を覆い、体をそわそわとさせる。少し間を空けてから、続きは話された。「ナディアの卒業パーティーは、やらないんですか?」


「ぱ、パーティーか」そう返しながらぎこちなく前へ向き、俺は歩き始めた。「そうだな。カミラの時は出来なかったが、やらなきゃな。また店から料理も頼むか」


「はい」そう言って彼女は俺の隣まで追いつくと、両手を股下で組んで手遊びのようなものを始めてから続けた。「でしたら、料理が喜ぶと思うんですが」少し間を空けてから、彼女は申し訳なさそうな顔で俺を見上げた。「私も、作ってみたいんですけど……」


 彼女の言葉に、俺は自分の料理スキルを見直した。そして、ため息を吐いた。「俺も、そこまで自炊はしたことがないんだが」


「それでいいです」彼女は安心したように微笑んだ。「私たちの料理をメインにしては、ナディアが肩透かしを食らってしまいますから。サブに添える程度のものを作りたいんです」


「そうか」彼女の笑みに、俺の頬は自然と綻んだ。





 ナディアが就寝についた、二十二時半。食堂の冷蔵庫から、昼間に市場から無差別に買い集めてきた食材、具材を取り出していく。フェリシアはそばの机で料理本を読み漁っていた。


「適当に本屋で選んだものだが、いいのはあるか?」


「うーん」載せてある料理を入念に眺め回しながら、彼女は悩ましそうに唸った。


「とにかく、あらゆる料理に対応出来るよう、色々と買ってきたつもりだ。何でも選んでくれ」


「すみませんね」彼女はペラペラとページを捲りながら、申し訳なさそうな顔を浮かべた。「私が料理本から選びたいって言ったばかりに、こんな回りくどいやり方をさせてしまって」


 気にするな、と返そうとした瞬間、ふと彼女はページに向かって「あ」と声をもらした。


「どうした?」そう訊いて歩み寄り、ページを確認した。「味噌汁に、サンマの塩焼きに……って、ただの和食だが」


「違います」彼女はビシッと、人差し指をページの下部にちょこんと載った塩おにぎりに突き出した。「ナディア、これが大好きなんですよ」


「塩おにぎりを……作るのか」台所に用意した、多種多様な食材と具材を眺める。「ずいぶんと無駄足だったな」


「じゃあ、他にも何か作りましょう」彼女は本の角を指でつまんでのけぞらせ、反動をつけてページをバララッと落とした。「オムライスとか作ります?」


「オムライスはサブって量じゃないだろう」そう控えめに反論し、彼女に近接してページを捲っていく。「作りたいなら別だが、あくまで俺たちは、目玉焼きとか、サラダとか、そっち系のサブを目指してるわけだから……」ふと、熱烈な視線を感じて彼女に目をやると、頬を真っ赤に紅潮させた乙女の顔で、俺を戸惑いながらじっと見つめていた。


 圧倒されて、言葉が喉に詰まって何も発せられなくなる。吸い込まれるような漆黒の瞳から目が離れない。金縛りみたいに体が動かせない。そうやって意味もなく互いを見つめ、乾燥してきた彼女が目を瞬かせたところで、ふと世界は終焉を告げられた。


 今までの自分が嘘だったように、体が思い通りに動いてくれるようになる。咄嗟に数歩分の距離を取り、こほんと咳払いを挟む。彼女は首を百八十度回転させる勢いで真逆の方へ捻った。


「つ、作りましょう」彼女は震える声で切り出した。「その……、目玉なんとかと、サラダを」


「お……おう」何とか動揺を抑え込みながら返事をした。「なら、まずは……」おにぎりを作ろう、と続けようとしたところで、誰のものか分からないほどか細くなっていた自分の声に恥ずかしくなり、口を閉じた。やがて、咳払いでごまかして、逃げるように台所へ歩き出した。


「……ぷはっ」


 ほどなくして、彼女は吹き出した。心で燃え上がっていた何かは一気に鎮火され、冷静さを取り戻した俺は「おい」とツッコミを入れた。


「だって、今の何ですかっ?」彼女は目尻の涙を手の甲で拭うと立ち上がり、こちらに歩み寄った。「緊張し過ぎなんじゃないですかっ?」


「いや、何というか……こういうこともあるだろう」頭を掻き、台所に立つ。「じゃあ、作るぞ」


 返事が一向に来ない。恐る恐る彼女の方へ目を向けると、からかうような笑みを向けられている。仕返しをしてやろう、と俺は真剣な雰囲気でその顔を見据えた。


「え……?」と疑問符をもらし、途端に彼女は目を丸くした。やがて、その頬は紅潮していく。


 気がつけば、また俺たちは、惹かれ合うように互いを見つめ合っていた。


「……えっとだな」落とし前をつけるべきだな、と視線を外して切り出した。「塩おにぎりの作り方はだな……」


 そこまで話して、会話が強引過ぎたことに気がつくと、俺は羞恥心に打ちのめされて眉間を押さえた。そんな様子に彼女はまた吹き出すと、台所のパックの白ご飯を一つ手に取り、楽しそうに俺の隣に並んだ。


