第九話 絶望へのカウントダウン





 夕食を港から運び、洋館へ戻ってくる。イザベラが亡くなった場所の後処理はしっかりとされており、俺は近くに転がっていた石を拾うと、泥を拭って死体のあった場所へ立てて、申し訳程度の墓を作り上げた。


 玄関をくぐる。そのまま食堂へ足を運ぶと、もう他の四人は食卓に待機していた。やがて、ナディアは俺の帰宅を一早く察知すると、スプーンとフォークを両手にこちらへ駆けてくる。


「赤坂! 今日の夜ご飯は!?」


 お楽しみ、と言って笑う気力もない。危ないから落ち着け、と注意する余力もない。俺はただただ彼女を心配させないために、ぎこちない笑みを浮かべて横を通り過ぎた。


「赤坂さん!」ルシアナが椅子に垂れた足をブラブラさせて待っていた。「早くするっす! もう待ちきれないっすよ!」


「あ、ああ」とにかく笑ってみた。だが、イザベラの死を気にもとめていない様子の彼女たちに、顔は引き攣っていった。「すぐに用意するさ」


 夕食の唐揚げ弁当を各々の分温め、小刻みに震える全身を器用に使って食卓に配る。最後にフェリシアへ渡そうとした瞬間、わけもなく腕がびくりと痙攣して、そのまま床へ落としてしまった。


「これは俺の分にするから」そう言って、ミスを少しでもカバーしようと、残りの弁当をフェリシアへ渡した。


 ひっくり返った弁当の処理は大変だった。とりあえず食べられる分を水で洗い、床にこべりついたご飯粒を手で寄せ集める。そうこうしていると、みんなが残りの処理を手伝ってくれた。


 そうしてひとしきり片づいたところで、ようやく「いただきます」の挨拶は食堂に響き渡った。


 ナディアは勢いよく箸を動かし、ルシアナとカミラが負けじと食らいついていく。フェリシアはいつものようにそれに微笑んでいる、と思いきや、俺の顔を見据えてじっとしていた。


「赤坂さん、食べないんですか?」


「いや……」濡れた唐揚げを一つつまんで、水で流した。「大丈夫だ」


 とはいえ、驚くほど水も唐揚げも、喉が通すことを拒んでいた。無理に笑うが、相当引き攣っていたのだろう。俺に注目する四人は総じて苦笑いを浮かべていた。


「赤坂」ふと、ナディアは眉をひそめた。「イザベラが卒業した時も、絶望するような顔してた」


「はは……」


 何と返せばいいのか分からず、掠れた笑い声を上げてしまう。もともとコミュニケーション能力が乏しかったのも効いて、彼女たちと会話すら成り立たない状態になってしまったらしい。


 やがて、息が詰まりそうになっていく。胸がより苦しくなっていく。


 次の犠牲者は誰なんだ、と俺は戦争後の彼女たちの撃破数を思い返した。そして、背筋がぞっとした。きっと、何か聞き間違いをしているだけに過ぎないと思わざるを得なかった。


「お前ら、さ」そう、俺は声を絞り出して問いかけた。「戦争後に伝えてくれた撃破数……、あれ、本当の数字だよな……?」


 彼女たちは揃って小首を傾げた。やがてフェリシアは「約千二百ほど……ですが?」と言って疑問符を浮かべる。その数字は、頭に浮かんでいた彼女の撃破数と一致していた。


 確認の意を込めたのだろう。続くようにして、ナディアは「千四百」と狂いのない数字を伝えてくる。カミラは「千五百」、ルシアナは満面の笑みでピースの手を突き出して、「千八百五十っすよ!」と嬉々として叫んだ。


 俺の視線は、そんな絶望を平然と答える彼女たちからは自然と離れていった。徐々に首が項垂れていき、心の中で現実を否定していると、自然と首まで横に振ってしまうようになった。


「……やっぱ、そうなんだな」無理やり肯定させた時、自分の声は驚くほどか細くなっていた。「そうなんだよな……」もはやその言葉は乱れた息に混じって、彼女たちには聞こえてすらいないように思えた。


 俺は片手の指を弱々しく伸ばし、その手を目の上へ当て、斜め向きにさせることで彼女たちの方向の視界を遮った。情けないことに、こうしなければ混乱を極めた俺の情報整理力は機能を回復させなかった。


「何だか分からないけど」椅子の足が床を擦る音がした。「今日のところは休んだ方がよさそうかしら」


 そんなカミラの声に続いて、他の三人は椅子から立ち上がると、俺の方へ歩み寄ってきた。


「赤坂さん」俺の片腕がフェリシアの肩に組まれた。「あとのことは、私がやっておきますから」


 隣ではカミラがルシアナを肩車し、ナディアが背後でそれを支えている。「赤坂さん、今日は休むっすよ?」そう言って、もう片方の腕がルシアナの肩に組まれた。


「……って、三人とも何してるのっ」


 フェリシアがそうツッコむと、四人はおかしくなって吹き出していく。俺も、心配をかけさせないために何とかその流れに便乗しようと、掠れた笑い声を上げた。


 息が詰まりそうだった。





 翌日の早朝七時半頃。ミーティングのため、門扉の前で田淵を待っていると、ワゴン車ではなく軽トラックがやってきた。運転席を覗くと、そいつは田淵ではなく、初日以来顔を合わせていなかったマッシュの青年だった。


「どうも、どうも」彼は窓を開け、こちらを覗き込んで言った。「本部までご案内致しますので、どうぞお乗りください」


「田淵は本部にいるのか?」


 やや警戒しながら助手席に乗り込むと、彼は首を横に振った。


「あの人はだいたいどこにいるか分からないですね。やるべき業務も多いようですし、他にも、別の仕事であちこちを動き回っていますから」


「……そうか」


 確かあいつは俺に「この仕事が暇」と言っていたが、ならそれも、ドライブをしているというのも、全くの嘘というわけだ。何のためにそんなことをした? 


