23 新しい仲間
どれくらいの沈黙が、ミランダとジェラードの間を通り過ぎていっただろうか。
ミランダは四つん這いになったまま、ただ呼吸だけを繰り返していた。視界を占める四つ葉の群れは、ミランダのことなんて素知らぬ顔で、サー、サーと、一定のリズムで波を立てている。
長い空白の時間が、ミランダを粗方冷静にしてくれた。それからは、背中に刺さるジェラードの視線がずっと気になっていた。顔を上げるのも、話しかけるのも物怖じして動けない。どんな顔で睨まれているのだろう。足手まといだと思われているのだろうか。
「もう、落ち着いたか」
ジェラードの第一声は、想像に反して優しい声だった。ミランダはジェラードの胸辺りまで視線を上げた。
「落ち着いたならさっさと立て。俺たちには目指さなきゃならない場所がある」
「ジェラードはもう、大丈夫なの?」
「どういう意味だ」
ジェラードに睨まれた。その目に威厳はなく、ミランダの心配に対する答えになっていた。
ジェラードとゴドウィンは、現実の世界では兄弟だった。ゴドウィンはこの世界で光となって消えた。この世界が生と死の狭間にあるもう一つの世界なのであれば、現実世界のゴドウィンは、ついさっき息耐えたことになる。「どういう意味だ」と言われて、これを答えるのは躊躇われた。
「俺たちに与えられた選択肢は二つしかない。生きるか死ぬか。弔いも後悔も、この世界じゃ何の意味も為さない。俺は現実の世界で事件の真相を明らかにして、洸大やネロの恨みを晴らさなきゃならない。そのためには、この身がバラバラになってでも生き返ってやる」
ジェラードの生気の薄れた目は、確かにあの異形の城を見据えていた。真っ白な独楽を門の上に二つ積み上げたような形。相変わらず左右対称で、その存在は遠い。
この世界に夜はない。太陽の代わりに、あの不動の城がこの世界を照らしているからだ。食欲、睡眠欲もないのは、自分の母体が現実世界では意識を失っているからだろう。
「ただ、今でも悪い夢だって信じてるさ。この世界も、鍵が見せた記憶も、全部」
ジェラードがぼそぼそと口にした言葉を、ミランダははっきりと聞いた。
ミランダは目を閉じ、深呼吸して、立ち上がった。
「行こう。これが悪い夢だって確かめるためにも。一緒に、城の試練を乗り越えよう」
ジェラードはミランダの目をしばらく見つめたあと、ふっと照れ臭そうに笑った。
生き返りたい。というよりかは、ジェラードの心を救いたい思いで発した言葉だったように思う。
ミランダにはまだ迷いがあった。鍵が見せた自分の正体。自分のせいで父は死に、兄は七年間眠っている。生きがいもなければ、友達関係で悩んでばかり。ジュラードのような強い意志はないのに、同じように生き返りたいと願っていいのだろうか。
「だが、俺たちには鍵が一つしかない。これじゃ城には行けない」
「どうするの?」
「あと三つ、また探すしかないだろ」
ジェラードは歩き出したが、その背中に覇気は感じられない。ミランダも続くが、また命がけで鍵を探さなければならないことに落胆せざるを得なかった。
鍵を集めて、あの城へ行けばゴールではない。この森で鍵を探すよりも、はるかに困難な試練が待ち構えているのだ、三つも。今はまだ、そのスタートラインにも立てていない。気が遠くなる思いだった。
この世界に堕ちてから今まで、現実の世界に換算すればどれほどの時間が経っただろう。何度も危険な目に遭い、様々な衝撃を受けた背景では、長い長い時間が過ぎていったような気がする。
柚果と詩織はどうなったのだろう。母は、高根は、心配してくれているのだろうか。
わっと、ミランダは声を上げた。思慮を巡らせながら歩いていたら、急に立ち止まったジェラードの背中に顔をぶつけた。
「どうしたの?」
「シッ、誰か来る」
ジェラードはミランダを引っ張り、近くの木の幹に身を隠した。誰かの話し声が大きくなってきた。
「ほんま、ありえへんてー」
「ごめんやってー」
