第五話 不安





 精神強化を使用しながら就寝するといい、とイザベラに言われたものだから、その通りに従ってみると、その朝、俺は驚くほどすっきりと目を覚ますことが出来た。


 部屋を見渡し、はっとここが洋館の一室であることを思い出す。家具の場所が同じなものだから錯覚を抱いてしまったが、深夜にそのように配置にしたのは、他の誰でもない自分だった。


 時計に目を落とし、時刻が五時半であることを確認すると同時に、セットしておいた目覚ましが鳴った。起き上がって伸びをし、就寝前にイザベラから教えられたルーティンの通り、まずは身支度から始めた。


 次に港へ行き、朝ご飯を洋館まで運んだ。あと俺がすべきことは、この莫大な広さを誇る洋館の掃除である。みんなが起きてくるまで、エントランスホールからモップをかけ始めた。


「おはようございます」


 ふと、吹き抜けの二階から挨拶が響く。見上げると、イザベラとフェリシアがこちらに手を振っていた。


「ああ、おはよう」


 そう返し、すぐに掃除に戻ろうとするが、続くように他の三人の声も聞こえてきた。


「おはようっす!」


 ルシアナが階段をドタバタと下りてくる。その後に続いてカミラとナディアも、無邪気に食堂へ駆けていった。


「みんな、朝は早いんだな」


 二階に向けて、二人に話しかける。イザベラは「朝練がありますから」と欠伸をしながら答えた。


「朝練?」


「はい。巨獣に対抗するための訓練です」


 彼女は和やかな様子で微笑んだ。





 食事を終えたのちに始めるという朝練は、割と年齢にそぐわない大変さがあった。

 まず、腕立て伏せや腹筋、馬跳びと、準備運動をするところからそれは始まる。次に、中庭を魔術を使用せずに三周ランニング、というなかなか鬼畜なものが行われた。率直に言って、俺なら途中で根を上げてしまうだろう。


 それから一息吐いたところで、〈ロシエント〉内で対人戦が始まった。


 ルールは簡単。木刀で先に頭を叩いた方が勝者となり、それを順位が決定するまで行うというもの。一対一の形式でリーグ戦となっており、シード枠には一番の実力者であるイザベラが選ばれていた。


 対人戦を鍛えたところで、戦争に通用するのかどうかは怪しいところだが、格闘技のいろはも分からないので何も口出しは出来なかった。大人しく観察しよう、と近くのベンチに座って、


 ふと、門扉にスーツ姿の訪問客を薄っすらと確認した。よく目を凝らしてみると、あれは田淵だろうか。途端に彼の不気味な笑みが脳裏に過ぎり、思わず身震いした。


 門扉へ駆けていく。彼は俺の存在を確認すると、警戒した様子で何歩か後ずさった。


 片眉を上げ、足を緩める。だが彼はそのまま視線を〈ロシエント〉の方へ向けると、やがて笑みを取り戻して俺に向き直った。


 門扉に着くと、彼を訝しみながら鍵を開けた。「何の用だ?」


「ええ」彼は握っていた無線機を懐に仕舞うと、近くに停まったワゴン車のもとへ歩きながら答えた。「明日のことについて、新人のあなたに説明をしに参りました」

「お前は何者なんだよ」


「まあ……一応、あなたの上司に当たっておりますので」


 彼はビジネスバッグからA四の用紙を一枚取り出すと、その場から動くことなく俺の方へ差し出す。お前が来い、と言わんばかりの態度に渋々足を動かし、用紙を受け取りにいった。


 そこには、不自然に出来た長方形の平地を縦半分に壁で分断された地図がプリントされていた。西側がアルファ地帯で、東側がブラボー地帯と命名されている。ブラボー地帯の端の奥には、本来の小式島と思われる入り組んだ地形も見受けられ、両地帯は少し離れた海中から壁に囲まれていた。


「戦争当日の十三時、初日に渡した無線機でブラボー地帯へ誘導致しますので、あなたは〈ロシエント〉と魔力水晶を車に乗せてそこへ向かい、開戦の合図が鳴りましたら出動させてください」


「……俺は見届けるだけか?」


「いえ。あなたは安全な地帯、我々はセーフラインと呼びますが、そこから〈ロシエント〉の現在地が確認出来る機械を用い、彼女たちが魔力不足に陥っていると思ったら、水晶を並べて戻ってくるのを待つ。それだけです」


「水晶を戦場に持っていっても大丈夫なのか?」巨獣は魔力を求めていると、イザベラの説明を思い返して問うた。


「問題ありません。魔力水晶を構成する魔力は、特殊な加工を施すことによって、魔力でありながらも魔力でないような性質になっています。ですので、巨獣は水晶を魔力だと判断することが出来ませんし、例えそれを魔力だと理解した状態で食らいついても、満足感を得ることが出来ないため、すぐに興味を失います」


