25 第二の試練
足に体重がかかる。ゆっくり目を開ける。そこはまた、だだっ広い真っ白な空間だった。
ミランダと仲間たちは辺りを見渡すが、何も見当たらない。
「次は複数の敵、やっけ」
反響するオリアーナの声。
「ああ、そのはずだ」
「どんな得体の知れへん怪物でも、オレが全部なぎ倒したるわ!」
「また調子乗ってからに。さっきのでっかい怪物がいっぱい出てきたらどうすんねん」
「うわ、それは勘弁やわ」
「冗談を言うてる暇はもうなさそうやで」
イーニアスの声に、フランキーとオリアーナは口を噤む。その言葉の意味はすぐに分かった。
五人は互いに背中を合わせる。気配はまったくないままに、次第に浮き出る雲のように彼らは姿を現した。
ミランダたちは、色とりどりの騎士服を着た大勢に包囲されている。彼らの手には、様々な武器が握られている。
「な、なんやこいつら。こいつらも試練に挑む奴らなんか?」
フランキーの解釈には明らかな違和感がある。彼らが試練に挑む同志なのであれば、ミランダたちだけ『包囲されている』のはおかしい。
「どうゆうことなん?」
オリアーナが言い切るうちに、ジェラードが声を上げた。
「お前!?」
ただ事じゃない驚きよう。極度に見開き固まった目。その視線の先を追う。
ミランダは目を見開きながら、極限まで息を吸い込んだ。
紫色のローブにひょろ長い体型、色白の肌――ケネスだった。ケネスは不敵な笑みで、ジェラードを眺めている。
「よくも俺の前に現れやがって!」
ジェラードは大剣を構え、激しく肩を上下させる。ケネスは無反応だ。まるでケネスに似た他の誰かが、そこにいるような違和感。
ふと、ミランダは気配を感じて、正面に向き直る。
驚きで息が止まる。口に手を当てていたが、思わず声が漏れた。
「ゴドウィン……」
目を疑った。が、そこにいるのは確かにゴドウィンだった。黄緑色の騎士服の、小学校高学年から中学生くらいの少年。ゴドウィンの肩にはロンが乗っている。白いチワワのような恐竜。
「どうして、ここに」
本当なら一目散に駆け寄って抱きしめたい。でも、様子がおかしい。以前の彼らからは想像もつかない虚な目でミランダを見ている。
ケネスやゴドウィン、ロンだけではない。周りに密集している全員が、ミランダたちをじっと見つめて逸らさない。ただならぬ静けさだった。
「これが、敵なんや」
イーニアスがぼそっと呟いた。
「待って」
ミランダは訳も分からぬまま反論していた。「ゴドウィンとロンは、私とジェラードの仲間だったの。でも……」
「死んだんやろ。仲間やったって、過去形ってことは」
イーニアスの歯に衣着せぬ言葉に、ミランダは固まる。
「俺たちの仲間やった奴もおる。そいつらも敵にやられたり波に飲まれたりして、全員消えてもうたんや」
「マジかいな」
「悲しいけど、しゃあないな」
フランキーとオリアーナも武器を構える。この状況を理解し、受け入れたようだ。
ミランダはこの対峙の意味を推察できなかったわけではない。ただ、受け入れられないのだ。
「じゃあ、お前も死んだのか」
ジェラードがケネスに向かって問うように呟く。ケネスの口は固く閉ざされたままである。その代わり、ジェラードを指差すように、ゆっくりと右手が上がる。
激しい炎がケネスの右手を包んだ。それは次第に大きな炎の剣に姿を変える。
ミランダは異変を感じて、ゴドウィンのほうを振り返った。ゴドウィンは、ミランダに向かって弓を引いている。
「待ってゴドウィン! お願い、話を聞いて!」