男性の声が、女性の声を責めている。草むら越しに姿が見えた。
「なんであんな大事なもん落とすねん」
「知らんやん、落とそうと思って落としたんちゃうねんもん」
「何言い返してんねん、自分が悪いんやろ」
「だってしつこいねんもん」
現れたのは三人。責めている男性の声の持ち主は、橙色の騎士服を着た短髪の青年。斧の長柄を首の後ろに当てて、両腕を引っ掛けている。責められている女性は、ピンクの騎士服を着たポニーテールの少女。槍の柄で地面を突きながら歩いている。どちらもミランダやジェラードと同い年くらいと窺える。
「まあまあ、そんなケンカしてもしゃあないやろ?」
もう一人は、黒い騎士服で、細長い剣を腰に提げた青年。声質から彼も歳は同じぐらいだと思う。目から鼻にかけて黒い仮面をつけているため、素顔が分からない。無気味な印象だが、悪い人ではなさそうである。
ミランダは首を傾げていた。彼らを知っている気がしてならないのである。
「オリアーナ一人に、全部持たせてた俺たちも悪いんやし」
「いやでもさ、命がけで集めたんやで。せっかく四つ揃ったっちゅうのに」
「透明で小さいねんもん。フランキーが持ってても、多分落としてたで」
「だから自分、どの立場から物言うてんねん」
「はいはい。二人ともいつまでも言い合ってんと探しいや」
「歩いてきた道を探すって、もう誰か他の奴が見つけて持って行ったんとちゃうんか」
「まあ見つからんくても、あたしらならあと一つぐらいすぐに見つけられるって」
「お前が言うな。大事な鍵をなくしたお前が」
ジェラードが鼻で笑った。見ると、片方の口角がつり上がった、不敵な笑みを浮かべていた。ミランダは嫌な予感がした。
「見つかったな」
「あ、ちょっと」
ジェラードが飛び出す。ミランダは仕方なくジェラードのあとを追いかける。
ジェラードとミランダは、三人の前に立ちはだかった。
「おい、そこの関西弁集団」
さっきの揉め事から一変。三人はすばやく、おのおのに武器を構えた。一度は四つ鍵を集めただけあって、その動きは俊敏である。戦いには慣れているようだった。
「なんや、俺らは鍵なんか持ってへんぞ!」
橙色の斧士がヤクザの下っ端のような形相で吠えている。
「下手な嘘つきやがって。お前らが鍵を三つ持ってることくらい知ってる」
「くそっ。なんでそれを」
「あんたがさっきまで大きな声で話しとったからや」
「別に力尽くで奪おうってわけじゃない。ただ、ここに鍵が一つある」
ジェラードは持っていた鍵を親指と人差し指に挟んで、三人に見せつけた。「俺たちがここで仲間になれば、これで鍵は四つ揃うし、戦力も上がる。どうだ、仲間になってやってもいいぞ」
「いや、なんで上からやねん!」
橙色の斧士が前のめりになった。同時に、ミランダたちに対する三人の敵視は緩んだようだった。
「そんな提案のれるかい、な?」
「いいやん」
「うん、俺もいいと思う。メリットしかないし」
ピンクの女槍士と黒い仮面の剣士の相反する反応に、橙色の斧士はよろけた。
「いやいや、こっちは鍵三つ持ってて、仲間も三人おんねんで? あっちは二人やし、鍵は一つしかないやん」
「それがなんやねん。あたしらはあと一つで城に行けるんやし、今までの仲間だって消えてもうて、三人じゃ心細かったやろ?」
「そうかも知れんけど、あっちのメリットのほうが高いわけやん。なんで俺らが下に見られなあかんねん」
「気にしすぎやって。それに、近距離攻撃に偏ってる俺らにとって、魔導士の仲間は願ったり叶ったりやん」
「もう一人はいかつい剣士やんけ。剣はイーニアスだけで十分やろ」
「嫌だったら別にいいぞ」
ジェラードが声を上げた。その顔は不気味にほくそ笑んでいた。
「あたしはオリアーナ。よろしく!」
「俺はイーニアス。鍵を落とした代わりにこんないい出会いがあるなんてな」
ピンクの女槍士と、黒い仮面の剣士が歩み寄ってきた。
「お前ら、ちょっと待てい!」
「ええねんで、嫌やったら別についてこんでも。三つの鍵はあたしが持ってんねんやし」
