21 回想・兄

7年前


「ほんとにいたんだよ、白いうさぎ!」

「雪と見間違えたんじゃないのか? あんまり奥に行くと、帰れなくなるぞ」

 背後で兄の真吾が叫んでいる。父と母と一緒に来たスキー場。家族でスキーにくるのは毎年の恒例だった。父と母がスキー好きで、出会いのきっかけもスキーだったらしい。

 この年、真波は小学四年生で、真吾は中学一年生だった。

 父と母は上級コースへ行っている。幼児のころから年に一回以上スキーをしてきた分、真波の腕前もそこそこだったが、一人で転ばずに滑れるのは中級コースまでだった。真吾は運動神経がいい分、スキーもうまい。かといって、真波だけを置いて三人とも上級コースへ行くわけにはいかない。だから父と母はいつも遠慮するのだが、真吾が真波を見ておくからと二人を説得したのだ。親思いの良い兄である。

 上級コースへ登っていく父と母のリフトを見送った、そのあとのこと。

 真波と真吾は、コースの端の茂みの中にいた。スキー板やストックは茂みの入り口に置いてきている。本当か見間違いか、真波はこの茂みの中に白いうさぎがいたのを見た。それを真吾にも見せたいと言って聞かなかった結果であった。

 真吾は時折後ろめたそうに、茂みの入り口のほうを振り返ったり、空を見上げたりしていた。空は灰色。大粒の雪がちらついていた。

「あ、真波! もうそれ以上はやめとけって」

「もうちょっとお。お兄ちゃん、こっちこっち! ……わっ!?」

 真波は足を滑らせ、茂みの斜面を転げ落ちた。

「真波!」

 幸い斜面は短かく、痛くもなかった。真波はケロッとした顔で真吾を見上げた。

「お兄ちゃーん、大丈夫だよー」

「びっくりさせんなよ」

「あ、鳴き声が聞こえた! うさぎの鳴き声! 近くにいるんだよきっと」

「おい、いい加減にしろって!」

 真吾が真波のところへとび降りたのは、真波が走り出したのよりも一足遅かった。

「うさぎは鳴かないと思うぞ!」

 真波は真吾の声に構わずどんどん進んでいく。真吾にうさぎを見せたい一心というよりかは、真吾に追いかけられることのほうを楽しんでいたのかもしれない。

 真吾の叫び声を聞いて、真波は立ち止まった。振り返ったが、真吾の姿は見当たらなかった。

「お兄ちゃん……? お兄ちゃん!」

「真波―! ここだよここ!」

 声が聞こえて安心した。真波は、木や草が生い茂っているところにできた窪みを覗き込んだ。少し離れた下のほうに真吾がいた。真波を捕まえるために近道しようとしたことが導いた不運だったのだろう。ここら一帯は生い茂ったところに雪が被さり、足の踏み場がないことが分かりにくくなっている。

「お兄ちゃん! 大丈夫!?」

「ちょっと大丈夫じゃないかも! 足をくじいた! 真波! 悪いけど誰か呼んできてくれ! 真波は偉い子だから、一人で行けるよな!」

「うん! 分かった!」

 真波は来た道を引き返そうとした。しかし、うさぎを探すのに夢中になっていたせいで、ここがどこなのか分からない。

 空を見上げる。知らない間に分厚くなっていた雲が、どんどん下に迫ってくるように感じた。辺りもなんだか暗い。真波は泣きそうになりながら走った。

「真波!?」

 真吾は真波が横手の茂みの中から現れたことに驚いたようだった。真波は真吾の胸に飛び込んだ。真吾に言われた誰かは連れてきていない。

「お兄ちゃん、ごめんね。道、分かんなくなっちゃって。お兄ちゃんと離れるの、怖くなっちゃって」

「そうか。仕方ない、一緒に行くか」

 真吾は動こうとしたが、痛そうに顔をしかめる。真波が懸命に真吾を支えながら少しずつ歩くが、二人ともすぐに息を切らして、雪の壁にもたれかかる。

 ウェアの中にこもった熱がすぐに冷めるようになったと思ったら、風が強くなっていた。見る見るうちに視界が真っ白になる。寒さと風の勢いで、途端に動けなくなる。

 こんなことになるなんて、思ってもみなかった。

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