第七話 戦場の天使





 そうして、俺たちは一夜を越えた。朝食をこしらえ、彼女たちは準備運動がてらに中庭で暴れ合い、それから昼食も済ませたところで、──時刻は十二時半に差しかった。


 玄関先の石段に座って連絡を待っていると、ふと田淵からもらった無線機はノイズを鳴らした。


 耳を傾けると、たちまち彼の声は聞こえてきた。


『田淵です。昼食は終わっていますか?』


「ああ」端的に返して立ち上がった。「これからどうしたらいい?」


『まず、彼女たちに武器を持たせてください。そのまま言えば、伝わるはずです』


 俺は彼に従い、中庭にいる彼女たちに向けて指示通りの内容を叫ぶ。ルシアナの「了解っす!」という返事に続いて、各々が洋館へ走り出した。


「魔力水晶もいるよな?」


 どうせいるだろう、と中に入って倉庫へ向かう。たちまち無線機から『もちろんです』と返ってきた。


 水晶を詰めた段ボールをいくつも車の荷台に積み込む。ほどなくして、彼女たちは確かに武器を装備してガレージにやってきた。


 種類は豊富だった。イザベラは全長二メートルはある大剣を肩にかけていたし、ルシアナは戦闘用に刃の範囲を広げられた大鎌を、邪魔にならないように持ち歩いている。カミラはこれまた、全長二・五メートルほどのレイピアを、ハンカチで刃部分を拭いて愛でていれば、ナディアは確実に少女が扱えるレベルではない、一振りすれば大地を揺るがすようなハンマーを片手で担いでいる。そしてフェリシアは、神話上のキューピッドが用いるようなデザインの長弓を背中にかけていた。


『準備はよろしいですか?』ふと、無線機から田淵の声が響いた。『よろしいようでしたら、武器を荷台に縛って車を出してください。こちらでナビゲート致します』


「分かった」


 指示通りに彼女たちを動かす。準備が整ったところで車を発進させた。


 目的地であるブラボー地帯と工場付近には、間に見覚えのある鉄壁が設けられていた。そこから三分ほど走らせたところで、彼のナビゲートは終了する。車から彼女たちを下ろし、俺は果てしないコンクリの世界を眺め回した。


 何だか、頭がおかしくなりそうだった。どこまでも平地で、どこまでもコンクリだけが続いていると、まるで別世界に迷い込んだかのような感覚に陥ってしまう。だが、ところどころに異様なほど散らばった砂や、不自然に空いた凹凸などを見ると、何となくここが戦場なのだと受け入れることが出来た。


 セーフゾーンに用意されていたのは、机の上に置かれたパソコンとパイプ椅子。それ以外は、敵となる巨獣の姿すら確認出来なかった。


「おい、本当にここで合っているのか?」と、無線機に問いかけた。「仲間は? まだ到着していないのか?」


『いえ、〈ロシエント〉以外の全員でアルファ地帯を担当するようになっています』


「そんなことがあり得るのか?」俺は片眉を上げて続けた。「地図を見た限りでは、アルファ地帯とブラボー地帯はどちらも同じくらいの広さを誇っていた。そのうちの一つを、〈ロシエント〉だけでやれと?」


『ええ』彼はあまりにも端的に返した。『ですが、これだけでも〈ロシエント〉は消化不良でしょう。それくらい彼女たちは戦闘を好んでいますし、その力量にも信頼を得ていますので、医療班も設ける必要がないのです』


 にわかには信じ難かったが、このブラボー地帯には、本当に俺たちしかいない。彼の言うことに間違いはないのだろう。


『あとは』彼は優雅にタバコを吸っていたらしい。吐き出された息の音がノイズと混じって聞こえてきた。『机の上のパソコンから、彼女たちと敵の生命反応、位置が端的に把握出来るようになっています。あなたは〈ロシエント〉の生命反応が戻り始めていたら、水晶の用意をしてください。一応、各自に無線機も配布されていますので、そこを通じて直接伝えられる場合もあると思います』


「ああ」


『それと、ブラボー地帯の巨獣の絶滅を確認でき次第、私に、彼女たちの撃破数と共に報告をください』


「分かった」


『以上になります。もう少しで開戦しますので、本部からの連絡を待っていてください』


 無線機はそこで途切れた。


 ふと、彼女たちの方へ視線を移す。また準備運動か、イザベラとフェリシアを除いた三人は、和気あいあいとした様子で取っ組み合いをしていた。それだけ戦いを楽しみにしているのだろうか。


