11 火事の続報
12/14(火)
修学旅行、当日の朝。新千歳空港から出発した貸切バスは、カラッと晴れた青空の下、のどかな下道を快適に走っていた。
学校から羽田空港まで一時間弱、飛行機で新千歳空港へ一時間半。そのあと最初の目的地である小樽へは二時間と、初日の午前中は移動で終わる。最初のバスと飛行機の中では楽しそうにクラスメイトと写真を撮りまくっていたが、肝心の北海道に着いたころにはくたびれたようだった。走行音が響く静かな空間。道路の雪を見たときにはみんな気持ちが高ぶっていたものの、今ではもうぐったりしている。
通常の学校生活ではスマートフォンの使用は校則上禁止されているが、修学旅行中は自由な使用が許されている。車内のほとんどがスマートフォンで動画を見たり、写真を見せ合ったり、ゲームしたりするのは必然である。女子はスマホを見せ合いながらひそひそと話している。男子は黙々とスマホをいじりながら、たまに奇声を上げる。
真波の前方から、クスクスと笑い声が聞こえてきた。柚果と詩織である。シートの隙間から見える様子では、一つのイヤホンをお互いの片方の耳に差して、何やらスマホで動画を見ていた。今流行りの、短い動画に加工を施して投稿するTikTokというアプリで遊んでいるのだろう。
柚果と詩織と三人で行動する中でペアを作るときは、決まって真波が一人のほうに進んでなる。そのほうが気が楽だった。
真波はぼーっと窓の外を眺めていた。隣の女子とはもちろん同じクラスだが、長時間話していられるほど仲良くない。バスに乗ってすぐは「楽しみだねー、小田原さんはスキーできるの?」「小さいころは家族で毎年やってたんだけど、やらなくなってから何年も経つから、なまってるかな」などと、まるで初対面のようなおぼつかない会話を交わした。今はスマホでSNSか何かを黙然と見ているようである。
真波はと言うと、たまに時間確認のためにスマホの画面をつけるだけで、手持無沙汰だった。本当はファンタスティック・ワールドをやりたかったのだが、この場でファンワ―をプレイした時のことを考えてみると、我慢せざるを得ない。真波がスマホで何かしていることが柚果と詩織に勘付かれたら、二人は前の座席から身を乗り出してでも、スマホの画面を見ようとしてくるだろう。真波は時間をつぶす目的でSNSや写真を見るようなたちじゃないからだ。こんな時間に連絡を取るような相手がいないことも知られている。二人は真波がファンワ―をしていることを知ると、きっと大声で騒ぎ出す。「えー、真波、そんな男子がやるようなゲームしてんのー?」とかなんとか。全クラスメイトの耳に行き渡るような密室空間で、そんな辱めは受けたくない。
スマホの画面をまたつけて、特に読むわけでもなくニュースアプリを開いたり、ホーム画面を単にスワイプしたりする。そんなとき、スマホにニュース速報が入ってきた。
「おい、寺口
男子が騒ぎ出した。真波と同じ通知が届いたのだろう。昨日テレビでもニュースになっていた、真波の家の近所で起こった火事のことだ。
「寺口琉大と羽田健人って、甲子園の?」
「そう。今年の夏の甲子園で優勝した厚木高校の最強バッテリー」
「一昨日の火事って?」
「俺厚木市に住んでんだけど、一昨日、近所の田んぼの納屋で火事があったんだ。三人と犬が一匹意識不明の重体だったらしいが、まさかそのうちの二人が、寺口琉大と羽田健人だったとはね」
「おい、もう一人の意識不明の男児って、寺口琉大の弟らしいぞ」
「まじかよ」
「ああ、ニュースに書いてある。それに、意識不明で重体っていう犬も、寺口琉大の飼っている犬らしい」
「なんかテレビの特集でやってたな。ドラフト期待のスーパーバッテリーに密着取材、みたいなやつ。寺口琉大が飼っている犬の名前はネロで、弟の名前は
「俺もそれ観た。羽田健人は孤児で、かなり苦労したんだよな」
「それがドラフト前に交通事故で肩を壊してプロ入りできなかったなんて、さすがに可哀想だよな」
「寺口琉大はDeNAにキャッチャーで、一位指名だっけ?」
「ああ。でも、結局断って大学に行くんだろ。最近ニュースでやってた。大学で野球やって、そっからもう一回プロを目指すとかなんとか」
「にしても、今年の甲子園のスター二人が、火事で意識不明の重体とはな」
「火事は事故だったわけ?」
「さあ、捜査中だとよ」
真波も記事を読んでいた。有名人らしい寺口琉大や羽田健人は、真波にとっては名前を聞いたことがあるくらいの存在である。兄が少年野球をやっていた頃はいくらか野球に関心があったが、今となっては疎い。ただ、家の近所が現場で、巻き込まれたのが同年代の学生ともなれば、気にしないわけにはいかない。