「教えてください、何ですかっ?」


 彼女は半笑いで俺を見据えて訊いてくる。ああ、なんて俺は無様なんだ、と自分の行動を悔い、視線を合わすことなく「分かった」とか細い声で返した。


 そんな風にして、俺は彼女と一夜を共に過ごした。


 不思議な感覚だった。軟かそうなその腕に触れたいという衝動。背後から手を回して抱きたいという衝動。そういった欲求に頭を悩ませている時、俺の心の傷は存在感を薄くしていた。


 その時だけ、心が楽になれていた。





 早朝五時。ルシアナのパーティーと同じように、飾りづけを行い、食卓に料理を並べる。エントランスホールと食堂は、一気に煌びやかな雰囲気に包まれた。


「じゃあ俺は、船のおじさんに飯が要らないことを伝えてくるから」


「ありがとうございます」彼女は優しく微笑んだ。


 ガレージへ向かい、車を出す。そのまま敷地を、森を抜けて、まだ僅かに薄暗い平地に出た。その瞬間、百メートルほど先で、入れ違いになる田淵のワゴン車を確認した。


 門扉を抜け、港が見えてくると、次第に停泊した船も映り込んでくる。やがて俺は港のそばに車を停めて、船の方へ歩いた。


「よお」船首から彼の声が聞こえた。見上げると、彼は咥えていたタバコを口から外して訊いてきた。「もう朝飯を取りに来たのか?」


「いえ、今日は昼も夜も、その必要がないんです。それを伝えに来ました」そう言って、少し頭を下げた。


「そうか」彼は無精髭を撫でながら、視線を戦場の方にやった。「もうそろそろ、戦争だもんな。美味いもん、たくさん食わせてやりな」


「……はい」


 弱々しく頷き、同じように戦場の方向を見据えた。


 全ての生命は、終わるように作られている。


 巨獣がその例外なのだとしたら、今の文明は、世界は、作り変えられようとしているのかもしれない。


 そんな酷薄な世界を創造した神様に、いつか俺たちの嘆きは届くだろうか。


 いつか〈ロシエント〉が報われる日は、訪れるだろうか。


 いつか人類は、神に報復の刃を突きつけることが出来るだろうか。





 帰り際、また田淵のワゴン車と森で入れ違いになった。距離は百メートルほど離れていたので向こうが気がつくことはなく、そのまま車は本部の方へ走っていき、やがて建物の影に隠れて見えなくなった。


 あいつは一体、前から森の中で何をしているのだろうか。一度ブレーキをかけて考える。ただの仕事かもしれないが、俺に嘘を吐いた以上、確実にあいつは他にも何かを隠しているのだ。


 一度、追ってみてやろうか。そう思って、彼が出入りしていた道へ車を走らせる。森についたタイヤの跡を辿り始めた。


 そうして、十分ほど経過しただろうか。行き着いた先の景色に、俺は絶句した。

 開けた場所に大砲が四台、ひし形を作るように配置されていた。。錆びれた砲身はだいたい三メートルはあり、穴は人の頭ほどの大きさをしている。砲身の方向は戦場ではなく、全て洋館へ向いていた。


 奥の方には、辺りの自然とよく馴染んだ廃屋もあった。奥行き三メートル、幅二・五メートル、高さ五メートルほどのもので、赤錆がところどころに浮いていたが、度々人が出入りした形跡があった。


 どういうわけか、全く理解が追いつかなかった。田淵がここの存在を俺に隠していたということは、この光景は俺にとって絶望を与えるもののはず。ということは、洋館は最終的にこの大砲で消されてしまうのか?


 いや、と眉間を押さえて考える。そうしなければいけない合理的な理由が見当たらない。


 なら、何であいつはここを隠す必要があった? と、おぼつかない足取りで大砲とその周辺を一つ一つ見て周る。だが、素人目では特に何かを発見することは出来なかった。


 あと何かを隠すとしたら、廃屋しかないだろう。心臓に早鐘を打ちながらそこへ向かい、キィッと鈍い音を鳴らして扉を開けた。


 中は至ってシンプルだった。汚れによってより黒みを増した松の机に、触れると手を切りそうなほど錆びれたパイプの椅子が一つ。そして、部屋の端には、何の機能も果たしていない木製の棚が申し訳程度に配置され、それ以外には見ておくべきものがない。ただの廃屋としか思えなかった。


 一旦外へ出て、少し離れた位置からここら一帯を観察する。だが、大砲と廃屋以外に目立つものはない。どこかに仕掛けのようなものも見られなかった。


 あいつに直接真相を訊いてみようか、と考える。だが、あいつのことだから、絶対にことが起きて、俺が絶望してからしか教えないだろうな、と思考を中断する。であれば、あいつがまたここに来た際に、何をしているのかをこの目で確かめる方がいいだろう。


 明日は戦争当日だ。なら、もし本当に大砲の用途が洋館を消すものだとしても、今日中に仕掛けられるという可能性はあり得ない。ここは一旦、踵を返しておくことにした。




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