「お前たち、本当に戦争が怖くないのか?」


「もちろんっす!」ルシアナは拳を突き出して無邪気に笑った。他の四人も、心配は要らないとのことだった。


 そんな矢先──無線機が激しくノイズを鳴らす。彼女たちはその音を聞き慣れているのか、即座に武器を構えて雰囲気をやや剣呑とさせた。


『ただ今より、第六十二回〈ロシエント作戦〉を開始する』聞こえてくるのは嗄れた男の声だった。『開戦六十秒前、五十九……五十八──』


 カウントダウンが始まる。彼女たちはそれを聞くと互いに目を合わせ、意気揚々とした様子で笑い合った。


 本当に大丈夫だろうな、と、ふと不安になる。胸騒ぎが起き始め、やがて心臓は早鐘を打ち始めた。


 そして、カウントダウンは、五秒前に差しかかった。


『――五……四……三……ニ……一……』


 ついに、『開戦』と男は告げた。


 瞬間、俺は目前の突風に顔を腕で覆った。素肌を晒された部分に、細かな針が刺さるような痛みが伴う。そんな凶器の砂嵐が落ち着いてきたところで辺りを見渡すと、どこにも彼女たちの姿はなかった。朝練の時は、大いに手を抜いていたのだと理解すると同時に、素でこれほどの身体強化をかけられることに乾いた笑いが出た。


 パイプ椅子へ腰をかけ、早速パソコン画面を確認する。そこに映し出されたブラボー地帯の地図を、半周五分ほどの速度で、彼女たちの生命反応は縦横無尽に動き回っていた。確かコンクリの総面積は百平方キロメートルとイザベラは言っていたはずなので、その約半分をこれほどの速度で移動するというのは、困惑せざるを得ない。


 だが、それよりも度肝を抜かれたのは、そこに表示されていた敵の数だろう。どうやら画面の黒い点が巨獣の生命反応と見ていいようだが、ざっと千匹は見受けられる。それでもその点は、何十秒かに五人のうちの誰かが一つは減らしていた。


 それから十分ほど経った頃に、明確な戦況の変化は訪れた。いつの間にかブラボー地帯に散っていた黒い点は、ぱっと見て五分の一ほど数を減らしていた。


 とはいえ、それでもほとんどの巨獣はまだ倒されていない。依然として絶望的な状況は変わらない中、こちらに一直線で駆け抜けてくる生命反応がある。確認してみると、それはフェリシアだった。


「俺の出番か」


 すぐに荷台へ行き、水晶の詰まった段ボールを一つずつ下ろしていく。地面に並べ終えたのち、戦場を見据えた。


 だが俺は、その景色に思わず顔を引き攣らせてしまった。


 薄っすらと視界に映るのは、この世のものとは思えないほど異質な生物の群れ。あるものは、通常の五十倍ほどの大きさを誇るミミズだったり、あるものは、その二倍も巨大なコブラだったり、あるものは、人を丸吞み出来るレベルのムカデだったり。とにかく、総じてそいつらは、人間よりも圧倒的な巨体を持ち合わせていた。


 そしてフェリシアは、器用に後ろ走りしながら攻撃を避け、弓で的確にそいつらの頭部を貫いていた。


 このまま彼女がここまで退避してくると、セーフゾーンとしての機能は失われるだろう。俺はすぐさま段ボールを片手に持つと、身体強化を用いて百メートルほど戦場へ走り、中の水晶を無造作に散らしてきた。


 ほどなくして、彼女は水晶の溜まり場に辿り着いた。膝を折って、地面に手を伸ばす。たちまち周辺の水晶たちは小紫のオーラのようなものに変化していき、彼女の身を纏っては体に吸い込まれていった。


 やがて、彼女の背後にまで迫った巨獣たちは、各々の武器となる部位を構えた。巨体に沿って動きはのろまだったが、彼女はその場から動く様子がない。


 無線機で伝えるか、と机まで走り出した。だが、あいにく速度は巨獣が上回っていた。


 ──瞬間、巨獣の群れは、彼女から放たれた暴風に何メートルか吹き飛ばされた。

 彼女はゆっくりと巨獣の方へ体を向けると、腰を落とす。一呼吸分の間を空けて、戦場を駆け出した。


 一安心して、力を抜くように椅子へ腰をどさっと落とす。ゆっくりとパソコンへ視線を戻すと、次はイザベラが、瞬く間にこちらに向かってきていた。その速度は今までの非ではなく、あっという間にセーフゾーンへと戻ってくる……が、目前の視界には誰の姿もなかった。


 瞬間、誰かに頭を撫でられた気がして背後を振り返った。もちろん誰もいなかったが、その衝撃で、頭部に乗っかっていた煌びやかな羽が何枚か、ひらひらと視界を横切った。


 その羽は、天使の羽と表現しても差し支えなかった。多分、この世のどこを探してもこれだけ綺麗なものは見つからない。なぜならその白銀の羽には光の粉のようなものが無数に撒かれ、目も眩むほどの閃光が放たれていたのだ。


 視線は羽の主を探して、空へと向かった。そこには、光があった。光の中心には、白い羽根のようなものも見えた。だが、だんだんと地上へ降りてくるその輝きに、たちまち目を瞑ってしまう。


