Ⅳ 天国に一番近い温泉
「――終わったネ。ワタシの腕にかかれバ、このくらいの料理、チョチョイのチョイネ」
それより一時間ほど後、露華は宴の料理をすっかり完成させていた。
台所にある武骨な木のテーブルの上には、オマールエビのチリソース炒めやら、熱帯魚のオリーブ油揚げやら、夏野菜の八宝菜風あんかけパスタやら、熱帯フルーツ豆腐やら……新天地特産の食材を使った辰国料理がこれでもかと並べられている。
これだけの料理をたった一人で、しかもこの短時間で作り上げるとは……さすが武術家だけあって料理するのも手早いものだ。
「
ちょうどそんなところに、マリアンネがひょっこり顔を覗かせて露華を温泉へと誘う。
「完璧ネ。そっちこそもういいのカ? ゴーレムの治療するとか言ってたガ……」
「うん。それがね。なんか、お頭が貸してくれとかいってゴリアテちゃん連れてっちゃったんだあ。だから、代わりに銃の整備だけして今日は終わりにしたの。ね、そんなわけなんで早く温泉行こうよお! 露天風呂だし、お肌スベスベになるらしいよ!」
自慢げに
やはり女子としては美容にいいという温泉が気になって仕方ないらしい。
「わかったネ。ワタシもたまには闘いで疲弊した肉体を熱いお湯で癒すネ。これ、辰国四千年の智慧ネ」
それには露華も賛同し、女子二人は連れ立ってマルクの造った露天風呂へと向かった――。
「――ここがその温泉かぁ……ずっと工事中になってたから見るの初めてなんだよねえ」
女子達が向かった先……岬の突端側に面した城壁を出た所に、その露天風呂はある。
白亜の石を神殿風に削り出し、かつて、古代の大帝国イスカンドリアにあったという大衆浴場を思わす外観にした入り口には、〝額に鍵穴のある髑髏と交差する二つの鍵〟を合わせた禁書の秘鍵団のマークと、なぜか辰国の文字で大きく「秘鍵乃湯」と黒地に白で書かれた垂れ幕がかかっている。
「ナゼ、辰国ノ文字……アア! お頭がタマゴ持って行ったのコノためだったネ!」
また、その垂れ幕を訝る露華が視線を移すと、その脇に置かれた台の上には籠に入った黒いゆで卵と塩の瓶が置かれ、そのとなりにはやはり辰国文字で「温泉玉子 一人一個まで」と書かれた札と悦明書きがある。
「これ、黒色に変化してるの? なになに……遥か東の辰国のさらに東にある〝ハポング〟という国では、熱い温泉で茹でた卵がその名物とされている……だって。へえ~…お頭、サービス精神旺盛だね。ハナちゃんは〝ハポング〟って国のこと知ってる?」
「小さい頃ニ辰国離れたから知らないネ。デモ、コノ文化ハ嫌いじゃないヨ……モゴモゴ…」
マリアンネの質問に首を横に振る露華であるが、早くもゆで卵の殻を剥いて食べ始めている。
「オンセンタマゴっていうのかあ……クンクン……色が変わってる上になんか硫黄の臭いがするし、錬金術とも関係あるのかな? あたしも食べよ~っと!」
美味しそうにゆで卵を頬張る露華を見て、錬金術師として興味津々のマリアンネもその温泉成分で変色した殻を楽しげに剥きだした……。
「――うん。どうやら温泉気分を満喫してくれてるようだね」
そんな二人の様子を、城壁の影からこっそり覗う者があった……秘鍵乃湯のプロヂューサー・マルクである。
この温泉玉子も含め、自慢の露天風呂をさらに充実さえる演出を施した後、皆の反応が気になってここに隠れていたのだ。
「細工は流々、あとは仕上げを御覧じろだ……さて、あとはクロセルに任せて、僕は宴の時間まで手に入れた『大奥義書』をゆっくり読ませてもらうとするかな……」
だが、女子二人の良好な反応を見ると、さすがに風呂場の中までついて行くわけにはいかないので、満足げな笑みを浮かべて密かにその場を後にした――。
「――こっちが女湯みたいだね」
一方、温泉玉子を堪能した後、二人が「秘鍵乃湯」の垂れ幕を潜ると、今度は左右二手に仕切られた入り口に「男
「外観ニ比べると中ハ意外とシンプルネ……」
無論、女子達は左側の赤い垂れ幕を潜り、整然と木製の棚の並ぶ余り装飾性のない脱衣場へと足を踏み入れる。
「ま、脱衣場なんてこんなもんだよお。眺めがいい露天風呂だっていうから浴場の方に期待だね……あ、ハナちゃんが髪下ろしたとこ見るの久々かも」
「いつもオダンゴにしかしてないからナ。そういうマリアンネも三ツ編ミオサゲじゃないのハ初めてくらいネ」
そんな女子トークを交わしながら二人は棚に置かれた籠に服を脱ぎ入れ、セットした髪をアップにして束ねる。
「じゃ、いよいよ露天風呂と」
そして、用意されていたタオルを持って仕切りのカーテンを捲りあげると……。
「うわあ! すごい! まるで天国のお風呂みたい!」
