24 第一の試練
その全貌を目の当たりにして、一行は息をのんだ。
山の麓からでは小さく見えていた、真っ白な異形の城。今では視界全体を埋め尽くしても足りない。ずっと山の頂上から一行を見下ろしていた門は、真上を見上げるほど高く、複雑な紋様が彫られた扉はずっしりと分厚い。左右に従えた、槍をずらっと並べたような塀は、両端に果てしなく続いている。
「鍵穴や」
黒い仮面のイーニアスが、扉の真ん中を指さした。そこには、大きな門に対して小さく密集した、四つの鍵穴があった。
三つの鍵を持つオリアーナと、一つの鍵を持つジェラードが歩み寄る。
「あっ」
オリアーナが声を上げた。四つの透明な鍵はひとりでに宙に浮き、鍵穴に吸い込まれた。
ガチャリ。長年錆びついて動かなかった大きなダイヤルが回ったような、時が進む音がした。
左右の扉が、ゆっくり押し込まれていく。縦の裂け目から光が一気に広がって、目が眩む。
目を開ける。ぼやけた輪郭が収束すると、不思議と門の内側にいることに気づいて戸惑った。その場を動いたつもりはなかったのに。
後ろを振り返ると、門が閉じるところだった。バタン。一行は前方の城を見上げた。
「近くで見ると、気色の悪い城やな」
左端のフランキーが呟いた。前方にドカンと佇んでいるのは、だだっ広い横幅の円柱。その上には、山の麓からよく見えていた駒のような物体が一点でバランスを保ち、縦に二つ積み重なっている。麓からでは分からなかったが、下から一つ目の駒は右向きに、二つ目の駒は左向きにゆっくりと回転していた。
「そんなん言うて、城の神様に嫌われてあんただけ試練、難しくされても知らんで」
「えっ、神様なんておるん」
「おるんとちゃう? 知らんけど」
フランキーの右隣のオリアーナは鼻で笑った。
極限まで見上げても、城は真下からでは一番上が見えないほど高い。
ミランダは深呼吸しながら、視線を前方に戻した。大きな円柱の真ん中下部が、四角くくり抜かれている。城への入り口は開かれていた。
「いよいよやな」
ミランダの右隣のイーニアスが大きく息を吐いた。「三つの試練ってことは、階層ごとに試練が待ち構えてんねんやろうな。一階が巨大な怪物との戦い。二階が複数の敵との戦い。最上階が、自分との戦い」
「試練はそう甘くない。油断するなよ」
誰よりも力強い、決意に満ちた声だった。ミランダの左隣りで横一列の真ん中のジェラードは、真っ直ぐ城への入り口を睨んでいる。
ミランダは胸元の服をギュッと握る。心臓は高鳴っていて、手は震えている。
右肩に重みを感じて、振り返った。
「大丈夫。仲間を信じて」
イーニアスの低い穏やかな声。しかし、どうにも落ち着かない。
仲間を信じる。そう簡単なことじゃない。ジェラードは無愛想な見かけによらず、仲間思いのいい奴であることは知っている。でも、あとの三人は? ケネスの裏切りを目のあたりにした経験があるのに、ついさっき仲間になった彼らをどう信用すればいいのだろう。
ジェラードもあとの三人も城を真っ直ぐ見据えている様子は、一見一体感があるように見える。しかしそれは、今から城の試練に挑むという四人の目的が一致しているからにすぎない。フランキーはジェラードと仲が悪いし、オリアーナは能天気。イーニアスも表情が隠れていて、何を考えているのか分からない。
こんな調子で、試練を乗り越えられるだろうか。
「行くぞ」
ジェラードの一声で、一行はゆっくり歩き出す。ミランダは重い足を一歩、一歩と踏み出す。身体はここに残りたいと怯えている。それでも数歩足踏みしただけで、円柱はどんどん迫ってきて、入り口は五人を横一列のままあっという間に飲み込んでしまった。
中は、床と壁の境目が分からないほどの白さ。そのせいで、前後左右、延々と広がっているように錯覚する。だだっ広い空間。足音が何重にも反響して、肌寒い空気に馴染んで消える。
