第四話 不安





 ガレージにある軽トラック型の魔力車に乗り込み、エンジンをかけて発進させる。慎重に、速度を通常の乗用車並みに落として門扉まで抜けると、水晶がほんの少しずつ形をなくしていることが分かった。だが、今のペースでは森を抜けるだけでもかなりの時間を費やしてしまうだろう。徐々に速度を加速させていった。


 速度計が二百キロを指し示す。一応、免許証は取っていたので、運転自体はすることが出来るのだが、この速度を使いこなせるほどの力量があるかどうかは不安なところだった。


 一度車を停め、出る前にイザベラから教えられていた精神強化を図る。やがて、心が嘘みたいに沈静し始めていき、試しに運転を再開させてみると、脳が今の速度を遅いとさえ感じるようになっていた。


 そこから五分ほどかけて、ようやく外の平地は姿を現した。やがて壁の門扉も抜けると、殺風景を極めていた世界に工場、その奥に人だかりの多い港が映り込んでくる。


 車を近くに停め、港を見渡す。人だかりの中には長い一本の列が出来上がっており、それは停泊してある大型船のもとへと続いている。その船からは、どうやら料理を乗せた紙皿と飲料水の入った紙コップが配られているらしい。ここが食料提供の場所なのだろう、と確信した。


 持参してきたオボンを手に持ち、早速そこの最後尾に並んだ。やがて、自然と視線は辺りの光景へと向かっていく。男女問わず全員灰色の作業服を着用していて、年齢は二十代から五十代後半とまで幅広い。当たり前だが、〈ロシエント〉のような子供は混じっていなかった。


 港は騒然とし過ぎていて、誰がどんな会話をしているのか聞き取ることは難しい。断片的にいくつか言葉が耳に入ってくるが、特に気にかかるような単語は見つからず、人々は仕事とは関係のない私利私欲の会話を繰り広げていた。


 五分ほど経っただろうか。案外早く俺の番は回ってきた。船に片足を突っ込むと、給食で使うような大きな鍋のストックを補充した白髪のおじさんは、俺に人差し指を立てて小首を傾げる。数コンマ挟んで、ようやくそれが人数を表しているのだと理解すると、慌てて指で六を作った。


 おじさんは何も言わずに、ただ紙皿へ鍋に入ったカレーを乗せていく。奥から温厚そうなおばさんが、水の入った紙コップを六個、順に俺の方へ渡してきたので、それぞれオボンに乗せると、続けておじさんも皿を押しつけてきた。


 順番にオボンへ乗せ、邪魔にならないような位置まで運ぶ。それをいくらか繰り返したところで、ようやく列を抜けた。


 車を発進させ、二十分ほどで洋館へと戻る。ガレージに車を止めると同時に、中からドタバタと床を蹴る音が玄関口の方へ遠ざかっていく。やがて、勢いよく扉が開けられた。


 真っ先にガレージへ駆けてきたのは、あろうことか一番大人しめの印象のナディアだった。





 食卓にそれぞれの分が配られると、ナディアは無表情を僅かに崩してスプーンを握った。やがて彼女はイザベラに、よだれを垂らしながら目配せをする。やがて「いただきます」と、だだっ広い食堂に六つの声が響いた。


「あはは、ナディアは相変わらずっすね!」ライスへ食らいつく彼女に、ルシアナがにこりと笑った。カミラは「汚い食べ方ですこと」と罵倒しながらも、顔を綻ばせてスプーンをルーに挿し込む。フェリシアは少しの間、そんな三人に微笑んでいた。


「なあ、イザベラ」俺は口に詰め込んだものを水で流してから質問した。「そういえば、工場とかがある場所は安全なんだろうな?」


 彼女は口の中を手で塞いで「はい」と答えると、焦って水で流し込む。完全にものがなくなった状態で、少し頬を紅潮させながら続きを話した。


「巨獣の生息地からは圧倒的にかけ離れた位置にあるはずですし、鉄壁で戦場との分断もされています。巨獣が羽根を生やさない限りは大丈夫だと思いますよ」


「その巨獣ってのは、具体的にどんな見た目をしてるんだ?」


 そう問うと、ルシアナは食事中の配慮を抜きにして、楽しげに両手の爪を立てて顔の横に構えた。「がおーっ! って、でっかい動物が吠えるんっす!」


「でっかい動物?」


「そうっす! 巨獣って、犬とかムカデとか鹿とかがでかくなったような格好をしてるんっすよ!」彼女はそう元気よく頷くと、カミラから水を差し出された。「あはは、ごめんっす」


 要するに巨獣は、既存の生物の外見を模しているということか。何か重要な意味を含んでいそうだが、これだけでは想像力が十分に働かない。


 しばらく思索に耽ったが、潔く断念した。


 それから二十分ほど経った後、既に完食し終えていた俺はせっせと食卓を抜け、風呂の準備に取りかかるため、風呂場へ急いだ。


 扉を開けた瞬間、銭湯か、と思わず庶民的ツッコミが心中で入る。それくらい風呂場は広く、おまけに何と、露天風呂までついているらしい。その贅沢な世界に魅了されて、少しの間俺はその場で立ち尽くしていた。