 そして、地に足をつける音が聞こえると、やがて光は淡くなっていった。


「すみません、赤坂さん」視界を開放する前に、俺はその声で正体を察した。「残りの水晶のほとんど、使ってしまってよろしいでしょうか」


「──イザベラ」俺はようやく視界に彼女を映して問うた。「お前の体、どうなってんだ……?」


 困惑を隠しきれない俺へ安心させるように微笑んだ彼女は、まさしく天使そのものだと思った。体は煌びやかな薄い膜のようなものに包まれ、身の丈よりいくらか大きな二枚羽根をゆっくりと羽ばたかせている。その存在は儚げで、美しさというものを熟知し、持てる限りの美力を振り撒いているようにも感じられた。


「何ですか? 今更」彼女はさらに顔を綻ばせて答えた。「私たちは人間を超越しています。この戦闘で、疑問に思いませんでしたか?」


「そうだが……」


 頭が混乱し始め、何を訊けばいいのかすら分からなくなってくる。そんな俺に、彼女は羽根を優しく撫でながら説明した。


「これは二千二十匹倒した証です。私たちを〈ロシエント〉にさせた人たちからの、祝いのようなものらしいですよ。綺麗でしょう?」


「……そう言われてもだな……」どういう反応をすればいいのか、正解が分からなかった。


 羽根が生える、という行為が魔術の一環だとして、原理が全く掴めない。鳥の一部を人体に移しているのだろうか? だがそれだと、彼女の発言と矛盾が生じる。二千二十匹を倒した証に生えたのだとしたら、もっと想像の及ばないような何かがあるはずだ。


 だが、不思議と思考からは、『危険』や『恐怖』や『鬼胎』といった感情が排除されていった。彼女の周辺を取り巻く、希望を体現したような光を見て、「それでも心配する必要はないのかもしれない」と、漠然とした確信のようなものを得ていた。


「……そうだな」多分、彼女は大丈夫だ。そう思ったから、俺は顔を綻ばせた。「綺麗だぞ……、イザベラ」


「……はいっ!」そう彼女は、満面の笑みを浮かべた。


 それからふと、彼女は段ボールの方へ歩み寄った。やがて膝を折ると、封を開いていく。それを二つ目、三つ目と続けていった。


「前よりも、巨獣の力が増しているようです。このまま消耗戦に持ち込まれれば、いくら私たちとはいえ、少し厳しいでしょう」


「本部に連絡した方がいいか?」


「いえ、今は大丈夫です」そう返すと、彼女は大量の水晶に手を突っ込んで両目を瞑った。「これだけの魔力があれば、私が終わらせられますから」


 その瞬間、水晶が徐々に小紫の粒子に変化していき、彼女の周りを取り巻く光の渦に取り込まれ、幻想的な景色が浮かび上がった。たちまち辺りは白菫色よりもう少し白を強調したような色彩に包まれていき、それだけで乱れていた心が和やかに落ち着いていった。


 景色に見惚れているうちに、箱の中の水晶は跡形もなく姿を消していた。彼女に目を向けると同時に、光が一瞬俺の視界を遮る。戦場へ向き直った彼女は、より一層際立たせた神々しさと共に上空へ浮かび上がった。


 五十メートルほど空中で彼女は動きを止めると、大剣を腰に構える。たちまち光はそこへ集約されていき、もはや原型が分からないほどの気に包まれた。


 そして、目にもとまらぬ速度で戦場へ消えていった。


 ほどなくして、それと入れ替わるように、他の四人はセーフゾーンまで戻ってきた。


「赤坂さん!」ルシアナが嬉々とした様子で俺に飛びついてきた。「大丈夫そうでなによりっ何よりっす!」


「ああ」


 他の三人も俺の無事を確認すると、おもむろに微笑んでくれる。やがて、──戦場の奥が激しく煌めき、爆発した。


 そこからは数キロ以上離れているというのに、ここまで風は吹きつけた。青空に打ち上がったドーナツ状の爆風は、漠然と俺に焦燥感を与える。


 気がつけば俺は、ルシアナを下ろして戦場へ走り出していた。


「赤坂さん!」カミラは先回りして俺の前に立ち塞がった。「大丈夫ですわ」


 続くようにして他のみんなも俺を呼び止め始めた。その言葉を信じるかどうかずいぶんと逡巡したが、ルシアナの「何焦ってるんすか?」なんていう能天気な口調が決定打となって、俺は素直に「すまない」と謝った。





 彼女たちの言葉は本当だった。


 五分ほど経った後、「巨獣の全滅を確認しました」とイザベラは、羽根を仕舞っていつも通りの様子で帰ってきた。どこにも傷も負っていないし、俺の危惧はただの杞憂というわけだった。




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