「
マリアンネと露華の二人は、その現世とは思えぬ光景に思わず感嘆の声をあげた。
美しい大理石を組んで造られた広い浴槽には、やはり古代イスカンドリアを思わす石柱が円を描いて立ち並び、その中央で岩に跪く白亜の女神像が担いだ水瓶から豊富な湯を注いでる……。
その浴槽から溢れ出す源泉かけ流し温泉の水面には、美しい南国の花々が浮かべられ、その間を縫うようにアヒルの玩具やら、ブリキの金魚やら、凝った演出にも自分達の海賊船レヴィアタン・デル・パライソ号の模型やらが揺蕩っている。
また、この浴場は切り立った岬の突端にあるために、まるで湯の表面がそのまま海に繋がっているかのような錯覚を思わす解放感もある。
まさに天国……かつて人間が追放された天界の楽園が如き絶景露店風呂である。
「ああっ! ゴリアテちゃん! なんでこんな所に!? ……あ、そうか。それでお頭、ゴリアテちゃんを借りてったのかあ……」
さらにその優雅な空間に豪胆さを加えるようにして、傍らには古代イスカンドリア風に白い布を巨体に巻き付けたゴリアテが、神話の英雄を彷彿とさせるポーズで威風堂々とそびえ立っている。
「あたしのゴリアテちゃんをこんな使い方して……本来なら怒りたいところだけど、これなら仕方ないか。よく似合ってるし……」
「ハルカニ想像ヲ超えてキタネ……さすがハ
予想していたものを軽く凌駕するその露天風呂の出来に、二人はその場で思わず呆然と立ち尽くしてしまう。
「…………おっと。見てるだけじゃそれこそもったいない。さ、入ろう!」
「
しばし後、気を取り戻した二人は少々興奮気味に、、大満足で湯を使い始めた。
「――ああ~いいお湯~……ほんとにお肌スベスベになるよお~」
「イイ~湯ダナ~覇ァ~ビバのんのんネ~♪」
若き裸体をその薬効成分たっぷりの湯に浸したマリアンネと露華は、日々の憂さも忘れてこの上ない極楽気分を味わう。
「あ! ねえ、見て! これ、お頭に頼まれてあたしが作ったやつだよ。ここに設置したの見るのは初めてだけど、
「アイヤー! おもしろい機械ネ。どれどれ……うぷっ! コレハ雨というよりスコールネ……デモ、確カニ
また、浴場の隅にはマルクの発案でマリアンネが製作した真鍮性の
「……ン? コレハ何ネ? えっと……さらにラグジュアリーナ気分ヲ味わいたい時ハコノ
さらに、湯を注ぐ女神像の置かれた岩の表面に、そう書かれた金属製のプレートと、何やら幾何学模様を組み合わせた円形の図形があるのを二人は見付けた。おそらく各悪魔に対応した、使役するための
「へえ~おもしろそう! ねえ! ちょっと試してみようよお!」
好奇心旺盛なマリアンネは、それを見つけるや眼を輝かせて露華を焚きつける。
「ナンダカ怪しいネ……デモ、確カニ気ニなって仕方ないネ……それじゃ、ポチットナ…ネ……」
対して露華もその「ボタンがあると押さずにはいられない」誘惑には勝てず、怪しみながらもその表面にそっと手を触れた。
「オイースっ!」
すると瞬間、二人の頭上には半透明をした銀髪・猫目の天使が元気な挨拶とともに姿を現す。
「キャっ! ……て、天使? もしかして、ここってほんとに天国だったり?」
「チョットびっくりしたネ……イヤ、翼の生えた猫じゃないカ?」
その美しくもこの世のものではない異形の姿に、二人は唖然としたその不思議な存在を見つめる。
「天使ではない。俺はソロモン王の72柱の悪魔序列49番、浴槽の公爵クロセル。マルク氏とともにこの至高の極楽露天風呂を造り上げた者だ。これに触れたということは、さらなるラグジュアリーをお望みだな? よーし、それじゃあ、次いってみよーっ!」
呆ける女子達に、クロセルはそう言って自己紹介をすると、二人が答える間もなく片手を挙げて合図をする。
「……え? わっ! わっ! 今度は何?」
「何だかブクブクしてきたネ……温泉ヲ造った海中火山ガ活発化したカ?」
わずかの後、浴槽の底からブクブクと泡が上がり出したかと思うと、瞬く間にその白い泡は増殖し、すぐに湯全体を覆い尽くすようになる。
「どうだ? この
またも驚く女子達に、泡立つ水面の上に浮いた猫目の天使は自慢げに腕を組んでそう嘯いてみせる。
「うんうん! こんなお風呂初めて! なんか楽~のし~い!」
「アイヤー! オントニお金持ちニなった気分ネ~!」
南国の花風呂から一変、今度は泡でいっぱいになった浴槽に、マリアンネと露華はその泡を掬っては宙に投げ飛ばし、マルクと悪魔クロセルの凝りに凝った演出を存分に楽しんだ――。
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