 やるべきことを終えたのち、食堂に戻ると、イザベラがルシアナたちに「遊んで」とおねだりされながら困り顔で食器を洗っていた。彼女は俺の存在に気づくと、「遊んでやってください」と訴えかけてくる。同時にルシアナたちはこちらへ駆けてきた。


「赤坂さん! トランプするっすよ! トランプ!」ルシアナが嬉々として腕を引っ張った。カミラは「庶民とトランプだなんて」とまた辛辣な言葉を上げたが、ちゃんとその顔を綻ばせていた。ナディアは唸り声を上げながら俺の袖を引っ張り、フェリシアはその光景を少し離れた位置から微笑んで眺めている。


 一応、子供の相手は好きな方ではある。俺は「仕方ねえなぁ」と彼女たちの髪をわしゃわしゃと撫で回した。





 それから風呂の休憩を挟んで二十二時まで遊んだのち、彼女たちは別れを告げて、寝室の方へ歩いていった。


 俺も自室に向かうため体を動かそうとする矢先、はっと思い出す。そういえば、何一つ部屋のカスタマイズをしていなかった。


「戻らないんですか?」


 ふと、背後から声が聞こえた。振り返ると、イザベラとフェリシアは寝室には戻らず、俺を見てくすりと微笑んでいた。


「部屋のカスタマイズをしていなかったと思ってな」


 そう返して、苦笑いする。イザベラはまた、控えめにくすくすと笑った。


「手伝いましょう」と、彼女は言った。


「ああ、すまんな」と、俺は頭を下げた。





「もう、ここでの生活は慣れましたか?」


 倉庫にある家具を吟味していると、ふとイザベラは問うてくる。俺は借りていた水晶を用いて、身体強化でよさげなベッドを持ち上げて答えた。


「まあ、漠然と不安のようなものも残っているがな」


 やがて、持ち方が悪かったせいで、ベッドをゆっくりと地面に落としてしまう。そんな俺を見かねて、フェリシアは軽々しくそれを持ち上げるとエントランスホールへ運び出した。


「他にはありますか?」と、彼女は七三分けの前髪を整えながら俺の隣に戻ってきた。


「ああ。じゃあ」と指で家具を選んでいくと、一つ一つ同じように運んでくれる。いくら魔術が、魔力だけあれば簡単に扱える代物でも、彼女みたいに扱いこなせるようになるのはもう少し先の話だと実感した。


「ありがとう」と述べると、彼女は何も言わずに微笑んだ。それから数コンマ置いて、イザベラは彼女の隣に並んで口を開いた。


「赤坂さん、一般の方ですよね? 前任者も一般の方でしたが、赤坂さんは順応するのが早いですね」


「まあ、別世界から侵略されているって話は、ずいぶんと前から知っていたからな」


「信じていたんですか?」


「いや、そう言うよりかは……、そうであってほしいって、期待してたな」


 ここに来る前までの自分を思い返し、ため息を吐く。二人から憂わしげな視線を向けられ、俺は愛想笑いを作り上げると話を逸らした。


「お前たちこそ、なかなか順応出来なかったんじゃないのか? 子供だし、にわかには信じ難かっただろう」


 あるいは、子供だからこそ信じることが出来たかもしれないが。


 彼女は俺の問いに対し、すぐに首を横に振って答えた。


「私たちは、強制的に順応させられましたから」


 一瞬、嫌な予感が走った。「……要するに?」


「私たちの脳には、日本語と魔術、戦闘の知識、人類が置かれている状況の知識が、人工的に埋め込まれているんです。恐らく、催眠術を応用した魔術で」


 ぴたりと、俺は動きを止めた。実際のところ、かなり度肝を抜かれていた。


「そんな技術が確立していたのか……」


 残る疑問をぶつける。彼女は「そうですね」と虚しそうな顔で首肯した。


 そして、記憶を辿るようにして訥々と話した。


「私たち、もとは孤児院でバラバラに過ごしていましたが、ある日、どこかに連れて行かれたんです。その場所に何年もいたような気がするんですが、記憶も全くなくて……。意識が覚醒した時には、この場所にいました」


 思わず尻込みしてしまう。一気に漠然とした不安が押し寄せてきた。


「……早く卒業して、こんな場所からは身を引いてくれよな」


「ええ。明後日には」彼女は窓の外の夜空を見上げて微笑んだ。「一回の戦争ごとに二百五十匹ほど、今まで……コツコツと稼いできました。そして、明後日の戦争で残り何十匹か倒せば、……ついに卒業です」


「そうか」俺は持てる最大の笑みを作った。「よく頑張ったんだな」


「はい」そう返事をして、彼女は笑った。その笑顔は、どこまでも可憐で、極めて素敵なものだった。

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