第三話 世界の現状
慎ましやかな軍服に袖を通し、ひとしきり洋館を回ったところで、時刻は十七時半に差しかかった。一階には、基本的にお風呂、トイレ、食堂といった共有のスペースが設けられており、俺に当てられた部屋は二階に用意されていた。
イザベラは四人の先輩に当たるらしく、四人は共同で部屋を割り振られているが、彼女だけは個室があった。ただ、就寝する際は一つの寝室に集まって、五人で肩を寄せ合い布団に入るという。
俺に当てられた四畳半部屋は、敷布団、冷蔵庫、机以外に見ておくべきものがなかった。それに対しイザベラは、「すみません」と詫びを入れてきた。
「前任者は女性の方だったので、男性には、どのようなレイアウトがいいのか分からず……」ふと、少し声をか細くさせた。「倉庫に家具がたくさんあるので、あとで好きにカスタマイズしていただければなと」
贅沢な話だ、と俺は苦笑いを浮かべた。「そんなに余ってるのか」
「はい。先輩方のものになります。気に入るものがあるかどうか分かりませんが……」最後の方は、心配になってきたのか弱々しい声色になっていた。
「いや、十分な待遇だろう」
そう言うと、彼女はたちまち満足げな笑みを浮かべた。
「洋館の案内は、だいたいこんなところだと思います。何か質問はありますか?」
丁寧な説明だったので、特に気にするところはなかった。首を横に振ろうとすると、鼠色の少女は退屈そうな顔で俺を見上げて小首を傾げた。
「というより、まずあなた、ここが何なのかをちゃんと理解出来ていますの?」
「いや、全く」
素直に答えておいた。そんな俺をイザベラは見かねて、「では」と前置きをして言った。
「とりあえずここがどこなのか、ここで何が起きているのか、説明しましょうか」
「ああ、頼む」
彼女は一呼吸分の間を置くと、俺の目を見据えて真剣な様子で話し始めた。
「ここは、人々が生活する大陸からはずっと離れた、小式島と呼ばれる無人島でした。けれど今は、そのほとんどが、ただの果てしないコンクリートの世界になっています」
「コンクリ……」理屈が掴めず、眉間にしわが寄った。「何でコンクリなんだ? どれくらい果てしない?」
彼女はしばらく小難しそうな顔で考え込んでから答えた。
「だいたい、総面積で百平方キロメートルはあると思います。そして、コンクリに意味があるのではなく、ここに土地を形成することに意味があるんです。小式島に突如発生した、巨獣の大群を海中に逃げ込ませないために」
「巨獣……?」違和感を覚えて記憶を探っていると、それははっと思い浮かんだ。「まさか、それが別世界からの侵略の正体か?」
「ええ」と、彼女は深く頷いた。「とはいえ、今はその説は薄まってきているようです。発生当時は、島の山頂に鎮座するように置かれていた黒曜石のオブジェクトを見て、別文明があれを発生源として侵略を始めた、とばかり考えられていましたが、いつまで経っても巨獣が数を増すことはないですし、そのオブジェクトとの関係性も、結局謎のままですから」
「なるほど……と頷きたいところだが、なかなか小難しい話だな」頭を掻いて苦笑いした。「巨獣ってのは、具体的にどういう被害を齎すんだ? それと、正体についても何か分かっているのなら教えてほしい」
「そうですね……」彼女は眉間を揉みながら、悩ましそうにして答えた。「巨獣の正体は、魔力を帯びた何か、としか分かっていません。奴らはただ、狂ったように生きた魔力を求めて、人を襲います。ですが、理性という理性がほとんどないので、そのまま有り余る力で人を殺め、魔力ごと死なせてしまい、ふと興味を失う……という場合がほとんどです。そして奴らは、いくら私たちが殺しても、残った部位の一つから、数日で完全に全身を再生してしまうほどの自己治癒力を備えています。ですから……、発生当時からほとんど数を減らせていません」
「……そうなのか」想像よりも非現実なことが起きているらしい。心を鎮静させ、ゆっくりと思考を纏めていく。「……ということは、じゃあ、このまま人類が負ける可能性もあるってことか……?」ふと、それは頭に思い浮かんだ。
「そうですね」彼女は平然とした様子で首肯した。「対策が掴めるまで、人類は消耗戦です。〈ロシエント〉の運命もこのままずっと、続いていくでしょう」
「なるほどな……」壁にもたれ、一息吐いた。「要するに俺の仕事は、そんな〈ロシエント〉の世話ってわけか」
頭を整理していき、この現実に何とか馴染もうとしていく。されど、やはり彼女から受けた説明はまだ、にわかには信じ難いこととして処理されていた。
ふと、整理していくうちに、まだ晴れていない疑問があることに気がつく。
「何でお前らだけここに集められてるんだ? それに、こんな贅沢な施設で。俺をここまで連れてきた奴には、お前らを無断で敷地外に出すなと言われたんだが、〈ロシエント〉ってのは一体何なんだ?」
「外に出てはいけない理由と、どうしてこの洋館なのかは、前任者からも教えられていないので分かりませんが」彼女は薄っすら頬を紅潮させて笑った。「私たちは、巨獣を二千二十匹倒せば卒業出来ます。ですから、それの分類わけがされているだけだと思います」
「卒業?」
訊き返すと、彼女はそそくさと少女たちを俺の目前に並ばせた。
「この子たちもみんな、卒業出来るんです。今、自己紹介もしておきましょうか」