納屋が全焼したのは軽油に引火したからだが、引火した原因については捜査中。軽油は稲刈り機の燃料として納屋に置いてあった。納屋の引き戸の鍵は火事の前から壊れていたため、部外者の出入りは容易にできる状態だった。現場は日頃から人通りの少ない場所であるため、火事前後の目撃者は現在まで見つかっていない。なぜ三人と犬が納屋にいたのかも、今のところ不明。
警察は事件性が高いと見て捜査を進めているとあるが、読むだけでぞっとするほど不可解な点が列挙されている。寺口琉大の弟と犬には、火事の現場に落ちていた金属バットで殴られたような酷い外傷が見られた。寺口琉大と羽田健人にも、素手で殴られたような真新しい怪我の形跡があった。納屋が全焼した際、扉は閉まっていた。
記事には寺口琉大、羽田健人、寺口琉大の弟・洸大と犬のネロと示された写真が貼り付けられている。寺口琉大と羽田健人が甲子園で優勝したときの笑顔の写真も。
真波は声を上げた。
「ちょっと」
ふと顔を上げると、前の座席の背もたれから柚果と詩織が身を乗り出して、真波にスマホのレンズを向けていた。動画を撮っていたのだ。詩織がスマホを翻すと、画面には真波の映像が映っていた。顔と目が異様に大きく、宇宙人のような見た目になっている。
「こらー」
柚果と詩織はクスクスと笑いながら座り直した。真波は持ち上げた口角を下ろす。
スマホの画面を消して、左斜め前に視線をやる。通路側に座っているはずだが、ちょうど背もたれに隠れて見えない位置に、高根がいる。
どうしてだか、気づいたときには高根を見ている。目が合いそうになったら逸らしてしまう。小樽に着くのが待ち遠しくて、もうすぐ着くと思ったら緊張してしまう。
片頭痛よりも厄介な病だ。原因について考えるが、いつも「好きなわけではない」という単なる可能性の消去で行き詰まる。好きでないと言い切れるのは、好きになる理由がないからだ。
高根は何をしているのだろう。隣の男子と話している気配はない。寝ているのだろうか。
真波は反射的に目を逸らした。高根が通路側に重心を移動させた。目は合わなかった。恐る恐る視線を戻すと、高根の手元が見えるようになっていた。高根はスマホをいじっていた。その画面に映っていたのは、間違いなくファンタスティック・ワールドだった。
真波はもう一度、この場でファンタスティック・ワールドをプレイした時のことを考えてみる。柚果と詩織に気付かれたら、きっとからかわれる。それでも、高根に真波も同じゲームをやっていることが伝わるなら、そのほうがいいと思った。共通の趣味は話題になるからだ。
真波はファンワ―のアプリを起動した。昨日の夜も結構進めた。初期のメンバーを使い続けており、未だに誰も死んでいない。
「やっぱ俺もファンワー始めようかなー」
男子の会話が聞こえてきた。
「何渋ってんだよ、お前。やらなきゃ損だろ」
「いやだって、受験勉強がさー」
「息抜きだよ、息抜き」
「まあ、ちょっとぐらいいいかー」
真波はバトルで勝利を収め、二つ目の鍵を手に入れたところだった。
『火事の被害者は甲子園のスーパーバッテリー。事件に巻き込まれたか。少年野球からともにプロを目指していた二人』
画面の上部にメッセージが表示された。さっきとは違う情報アプリの通知だ。
少年野球……ふと、昔の記憶が過る。兄が野球をしている映像だ。兄は小学校入学と同時くらいに、地元の野球チームに入団した。今の家に引っ越してからも、近所のチームに所属して野球を続けた。兄は野球が上手かった。有数の強豪チームだったにもかかわらずすぐに大きな戦力となり、六年生ではキャプテンも務めた。幼かった真波は、よく父と母に連れられ、兄の試合を観に行っていた。ポジションはショートで四番。試合のあと、兄はよくチームメイト数名の中に真波を混ぜて、野球ごっこで遊んでくれた。
「なあ、さっきダウンロードが終わって初期設定してるところなんだけど、自分の名前からキャラクターの名前を作ることなんてできるわけ?」
「ああ。フォームに自分の名前をひらがなで入れると、西洋っぽい名前を作ってくれるんだ。ネットに書いてあったんだけど、その名前って、自分の名前をローマ字にしたときに使われているアルファベットを並べ替えものらしい」
「俺は『アーロン』だってさ。
あれ、と、真波は顎を指でつまむ。羽田健人と寺口琉大。聞き覚えがある。甲子園のスーパースターとしてではない。
真波はハッと、息を吸い込んだ。そうだ、二人は兄がキャプテンを務めていた野球チームに入っていたのだ。幼い頃の二人の姿が、鮮明に思い出される。
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