第十四話 淡い希望
ミーティングでカミラの寿命を二日と宣告されてから、おぼつかない足取りで辿々しく洋館へ戻った。
エントランスホールの階段には、そわそわとした様子の彼女たちが俺の帰りを待っていた。どのような顔を作ればいいのか分からず、俯いて靴を脱いだ。
「赤坂さん」カミラはふと切り出した。「その様子だと、わたくしたちのことについて、何か分かったみたいですわね」
「……正解だ」少し逡巡してから、正直に答えた。
「赤坂さん」
またカミラは俺を呼ぶと、三人は立ち上がる。ゆっくりと俺の方へ歩み寄り、顔を強張らせて言った。
「教えてくださいますか? あなたが知っていて、わたくしたちが知らない全てを」
「……そうだな」酷だが、話すべきだと思った。「全て教えよう」
そうして、俺は知っている限りの全てを打ち明けた。天国のことも、〈ロシエント〉の正体も。
「にわかには信じられませんわね」全ての話を聞き終え、カミラは何かが欠乏したような顔で俯いた。「天国も全て、暴走させないためだなんて」
「怖い」ナディアは一言そうもらして戦慄した。
「とはいえ、流石に天国がないのは嘘だと思います」焦点の合わない目で無理に作るフェリシアの笑みは、あまりに狂気的だった。「だって、天国は……」
彼女は何かに取りつかれたように天を見上げ、ぎこちなくそこへ手を伸ばす。無理に正気に戻そうかとも考えたが、彼女から受けたビンタを思い返して踏みとどまった。
それに、結局、天国を否定させたところで、二千二十匹倒した時には幻を見て、そこに行こうとしてしまう。それすらを否定させることが出来たとしても、いずれ彼女たちは暴走する運命を辿る。
世界の命運か、彼女たちか。そんなの、前者を取らざるを得ない。でも、そんな結末はどうしても認めたくなかった。
「赤坂さん」絶望の狭間に落ちていた俺を、カミラの声が現実に呼び戻した。「わたくしも、やっぱり天国がないなんて、信じられませんわ」
彼女の顔は、まだ窮していた。無理に結論を出そうと急いでいるのだろう。俺は壁にかけられた時計で時刻を確認し、靴を履いて踵を返した。
「……昼食を持ってくる。ゆっくりと、思考を纏めてくれ」
彼女たちの応答を聞く前に、俺は扉を閉めた。
時刻はまだ十一時だったが、昼食を運んだ船はもう訪れていた。
港のそばに車を停める。オボンを持って運転席から出るが、何となく黄昏たい気分に駆られ、その場に腰を下ろしてここら一帯を眺めた。
点々と建てられた工場の窓には、度々火花が散っていた。それらの奥には、本部がそびえ立つ。そして、そこから果てしなく続いていく平地。まだ一ヶ月も滞在していないのに、何だかここが世界の全てのような気がしていた。
このまま人類が巨獣に敗北した時、世界の景色はこんな風になるのかもしれない。そんなことも考えていた。
ふと、そんな平地の奥で、一台のワゴン車を視認した。森の方へ向かっているようだが、洋館の方角ではない。恐らく田淵だと思われるが、あいつは一体何をしているのだろうか。
前にドライブをしていると言っていたが、マッシュの青年の発言とは食い違うし、そもそもの話、勤務中にドライブなんて見つかったら即クビものだ。まだ俺に隠していることがあるというのだろうか。
「あんた」ふと隣から嗄れた声が聞こえた。全く気配に気づけず、肩をびくりと揺らしてしまう。「飯を受け取らねえのなら、こんなところで仕事も放棄して何してる?」
声の方向を見上げると、食事を提供してくれるあのおじさんが、タバコを口に咥えてこちらを不思議そうな顔で見下ろしていた。
「まあ」返事に困ったが、素直に答えておこうと思った。「〈ロシエント〉の真相を知って、心を痛めているんです」
「そうか」彼は無精髭を撫でながら、もう片方の手で咥えていたタバコを指で挟み、息を吐いた。「そいつは、さぞ辛いだろうな」
タバコを地面に落とし、使い古された焦げ茶色のブーツで後処理をする。やがて、俺の横に並ぶと腰を落とした。
「ワシも、もうずいぶんとここに雇われて日が経つが、未だに、何一つ巨獣の正体は掴めていない状況だ。こんな現状を打破するには、巨獣を圧倒出来る、〈ロシエント〉の存在が必要不可欠だ」
「……そうですか」
だからと言って人体実験なんて認められるわけがないはずだが、もう、そんなことを言っている暇なんてないのかもしれない。
「あんたは」彼は俺の方へ向き直ると、目を細めて問うてきた。「世界がこのまま滅びたら、大事な人が死んでしまったら、どう思う?」
その質問を、島に来る前の俺にされていたら、愚問だと即答していただろう。世界の命運なんて、それでみんなが自分と同じ、または同等以上の絶望に落とされるのならどうでもいいし、大事な人なんて、誰一人として挙げられなかったから。だが、それも過去の話だ。
「今の俺は」いつの間にか目には涙が溜まっていた。声も掠れたものになっているが、気にせずに続けた。「その、どちらかを選ばなければいけないんです。しかも、別に後者を選んでも……、脅威が去るわけでもない……。どう思います……?」
「そりゃ」彼はしばらく、処理落ちしたみたいに固まった。やがて、深くため息を吐いてから答えた。「さぞかし、気の毒だとは思うぜ。〈ロシエント〉は天国を錯覚しているが、そんなものがあるのかどうかなんて、誰にも分からない。もしなかった時のことを考えると、死ぬ前に、外の景色くらいは拝ませてやりたいものだが、人を襲うんじゃ、それもままならねえしな」
「……人を襲う、か」彼の言葉に、カミラの起こしたあの惨状が脳裏に過ぎった。「人は襲ったが……、……すぐに理性を取り戻した……」
その瞬間、ふと、ある可能性に行き着く。そして、僅かながら、そこに希望を見出した。
「おじさん」勢い余って立ち上がってしまう。彼の目前で中腰になり、目を見据えて言った。「不躾なお願いなのは重々承知の上です。どうか、誰かの写真か、スマホを貸してくれませんか?」
彼は少しの間眉をひそめて固まっていた。ふと、「なるほど」と得心した様子で頷くと、懐からスマホを取り出す。何かを打ち込む操作をした後、スタートとホームのボタンを同時に押して、いくつもの画面を激写した。
やがて彼は、満足げな顔で俺へそれを渡すと、オボンを強引に奪って立ち上がった。
「飯を運んできてやる。いくつだ?」
俺は手で四とジェスチャーを出す。彼はかかかっと笑って船の方へ歩き出した。
「全く、気の毒だぜ。もしそれが成功するのなら、死んだ二人にも、外の景色を見せることが出来たかもしれないってのによ」
「全くですね」
本当に全くだな、と目尻に一雫が浮かんだ。
「カミラ、ナディア、フェリシア」
洋館へ戻り、中庭へ三人を集合させる。小首を傾げる彼女たちに、俺はおじさんから受け取ったスマホを懐から取り出し、見せつけた。
「スマホ?」フェリシアは疑問符をもらした。ナディアは無言のまま立ち尽くし、カミラは「それがどうかしたのかしら」と少し期待外れな顔をした。
「お前ら」三人の顔をそれぞれ見据えた。「一旦、天国がどうとか、そういうのは全て忘れてくれ」
「なぜですの?」カミラは当然の疑問をもらした。
「訓練の邪魔になるからだ」答えると同時に、スマホのホームボタンを押す。「今からこの画面に、人間の顔写真を映す。十人十色の人間を見て、巨獣としての衝動を抑えつけるんだ」
彼女たちはその瞬間、まるで落雷に打たれたかのごとく硬直した。構わず俺は説明を続ける。
「いいか? お前らは確かに巨獣の習性を引き継いでいる。だが、完全にあいつらの仲間ではない。人間としての理性や知性を忘れちゃいないからな。……要するに、それを利用して、ずっと衝動を抑えつけることが出来るかもしれない、というわけだ」
彼女たちの間には未だ沈黙が流れている。それを破ったのは、フェリシアだった。
「あの」抑揚を欠いた声で彼女は問うた。「もし、それが成功したとして、何が変わるっていうんですか?」
「外の景色を見せてやる」鼻で笑って、中庭を囲む森を見渡した。「こんな狭苦しいところなんかよりも、世界っていうのはとんでもなく広い。あまり遠いところには資金的にも時間的にも連れて行けないが、高所からの夜景だったり、海だったり、とにかく絶景を案内してやる。どうだ?」
俺の説明に、カミラとナディアはたちまち目を輝かせた。
「何の絶景がいいかしら」カミラは頬を紅潮させて思いを馳せた。ナディアも胸元に両拳を作って、「すごい、行ってみたい」と満足げな顔を浮かべた。
反応がなかったフェリシアに視線を移す。彼女は俺を見据えて、もの悲しげに笑っていた。
「私はやりません」彼女はぴしゃりと言い放った。「どうせ、みんなよりも弱い私は、衝動を抑えつけることなんて出来ません。カミラとナディアが行きたいと言うなら、三人でやってください」
「待て」思わず一歩足が前へ出た。「そんなこと、やってみなきゃ分からないだろう」
「確かにそうです。でも、正直、外の景色なんて興味ないですし、いいです」冷たい口調でそう答えると、彼女は背中を向けた。
「待て!」
彼女の方へ走り寄り、両肩を掴んでこちらを向かせる。やがて、拗ねたようにして彼女は俯いていった。
そして、苦しそうな声で、訥々と話し始めた。
「赤坂さん……。観光したその先に、あなたには何が残りますか? 苦しみですよね? 悲しみですよね? 涙ですよね? ……あなたが私たちの幸せを見た分、卒業する時の絶望は落差を増します。……あなたはそうやって、二人の旅立ちに十分絶望していました。なのに……、どうして……またあなたは……、繰り返そうと、するんですか……?」
一雫地面に垂らした彼女は、俺の胸へ体を預けた。やがて、力の入っていない両拳で殴られる。何度も、ぺちぺちと。
「喜んで、笑って見送ってあげるべきだと言っていたのは、お前の方だろう」
「そうですけど……」彼女は動きを止めると、十分な間を空けてから続けた。「私にも、はっきりと分からなくなってきました。あなたの言う、……天国の有無が。……もし、もしも、そんなものが幻想なのだとしたら、あなたの背負う苦しみが、存分に理解出来ます。……これ以上、無理はやめてください……」
「そう言われてもな」後頭部を掻きながら、適切な言葉を模索していくが、状況に適したものは見つからない。「俺のことなんてどうでもいいだろう、としか言えねえな」
「そんなことだから、あなたは……」
「確かにな」安心させるように、彼女の頭を優しく撫でた。「その時は、またお前に甘えさせてくれよ」
そう言うと、力強い目で俺を見上げて口を開いた。
「どうしても、ですか」
「ああ」出来る限り笑みを浮かべてた。
やがて彼女はまた俯くと、嗚咽を酷くさせていく。その肩を、カミラとナディアが優しく叩いた。
「これが赤坂さんの意思なら、素直に好意を受け取るしかないですわ」カミラはフェリシアをもの悲しげな顔で見据える。ナディアはかけるべき言葉が思い浮かばないのか、ただ寂しそうな顔で首を横に振っていた。
やがて、彼女は力なく頷くと、俺のそばから離れた。そして、何歩か辿々しい動きで後ずさりして、「仕方ないですね」と、涙を手の甲で拭いながら笑った。
衝動を抑えつけるのは、そう容易なことではなかった。
スマホに人間の画像を映すと、彼女たちは一瞬にしてスマホを壊す勢いで飛びかかった。あと一歩のところで何とか画面を変えることが出来たが、精神強化をいくら行っても、多量の集中力を求められた。
そんなことを何十回、もしかすると何百回と続けていたかもしれない。とにかく数えきれないくらい繰り返して、明確な異変が訪れたのは、訓練から一時間半が経過した時のことだった。
彼女たちは、飛びかかろうとする自分の足を地に引きずり、何秒か衝動を抑えつけることが出来るようになった。それは目まぐるしい進歩で、そのまま二時間、三時間、四時間と続けていくうちに、彼女たちは徐々に稼ぐ時間を延長させていく。
昼食があることも、夕食を取りに行くことも忘れて、完全に空が黒に覆われた時、──ついに彼女たちは、衝動を完璧に抑えつけることに成功した。
それから就寝まで、いついかなる時に不意を突いても、三人は動じることがなくなった。何時間と人間の顔を視界に入れながら生活しても、ただ、満足げな笑みを浮かべるだけだった。
俺はその様子を動画として納め、朝早くから、本部の偉い人に直接提出しに行った。まず上司である田淵を通すことが基本であることは理解していたが、あいつに見せれば確実に却下してくるだろう。とにかく正当な判断をいただきたかった。
「無理だ」軍服の彼は渋い顔でスマホを俺に返した。「巨獣の習性が備わっている以上、最悪の事態には備えておくべきだ。もしも暴れ出した場合、甚大な被害を被ることになる。誰も責任は取れない」
悔しいが、その言い分は正しかった。
そして、俺は心のどこかで、それに気づいていたのだと思う。
船から朝食をいただく時、俺はおじさんにスマホを返した。
「外出はダメでした」
そう報告すると、彼はおもむろにテンションを落として、「そうか」とだけ口を開いた。
去り際、彼はこほんと咳払いをして、俺の袖を掴んだ。目をやると、人差し指をくいくいとさせ、顔を寄せろとジェスチャーしている。指示通りに耳を近づけると、彼はそっと耳打ちした。
「十四時、車に〈ロシエント〉を乗せて、洋館から向かって右の奥にある辺りの浜辺に来い。もちろん、〈ロシエント〉以外には内密にな」
「……分かりました」
何が目的なのかはよく分からなかったが、彼の信頼度に任せて頷いておいた。
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