彼女は銀鼠色を手で差すと、少女は活気のいい顔をより一層綻ばせた。
「ルシアナっす!」癖の強いショートボブが揺れた。大きく開いた口には、小さく尖った八重歯が見えた。
イザベラがその隣へ手を伸ばす。少女は肩にかかった巻き髪を可憐に手で払い、「カミラよ」とどこか嬉しそうに名乗った。これ見よがしに表情を作って、俺との様々な観点における差を見せつけてくる。ぱちくりとした碧眼といい、口調といい、まるで童話の中のお嬢様のようだった。
続いてその隣の無愛想な少女が、「ナディア」と端的に名前だけ名乗った。恥ずかしそうに視線を逸らすと、肩まで伸びたサイドテールの先端を弄り始める。
そして最後に残った墨色は、「フェリシアです」と丁寧にお辞儀をした。
イザベラもそうだが、総じて名前が外国のものと思われるのに、ここまで日本語を流暢に扱えるとなると、全員がハーフというわけだろうか。色々と不思議に思うところがあるが、それよりも今は、特に気になっていることについて質問をする。
「こいつらの卒業も、二千二十匹倒さないとダメなのか?」
「はい」イザベラが頷くと、少女たちも揃って首肯した。
「卒業したら、今よりも、もっともっと幸せが待ってるんっす!」ルシアナは胸の前で両拳を作って、ひしひしと目に闘志を燃やして訴えてかけてきた。隣でカミラは、「巨獣を倒すのも楽しいけど、卒業したら、きっと、もっと楽しいことが出来るはずですわ」と嬉しげな顔で微笑んだ。
イザベラの説明には割と絶望感が漂っていた部分があったが、彼女たちの発言にはほっとした。そこまで〈ロシエント〉は強いのだろうか。あるいは、巨獣が特別弱いだけなのだろうか。どちらにせよ、血の飛び交うような惨たらしい戦場にはならないのかもしれない。
イザベラは部屋の時計に目を向けると、顔を綻ばせて話題を切り替えた。
「食料の方なんですけど、朝は六時、昼は十二時、夕方は十八時に、港から随時支給されてきます。なので、もうそろそろ港の方に向かっていただきたいのですが……」彼女はふと、我に返ったように目を見開いた。「すみません。魔力を持たない方、ですよね」
「どうして分かった?」
「事前に、あなたの上司から無線機を通じて説明を受けております」彼女は廊下へ踵を返して続けた。「先に魔力についての説明を致しましょう。魔力車以外、ガレージに乗り物はありませんので、魔力を持っておいていただかないと、港まで行けませんからね」
俺は思わず目を丸くした。「魔力が、魔力なしの俺に?」
「はい。ついてきてください」
彼女が歩き出すと、それまで退屈そうにしていたルシアナとカミラから口笛が聞こえてきた。
案内されたのは一階にある倉庫だった。確かにそこには、様々な家具が揃っている。他にも、鉄で分厚く加工された勇者の剣のようなものも置いてあり、掃除を欠かしていなかったのか、総じて埃はほとんど溜まっていなかった。
倉庫の電気を点灯させ、ギシギシと床を軋ませながら奥の引き戸へと向かった。やがてイザベラは扉を開けると、中から一気に冷気が漂い始めた。
小体育館ほどの空間に倉庫棚が一定の間隔で配置されており、中には、手のひらにちょうど収まる程度の柱型水晶がびっしりと詰められていた。小紫に透き通るそれは薄灰色の気を散らしており、他に設備が見当たらないことから、凍えるような冷気はそこから発せられているのだと推測する。
「これが魔力水晶です」イザベラはその水晶を一つ手に取ると、俺へ差し出した。「これは、本来人間が持ち合わせている体内の魔力を具現化したアイテムで、魔力切れを起こした戦闘兵の、魔力ストックになります。消耗品ですので、市場には出回っていませんが」
「なるほどな」人間の魔力には底があり、なくなれば時間を置くことで回復させる。だが、これさえあれば、そんなのは気にする必要ないわけだ。
彼女から水晶を受け取り、手触りや重量を確かめる。絹のように滑らかで、不思議にも、重力という概念を感じなかった。
「そして、要するにこれは、魔力がない人間の魔力の代わりにもなってくれると」
「はい」彼女は満ち足りた様子で頷いた。「これは十センチ以内にいる人間の魔力として機能し、魔術を使えば勝手に小さくなっていきます。なので、もう赤坂さんも魔術を使えるはずです。最も」彼女はあと三つほど水晶を手に取り、俺のポケットへ仕舞い込んだ。「一つだけでは、すぐになくなってしまいますので、あなたの場合は定期的にいくつか補充した方がいいでしょう」
「そうか」
半信半疑ながらも、俺は全身に力を込めてみる。瞬間、握っていた水晶は五分の一ほど形をなくしていき、俺の体は、徐々に何だか軽くなり始めた。
試しに、そばに置いてあったニメートル以上のクローゼットを両手で持ち上げてみる。やがて、嘘みたいだが、それは上がってしまった。重たいのは確かだが、半分以上は重量が軽減されている気がした。
「やったっすね! 赤坂さん!」クローゼットを下ろすと、ルシアナは嬉々とした様子で俺に抱き着いた。「よかったじゃないの」と、カミラも腰に手を当てて微笑んでいた。
ふと服の袖を引っ張られたと思えば、ナディアは無表情でゆっくりと頷き、フェリシアもくすりと笑みをこぼした。
「本当に出来たのか……」感動で震える手を眺め、俺の顔には、数年ぶりに心からの笑みが浮かんだ。
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