橙色の斧士は顔を真っ赤に染めあげ、呻き声を上げている。
「ちょっとジェラード、かわいそうだって。確かに、私たちのほうが頭を下げるべきよ」
「ああいう奴は、ちょっとからかってやるくらいがちょうどいいんだよ」
「でも」
ジェラードはしたり顔をやめない。ノリが良いのかただの悪ノリか、ピンクの女槍士と黒い仮面の剣士も仲間を
ミランダが橙色の斧士に声をかけようとしたとき、斧士はキッと目つきを変えて声を荒げた。
「ほんならそこのいかつい剣士、俺とタイマンせえ。お前が勝ったら文句なしに仲間になったるわ」
「いいだろう。お前が勝ったら、鍵だけを置いてこの場から去ってやる」
「ちょっと」
ミランダの小声の忠告も虚しく、二人は開けた平地で対峙した。ピンクの女槍士と黒い仮面の剣士――オリアーナとイーニアスはやれやれ、また始まったと小言を言いながら、面白そうに二人を眺めている。ミランダは仕方なくオリアーナとイーニアスの横に並んだ。
ジェラードは余裕そうに片刃の大剣を肩に担いで仁王立ち。橙色の斧士は腰を低く落として、柄の長い斧を構えている。眉間にしわの寄った、鋭い目つきのいかめしい形相だ。降参したほうが負け。
オリアーナとイーニアスの会話から、橙色の斧士はフランキーというらしい。フランキーは雄叫びを上げながら突っ走り、斧を振り下ろした。しかし、斧は何度も空を切る。ジェラードは軽やかに避けている。
「ふーん、大口叩くだけあって、そっちの剣士、なかなかやるやん」
突然のことで、ミランダは話しかけられたのかどうか分からなかった。オリアーナはジェラードとフランキーの戦いぶりから目を逸らさないまま、確かにミランダに向けて続けた。
「でも、うちらを舐めたらあかんで。鍵四つ集めるのに、どれだけの敵を倒してきた思てんねん」
「君らがおらんくても鍵さえあれば、俺たちは三人で十分城の試練に挑めるっちゅうわけや」
黒い仮面の下の口が斜めに釣り上がっている。
ジェラードの戦闘能力が高いことはミランダは重々分かっている。大丈夫だとは思うが。
刃と刃の激しい衝突音。飛び散る火花。見ているほうも手に汗握るせめぎ合い。さっきとジェラードの顔色が変わっている。あのジェラードがフランキーに力で押されている。
斧と剣が弾けた。フランキーは猛然たる勢いでジェラードに攻め込んでいく。ジェラードは剣で斧を弾いては避けるを繰り返す。もうその顔に嘲笑は微塵もない。もちろん、この戦いで負った傷が致命傷となれば、光の粒となって消えることを意味する。
一瞬の隙をついて、ジェラードはフランキーを蹴りとばした。フランキーは四つ葉の絨毯の上を、横たわったまま数メートル滑った。それからジェラードが優勢になった。ジェラードが振り下ろす素早く重たい剣は、フランキーのギリギリのところまで攻め込んでいた。フランキーは激しく息を切らしている。オリアーナとイーニアスも、さっきの余裕からは打って変わってハラハラした様子で観戦している。
フランキーは
「もう勝敗はついただろ。早く降参しないと死ぬぞ」
「誰がお前みたいなムカつく奴に従うかい!」
フランキーはジェラードの剣を弾きとばし、大きく斧を振り回した。ジェラードはすばやく後退し距離を取ったが、斧はジェラードの胸のあたりの布をざっくりと切っていた。
ジェラードの目の色が変わった。裏切り者のケネスに対して向けていた
ジェラードはフランキーに向かって駆け出した。狙った獲物は逃がさない獅子のような猛進だった。
「フランキーあかん、はよ降参しい!」
オリアーナが叫んだ。しかし、フランキーも叫び声を上げながら突っ走っていく。
「危ない!」
ミランダが叫んだのと同時だった。金属が弾ける高音が響いた。フランキーは突き飛ばされ、地面に倒れた。
ジュラードは片刃の大剣は、細長い両刃のイーニアスの剣に押し留められていた。イーニアスがフランキーを押し除け、ジェラードを制したのだ。ジェラードの大剣はそれ以上前に動かないようである。イーニアスは涼しげな佇まいである。