怯えていたのが損に思えるほど、何も見当たらない。
「どこにおんねんやろ」
オリアーナの声に、フランキーが大きな悲鳴をあげた。ミランダたちはフランキーの悲鳴に跳ね上がる。
「お前、いきなり声出すなや。びっくりするやんけ」
「あんたの声のほうがびっくりするわ。なにめっちゃビビってんねん」
「ビ、ビビってへんし。どっから怪物が現れるか分からへんやろ。幽霊みたいに急に現れるかもしれんし。いつ現れてもええように気張ってんねやんけ」
「それをビビってるって言うんやで」
イーニアスが小声で突っ込んだ。
一行はジェラードを先頭に、部屋の真ん中へ向かって歩く。ジェラードは殺気を振りまきながら、慎重に辺りを見渡している。対して、フランキーとオリアーナは相変わらず無神経だ。
「巨大な怪物ってどんなんなんやろ。普通怪物がラスボスやんな」
「普通ってなんの普通やねん」
ミランダは足を止めた。突然、音の反響の仕方が変わったような気がしたのだ。ジェラードも気づいたようである。ミランダとジェラードは、ゆっくり上を見上げる。
その存在を認識したのと、それが落ちてきたのは、ほとんど同時だった。
巨大な黒い物体。聴覚が振り切れてゼロになるほどの落下音。身体が吹っ飛ばされそうな爆風に、しばらく続く大きな地震。
ミランダは、恐る恐る目を開けた。白い粉塵がだんだん薄くなって、その正体をはっきり認識できるようになる。
呼吸を忘れるほどの恐怖に、身体を締め付けられる。
濁った金色の鋭いかぎ爪に、漆黒の体表。狂犬のような口元は上下に鋭い牙を生やし、粘ったよだれを垂らしている。首を直角にして見上げるほどの全貌。尖った耳と、曲がった金色の角、大きく見開かれた金色の目。顔は狂犬。ゴリラのような筋骨隆々とした身体は、今にも襲ってきそうな前傾姿勢である。荒い息遣いが、空間を震わせている。
まさに巨大。まさに怪物。前足から角までは、人間の身長の五倍はあるだろうか。前足から後ろ足まではもっとある。
金縛りにあった感覚だった。ミランダは怪物から目を逸すことも、身動きを取ることもできない。他の仲間も同様に固まっている。
「オレら、ほんまにこいつと戦うんか?」
絶望を纏った、フランキーの震える小さな声。誰も、うんともすんとも言わなかった。
「なあ、こんなん勝ち目ないやろお。オレら全員死ぬてえ」
「うるさいねん。最初っから弱音ばっかりはかんといてや」
このときばかりはオリアーナの突っ込みを待ち望んでいたが、明らかに怯えた声は語尾をしっかり発音しないまま、怪物の鼻息に打ち消される。
「そ、そんなんいうてもさあ」
「黙れ」
苛立ちと緊張を含んだジェラードの一声。フランキーとオリアーナは静かになる。
ジェラードは大きく呼吸しながら、怪物を真っ直ぐ睨んでいる。不安でぐらぐらだったミランダの心の軸は、ジェラードの一喝で粗方の安定を取り戻した。
不気味な金色の目。怪物の平静は果たしていつまでもつのか、ミランダは見極めようとする。
「どうやって戦うん」
イーニアスが訊いた。腹の据わった落ち着いた声だった。
「とりあえず、俺がこいつを引きつける。その間に、お前らは後ろに回って手当たり次第攻撃しろ」
「タイミングは?」
「……分からん」
フランキーがよろけた。
「なんじゃそれ」
「今考えてんだろうが」
「あんた、この状況でようそんな新喜劇みたいなコケ方できるな」
「いやいや、オレが悪いんとちゃうやんけ」
そのとき。ミランダは怪物の呼吸が変わったことに気づいた。僅かだったが確かな変化だった。金槌で打たれたような胸のざわめき。足の裏から頭のてっぺんまで爪で引っ掻かれるような、身の毛がよだつ恐怖。