「そいつは君の知ってる奴とちゃう!」
イーニアスに押し倒される。ゴドウィンが放った矢は、ミランダの足元に真っ二つになって落ちていた。
それが皮切りだった。ケネスは炎の剣を振りかぶりながらジェラードに向かって走る。その他大勢も一斉にミランダたちに向かってなだれ込んでくる。
ミランダはイーニアスに引っ張り起こされる。イーニアスは飛んでくる矢や短剣を剣でで弾きながら叫んだ。
「敵は、生き返ろうとする俺たちに対して、生き返られへんかった奴ら。この世界で果てた奴ら、全員や!」
敵は致命傷を受けると、黒い灰となって消える。フランキー、オリアーナ、イーニアスは次々に敵を灰にしていく。
ジェラードはケネスと一騎打ち。ジェラードの大剣とケネスの炎の剣が激しく混じり合う。割り込む敵は埃のように大剣で払い散らされる。
ミランダは手も足も出なかった。ゴドウィンが放つ矢、ロンが吹く緑の炎を、ギリギリのところでよけるばかり。よけなければ当たるのに、心は未だにこれを幻想だと信じている。
「ゴドウィン、ロン、お願い。私は戦いたくないの……だからもう、目を覚まして!」
「目を覚ますのは君のほうや!」
突然物凄い力でローブを横に引っ張られる。イーニアスだ。その勢いで、ミランダとイーニアスの位置が入れ替わる。イーニアスは剣を横一直線に大きく振り切る。背後からミランダに迫っていた剣や槍は、黒い灰に飲み込まれて消える。
ミランダはイーニアスに両肩を揺さぶられた。
「何回言うたら分かんねん! 君の知ってるゴドウィンとやらは死んだんや! 今君の目の前にいるのは、ただの同じ姿した怪物や!」
速まる呼吸は悔しさからか、悲しさからか。ミランダは深呼吸することに必死で、何も言い返せない。目ではそんなことない!と訴える。
ゴドウィンのほうを振り返る。しかし、ゴドウィンはミランダに向かって、また弓を引いている。
どうして……。
イーニアスに押されて、ミランダは床に尻もちをついた。
ゴドウィンの矢が頭上へ通過する。
視界に、急にロンが割り込んできた。口に緑の炎を溜め込み、ミランダに迫る。ミランダはどうしようもなく、腕を上げ、顔を伏せる。
その直前、ロンが横一直線に切り裂かれる映像が見えた。ミランダは目を見開いて凝視する。見間違いではない。イーニアスの剣がロンを切り裂いたのだ。ロンの顔はただれたように歪み、一瞬にして黒い灰となって拡散した。
「ロン!」
ミランダは手を伸ばしたが、冷たい灰が肌を撫でるだけ。
呆然としていると、黒い灰の向こうから伸びてきた手に手を弾かれた。ミランダはよろける。
「いい加減にしいや!」
ミランダはイーニアスを睨んだ。しかし、ドキッとして、目に込めた力を緩める。黒い仮面の下の、イーニアスの目を初めて見た気がした。鋭い、だけどもどこか空虚な目だった。
イーニアスの背後に焦点を絞って、ミランダはハッとする。ゴドウィンがこちらに向かって弓を引いている。イーニアスは後ろを振り返ったが。
「イーニアス!」
ミランダは叫んだ。イーニアスは呻き声を上げた。
イーニアスの右肩に、矢が貫通している。イーニアスは身体の位置をずらし、ミランダの盾になったのだ。
「これでも、まだ信じるんか……」
遠のいていく周囲の雑音。速まる心臓の鼓動、熱くなる目頭。ムカムカする液体が全身に巡る。ミランダは息を大きく吸って、吐いてを繰り返す。
ミランダは叫び声を上げて右手を突き出した。変な奇声だったと思う。複数の氷の矢が放射線状に発射されていた。数人の敵に当たって、黒い灰が舞っている。
