第一話 始まり





 太陽の光は、俺という社会の影を抹殺するように強かった。下りきった瞼の微妙な隙間からそれは入り込んできて、次に酷い偏頭痛に襲われた。そんな状態ではまともに睡眠なんて取られるわけがなく、仕方なく体を起こして時計に目をやると、もう時刻は十五時を過ぎていた。


 転がった毛布を片づけると、この四畳半の部屋に少しだけ開放感が生まれた。何せこの部屋は、玄関口の目と鼻の先に台所があり、近接に食事用の机と椅子を並べ、その左右にテレビ、敷布団を置くだけでスペースをほとんど使い果たしてしまう。高校在学中に、既に自分の将来を悲観していた俺は、それでも自立をしたいという想いから出来る限りの格安物件を求め、ここで一人暮らしを始めた。


 十五時に起床となると、ここから一日を過ごすだけの活力が漲らなかった。前日はしっかり一時に就寝の準備を整えていたはずなのに、未来への不安や死の誘惑が俺を落ち着かせてくれなくて、結局寝息を立てたのは四時か五時を回るくらいの時間帯だった。


 冷蔵庫を漁り、残り物であるピザを食べながらニュースを鑑賞する。誰かが通り魔に刺されたとか、誰かが痴漢に遭ったとか、そういう物騒な話を聴いていると、自分の優位性を何とか保つことが出来ていた。殺人を犯す人間なんて、相当苦しみ果てた人生を送っている。そいつらと比べると、俺はまだまだ現役だと自分を騙し続けていた。


 それから晩まで、俺はずっと敷布団の上で音楽を聴いていた。自分の世界に入り込んで外界をシャットアウトすることで、今抱えている不安を忘れようとしていた。だが、どうしても頭の片隅には自分の行動を嘲笑う悪魔が住み着いていて、実際には音楽を聴きながらそいつに黙れと言い続けているだけだった。





 その夜も俺は眠れなかった。深夜帯になると、どうしても自分が生きる理由を模索してしまったり、どこからともなく悲観的に膨らんでいく真っ暗な将来の姿に絶望したりしてしまう。


 いつからだろう、と俺は自分の人生を思い返す。いつから俺は、落ちぶれてしまったのだろう。


 俺はごく普通の家庭で生まれた。そのままごく普通の幼稚園、小学校を卒業した。友人は普通に作れていたし、一年ほど恋人も出来ていたことがある。


 中学校に進学するタイミングで、俺は転校を余儀なくされた。それまでは自分が魔力を持って産まれなかったことについて、そこまで深刻には捉えていなかった。だが、どうやら中学校では魔術の勉強が強いられるらしく、魔術関連の授業を行わない学校へと転校せざるを得なかったのだ。


 そこから総合学科の高校に進学するも、魔術科を避けるのは必然だった。幸い、魔術というものは、中学に技術の授業があっても高校ではその専門の道でなければ習うところが少ないように、中学に美術の授業があっても高校では選択になるところが多いように、授業で全く魔術に触れずに卒業することが出来る。魔力を持ち合わせていれば、一般的に使用するような魔術は、中学の三年間で全て教えられるからだ。


 とはいえ、授業以外では魔術に触れる機会は大いにあった。体育祭であまりにもみんなの身体能力が高いと実感する時、文化祭であまりにもみんなの出し物の完成度が高いと驚嘆させられる時、授業中であまりにもみんなの集中力が高いと劣等感が生まれる時、身近に魔術の存在を感じることが出来ていた。魔力なしという事実に未来を悲観して、日常で笑顔を取り繕うことに無理を感じていた俺には友達はいなかったが、放課後や休日にみんなと同じように遊んでいれば、より魔術を肌に感じられていただろう。


 そんな灰色な青春を経て、ついに社会人になってしまった俺だが、魔力なしという障がい者の選択肢の不自由さには、狭量な社会に落胆せざるを得なかった。それに、何とか就職先を見つけても、魔術を巧みに扱う周りとの差をこれでもかというほど思い知らされ、決して俺の心は穏やかなものにはなれなかった。


 魔術というのは、漠然と何かを強化するというもの。身体強化を使えば力仕事がうんと楽になるし、精神強化を使えば事務仕事に一層身が入る。その他にも、例えば催眠術に魔力を上乗せすれば、より相手を支配することだって出来てしまうし、魔力を体外に放出させれば、単純に風や爆発などを引き起こすことも可能だ。基本的に魔術というものはそれらに分類わけされるが、その一つも扱えないとなると、周りとの仕事の差は何倍もつくのが現実だった。


