第八話 卒業の真実
洋館まで帰って、イザベラは玄関先の前で立ち止まった。
「やっぱり、もう行っちゃうのか」
「ええ」彼女は申し訳なさそうな顔で笑った。「すみませんね」
「いいや」俺はすぐに否定した。「もう十分だ。ありがとう」
そう言って、出来る限りの笑みを浮かべた。自分の中にある悲痛を少しでも隠そうと、俺は他の四人と肩も組んだ。
「あとは任せてくれ」夕日に照らされる彼女を見据え、そう宣言するが、たちまち恥ずかしくなってすぐに顔を俯かせた。
「赤坂さん、何してるんっすか?」ルシアナの純粋なその疑問が辛い。カミラの「慣れないことはしない方がいいですわよ」という挑発紛いな嘲笑に、俺の羞恥心はすぐに揺さぶられた。
「赤坂」ナディアが初めて俺の名前を呼んでくれたと思ったら、もの憂げな顔で苦笑いを浮かべてきた。助けを乞おうとフェリシアに視線をやると、彼女は困ったように愛想笑いをした。
「まあ」逃げるように俺はイザベラの方へ向き直った。「とにかく、こっちは上手くやるから、安心して行ってくれ」
「はい!」
彼女は満面な笑みで陽気に返事をすると、俺たちの方へ歩み寄る。腰を低くして、ルシアナの乱れた髪を直し始めた。
「ルシアナ」髪を手で梳き、優しく頭を撫でた。「次はあなたよ。一足先に、向こうで待っているわ」
「カミラ」両肩に手を乗せ、薄く微笑んだ。「もう少しの辛抱だからね」
「ナディア」呆けているようにも見えるその顔に、彼女はその両頬をぷにっとつまんだ。「美味しいご飯、また向こうで一緒に食べようね」
「フェリシア」二人は目が合うと微笑み合った。「一番の先輩として、頑張るのよ」
総じて彼女たちは、涙なんて見せなかった。笑みを浮かべて、心から卒業を祝福しているようだった。
「じゃあ」最後にイザベラは俺たち一人ひとりに微笑んで、中庭に足を踏み入れた。「もう、行かないと」
「ああ」四人が手を振り始め、俺もその流れに便乗した。「元気でな」
そんな、仲間からの幸せを一心に受けながら、彼女は背中を向けて門扉の方へ歩いていった。
何だ、いいじゃん。心の中で、端的に感想がこぼれる。もしかしてこれは、俺という社会不適合者の壮大な更生プロジェクトでもあるのか? そんなありもしない想像さえ思い浮かべることが出来ていた。
ふと、彼女は中庭の真ん中まで歩くと、こちらへ振り返った。俺は背伸びする勢いで、もう一度彼女に手を振る。
彼女は振り返さなかったが、代わりに満開の桜のように輝かしい笑みを浮かべた。そのまま背中にかけていた大剣を抜き取ると、自分の首元に押し当てて、首と胴体を真っ二つに切断した。
血しぶきが舞い、膝から崩れ落ちた胴体は、やがて中庭に大きな血だまりを作る。カラスの群れはその瞬間を待ち望んでいたかのように、うるさく鳴き声を響かせた。
彼女があまりにも綺麗に死ぬものだから、俺は、別に彼女は死んだわけではないのだと思った。きっと、イザベラはまた俺たちの前に現れて、今までのように笑ってくれるのだと。
ふと、ルシアナたちに視線を向ける。「行っちゃったね」と遠い目で呟いて、誰もが平然としている様子だった。
ほら。早鐘を打ちつける心臓へ話かける。何も心配することはないじゃないか、と。
「なあ」俺は、それでも言うことを聞いてくれない身体のために、確信を得ようと彼女たちに問うた。「卒業って、結局どういうことだったんだ?」
「え?」彼女たちは俺へ振り返り、各々疑問符を浮かべた。「卒業って、あのことしかないじゃないですの」そうカミラは間の抜けた顔をしていた。
そうして、四人を代表して、ルシアナは俺へ端的に答えを教えてくれた。後頭部に腕を組んで、至極当然のように「そりゃ」と切り出し、
「天国に行くことっすよ」
そう答えると、顔を綻ばせて八重歯を見せた。
「ま、待て」俺はすぐに彼女へ問いかけた。「て、天国って、あれか? 死んだら、地獄に行くか天国に行くかの、あれか!?」
「そうっすよ」彼女は無邪気に笑ってみせた。
「ま、待て!?」思わず一歩、彼女の方へ足が出た。「う、嘘だ!? イザベラは死んだのか!?」
