第六話 卒業前夜





 水晶を持って帰り、身体強化で洋館の掃除を一時間ほどで終わらせるが、まだ日は落ちてすらいなかった。恐らく報酬の多寡は戦争関連でほとんど決まっているのだろう。流石に現段階では割りに合わない、酷く簡単な仕事だった。


 玄関先の石段に座り、ジンジンと世界を焼く太陽を眺めて呆けていると、ふと肩が人差し指で二度突かれる。振り返ると、フェリシアが中腰で薄っすらと微笑んでいた。


「何してるんですか?」彼女は三十センチほど離れた位置で、同じ段差に腰をかけた。「女の子しかいなくて寂しいですか?」


「いやいや、安心しろ」彼女の質問に、ふと人生を振り返った。「これだけの人の温もりに触れられたのは、人生で初めてかもしれない。けどまあ……、心に根づいた寂しさは、結局のところ払拭されないがな」


「何か、深い傷を負ってらっしゃる方なんですね」彼女は同情するような顔で俺を覗き込んだ。「私と一緒だ」


「そうか」


 恥ずかしくなって、傷つけない程度に視線を逸らす。彼女の傷については、何となく詮索をよした方がいい気がしたので不問にしておいた。


 彼女はふと、満天の空に視線を上げて微笑んだ。「傷がどうでもよく思えるくらい、あなたにも楽しい日常が、幸せな未来が訪れればいいですね」


「……まあ、俺がここにいる時点で、そんなのは無理だけどな」何か訊いてほしげな雰囲気が漂っていた気がするが、それに気がつく前にそう口を開いてしまっていた。


 彼女は一呼吸分の間を空け、覗き込むようにして問うてきた。「私たちとの生活、楽しくないんですか?」


「いや、楽しいさ」視線を外し、すぐに頷いた。「でも、戦争が隣り合わせな時点で、不安なものは不安だろう?」


 そう問うと、彼女は面食らったような顔で動きを止めた。やがて、深い、深いため息を吐くと、残念そうに首を垂らした。


「何言ってるんですか……。戦争はとっても楽しいですよ? 巨獣を倒す時だけ、自分の中に眠った全てを解放出来ている気がして、嬉しい気持ちにもなります。それに、もし辛くなったとしても、いずれ卒業出来ますから」


「確かにそうだが……」


 しばらく言葉を模索する。だが、彼女を説得出来るようなものは思い浮かばなかった。


 ふと、彼女は「でも」と続けて、また深くため息を吐いた。「私、めちゃくちゃ弱いんです……」


「そ、そうか」かなり返事に困った。まだ一日しか共にしていないのに無理に否定させてやるのも違う気がするし、かといって俺が頷いてしまえば、事実であっても返って気を悪くしてしまう恐れがある。「でも、いずれは卒業出来るんだろう? それまでの辛抱さ」適切な言葉を選んだつもりだったが、色々と間違えている気がして、すぐに「やっぱり何でもない」と訂正した。


「ふふっ」


 ふと彼女から笑い声がもれる。訂正する際に手まで振ったものだから、その焦り様におかしくなったのだろう。俺は視線を外して黙り込んだ。


「男の方ですから、もっとガツガツ来るものだと思っていたんですが」彼女はさらに追加で笑みをこぼした。


「草食な男もいるんだよ」そう答えてから、彼女の言葉をふと疑問に思った。「というか、そこまで人と関わり合いがないのか?」


「はい」彼女は笑みの面影を残した顔で首肯した。「それもそうですし、ここに来る前まで、赤坂さんのように優しい男の方は、見たことがありませんでしたから」


「……そうなのか」


 彼女は「暗い話ですみません」と愛想笑いを作った。


「いや、平気だ」そう言って俺は立ち上がった。「気分転換に、水でも入れて来よう」


「ありがとうございます……」


 彼女は申し訳なさそうにして、控えめに笑った。





 その後のルーティンは昨日と変わりなかった。夕食を食べて、風呂を沸かして、飯の片づけをして、彼女たちと遊ぶ、そんな煌びやかな生活。だが、ふと脳裏に過ぎる、明日に迫った戦争への不安は胸騒ぎを止めなかった。