 そうやって俺は爆弾を抱え込み、ある日ふと漠然とした身体への危機を察知して、思慮に思慮を重ねた結果、退職の道を選んだのだ。


 毛布にうずくまり、音楽を聴いて自分の世界に逃げ込む。されど現実はついてきて、これまでの人生の、これからの人生の絶望が頭を過ぎってならない。


 元々人間が生まれ持って備わっているとされる魔力を、俺のように持ち合わせていない人間は一万人に一人。


 ああ、くだらない。だからこそ、強く望む。もしも本当に、別世界からの侵略なるもの──中身はなく、このフレーズだけが一人歩きしている、陰謀論と呼んでいいのかすら分からない曖昧なもの──が起きているのだとすれば、早く世界を壊してくれ、と。





 今日も目覚めると十五時を過ぎていた。重たい体を起こしてスマホの電源をつける。


 三十分前に、見知らぬアドレスからメールが届いていた。


 赤坂湊あかさかみなとさん、あなたは素晴らしいです。ぜひ、うちのところで働いていただきたい。

 詳しいことは会って話をさせてもらいます。駅前のバス停で待っています。


 魔術協会の者より。


 たちの悪い詐欺か何かかと思った。だが、ふと思い至る。文面から察するに、こいつは俺の住んでいる地域を把握していることになるが、情報の出どころに全く心当たりがない。どこで調べ上げたのだろうか。


 とはいえ、そう焦る必要はないだろう。魔術協会というと、国の偉い機関の一つなわけだが、そんなところが社会のお荷物を呼び立てるのは、どのように思考を巡らせても「あり得ない」に直結する。きっと、送信主を間違えたのだろう、と考えた。


 むくりと体を起こし、冷蔵庫まで歩く。扉を開けて、枯れた喉を美味しく潤すための飲料水を探し出していくが、中にはコンビニのおにぎり程度しか収納されていなかった。


 深くため息を吐いて布団へ戻る。寝癖を手でわしゃわしゃと掻き乱しながら、枕元の財布をポケットに忍ばせて外へ出た。


「うおっ」


 一瞬、びくりと体が大きく震える。玄関先で、ビジネススーツの青年が愛想のいい顔で微笑んでいたわけだが、扉を開けるまで全く存在感がなかった。マッシュの髪は明るい茶色をしており、身長百八十前後の俺よりもいくらか背が小さかった。


「遅過ぎますよ、赤坂さん」


「……メールをくれた人か?」


 戸惑いながらも何とか返事をする。青年はマッシュを揺らして元気よく頷いた。


「厳密には、私の仕事仲間ですが。とにかく、駅まで行きましょう。話はその途中でさせていただきますので」


「いや、待て。俺は行くなんて一言も言ってないだろう」話が強引過ぎて、思わず尻込みしてしまった。


「そうですね……」彼は顎に手を添え、少しの間考え込む素振りを見せると、「この世界が別世界から侵略を受けている、という話を、ご存知ですよね」と、辺りに人がいないことを確認してから口を開いた。


「ああ」端的に返事をした。かなり奥の方まで俺のことを調べ上げているらしい。「どうやって知った?」


「我々は前々から、あなたのような人間をいろんな手段で探しておりました」彼は懐から二つ折り手帳を取り出すと、少しアレンジの効いた警察章のような紋章、そして自身の証明写真を見せつけた。「住所の特定につきましては正当な手順を踏まえましたし、あなたの『別世界に侵略されてしまえばいい』という愚痴は、近隣住民から証言をいただいたものになりますので、いくら我々とはいえ、違法な手段は用いておりませんよ」


「そこまでして俺なんかを……」自分に一切の価値がないことをもはや誇りにまで思っていたところがあるので、未だに詐欺という可能性を捨て切れない。「で、確かに俺は、そんな愚痴をもらしたことがあったかもしれないが、だから何だ?」彼の些細な行動にさえ、警戒の目を配って問うた。


「それを知っていれば、これからの話がスムーズに進むんですよ」


 彼は懐から四つ折りの紙を取り出し、俺へ渡す。そこにはざっと、衣食住確保、月収三十万といった内容が記されていた。


 俺は彼に紙を押しつけて、扉を閉めようとする。彼は慌てて扉の隙間に腕を入れて俺の袖を掴んできた。


「ちょっと待ってください! 怪しくないです! 本気です! それにこの仕事は、あなたが適正だと判断されたんです!」


「言ったそばから怪しさ全開じゃねえか。俺のような社会不適合者に何が出来る?」


「出来ます! それが適正なんです!」彼は挫けることなく高唱した。


「そこまで言うなら説明してみろ。俺に何をやらせようとするつもりだ?」


 ドアノブに込める力を緩め、訝しみながら問う。彼は一呼吸分の間を置くと、抑揚を欠いた声で説明した。


「あなたには、とある魔術戦闘兵たちの世話をしていただきたいのです」

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