灰が晴れていく。ミランダとゴドウィンは対峙していた。ゴドウィンは相変わらず、心のない無表情である。
ミランダがゴドウィンとこれほどまでに戦いたくなかった理由は、正直のところ自分でも分からない。確かにゴドウィンは初めて出会ったときから優しくしてくれた。ゴドウィンの笑顔が不安の雲を払って、ミランダを光に導いてくれた。しかし、所詮は現実の世界では深いつながりのない、ただのジェラードの弟だ。寺口琉大の弟、洸大。幼いころに一度、面識があっただけの。
でも、なぜだろう。それ以上の愛着があったのは。
だけど――ミランダは拳を握りしめる。
ゴドウィンは弓に矢をつがえ、ゆっくりと引く。
ミランダはゆっくり、両手のひらをゴドウィンに向ける。
ゴドウィンは矢を放った。ミランダは氷の矢を放った。互いにかわし、矢を放つを繰り返す。ミランダの力強い目は、しっかりゴドウィンだけに狙いを定めていた。
「なんやねんこいつら!」
フランキーの声。息を切らしていて、振り回す斧は標準が定まらなくなりつつあるようである。
「どれだけやっつけても、次から次に湧いてきよる!」
「もう! あと、何人倒せばいいん!」
オリアーナもふらふらだった。
絶え間なく敵を倒しても減っている感覚がないのは、尋常じゃないほど大勢いるから。
イーニアスの足元はおぼつかず、剣は空を切るようになっていた。肩に刺さったゴドウィンの矢のせいだ。
イーニアスは隙をみて、自力で矢を引っこ抜こうとする。仮面の下の口が、強く唇を噛む。
呻き声を上げ、イーニアスは大きく体制を崩した。抜いた矢を放る。首筋には大量の汗が滴っている。イーニアスはよろけながらも、敵の束に斬り込んでいった。
大剣と炎の剣の互角の衝突。もう長い間ジェラードはケネスと剣を交えている。
ジェラードの一振り一振りには相当な恨みがこもっている。余計に体力を削ぐせいか、
ジェラードも次第に動きは鈍くなっていった。一方、ケネスは冷たすぎるほど涼しい顔をしている。ケネスの姿をした人形という表現にふさわしい。
本当のケネスは四つの鍵を手にして姿を消したあと、ゴドウィンが炎の中で放った矢によって時間をかけて絶命したのだろうか。一人で城の試練に挑んだところで、あの巨大な怪物には敵わなかったのだろうか。
ジェラードは大きく剣を振り回して一回転する。よろけて膝をつく。四方八方に黒い灰が舞った。しかしもどかしいほどに、ケネスに剣先は届かない。炎の剣は何度も、ジェラードの身体をかすめていた。
ミランダももう、体力の限界だった。ゴドウィンの矢は確実にミランダを追い詰めようとする。一方で、ミランダの氷の矢は簡単によけられ、弓に弾かれて脆く砕ける。決心したはずなのに、ゴドウィンに致命傷を負わせることに身体が抵抗しているのだろうか。心では、やはりゴドウィンが目を覚ましてくれることを望んでいる。
ミランダは背後の槍に気づいて、ギリギリのところでかわした。バランスを崩して、床に両手をつく。顔を上げる。
絶望を被った。ゴドウィンが冷酷な顔で、弓につがえた矢をゆっくりミランダに向けて引いている。
ミランダは正直、もう諦めようとした。
放たれる矢。ミランダは目をつぶる。空気をえぐる鋭い音。それは耳のすぐ横を通過した。
目を開けて、ミランダは後ろを振り返る。背後からミランダに襲いかかろうとしていた数人の敵が、ゴドウィンの矢に串刺しにされて、黒い灰となっていた。
え?