「来る」
呟いた直後、怪物がけたたましい奇声を上げて噛み付いてきた。
五人は左右にすばやくよける。
生暖かい息遣い。牙と牙が噛み合わさる鋭い音。巨大なギロチンが閉じたような迫力だった。叫び声すら飲み込まずにはいられない。
金色の目が五人を見比べている。
「後ろに回れ! 早く!」
ジェラードが叫んだ。怪物はジェラードに向かって飛びかかる。地面が割れる音と地響き、破片の混じった突風。破片は空気中に溶け込んで消え、同時に破壊された柱や床は浮かび上がるように元どおりになる。
ジェラードは怪物の動きをよく見極めてかわし、果敢に前足を剣で弾いていたが。
「おい、お前何やってる!」
ジェラードが怒鳴ったのは、フランキーが怪物の背後に回らず、正面から攻め込もうとジェラードの前に割り入ったからだ。
「お前の指図なんか誰が受けるかい!」
金色の目はフランキーを捉えた。大きな前足を横から振り、フランキーを打ち払おうとする。フランキーは高く跳び上がって宙がえりでよける。前足を踏み台に、怪物の肩目掛けて大きく飛んでいく。この空間では、高く飛ぶことや高所から着地することが超人的にできるらしい。叫び声を上げ、フランキーは斧を振り切る。
斧は確かに怪物に当たっていた。しかしほとんど効いていない。怪物は嘲笑うような雄叫びを上げている。そもそも、フランキーの仕掛けた攻撃は行き当たりばったりで、攻撃したあとのことをまったく考えていない。
「バカか、死にたいのか」
怒りと呆れの混じったジェラードの呟き。
フランキーは空中で身体を逸らし、迫っていた前足をなんとかかわした。しかし、そのまま不格好に床に落ちる。落ち着く暇もなく、怪物はフランキー目掛けて突進する。斧を構える余裕すらないほどに、フランキーはギリギリのところでよけ続ける。
「なんやねんこいつ、強すぎるやろ……うわっ!」
フランキーはジェラードに乱暴に蹴飛ばされた。それがなければ、壁と前足の間で押しつぶされるところだった。
ジェラードは剣で前足を攻撃して、再び怪物を引き付ける。怪物の表皮は硬く、切るというよりは叩く動作になる。怪物はジェラードに向かって飛びかかったり、前足で叩き潰そうとしたりする。ジェラードはよけながら果敢に攻撃している。
ミランダ、オリアーナ、イーニアスは、言われたとおり怪物の後ろに回っていた。オリアーナは怪物の背中にとび乗り、槍で体表を突き刺そうとする。イーニアスは怪物の後ろ足を剣ですばやく切り裂いていく。
ミランダは少し離れたところで目をつむり、胸の前で手首を交差する。イメージを膨らませ、目を開け、怪物に向かって両手を突き出す。白い冷気をまとった無数の氷の矢は、怪物の腰に突き刺さった。
しかし、氷の矢はすぐに蒸気となって消える。
「あかん! こっちも全然効かへん!」
オリアーナが叫んでいる。イーニアスの剣もまったく効いていないらしい。怪物を引き付けているジェラードの動きが、体力の消耗で鈍くなっていくばかりである。
いや、ジェラードもジェラードだ。怪物の気を引くと言いながら、一人で怪物と戦おうとしている。お互いにまったく連携が取れていない。
腹を突き破るように大きい、耳をかき乱すような鳴き声。
オリアーナが振り落とされた。怪物は急に身体を反転させ、金色の目で次なる獲物を捉える。大きな前足の陰がオリアーナを覆う。
「危ない!」
ミランダは咄嗟に、怪物の顔面に向かって氷の矢を放った。巨大な前足は床を踏みつけ、建物を揺らした。間一髪、イーニアスがオリアーナにとびついてその場を離れていた。
怪物の様子がおかしい。唸りながら身体を揺らしているのは、もがいているようだ。ミランダはハッとした。氷の矢の一部が目に当たったとき、怪物は痛そうにギュッと目を瞑っていたのだ。
