第十五話 戦争へ





 約束の時間、俺は三人を車に乗せてその浜辺まで向かった。海岸には食料提供用とは違った、少し小さめの船が停泊してある。その運転席の方から、ふと何枚もの顔写真が浜辺に散らされた。


 大丈夫だろうか、とすぐに彼女たちへ気を配る。外へ出て、写真のもとまで歩くが、誰も動じる様子はない。カミラは能天気に「何ですの?」とまで口を開いていた。


「どうやら」ふと、おじさんは運転席からひょっこりと顔を出して言った。「あんたは本当に成功したみたいなんだな」


「はい」


「だが、上からは外出を却下された、と」彼はタバコに火をつけると、美味しそうに口に咥える。やがて煙を吐き出すと、辺りを見渡した。「ただでさえ〈ロシエント〉のいる森は、仕事以外で人なんて寄ってこない。こんな隠れたような浜辺は、そもそも存在を認知されているのかすら怪しいな」


「詳しいんですね」


「まあな」彼はまたタバコを咥えると、おもむろに空を見上げた。「一年前までは本部で働いていたからな。割と偉い職種に就いていたが、死にゆく〈ロシエント〉を見るのが嫌になってな、精神疾患の診断書を提出して、前線を離れたんだ」


「……そうですか」


「何はともあれ」彼は煙を吐き出し、タバコを浜辺に落とすと本筋を切り出した。「ここからなら外出しても、誰にも気づかれないだろう」


 俺は思わず眉をひそめた。「もしも暴走してしまったら、大変なことになるんですよ」


「ああ」彼は俺に背中を向けて、船首へ上がった。「俺もそこまで責任は負えない。だから、他に人には会わせないし、俺を見て暴走しそうになった時には、しっかりと一人分の救命ボートで脱出させてもらう」


 そうして、彼は一呼吸分の間を空けると、俺たちを見下ろして言った。


「てなわけで、さっさと船に乗れ。いい景色を拝ませてやる」


 俺は思わず、彼の聖人ぶりに瞠目した。


 服の袖がくいくいと引っ張られる。彼女たちは俺を見据えて、嬉しそうに頬を紅潮させていた。


 怖いけど、頷いてみていいだろうか。少しの間逡巡して、答えを出した。


「……はい」


 彼はおもむろに口角を上げ、運転席の方へと戻っていった。





 念を入れて、フードつきのカッパで全身を隠し、外見が見えないように変装すると、船はたちまち出航された。


 船首から海を見渡す。海水は紺青色のみを絵具で塗りたくったみたいな色調をしていて、ゆったりと波によって膨れ上がっていた。写真として収めるとペンキ絵と見間違えそうな雰囲気の中、唯一水面を叩きつける波音と、体に吹きつける生温かい風が現実感を味わせてくれている。


 海は途方もなく続いていて、このまま進んだ先の世界は、海と青空がくっついているようだった。そこに行って天に手を伸ばせば、青空という海を泳いでいる鯨みたいな雲に触れることが出来るのだと、そう思った。


「ここら辺の海は」彼は運転席の扉から顔を出して言った。「工場から出る、魔力の混じったガスとか、魔力水晶の破片とかで、魔力に侵食されちまって濃い色になってるんだ。だから、透き通った綺麗なものを見せることは叶わねえ」


「十分です」俺とフェリシアは即座に返した。カミラとナディアも、少し遅れて同じような反応をした。


「こんな景色、観たことありませんわ」カミラは遠い目で海を見据え、声を少し震わせて言った。


「広い」ナディアも同じように海を眺めて、ふと呟いた。「……うん、素敵」ほんのりと頬を紅潮させて、薄っすらと笑った。


「そうか」彼も船首に乗り出すと、こちらに近づき、海を見渡して笑った。「だが、本番はここからなんだぜ」


 にやりと彼は口角を上げると、懐から小さな魔力水晶の欠片を取り出し、魔力を込めて発光させる。ふとそれを海に投げ捨てると、その光に呼応するように、直径一メートルほど、着地点の水面が点々と小紫の輝きを見せた。まるで、海の中に蛍の群れがあるみたいだった。


「失敗だな」彼は小さくため息を吐くと、もう一つ欠片を取り出し、彼女たちの方へ差し出した。「誰でもいい。もう少し奥の方に投げてくれないか?」


 彼女たちは互いに顔を見合わせ、誰が受け取るかを小声で話し合った。ほどなくして、カミラは嬉しそうな顔で欠片を掴む。するとそれは発光を始め、彼女はその手をぶんぶんと振り回し、自分の中のタイミングに合わせて海へと投げ捨てた。


 数メートル先の水面に、ぽちゃんと欠片が落ちては浮き石みたいに浮き上がる。やがてその周りは小紫に発光を始め、彼とは非にならないほど広範囲な輝きの群れを形成した。


 そこはまるで、緻密にモーショングラフィッカーが作業を重ねて作り上げた、架空の世界のように感じられた。点々と発光体と配置し、紫系統と白系統を綿密に混ぜ合わせたハイライトをかけ、上手いように海の質感に溶け込ませているかのような、おおよそ現実ではあり得ないような景色だった。


「魔力に侵食されていると言っても」食い入るように目前の光景を眺めていると、ふと彼は口を開いた。「もう、海を漂う魔力は効力を失っている。だが、そこに生きた魔力が投げられると、それは輝きを取り戻す」


 彼の話に頷きながら視線を戻すと、投げられた欠片はふと発光を止めた。辺りに魔力を用いる人間がいないことで、水晶はただのオブジェクトと化し、それを中心に海は元の景色へと戻っていく。その様子に彼女たちは分かりやすく落胆した。


「心配するな」彼は客室の方を親指で差した。「水晶の半分くらいは

 斬り刻んできた。たくさんあるからな」


 思う存分楽しんでくれ、と彼は言い残して、船首の段差へ腰を落とした。





 三時間後。もとの海岸で船は停泊し、俺たちは浜辺へ足をつけると、船首にいる彼を見上げて礼を述べた。


「今日はありがとうございました」


 彼は照れくさそうに「頑張れよ」とだけ口を開いて、やがて夕食を取りに船を出した。


「さて」帰るか、と続けようとしたところで、懐の無線機からノイズが走る。ほどなくして、田淵の陽気な声が聞こえてきた。


『やあ、赤坂さん。気分はいかがですか?』


「すまないが、最高だぜ」


『そりゃあいいですねえ!』


 彼は途端に興奮した声音で叫ぶと、切れた息を大きく吸い込んでから続けた。


『また、緊急出動です。巨獣が早くも再生しきってしまったようですので、今すぐ〈ロシエント〉を連れて、チャーリー地帯に向かってください。あ』彼は何かを思い出したような反応をすると、『巨獣、多いですよお』と楽しげな調子でつけ加えた。


 同時に俺は、固まった。沸々と怒りが込み上げ始め、強烈に胸が苦しくなり、目の焦点が合わなくなった。


『ではでは。ご機嫌よう』人混みの雑音が混じってくると、彼は小声になってそう言い残し、切断した。


 早く行かなければいけない。なのに、少しの間、瞬きもせずに虚空を眺め続けていた。


 ふと意識は回復し、彼女たちの方へ目をやる。カミラはもの悲しげに笑って俺を見据え、フェリシアは俯いて拳を震わせていた。


「酷かもしれないけど」ナディアが俺の袖を掴み、車の方へぐいっと引っ張った。「私たちが行かないと。戦わないと」


「……そうだな」


 肯定しなくてはいけない自分が酷く苛立たしい。視線のありかに困らせながら、無理に口角を上げた。




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