ミランダはゴドウィンを見上げる。ゴドウィンはミランダに向かって、また新たな弓を構えている。
「あかんて、ミランダ!」
オリアーナの叫び声が引き金だった。ミランダは咄嗟に右手を突き出していた。どうせまたよけてくれる、そう思っていた。それなのに――放った氷の矢は、ゴドウィンの胸を貫通していた。
ミランダは息を吸い切って、目を見張る。
ゴドウィンはゆっくり後ろに倒れる。
ミランダは立ち上がって手を伸ばす。ゴドウィンの手に触れる、もう少しのところで、ゴドウィンの指はボロボロと崩れるように黒い灰になっていった。止まることを知らず、あっという間に全身が空中に拡散する。ミランダはまた、ゴドウィンを掴めなかった。
「ゴドウィン……」
ミランダは髪の根元を掴んで金切り声を上げた。ミランダを中心に、氷の矢が四方八方にとぶ。複数の敵が黒い灰に変わった。
頭の中がかき乱される。どうして、どうして、どうして……。ミランダが諦めたあのとき、矢が外れることなんてあり得なかったはず。わざと外して、ミランダを敵からかばったとしか思えない。でもどうして?
それだけじゃない。ゴドウィンの身体が完全に消える直前、ゴドウィンはミランダを見て微笑んだのだ。わざと負けてくれたように。まるでスポーツやゲームで互角に競ったあと、勝ちを譲ってくれたみたい……でも、どうして……。
「ジェラード!」
そのとき。オリアーナの叫び声が耳を貫いた。ミランダは反射的に振り返っていた。
ジェラードの姿を目の当たりにした瞬間、混乱していた頭は一瞬にして真っ白になった。
ジェラードはケネスに身体を預けていた。ケネスの炎の剣は、明らかにジェラードの身体を貫いていた。
炎の剣が抜かれると、ジェラードは力なく床に崩れた。ケネスは冷たい目でそれを見下ろしている。
「ジェラード!」
フランキーの怒声。フランキーは斧を振り上げながらケネスを猛追した。ケネスは一度は斧を弾くことができたが、力の込もった重たい斧がすぐに反撃してくることには耐えられなかったようだ。
フランキーは斧を下から上に振り切っていた。
フランキーもケネスもしばらく動かなかった。
ケネスの身体は突然弾け、黒い灰となって消えた。
フランキーは跪き、ジェラードを抱える。「おい、何やってんねんお前! 誰かが欠けたら俺らは終わりちゃうんか! やのになんで、なんでお前がやられんねん!」
フランキーの声は絶え絶えだった。
オリアーナは涙を堪えきれていない。イーニアスは歯を食いしばり、拳を握りつぶしている。ミランダは息を吸い切ったまま両手で口を抑えるだけで、どうすることもできなかった。
「まさかお前に……恨みを晴らされるとはな……」
ジェラードの口がかすかに動いた。無愛想とは程遠い、穏やかで優しい表情だった。
「ありがとう……」
「ありがとうとか、何似合わへんこと言うてんねん! 気持ち悪いやろが!」
フランキーはジェラードの身体を激しく揺らす。「おい、お前死んだら絶対許さへんからな! なあ、許さんからなて!」
虚ろな目にだんだんまぶたが落ちていく。次第にジェラードの身体が光に包まれる。
「俺の分まで、生きてくれ……」
光の粒が宙を舞う。
「おい、ジェラード! おい! おい!」
光の粒は天井の光のベールに吸収される。ミランダはその様子を呆然と眺めていた。
視線を戻す。ジェラードの姿は消えていた。フランキーは地面に両手をついて、肩を震わせていた。
フランキーは身体を反り、獣のような雄叫びを上げた。立ち上がり振り回す斧は今まで以上に力強い。空気を分断する豪快な音が鳴り響く。目にも留まらぬ速さで敵を灰にしていく。
オリアーナ、イーニアス、ミランダも同じ。涙を散らしながら戦うオリアーナ、イーニアスの回復したすばやさ、躊躇いのないミランダの氷の魔法。ジェラードを失った怒りが力に変わる。