「目! 目が弱点なのよ!」
ミランダは叫んだ。
「でも、どうやって攻撃すればいいん!」
恐怖と苛立ちに纏われたオリアーナの声。
怪物は顔を左右に振ると、けたたましい雄叫びをあげた。金色の目が大きく見開く。先ほどよりも激しく暴れまわる。
剣や斧、槍で攻撃するには、あの高い目まで怪物の身体をよじ登って近づかなければならない。そんな危険に仲間を晒すわけにはいかない。ミランダは怪物の目に向かって、手当たりしだい氷の矢を放った。しかし、怪物の前足に易々と遮られてしまう。さっきはまぐれで当たったのだ。
一案が、頭を
悲鳴がした。フランキーとオリアーナが荒ぶる怪物の前足に当たって、壁に叩きつけられていた。悩んでいる暇はない。
私が、やるしかない。
ミランダは自分の真下に氷の足場を作ると、勢いよく、自分の身体を宙へ突き上げた。
「おい、無茶や!」
足元から、イーニアスの声が聞こえる。ミランダは怪物に向かって飛んでいた。怪物の目を真っ直ぐに見据える。恐怖の風に煽られながら、ミランダは強い意思を唱えていた。
もう、誰も失いたくない。私の代わりに、誰かが犠牲になるのは見たくない。
ミランダは両手を突き出し、強く念じた。それよりも先に、怪物が口を大きく開けた。口から飛び出してきた細長い何かに、足首をキツく巻かれる。
その黒い舌は、ミランダを怪物の喉元まで一直線に誘っていた。肺が空気を急激に取り込む。怯える間も無く引っ張られる。
「ミランダ!」
重なり、反響する仲間の声。こうなることは、心のどこかで覚悟していた。
目を瞑る。その直前、足元に赤い影が走った。
何が起きたのか分からなかった。足首の締め付けは消えている。落下する衝撃は、身体を包む何かに和らげられていた。
恐る恐る、目を開けた。目の前では、怪物が悲鳴を上げながら身をよじらせている。床には細長い舌の一部が落ちている。切断面がだんだん黒い灰になって宙に舞っている。
ミランダは、抱きかかえられていた。顔を見上げようとすると、いきなり胸ぐらを掴まれた。
「てんめえ! 何勝手なことやってんだよ!」
怪物に相当する迫力だった。ジェラードは物凄い形相で、表情を震わせるほど憤慨している。
ミランダは息を詰まらせていた。どうしてこんなに怒られているのか分からず、頭が混乱している。
「お前もだフランキー!」
胸ぐらを放され、ミランダは倒れる。フランキーは壁にもたれかかってぐったりしていた。嫌悪の目でジェラードを睨み返す。
「お前らだけで、あの怪物を倒すのは不可能だ。無論俺一人でも。だから仲間がいるんだろうが! 誰かが手柄を上げるんじゃない。誰かが犠牲になるんじゃない。誰かが欠けた時点で俺らは終わりなんだよ! そんなことも分からねえ単細胞が! ジタバタせずに俺に従いやがれ!」
「ああん? だからなんでお前に従わなあかんねん」
込み上げる怒りに駆り立てられるように、フランキーはよたよたと立ち上がった。「従うんは弱い奴がすることや! お前はそんなに偉いんか!」
「貴様、いい加減にしろよ。タイマンで俺が勝ったことを忘れたのか!」
「もうやめて!」
白い空間に幾重にも反響する自分の声。ジェラードとフランキーは驚いたようにこちらを見ている。
ミランダは混乱したまま、溢れる思いをそのまま口にしていた。
「私たちは仲間なんでしょ! 誰かが誰かに従うんじゃない。お互いもっと信じ合ってよ! 現実の世界では、私たちはなんの繋がりもない赤の他人かもしれない。でも、今はお互いが生き返るために必要な仲間! 仲間を信じようよ。もっと信じさてよ!」
ミランダはジェラードを見上げた。目は合わなかった。ジェラードは後ろめたそうな顔をしていた。