 そこまで話し終えると、彼は「毎回、戦争の翌日の早朝八時には、ミーティングがあります。初日は迎えに行きますので、待っていてください」と言って車へ体を向けた。どうやら説明は終わりのようらしい。


「これだけのために、わざわざここまで来たのか」


「いやぁ、何せこの仕事は暇なものですから、ドライブがてらにちょっとね。あなたも、現段階ではそこまで忙しいと感じないでしょう?」


「ああ、そうだな」これまでの仕事を振り返って首肯した。一番厄介な掃除も、魔術を駆使すれば一時間かそれくらいで終わらせることが出来るだろう。「誰かを雇う必要なんてなかったんじゃないのか?」


 彼はくくくっと笑みを堪えた。「いずれ、来たる日が訪れれば分かるでしょう」最後にそう言い残して、ワゴン車に乗り込むと森の暗闇へ消えていった。





 結局、リーグの一位はイザベラ、最下位はフェリシアという結果で朝練は終了した。総じて戦闘能力の差に振れ幅はあまりなかったように見えたが、強いて言うならば、フェリシアが少し劣っていた印象があった。とはいえ、対人戦の実態は半ば子供のじゃれ合いのようなものだったし、魔術もほとんど使用していない。本当のところの順位はどうだか分からなかった。


 十二時を回り、食堂で昼食の冷やしうどんをすする。今日は一段と暑いな、と窓から差し込む焦げるような日差しに目を細めた。


「赤坂さん」ふとイザベラは口の中を空にしてから俺を呼んだ。「昼食後の日程ですけど、戦争前日なので、工場まで魔力水晶の補充に行ってもらいたいのです」


「もう既にめちゃくちゃあると思うんだが」倉庫に立ち入った時のことを思い返した。「三百はあったよな?」


「ええ、そうなんですが、水晶の魔力は極めて薄いですから、魔力を補給する際には多量を必要とするんです」そこで、彼女ははっと思い出したように目を見開くと、途端に残念そうな顔を浮かべた。「前任者は大丈夫でしたが、戦争が熾烈を極めた場合、赤坂さんも戦場に入る時があるかもしれません……」


「……そうなのか」


 案外思っているよりかは難しい仕事なのかもしれないな、と少し体が強張った。





 イザベラの指示通りに工場付近まで向かうと、ある工場の裏口からタバコを咥えて出てくる作業服の中年男性を発見した。彼女の話だと、森の方から一番手前、ということだったが、彼のいた工場で間違いない。


 彼は俺の存在に気がつくと、顔を強張らせて足早に中へ戻っていった。上手く言い表せないが、何となく警戒されているような、広い視野で見れば仕事仲間として捉えられるはずなのに、俺はその輪の鼻つまみ者にされているような、そんな漠然とした不安を感じ取れた。


 単に人見知りが強いだけなのか、あるいは、〈ロシエント〉が関係しているのか。何となく後者な気がしてならなかった。


 恐る恐る工場の入り口まで歩く。そこで作業員を探す前に、まず先に中で漂っている冷気に身を震わせざるを得なかった。


「すげえな」


 思わず口からもれる。石材店の工場にあるような大口径の切削機が手前に並べられ、その機械に見合うサイズの魔力水晶が削られている。ただ残念ながら、工場全体に小紫の気が漂っており、それ以上奥まで観察することは出来なかった。


 気の奥をよく凝らして見ると、何となく人の影の群れがあるのが分かる。大声を上げようとした矢先、不意に背後から肩に手が置かれた。


「よお」振り返ると、タバコを咥えた無精髭の従業員男性──先ほど顔を強張らせて中へ入った彼ではない──が、小さなダンボールをいくつも片手に乗せていた。「魔力水晶だ。これだけあれば足りるだろう」


「ありがとう」両手で受け取るが、これだけの水晶が集まってもあまり重量を感じなかった。「何も聞いてないんだが、お金とかは大丈夫なのか? といっても、今は一文なしだが」


 間抜けな質問だったのだろう。男はふふっと笑みをこぼすと、首を横に振った。


「何もこれは商売じゃない。人類の悪に対抗するための協力さ。金銭関連は全て魔術協会が負担してくれている」


 その説明を聞いて、思わず鼻で笑ってしまった。「非現実的過ぎてついていけないな」


「ああ、そうだな」男はタバコの煙を吐き出した。「だが、こんな非現実には今のうちに慣れておかないと、あとがしんどいと思うぞ。いちいち受け入れられずにいたら、いずれ大変なことになるからな」


 どういう意味だ、そう問いただそうとしたところで、俺は慌てて田淵からの警告を思い出して口を塞いだ。「そうだな」と会話を合わせて、足早にその場を去ることにした。


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