ミランダは、ジェラードとの思い出を偲んでいた。
無愛想で口が悪い。第一印象は最悪だった。ありがとうを言うのが苦手で、照れて逆ギレされたこともしばしば。でも、見方を変えるとお茶目な人だった。誰よりもみんなで試練を乗り越えることにこだわって、こんな私を、何度も助けてくれた。
いつまでもくよくよしちゃいけない。ジェラードのためにも生き返るんだ。絶対に試練を乗り越えてやる。これは、ジェラードがくれた執念。
ミランダは目をつむった。身体はもうフラフラ。だけど、両手で胸元を掴んで、渾身の力を振り絞って念じる。
目を見開く。すばやくしゃがんで両手をついた。
立ち上がり、両手を掲げる。するとミランダを中心にして、鋭利な氷の針が床から無数に突き上がり、星型に広がっていく。針に串刺しにされた大量の敵が、黒い灰となって散る。
フランキー、オリアーナ、イーニアスは武器を振り切った。
一瞬の静止。
四人は真っ白な床の上に崩れ落ちた。
敵は、一掃した。
「もう、無理、死ぬ」
フランキーが仰向けで大の字の状態で、荒い呼吸を繰り返している。だだっ広い部屋に反響する。
ミランダは時間をかけて、なんとか上半身を起こした。辺りを見渡す。フランキー、オリアーナ、イーニアスが完全に床に身体を預けている。やはり、そこにジェラードの姿はなかった。
「まだ、これが、二つ目って……」
途切れ途切れのオリアーナの声。確かにこれがまだ二つ目の試練である。意識不明の状態から目を覚ますのは、これほどまでに困難なことなのかと思い知る。
次は、自分との戦い――いったい、何が待ち構えているというのだろうか。
「光だ」
イーニアスの声。声の向かうほうへ視線をやる。部屋の中央に、床と天井をつなぐ一筋の光が立っていた。最後の試練への階段である。
「もうちょい、休憩させて」
「あたしもー。まだ動かれへん」
フランキーとオリアーナの言葉に反論する者はいない。
イーニアスの呻き声。痛そうに身体を起こそうとしている。
ミランダは這いながら近寄り、イーニアスの身体を支えた。
「ごめんね、イーニアス。私のせいで」
「ああ。こんくらい大丈夫やって」
イーニアスは口角を上げようとするが、口元は震えていて、荒い呼吸とともに肩は極度に上下する。
ミランダは違和感を抱いていた。なぜイーニアスは、これほどまでにミランダのことをかばってくれるのか。この世界で出会ったときから、イーニアスはミランダのことを特別気にかけてくれていた気がする。
ミランダはイーニアスを凝視する。だって、現実の世界での彼との関係は、お互いに名前も知らなければ話したこともない、ただすれ違っただけの……。
ねえ、あなたの本当の名前は? ミランダは訊こうとしたが、急にイーニアスの口角が下がり、荒かった呼吸が止まった。
「ゆっくりしてる暇はなさそうやな」
「え……?」
イーニアスの視線の先、ミランダは背後を振り返る。フランキーとオリアーナも上半身を起こす。
ミランダは、とてつもない寒気に襲われた。
「うそやろ」
フランキーが呟く。
「どんなけおんねん」
オリアーナが泣きそうな声を漏らす。ミランダも二人と同じ思いだった。
視界の先には、様々な武器を持った、色とりどりの人だかりができていた。気づけば、敵は部屋の壁を埋め尽くすように並んでいる。
「走れ!」
イーニアスの叫び声を合図に、四人は光の柱へ向かって走る。同時に、色とりどりの敵もミランダたちに向かって一斉に走り出す。
皮肉にも、光の柱までは遠い。ミランダは疲れ切って関節がぐらぐらの脚に、鞭を打つように懸命に走った。
「無理や! 追いつかれる!」
「諦めたらあかんって!」
フランキーを叱るオリアーナの声。でも、ミランダもう無理だと思った。あの光の柱は一人分の幅しかなく、上昇する速度は非常にゆっくりである。ギリギリたどり着いたとしても、全員は助からないかもしれない。