「ジェラード。あなたが強いのはよく知ってる。だからあなたがみんなを引っ張っていくべきよ。でも、私たちのこと、もっと信じてよ。信じてくれてるなら、もっと分からせてよ。さっきは一人で突っ走ってごめんなさい。でも、それはあなたを信じられなかったから。あなたが私を信じてないって思ってたから。あなたが信じてくれないと、誰もあなたを信じないよ」
沈黙が流れた。ミランダはジェラードに真剣な眼差しを送り続けていた。
一瞬、ジェラードと目が合った。思い出を偲んでいるような、どこか寂しげな目だった。
今では決心を固めた力強い目で、怪物を睨んでいる。
怪物の口から伸びている細長い舌は、切断面が黒い灰を吸収し、もう少しで復元しそうである。
「お前のおかげで思い出したよ。仲間ってやつを」
ジェラードはぼそっと吐き捨てると、フランキーの元へ歩み寄った。
「悪かった。俺はお前のことを弱いなんて思っちゃいない。お前の強さを信じてる。だから、お前も俺を信じてくれ。俺は現実の世界じゃキャッチャーをやってたんだ。実力はそれなりにある。球団からスカウトもされた。戦況を見て指示することには慣れてる。お前らを信じてるから指示できるんだ。俺は全員でこの試練を乗り越えたい。頼む。俺を信じてくれ」
しばらくの間、二人は互いの目から視線を逸さなかった。
フランキーはジェラードの顔の前に手を差し出した。ジェラードはそれを強く握り返す。パーンと手と手が合わさる、爽快な音がした。
「信じたるわ。俺も現実の世界じゃ野球やっとったんや。生き返ったらお前がほんまに球団にスカウトされるほどのキャッチャーやったんか、身体で確かめたるさかい、覚悟せえよ」
ふっと穏やかに笑い、ジェラードは振り返る。その視線の先では、オリアーナがイーニアスに肩を担がれて立っていた。オリアーナは安心したように笑っていた。イーニアスも仮面の下の口をくすぐったそうに綻ばせている。
「あたしらはとっくに信じてるって。ジェラードのことも、フランキーのことも」
怪物の唸り声。
一行は真っ直ぐ怪物を見つめた。生暖かい向い風を受ける。
復活した怪物は前傾姿勢で、長い舌を出したり引っ込めたりしながら、今か今かと襲い掛かる機会を窺っている。
「目が弱点なんだな」
ジェラードの声に、ミランダは力強く頷く。
「上から攻撃するのはいい案だ。お前は魔法で足場を作ることに専念しろ。とりあえず、俺があの目を狙う。イーニアスは俺を援護してくれ。お前の速さで、あの厄介な舌を引きつけろ」
「おーけー!」
「オリアーナはミランダを援護。フランキーは下から攻撃してなるべく怪物の気を引け。ただ、合図を出したらお前も怪物の目を狙うんだ。油断するなよ」
「了解!」
「いくぞ!」
ジェラードの渾身の掛け声を引き金に、ミランダはすばやく床に両手をつき、下から上へ力強く振り上げた。ジェラードとイーニアスは氷の柱に打ち上げられ、宙を舞う。ミランダはタイミングを見計らいながら、二人の足元に氷の柱を絶え間なく繰り出していく。神経のすり減るミスの許されない役割だ。でも、二人が信じてくれている。自信が力に変わる。
怪物がジェラードに向かって舌をとばした。しかし、イーニアスが割り込んで舌の先端を細長い剣で割く。黒い灰が舞う。修復速度は上がっているようで、すぐに舌は元通りになる。
今度はイーニアスが標的となった。イーニアスはミランダが突き上げる氷の柱に次々と跳び移る。氷の柱の側面を蹴っては怪物の身体を踏み台にして、すばやい動きで怪物を翻弄する。
これにはフランキーが大きく貢献していた。フランキーは怪物の腹の下に潜り込み、後ろ足に向かってひたすら斧を振り回していた。フランキーの力強い斧は硬い体表を掻き破り、黒い灰を散らす。怪物はバランスを崩す。
ジェラードとイーニアスの動きに集中していたミランダは、迫る前足に反応が遅れた。オリアーナにとびつかれて回避する。