 少しの間考え込むが埒が明かず、ため息を吐く。同時に、車は発進された。


「……なあ」一呼吸分の間を空けて、問いかけた。「お前も田淵の部下なんだろう? あいつのこと、どう思ってるんだ?」


「どうしたんですか?」彼は少し顔をしかめた。「田淵さんが嫌いですか?」


「当たり前だろう」俺はすぐに首肯した。「あんな気味の悪い奴が実在……」続けようとしたところで、青年の顔がより渋くなっていることに気づき、口を噤んだ。


 彼は軽くため息を吐く。やがて顔を徐々に綻ばせていくと、まるで恋人を紹介するかのような意気揚々っぷりで話し始めた。


「田淵さんはね、確かに厳しいところがありますけど、全部その人のためを思ってやっているんですよ。ですから、あなたが田淵さんに感じている憤りも、あなたの成長に繋がるものなんです」


「ちょっと待て、さすがにその話には無理があるだろう。俺はあいつに、絶望する様を見せるしかないと気味の悪い顔で言われたんだぞ」


「はぁ?」彼は肩眉を上げて、また顔をしかめた。「いくらあの人の指導が厳しいからって、そんな作り話まででっち上げられると、あなたの人間性を疑いますよ」


「いやいや」言っていることの意味が分からず、高唱した。「あいつは悪魔だ。人が絶望する様を見て楽しんでるんだ。〈ロシエント〉のことも、事前に俺へ伝えなかった」


「それは」彼は辟易したような顔を作り上げた。「やっぱり、あなたの成長のためでしょうに。とにかく、田淵さんのことを悪く言うのはやめてください。確かに私も、新入りの頃は厳しくさせられましたが、根はいい人ですし、信頼出来るんですよ」


「……そうかよ」


 ああ、と俺は得心して拳を握った。表では上手いようにやってのけているわけだ、あいつは。俺が真相を述べても、逆に俺の信頼性が薄れてしまうくらいに。


 あるいは全てを知った上で、こいつも俺を陥れようとしているのかもしれないが。





 ミーティングには一時間ほど時間を要した。内容を纏めると、巨獣の強化を注視して、これからは地帯を四つに分断することになるらしい。三日後に行われるという戦争には、ブラボー地帯の西側──デルタ地帯を任されることになった。


 青年に送られ、敷地へと戻ってきた。中庭を歩いていると、ふとイザベラの自殺シーンが蘇ってくる。吐き気を催しながら、玄関先まで走った。


 逃げ込むように扉を開ける。瞬間、ふと、初めて俺がここを訪れた時の出来事が脳裏にフラッシュバックした。それもそのはずだろう。彼女たちは初日同様に、俺の目前でクラッカーを鳴らしていた。


「おかえりっす!」ルシアナは八重歯を見せて笑った。


「遅かったですわね、赤坂さん」カミラは片手を腰に当てて、顔を綻ばせた。


「赤坂、遅い」ナディアは不満げに頬を膨らませた。


「おかえりなさい、赤坂さん」フェリシアはいかにも嬉しそうな顔で微笑んだ。


「お前ら……」元気づけたいのだろう、とすぐにその意図を見抜くと、自然と顔が緩んでいった。「すまないな」


「本当ですよ」フェリシアは腕を組んで不満そうな顔をした。「この子たち、どれだけあなたのことを心配していたことか」


「そうなのか……」


 思えば昨日、食堂から自室に運び込まれてから、一度も彼女たちと顔を合わせたことがなかったし、朝食を取りに行ってからも、ものが喉を通らなかったので自室にこもっていた。彼女たちにはずいぶんと心配をかけさせてしまっただろう。


「赤坂さん!」ルシアナは俺の服の袖を掴むと、ぐいぐいと引っ張った。「聞いてほしいっす。ルシアナたちで、何で赤坂さんが落ち込んじゃっていたのか考えたんっすよ」


「そうか」俺は彼女たちの視線まで膝を折った。「聞かせてくれ」


 そう言うと、彼女たちはおもむろにこちらへ歩み寄り、各々俺へ抱き着いてきた。実際には、人数が多過ぎて、両手でどこかしらの部位を掴んで、ぎゅっと体を押し当てているだけだったが、誰かが寄り添っている、という感覚は、俺にこの上ない幸福感を与える。透き通るような髪の匂い、鼻に息を吸い込む音、生温かい人間の体温。どれも寂れた俺の心を温めていった。


 ほどなくして、彼女たちは離れると、俺の手を取った。小さな四つの手は、誰がどれだけ俺の手のひらの領土を奪えるか競っているみたいに互いを押し合いながら、やがて均等に掴み取る。膝を折って俺を見上げると、四人を代表するようにルシアナは口を開いた。


「赤坂さんは、学校の先生みたいに、卒業を惜しんでいるんっすね!」幸せそうに彼女たちは頬を紅潮させる。それに伴い、次第に俺の顔はさらに綻んでいった。


「ルシアナは知らなかったんっすけど、フェリシアが言うには、そういう先生もいるみたいなんっす。だから、赤坂さんもそれと同じなんっすね?」


「……ああ」俺は精一杯笑った。


 もちろん、彼女の言葉は不正解だった。


 これから死にゆくというのに、そんなに幸せそうにするな、と泣きたかった。


 でも、合っているということにしておいた。


 どうせ死ぬゆく運命なのだとしたら、何も不安がることなく、輝かしい日々を送り続けてほしいと、そう願ったから。

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