インターローグ

《12/14(火) 日売新聞ネット記事》

 甲子園スターを襲った火事。第三者による犯行が濃厚か。寺口琉大さんの弟・洸大さんが死亡


 十二日午後五時ごろ、神奈川県厚木市の住宅街の外れにある納屋で火事があった。近くを通りかかった人の通報により、納屋が全焼する前に火は消し止められたが、現場からは中学一年生の少年一人と、高校三年生の男性二人、さらには三歳の小型犬一匹が意識不明の重体で発見された。高校三年生の男性二人というのが、今年の甲子園で優勝した厚木高校のバッテリー・寺口琉大さんと羽田健人さんであり、中学一年生の少年が寺口さんの弟・洸大さん、小型犬が寺口さんの家で飼っているペットである。被害者たちには懸命な治療が施されていたが、先ほど、洸大さんの死亡が確認された。

 火事は放火による殺人事件と断定された。現場の納屋には、稲を刈るための機械や、機械の燃料となる軽油がポリタンクに入った状態で保管されていた。納屋の所有者によると、稲を刈り終わったこの時期は納屋に出入りすることはないのだが、納屋の鍵が古く壊れており、盗難されるようなものはないからと、扉を閉めておくだけにしていたという。火事の原因は納屋に置いてあった軽油とライター。ライターから納屋の所有者の指紋が検出されたため、もともと納屋にあったものと考えられている。

 被害者たちには火傷の跡だけでなく、殴られたような形跡があった。特に酷かったのが寺口さんの弟の洸大さんと犬である。身体の数十カ所にバットで殴られた跡があった。使用されたバットは、日ごろ洸大さんがペットを散歩させるときに持ち歩いていたもので、現場に残されていた。洸大さんはよく現場付近の河川敷で、野球のボールをそのバットで打ち、犬に取りに行かせて遊んでいたという。

 出火の原因が軽油とライターであること、被害者たちに殴られた跡があることなどから、警察は第三者による犯行とみて捜査している。しかし、納屋の所有者にはアリバイがあり、事件前後の目撃情報は皆無。現場から第三者の指紋やDNAなども見つかっていないことから、捜査は難航しそうである。

 寺口琉大さんと羽田健人さんは、ともにプロ野球選手としての活躍を期待されていたが、羽田さんはドラフト会議直前に交通事故に遭い、選手生命に関わる怪我を負ったことでプロ入りを果たせなかった。寺口さんは横浜DeNAベイスターズにドラフトで一位指名されたが、最近入団を拒否し、大学へ進学する意思を表明していた。

 犯人の動機はなんなのか。計画的な犯行か、被害者たちと犯人の関係はどのようなものなのか。一刻も早く二人の意識が戻ることと、犯人が見つかることが望まれる。


 *


「とにかく、俺は大学へ行く。だから健人、お前も諦めんな」

 片側には川、反対側には納屋を備えた田んぼ。前後に伸びる土手の上を、寺口琉大は少女が歩いてきたほうへ足早に去っていく。

 切り揃えられた前髪に毛先の揃ったボブヘアの少女が、すぐ横を通り過ぎるころ。

「誰の弟と犬のせいでこうなったと思ってんだよ」

 上まぶたに寄せ付けた黒目。羽田は遠ざかっていく寺口の背中を睨みつけていた。

 あいつはいつも、何の根拠もない希望をぶつけてくる。その力強さは、本当に叶うんじゃないかと思わせてくれる。でも、あと一歩のところで化けの皮が剥がれ、絶望が正体を現す。

 河川敷のほうから、白いチワワと、そのリールとバットを持った少年が駆け上がってきた。寺口の弟の洸大と、ペットのネロだった。

 この遭遇は神のいたずらか、悪魔の挑発か。羽田の右腕が使い物にならなくなったのは、あいつらのせいだ。 

 二ヶ月前。たまたま街で出会った洸大とネロと一緒に、歩道を歩いていたときのこと。突然、車道にネロが飛び出した。反対側の歩道を通行していた犬に吠えかかろうとしたのだ。羽田と話し込んでいた洸大は反応が遅れ、リールに引かれて車道の上に転んだ。

 羽田は咄嗟に洸大に駆け寄ろうとした。車が迫っていることなんてその後に知ったことだ。しかし、ネロは急に方向転換して、元いた道路のほうへ疾走する。リールを腕に巻きつけたままだった洸大は、その力が補助となって勢いよく起き上がった。

 そのときだ。急に起き上がった洸大にぶつかった衝撃で、羽田は道路に倒れた。吹き荒れるクラクション。迫りくる車。頭が真っ白になる。羽田は身動きが取れない。

 結果、羽田だけが犠牲となった。洸大が兄と一緒に見舞いに来たときは、酷く落ち込んだ様子だったから許してやった。でも、父親に電話で突き放されてからは気分が変わった。夢も希望も家族も、何もかもあの事故に奪われたのだ。洸大が羽田にぶつかったのは、意図的だったのではないかとさえ思う。倒れてすぐに起き上がろうとしたとき、洸大に身体を踏みつけられた記憶もある。

