12 回想・野球

8年前


「お兄ちゃーん!」

 夕焼け。小さい女児は、少年たちめがけて歩幅の短い脚をバタバタと走らせる。オレンジ色のグラウンドの上を、長い影が並走する。

「真波ー!」

 兄の真吾しんごが前方で手を振っている。真波は真吾のお腹にとびついた。母と父は離れたところで微笑んでいる。

「お兄ちゃん、大活躍だったね!」

「いや、俺よりも、チームのみんなが頑張ってくれたから勝てたんだよ。特にこの寺口と羽田のバッテリー。最近入団した四年生で、真波の一個上になるのかな。この二人が、後半の交代からあの強豪チームに一点もやらなかったんだぞ」

「見ててすごいなーって思ったよ! ピッチャーのお兄ちゃんは、ボールがすっごく速くて、キャッチャーのお兄ちゃんは、いっぱいアウト取ってたの!」

「真波ちゃんだっけ? 可愛いね」

 真吾よりも頭一つ分背の高い穏やかな少年が、腰をかがめて真波の頭を撫でる。彼がピッチャーのお兄ちゃんである。

「一個下なだけだろ。そんな年下扱い、逆に可哀想だろ」

 キャッチャーのお兄ちゃんは冷ややかな目で睨んでくる。無愛想な少年だった。真波は背の高い少年の脚にしがみついた。

「怖がってるじゃない、笑ってる顔が可愛いかったのに。琉大は言い方がキツすぎるんだよ」

 無愛想な少年はケッと舌を鳴らし、立ち去ろうとした。

「寺口、待ってくれ。ちょっとだけ、真波と野球で遊んでやってくれないか? こいつ、野球に興味があるのに周りの女の子がやらないからって、我慢してるところあるんだ」

「キャプテンは妹思いなんですね。俺はやりますよ。真波ちゃんに俺のボールが打てるかな?」

「やったー! 羽田にいちゃんのボールが打てるんだあ!」

「キャッチャーは琉大じゃなくても、誰かほかの人に頼めばいいんじゃないですか?」

「おい、誰がやらないって言った。キャプテン、その代わりに頼みがあるんですが、俺の弟も混ぜてやってもらえませんか。まだ幼稚園児ですが、俺とよくキャッチボールしてる分、筋はいいんです。大人数で野球をやる機会なんて、弟の歳だと滅多にないんで」

「もちろんオッケーだ。お前も案外、弟想いなとこあるんだな」

「別に、そんなんじゃないっすよ」

 無愛想な少年はばつが悪そうに顔を逸らすと、遠くの人影に向かって大声を上げた。「洸大ー! 野球やるからこっちこーい!」

「わーい!」

 無愛想な少年の弟と思われる小さな男児は、小さな白いチワワと戯れていた。男児はチワワを両親に預けると、バタバタと地面を鳴らしながら長い影を引き連れてやってきた。男児は無愛想な少年に似ず、喜びを身体全体で表現していた。

「ねえ、羽田にいちゃんに兄弟はいないの?」

 真波の言葉に、背の高い穏やかな少年は苦笑いした。真波はそれがどういう意味なのか分からなかった。

「いないなー。いや、親がいないすべての子供が俺の兄弟、ってとこかな」

 真波は首をかしげた。背の高い少年はフッと笑って、真波の頭を撫でる。

「さ、野球やるよ」

「良かったな真波。未来のスーパーバッテリーと野球ができるんだぞ」

「未来のスーパーバッテリー?」

「寺口と羽田はプロを目指してるんだ。今の時点でこれほどの実力があれば、絶対プロで活躍できるスーパーバッテリーになる」

「すごーい!」

 影がどんどん濃くなっていく、夕暮れ。真吾率いる少年野球チーム数人がグラウンドに散ばり、素手でバッターボックスに向かって構える。真波、幼稚園生の男児は、ピッチャーのお兄ちゃんが投げるふんわりとした優しいボールにバットを当てて懸命に走る。野球チームの誰かがバッターになった際には、キャッチャーのお兄ちゃんが無愛想にしては優しく、真波や幼稚園生の男児にパスを投げる。


 *


 寺口という無愛想な少年と、羽田という背の高い穏やかな少年と一緒に野球をしたのは、あれが最初で最後だったように思う。

 兄の笑顔を反芻したあと、真波はゲームを再開しようとした。しかしバスはピー、ピーという音ともにバックを始める。気づけば、バスは駐車場に入っていた。

 結局、真波がファンタスティック・ワールドをプレイしていることが、高根の耳に届くことはなかった。


 *


 ミランダはまた、異世界の光景に襲われていた。二つ目の鍵に触れた直後だった。

 オレンジ色に照らされた広い平地で、小さな少女と小さな男児が、ユニホームを着た少年数名に囲まれていた。彼らはボールを投げたり、ボールを棒で打っては走ったり。平和で楽しい時間。なんだか、ミランダまで穏やかな気持ちになった。

 しかし、ミランダは考え込む。小さな少女は、一つ目の鍵に触れた時に見た、絵のモデルをしていたあの少女だ。少女の幼少期ということだろう。

 真波と呼ばれていたあの少女は誰なのか。鍵が、異世界の光景を見ることの起因となっているのは間違いない。この現象になんの意味があるのか。この現象はミランダだけでなく、ゴドウィンたちにも起こっているものなのか。

「鍵、見つかったよー!」

 ミランダは声を上げた。

「ほんとー? ジェラードー、ケネスー、鍵見つかったってー!」

 草むらからゴドウィンが顔を出し、後方へ振り返って叫ぶ。すると、ジェラードとケネスが草をかき分けながら、ミランダに向かって走ってくる。ロンはふわふわと飛んできて、ミランダの頭の上で羽を休めた。

「すごいねミランダ。連続で見つけるなんて」

 ケネスは微笑みながら息を切らす。ジェラードはケネスとミランダの間に割って入った。

「貸せ、早く」

「もう、ジェラードは乱暴なんだって」

 ゴドウィンに同意するように、ロンが頭上でワンと鳴く。頭がくすぐったい。ミランダは笑う一方で、もう一つ、気になっていることがあった。

 ゴドウィン、ジェラード、ケネス、ロン。さっきの光景に、彼らがいた気がする。

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