彼女は眉間にしわを寄せて小首を傾げた。代わりにカミラが、「そう言ってるじゃない」と眉をひそめて答えてくれる。
「はぁ!? じゃあ、もうイザベラは一生帰ってこないのか!?」
カミラが困惑しながら「そうよ」と頷く。
「じゃあ! もうあいつが俺の前で笑うこともないのか!?」
当たり前の質問にナディアが思わず吹いてしまう。
「あいつと会話することも、もう出来ないのか!?」
ルシアナは視線をフェリシアへ飛ばし、彼女は「あなたは、そうですけど……」と小首を傾げた。
「嘘だろ……」圧倒的な絶望を前にして、膝から崩れ落ちた。「嘘だと言えよ……」
否定の言葉を求めて彷徨わせた声は、
「この残酷な世界を卒業して、至福溢れる天国に行くのは、当然の成り行きだと思うのですが……」
そんなフェリシアの、ぎこちない笑みと共に消え去った。
「そこまで言うならさ」震えるこの声に、最後の希望を託して問いかけた。「天国の有無がどうやって分かったか、聞かせてくれよ」
しかし、彼女たちはしばらく考え込んだ後、開き直るように笑った。
「何となくっすけど、分かるんっす! いつ知ったかとか、具体的にどういう風景なのかとかは、分からないっすけど!」
ルシアナの曖昧過ぎるその答えに、三人は何度も深く頷いていた。
その後、俺はすぐに工場付近へ向かった。そこら辺を歩いていた作業員に、田淵の居場所を訊き続け、ついに彼のいる本部とやらへ辿り着いた。
その外観も、中に人がどれくらいいて、どんなことをしているのかも全て目を向けることなく、三階にある事務室へ一直線に駆ける。
勢いよく扉を叩いて、部屋へ足を踏み入れた。
「田淵を出せ!」そこは、普通の会社のオフィスのような空間だった。「あいつの部下だ。赤坂だと言えば分かるはずだ!」
そこまで説明すると、室内にはたちまち静寂が訪れた。辺りを見渡し、拳を震わせながら返答を待っていると、やがて、手前に立っていた業務員は、訝しげな視線を向けながら「こちらへ」と口を開き、奥へと歩き出した。
業務員はいかにもな上司部屋の前で立ち止まった。扉を二度ノックし、状況を壁越しに説明する。中から「どうぞ」と、こもった彼の声が聞こえてきた。
「田淵!」業務員が扉を開けた瞬間、足裏で床のカーペットを叩きつけるようにしながら入室し、勢いよく扉を閉めてから訊いた。「どういうことだ!?」
「何がですか? 藪から棒に」彼は社長室にあるような贅沢な机の椅子から立ち上がると、目前の応接ソファへ腰をかけた。「まさか、〈ロシエント〉に何かありました?」
「しらばっくれるな!」ソファの前のガラス机を思いっきり叩いた。「全て分かってるんだろ!? 全て分かってたんだろ!?」
そう問うと、彼はわざとらしく深いため息を吐き、やがて嬉しげに口角を上げて答えた。
「卒業されたんですか。おめでたいですねえ」
彼の気味の悪い態度が気に入らず、さらに圧をかけるように机を拳で殴った。
「何が卒業だ! あいつらは何で……何であんなことに!」
「そうですねえ……」
彼は顎に手を添えて少し考え込む素振りを見せると、気持ちの悪い笑みを顔に貼りつけて俺を見上げた。
「簡単なことですよ。何十人もの魔力を用い、長い年月を費やして催眠術を応用した魔術をかけたんです。それによって〈ロシエント〉は、天国を『清福の満ちる場所』として信じ込むようになり、巨獣を二千二十匹倒した時、その幻を見るようになります。そうして、脳が幸せだけを求めるようになり、彼女たちは死にゆくのです。ま、つまるところ〈ロシエント〉とは、天国を盲信し、死ぬことに文字通り喜びを感じる、常識を遥かに逸脱した集団というわけですよ」
感極まって彼の胸倉を掴んだ。「何のためにそんなことを!?」
彼は一層口角を上げて答えた。「〈ロシエント〉にとって、死んで天国へ逝くという行為は、この世の何よりも幸せなことです。それくらい死に頓着をなくしてもらわないと、困ることがあるわけですよ。その理由は……、来たる日に教えましょう」
「ふざけ──」思わず手を振り上げるが、いつからいたのか、初日に顔を合わせた大柄に両腕を後ろで拘束された。「離せ! 人殺しどもが!」