 最も憎い存在が、今、目の前にいる。

「殺す」

「お兄ちゃーん」

 洸大とネロは暢気に寺口に駆け寄っていった。しばらく二人で何か話したあと、寺口はそのまま羽田から向かって前方へ、洸大とネロは羽田のほうへ歩いてくる。

「あ、羽田にいちゃーん! 退院したんだねー!」

「ワンワン!」

「羽田にいちゃん、本当にごめんね。僕とネロのせいで……」

 洸大は頭を押さえて倒れた。ネロが激しく吠える。羽田は洸大が持っていたバットを引ったくり、それで洸大の頭を殴った。

 羽田の中で、決定的に何かが音を立ててちぎれた直後だった。どろどろとした熱い液体が、身体の外へとめどなく溢れていくよう。

 羽田は仁王立ちで、左手に血のついたバットを握っている。瞳孔の開いた目。

 唸る洸大めがけて、羽田がもう一度バット振り下ろそうとした。洸大は身を縮めたが、ネロがとび跳ね、身を呈してバットを食らった。鈍い鳴き声を発してもがくネロ。羽田はすぐさま洸大に一発食らわせようとしたが、ネロが走り、そのリールに引っ張られた勢いで洸大はバットをかわした。洸大はよろけながらも、ネロに引っ張られるまま走って逃げた。川と反対側の坂を下った先にある、納屋に向かって。

 羽田は導かれるように納屋へ歩み寄った。錆びついた引き戸を勢いよく開け放つ。中は暗い。稲刈り機やポリタンクやらが静かに眠っている。いや、明らかに犬の呼吸が聞こえる。

 中へ進み、羽田は迷わず右に身体の向きを変えた。

「もうやめて! 羽田にいちゃん!」

 洸大は見つかると目一杯叫んだ。羽田は容赦なく、バットでひたすら殴る。響き渡る泣き声。羽田は息を切らす。利き腕を固定され、普段使わない腕を力いっぱい振り回すのは、体力を使う。

 ネロは激しく吠えながら、洸大の周りを跳ね回った。バットが当たってうずくまっても、すぐに起き上がって洸大を守ろうとした。

 洸大もネロも血だらけである。羽田も血を浴びている。ネロの動きは鈍く、洸大の呼吸は薄くなってきた。

 とどめだ。羽田が大きくバットを振り下ろそうとしたが、強い力で後ろからバットを奪われた。

 羽田は思いっきり殴られた。利き腕が使えない羽田は、無抵抗に打ちのめされるしかない。

 寺口琉大は、普段の無愛想とは桁違いの鬼のような形相だった。

「健人! てめえ!」

「何が諦めるなだよ……何が父親に認められたいだよ!」

 羽田は怒鳴った。入り混じる乾いた笑いは、徐々に嗚咽に変わる。

「こいつらを助けたばっかりに、なんで俺がこんな目に遭わなきゃならない! なんで馬鹿にされなきゃならない!」

 渾身の力で寺口の腹を蹴った。寺口は洸大の隣に倒れこんだ。

「こんな腕で、プロ野球選手になることなんてもう不可能なんだよ!」

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 洸大が泣きながら、か細い声を発している。寺口は洸大に駆け寄って、そのボロボロの身体に触れた。

「洸大、お前……もう喋るな。健人!」

 羽田は壁に叩きつけられる。息もできないような強烈な力で、寺口が掴みかかっていた。

「お前こんなになるまでやりやがって! ぜってえ許さねえ!」

 羽田は叫び声を上げる。二人は激しく殴り合った。

 使い物にならない右腕のハンデのせいで、羽田はあっという間に突き飛ばされる。その拍子にポリタンクが倒れた。寺口に床に押さえつけられ、ひたすら顔面を殴られる。羽田の背中に、ポリタンクから溢れ出た液体が染み渡る。喉に絡む、鼻を突く匂い。

 朦朧とする意識の中、羽田は床に落ちたライターを見つけた。希望の光だった。羽田は最後の力を振り絞って寺口を振り払って起き上がった。その手にはライターを握っていた。

 ライターを奪おうと立ち上がる寺口を蹴り飛ばす。羽田は引き戸を閉めた。

 ライターに火をつけた。迷いはなかった。

 羽田の手から落ちた火は、軽油のおかげで一気に燃え広がった。

「お兄ちゃーん!」

 洸大の泣き叫ぶ声、ネロの喚き声。

「洸大!」

 寺口は洸大とネロに向かって、炎の中へ突っ込んでいく。

 羽田は炎に投影された、今までの思い出を眺めていた。寺口との出会いから甲子園での優勝まで。洸大とキャッチボールした思い出もある。

 炎の向こうでしゃがんでいる寺口が、キャッチャーとしてグローブを構えている姿に重なった。そこへボールを投げ込んできた、無駄だった日々。思い出が燃える様は、見ていて愉快だった。

 身体が燃える。熱い。気持ちが昂ぶる。

 納屋はあっけなく崩れていく。納屋の木材がパチパチと燃える音、大きな崩落音に、洸大とネロと寺口の叫び声。

 意識が消えるまで、羽田は笑い声を上げた。

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