10 ゴドウィンの思い遣り

 力の抜けたミランダは、へなへなと四つ葉の地面の上に座り込んだ。我に返るまで、息をすることさえ忘れていた。激しく呼吸を繰り返す。

「ミランダ! 大丈夫!?」

 ゴドウィンが駆け寄ってきた。「どこか怪我でもしてるんじゃ」

「ううん、そんなんじゃないの。ただ……」

 頭に過った、さっきの鮮明な映像はなんだったのだろう。

 様々な絵や粘土細工、石膏像に囲まれた、カラフルだけど薄暗い部屋。そこには青年と少女がいて、青年が少女をモデルに絵を描いていた。それは胸を銃で撃たれた、こちらに向かって右手を伸ばしている少女の絵だった。絵の少女もモデルの少女も、ミランダと同じ、切り揃えた前髪のボブヘアだった。

 もう一つ見えたのが、暗闇の中で、這うような体勢の少年が何かに手を伸ばしている絵。青年が席を外している間、少女はそれを白い絵の具で汚してしまった。その焦りはミランダにも痛いほど伝わってくるようだった。少女は悩んだ末、絵の具の痕を、少年に手を差し伸べる女性の影に見立ててなぞっていた。

 身に覚えのない光景。彼らは一体誰なのか。この世界とはかけ離れた物があふれた、あそこは一体どこだったのか。ミランダが言葉を詰まらせたのは、ゴドウィンに訴えかけられるほどの語彙を持ち合わせていなかったからだ。ロンが頬をペロペロと舐めていたことにも気づかず、ミランダは考え込んでいた。

 ミランダが胸の前で両手に包み込んでいたものを、ゴドウィンはじっと見つめていた。ゴドウィンがそっと問いかけてくる。

「それ、もしかして、鍵?」

「鍵だと? 貸せ!」

 突然ジェラードが割り込んできて、ミランダから透明な鍵を引ったくった。

「ちょっとジェラード、いきなり乱暴じゃないか!」

 ゴドウィンは立ち上がり、ジェラードに向かって声を張り上げる。ジェラードは鍵をじっと見つめたまま動かない。

「あ、おい!」

 ケネスがジェラードの手から鍵を奪ったところだった。

「俺がちゃんと持っておくよ。せっかくミランダが見つけてくれた貴重な最初の一つなのに、なくすわけにはいかないからね。ジェラードは戦いに熱が入ると周りが見えなくなっちゃうたちでしょ? 今後は俺が鍵を持っていることを自覚して、慎重に戦うことにするよ。別に問題ないよね? 仲間なんだから」

「まあ、いいだろう」

 ジェラードは歩き出した。相変わらず不愛想な顔は、あまり納得していないように見える。

「ミランダ、立てる?」

 ゴドウィンが肩を掴んで起こそうとしてくれる。ロンもローブを口に加えて引っ張ってくれていた。

「ありがとう、もう大丈夫」

 ミランダは立ち上がった。重い頬を押し上げて微笑む。ゴドウィンとロンと一緒に、ジェラードのあとを追う。

 ミランダは振り返った。ケネスは透明な鍵を見つめたまま動かない。ケネスの怪我は、さっきまで矢が刺さっていたことを忘れるほど、確かに驚異的な速さで治癒しつつあるようだった。

 ケネスはミランダの視線に気づいた。口角を上げ、目を糸のように細めて笑みを浮かべる。

「どうしたの?」

 ミランダに緊張が走る。ケネスの綺麗な顔立ちに魅了されたのではない。理由は分からないが、恐怖の類だった。

「ううん、なんでもない」

「さ、行くよ」

 ケネスは小走りでジェラードに追いつく。

 背の高い草の生い茂った、道無き道。ミランダとゴドウィンは、二人の後ろについて歩いていた。

「どうしてあの剣士の人は、鍵を持っていたんだろう」

「え?」

 ミランダが零した言葉に、ゴドウィンが聞き返した。

「だって、鍵は魔導士の男の人が持ってたって言ってたじゃない」

「まあ、仲間を信用してなかったり、いつか裏切ろうとしてたりしたのかもね。試練を乗り越えられるのは一握りだから、ライバルを減らすとかなんとか言いがかりつけてたけど、それって乗り越えられる人数が決まってるんじゃなくて、試練がよっぽど難しいってことだと思うんだよね。だからかえって仲間は大切にしないと。まあ、後先考えてる余裕がないほど、城へ行くために必死なんだよ、みんな」

 前方のジェラードが振り返り、目が合った。が、ジェラードはすぐに向き直った。

「なんだか、悲しいね」

 裏切り、試練……。ミランダは頭の中で不安を並べていると、思わず呟いていた。

「僕もこれまで何度裏切られ、儚く消えていく仲間を見たか。ま、ジェラードとケネスは信頼できるから、こうやって一緒にいるんだけどね。もちろんミランダも」

「ワンワン!」

「ロンは言うまでもないでしょ」

 ゴドウィンとロンがじゃれ合う様子を見ていたら、ミランダは気持ちが少し楽になった。

「多分、城までの道中、いろんな困難があると思う。城での試練になると、なおさら」

 ゴドウィンを見ると、真面目な顔をしていた。「でも、僕がミランダのこと、命をかけて守るから!」

 ゴドウィンの真剣な眼差しが、急に目の前に飛び込んできて驚いた。ミランダは思わず吹き出すように笑ってしまった。

「ちょっとひどい! 年下のくせにかっこつけてと思ってるんでしょ!」

「ごめんごめん、そんなんじゃないの。ちゃんとかっこよかったよ」

「絶対馬鹿にしてるよね?」

「してないしてない。嬉しかったよ」

「本当にい?」

「ほんとよお」

 ゴドウィンはふくれっ面をしていたが、じっと顔を見合わせていると降参したように笑った。

「ま、ミランダは笑ってたほうが可愛いし、許してあげるか。でも、不安だったり、悲しくてどうしようもないときは、泣いたっていいんだよ。僕がずっと、そばにいるから」

「ありがとう、ゴドウィン」

 ミランダは微笑んだ。ふと、ゴドウィンが頼りになる兄のような存在に思えた。

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