田淵は俺の焦り様を見るとまた口角を上げた。ソファから立ち上がり、社長机まで戻ってコーヒーカップを手に取る。一口すすって、窓越しに俺の姿を見た。
「いやあ、面白いですねえ」
「ふざけんなよ……!」拘束を逃れようと必死に抗いながら問いかけた。「そもそも、何でこのことを黙ってた!?」
「そりゃあ」彼は振り返ると、不敵な笑みを作り上げて控えめに叫んだ。「面白いじゃないですか……! 人が絶望する様は……! これこそ、私が望んだ世界の姿なんですよお……!」
まるで台本があって、彼はその中の悪役を忠実に演じているみたいに非現実的だった。
にわかには信じられない。これほど狂った人間が存在することが。
「赤坂さん」彼はやがて落ち着くと俺へ向き直り、ゆっくりと近づいてきた。「なぜ〈ロシエント〉はあれだけ強いのか、あの羽根は何なのか、……他にも疑問に思うことは多いでしょう。ですが、今は不問にしておいてください。来たる日が訪れた時に、教えますから」
「またそれかよ……!」
「ええ」彼は身動きの取れない俺の腹に人差し指を押しつけた。「だって、もったいないじゃないですか」そのまま指を上げていき、顎まで到達すると、一気に口角を上げた。「絶望が唐突にやって来て、それに嘆く様を私は見たいんですよ」
「ゴミ野郎が!」顔を動かし、彼の指を振り払った。「何でそこまで絶望にこだわるんだよ……!」
「分からないんですか?」彼は目を丸くした。「あなたと同じですよ。あなたはここに来る前まで、日々、祈っていましたよねえ? 侵略されてしまえばいいい。誰もが同じ絶望に突き落とされればいいって」
「それは……」
確かに、俺は願っていた。それも、田淵に情報を知られるくらい、知らず知らずの間に表にも出してしまっていた。
「いやあ、悲しい」彼は手のひらを顔に当て、もの悲しげに俯いた。「ここに来て、当事者の身分となり、人の温もりを知った今のあなたには、理解出来ませんか」
わざとらしい大きなため息を吐くと、彼は指の隙間から俺を睨む。やがて大柄は、俺を部屋の外へ追いやろうと動き始めた。
「離せ!」
「うるさい人ですねえ」田淵は俺のところまで歩いてくると、黒ブーツで俺の腹を強く蹴った。「あなたがこの仕事を辞めると言うのなら、私はあなたを殺すことにします。ですから、あなたに残された選択肢は、私の言う通りに絶望するしかないんですよ。……ああ」彼は思い出したように声を上げ、額に片手を当てて小刻みに肩を揺らした。「最後にとっておきの真実を言い忘れていました。〈ロシエント〉は、もう既に人間として死んでいます。何か、彼女たちの心を揺さぶる衝撃的なものがない限りは真相を告げても頑なに信じませんし、信じたところで、結局幻の幸せに縋ってしまう運命は変えられません」
「田淵いいいいいい!」
扉が開けられると、大柄に思いっきり背中を蹴られた。反動で数メートル先まで吹っ飛び、素早く体勢を立て直すが、もう扉は閉まっていた。
「くそ!」
扉へ飛びかかろうとするが、たちまち大勢の業務員に囲まれた。みんな正義感溢れる目で俺を睨みつけると、ジリジリと間合いを詰めてくる。
「……おい」呼びかけるが、応える様子はなかった。「悪は田淵だ……。俺じゃない……」そう訴えるも、やがて彼らは俺を拘束し始めた。
離せ、と何度も声を上げるが、たちまちそれは弱々しいものになっていく。俺の嘆きは誰にも届くことなく、体は無造作に事務室の外へ追い出された。
「何でだよ……」
田淵への怒りと彼女たちへの悲しみが混ざり合って、体験したことのない胸苦しさに襲われる。
壁にもたれて、しばらく放心した。
「……なあ」やがて、ぽつりと虚空へ問いかけた。「何だよこれ……」
床にへなへなと倒れ込むと、その衝撃で目尻に溜まっていた涙がカーペットに染み渡る。やがてそこには、まるで飲み物でもこぼしたかのような大きな染みが出来上がった。
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