 〇時を回り、食堂で冷蔵庫にあった水を飲んでいると、ふと扉が開いた。視線を向けると、イザベラとフェリシアにくすっと笑われる。


「赤坂さん、眠れないんですか?」イザベラが優しい微笑みで訊いてきた。「また、朝は早いですよ」


「戦争だからな。眠れるわけがない」コップに注がれた水を全て飲み干した。「というか、いつも二人でいるが、そんなに仲がいいのか?」


「そうですね」イザベラは首肯すると、互いに目を合わせて笑い合った。「それと、もう私は卒業してしまいますので、次期先輩として、色々と勉強をしたいようで」


 なるほどな、とこれまでのフェリシアの行動を振り返る。基本的に遊びに対して、一歩引いた目線から微笑むだけというポジションにいたのは、そういう魂胆があったのか。


 フェリシアは少し頬を紅潮させると、恥ずかしそうに言った。「そんな私が一番弱いだなんて、先輩としてどうなんでしょうかね」


「いや」俺はすぐに否定から入って、二人のもとへ近づいた。「そうやって先輩という立ち位置に苦悩してる時点で、もう立派な先輩だろう」


「ありがとうございます……」と、彼女はだんだん声をか細くさせた。


「ところで」イザベラは一連のやり取りに微笑んでいると、一呼吸分の間を空けて切り出した。「もし赤坂さんがよろしければ、せっかく三人も集まってますので、星でも観ませんか?」


「おお、いいな」俺はすぐに肯定した。





 夏といえど、夜の空気は寒々しかった。中庭の椅子に座り、三人でただ黙々と夜空を煌めく星を観察する。


 少し経って、俺は二人に気を遣って何か話題を提供しようかと思考を巡らせるが、彼女たちは遠い目でただ星を見据えている。戦前の精神統一という意味もあれば、俺のしようとしている行為は野暮でしかなかった。


 そんな沈黙を破ったのはフェリシアだった。


「ママ……、パパ……」


 彼女に視線をやると同時に、その赤みの増した目尻から一雫が頬を伝った。


「すみません……」彼女はそれを自覚すると、急いで手の甲で拭った。「何でもないです」


 事情がかなり気になったが、何でもないと言われては詮索も出来ない。何も言えないまま、ゆっくりと視線を外した。


 ふとイザベラは、彼女の肩に手を乗せて優しい声色で言った。「もう戻ろっか」


「いえ」彼女は涙を処理し終えると、鼻水をすすりながら微笑んだ。「私が勝手に思い返してしまっただけなので」


 イザベラは憂わしげに黙り込んだ後、「そっか」と微笑んだ。


「赤坂さん」俺を気遣ってくれたのか、フェリシアはこちらにも笑みを向けると、「幼い頃、両親が不慮の事故に遭ってしまっただけです。もう立ち直れていますし、心配しないでください」と説明した。


「……そうか」


 納得した素振りを見せようとするが、どこに視線を持っていけばいいのか分からなかった。


 確か、彼女たちは〈ロシエント〉になる前まで孤児院で過ごしていた、とイザベラは言っていた。他の四人もフェリシアのような過去を抱えているかもしれない、と考えると、なかなか悲哀に心が痛んだ。


「ところで」この陰気な空気を照らそうと、俺はある提案をした。「戦争が終わったら、イザベラの卒業パーティーをしないか?」


「卒業パーティー? 何ですか?」イザベラは訊き返し、フェリシアは目を丸くした。


「分からないのか? まあ、誕生日パーティーのようなものさ」


 俺の例えが的を得ていたのか、イザベラは薄っすら頬を紅潮させた。「そんなものをしてくれるんですか」


「当たり前だ」俺は少し眉をひそめた。「ちゃんとしたお別れもなしに去るのは悲しいだろう」


 すると二人は互いに目を合わせ、くすくすと笑い出した。


「何がおかしいんだ?」


「いえ、確かにそうだなと思いました」イザベラは俺の目を見据えて続けた。「フェリシアたちは、後を追ってくるので寂しくも何ともないですが、赤坂さんとはお別れですからね」


「ああ」肯定するが、となればパーティーは俺の自己満足のようなものになるのか、と思考を巡らせてから続けた。「それでもやっぱり、ただ手だけ振ってお別れは、他の奴らも寂しい気がするが……」


「う〜ん……」


 イザベラは嬉しそうに唸ると、フェリシアへ視線を配って回答権をパスする。彼女は少し逡巡する様子を見せた後、「でも、卒業は素晴らしいことですし、私たちもすぐに後を追うので、あまり寂しい気持ちにはなりませんね」と微笑んだ。


「それに」と、イザベラが続けた。「そもそもの話、パーティーをする時間なんてないでしょう」


「そんなにすぐに行かなくちゃいけないのか?」


「はい。出来れば、戦争が終わった直後に。ですが……」彼女は俺の顔をまた見据えて、嬉しそうに笑った。「赤坂さんのために、洋館に帰るまでは我慢してみましょう」


「すまないな」


 謝ると、彼女は「いいんです」と一層顔を綻ばせた。


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