「あんたのことはあたしが死んでも守ったるさかい、集中しい!」
ミランダは頷いて、迷いなく立ち上がった。すぐさまジェラードとイーニアスの足場づくりに専念する。
フランキーの一撃でもう一方の後ろ足を決定的に負傷した怪物は、前のめりに倒れた。ジェラード、イーニアス、ミランダは目配せする。
まず、イーニアスが怪物の顔面にとび込もうとする。案の定、怪物は長い舌をとばしてイーニアスを捉えようとした。そこへタイミングよくミランダがイーニアスの足元めがけて氷の柱を作ると、イーニアスは素早く跳びのき、勢い余った怪物の舌は氷の柱に巻きついた。ジェラードが怪物の右目に向かって飛び込む。しかし、最後の足掻きのごとく、怪物は片方の前足でジェラードの侵攻を阻止しようとする。ジェラードは前足を蹴って態勢を整えた。
「フランキー! いけるか!」
「待ちわびたで!」
ミランダは氷の柱を突き上げる。フランキーとジェラードは左右の目に向かって飛び込む。その前をイーニアスが横切って、氷の柱に巻きついた舌を切断する。制御を失う前足。膨れ上がった黒い灰を抜け、フランキーとジェラードは金色の目に斧と剣を突き刺す。
時が止まったように無音になり、怪物の動きが止まった。
次の瞬間、耳をつんざく叫び声がはち切れた。金色の目からは黒い灰が大量にとび出す。怪物は激しく暴れ、仰向けで倒れる。フランキーとジェラードが黒い灰に覆い隠される。
息を飲む。黒い灰の中から、二人が
「やっつけたん?」
オリアーナが心配そうに訊く。
「そのようだな」
ジェラードの言葉に、ミランダは安心して座り込んだ。
「まっ、オレにかかればあんな怪物、ちょちょいのちょいやで」
「ほんま、フランキーはすぐ調子のんねんから」
イーニアスの突っ込みに、フランキーはへへんと得意げに笑う。イーニアスも吹き出すように微笑んだ。
「お前らを信じて良かったよ」
ジェラードの言葉に、フランキーは真面目な顔に戻った。一度下に落ちた視線がジェラードの目を真っ直ぐ捉えると、フランキーは照れ臭そうに口元を緩ませる。
「それはこっちのセリフや。ありがとう」
イーニアスがジェラードとフランキーの間に入って肩を組む。男同士の無言の絆が垣間見えた。
「だが、あまりゆっくりしている暇はない。あの怪物は不死身だ。じきにまた復活する」
宙に舞った黒い灰は、怪物の傷口にどんどん吸い込まれていく。
「でも、どうやって上の階に行けばええん?」
オリアーナが言い切ってすぐ、ミランダはあっと声を上げた。
少し離れた部屋の中央。今までずっとそこにあったかのように、光の柱が床と天井を繋いでいた。
「あれが、次の試練への道」
ミランダは不安を胸に呟く。あれだけ頑張ったのに、試練はあと二つもある。
「行こう」
イーニアスを先頭に、フランキーとオリアーナの三人は光の柱に向かって歩く。
「さっきはよく頑張ったな」
頭上から降ってきたのは、心が落ち着く低い声だった。ジェラードは手を差し出していた。
「俺たちなら、もうどんな試練も乗り越えられる。そうだろ?」
「うん、信じてる」
ミランダはジェラードの手を掴んだ。不安は不思議と消えている。
「行くぞ」
光の柱は一人ずつ、ゆっくりと天井へ導いていく。イーニアス、フランキー、オリアーナに続き、ミランダ、ジェラードの順に上昇する。
天井には、オーロラのような光の膜が幾重にも重なってなびいている。オリアーナの姿が霞んで見えなくなったと思えば、やがて暖かい空気に包まれた。疲れが吸い取られていくよう。自然に目を閉じてしまうほど、心地いい感覚だった。
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