イーニアスはジェラードの剣を弾いた。ジェラードはよろけた。
「勝敗は一目瞭然。降参でええやろ、フランキー」
ジェラードは呆然と立ち尽くしていた。ジェラードの勢い余った大剣を細長い剣で容易に受けとめられたほど、イーニアスの腕前も相当ということだ。
「はいはい、フランキーの負けー」
オリアーナが無頓着に割り込んでいった。「ほら、はよ立って。まあ負けたもんはしゃあない。約束通り、仲直りのあくしゅー」
オリアーナはジェラードとフランキーの手を取って握らせようとする。
「何が仲直りや、気色の悪い」
フランキーは手を振り払った。ジェラードはまた不気味な嘲笑を浮かべた。
「そう不貞腐れるな。お前らの実力は十分分かった」
「そういう上から目線がムカつくねや」
「フランキー」
イーニアスが低い声で咎める。
「一緒に城に行くだけや。認めたわけちゃうからな」
フランキーは背中で答えた。不満げな様子は顕著に伝わってくる。ジェラードは鼻で笑った。
「これでやっと城に行けるわあ。仲間も増えたし、城の試練も楽勝やなあ」
うちらを舐めたらあかんでと言っていたあの強気はなんだったのか。オリアーナの能天気さに、ミランダは呆気に取られていた。それに気づいてか、オリアーナが肩を揺さぶってきた。
「さっきは偉そうなこと言ってごめんてえ。これから仲良う頑張ろ? なっ」
オリアーナの屈託のない笑顔に、ミランダは精一杯の愛想笑いを返す。
「仲良おしてる場合か。早よ城に行くで」
フランキーが斧を肩に担いで歩き出した。
「もー、いつまで拗ねてんねん」
オリアーナは後を追う。
「からかいすぎよ、ジェラード」
ジェラードは相変わらずのしたり顔で二人の後ろ姿を眺めていた。
「よそよそしいよりは良いだろ。面白味があったほうが尚更いい」
「面白がってるのはジェラードだけよ。ジェラードって、後輩をいじめるタイプでしょ」
「男同士のコミュニケーションってやつだ。お前には分からん」
ミランダはため息をついた。仲間も増えたし鍵は四つ集まったのに、先の見えない不安からは解放されない。本当に、彼らとうまくやっていけるのだろうか。
不意にジェラードと目が合った。ジェラードは冷たい目でじっと見つめてくる。
「お前、やけに暗くなったな。まあ、俺には関係のない話だが」
ミランダは目を逸らした。ジェラードは大剣を肩に担ぐと、フランキーとオリアーナのあとに続いた。
今までどうやって笑っていたのだろう。ゴドウィンやロンと心の底から笑い合っていた実感は、それほど前の記憶ではない。なのに、今となっては笑い方を思い出せない。笑おうとして思い浮かぶのは、ゴドウィンやロンを失った映像と、鍵が見せた真波の後悔だった。
ふと顔を上げると、イーニアスと目が合った。本当に目が合っているかは不明瞭である。仮面に両目の型に合わせた穴は空いているが、その奥は影になっているからだ。口調や声色からして悪い印象ではないものの、仮面をつけているだけでやはり不気味に感じる。
「さ、早よ行こ」
イーニアスが口角を上げて微笑んだのは、目が合ってからしばらく経ったあとだった。イーニアスはミランダの肩に手を置くと、ジェラードに続いた。
ミランダも歩き出す。なんだか足取りは重い。
天を仰ぐと、視界の中央には左右対称の真っ白な城がある。鍵を集めているときは、いくら城に向かって歩いても距離は縮まらないどころか、一向に地面は登り坂にならなかった。それなのに、今ではずっと城に向かって登っている。
いよいよ城である。どんな試練が待ち受けているのだろう。ミランダは不安で仕方がない。
怖い、行きたくない。そんな気持ちとは裏腹に、真っ白な異形の城はどんどん大きくなる。まるで、城自体がミランダたちを迎えにきているようだった。
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