もう、誰も死なせたくない。
ミランダは前方へ向かって右手を突き出した。光の柱を中心に、無数の氷のとげが円形に生える。それを踏みつけた前方と左右の敵は黒い灰に変わった。
ミランダたちの通り道は空いている。敵は後ろから追いかけてくるだけとなった。
しかし、それが最後の力と言っても過言でないほど、ミランダの体力は残されていなかった。
「すげえ!」
フランキーの声。薄暗い意識の中でぼやけて反響する。
「ミランダ!」
オリアーナの声。ミランダはぷつんと、身体を支えていた糸が切れたように倒れた。もう、動けなかった。
三人が立ち止まったのが、音で分かった。構わずに行ってほしい。そう声にすることもできなかった。
遠のいていく意識のなか、ミランダは現実を偲ぶ。楽しかった思い出、愛しい人。後悔の波に打ち消される。
やっぱり、私は生き返られないんだ。だって、現実の世界で、たくさんの人に迷惑をかけたんだから。
目を閉じようとして、開ける。来た道を引き返す一人の足が見えた。ミランダは這いながら、後ろを振り向く。
そこには、敵に向かって剣を構える、イーニアスの後ろ姿があった。
「イーニアス! 何してんねん!」
フランキーの声。
「ミランダを連れて早よう行け!」
イーニアスの背中が叫んだ。
「でも、イーニアスは」
オリアーナの声を遮って、イーニアスが怒鳴る。
「はよ行け! 俺は後から行く!」
「うそ!」
ミランダは声を振り絞って叫んだ。「自分だけ、犠牲になろうとしてる。そんなの、だめだって……」
「そうや! ジェラードだって言うとったやろ! 誰かが犠牲になるんやないって!」
「次は自分との戦いや! もう仲間は関係ない!」
誰も言い返さなかった。助けられたような、裏切られたような複雑な気分だった。
敵はすぐそこまで迫っている。イーニアスの仮面がこちらを振り返る。穏やかに微笑んでいるように見えた。
「次に会うのは現実の世界や。俺は君たちを信じてる。だから君たちも、俺を信じてくれ」
うそだ!――叫んだつもりだったが、呼吸が乱れるだけで声が出ない。
ミランダはイーニアスを止めようと手を伸ばす。
すると、身体は意図しない動きをする。ミランダは、フランキーとオリアーナに両脇を抱えられて起き上がっていた。
「信じよう」
オリアーナは強く腕を握ってきた。しかし、真っすぐな目からは涙がこぼれる。
フランキーとオリアーナに引っ張られる。イーニアスの姿が小さくなっていく。
「いや! イーニアス!」
ミランダは手を伸ばして叫んだ。
イーニアスは敵に向かって駆ける。その直後、イーニアスの身体はあっという間に敵に飲まれて見えなくなった。
剣の残像が宙を舞う。イーニアスの剣だ。黒い灰が吹き荒れている。
敵の一部が、ミランダたちに向かって流れてきた。
「急ぐで!」
フランキーの怒鳴り声で、ミランダは走ることに意識を向けた。しかし、何度もイーニアスのほうを振り返る。
大丈夫。君なら乗り越えられる。
イーニアスが敵と交戦する直前、ミランダはイーニアスにそう言われたような気がしていた。
光の柱に到達した。オリアーナ、ミランダ、フランキーの順にゆっくり上昇する。追いかけてきた敵の波は、フランキーの足にギリギリ及ばなかった。
だだっ広い白い部屋。一カ所に大勢の敵が集まっていく。その中心にいるのがイーニアスである。
「イーニアス!」
ミランダの叫び声は、光の柱の中で虚しく跳ね返った。それでもイーニアスには届いたのだろうか。イーニアスの黒い仮面はミランダを見上げ、微笑んでいるように見えた。
やがて、身体は生温かな空気に包まれる。煩わしいほど心地いい睡魔に襲われ、意識を失っていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます