Ⅲ Stay アジト

「――うーん……なんか今ひとつ、何かが足りないような気がするんだよなあ……」


 浴槽の公爵クロセル設計のもと、こだわりを以て造ったその浴場で、マルクは眉間に皺を寄せて考え込んでいた。


「ああ、確かにあと一歩、何か物足りなさを感じるな……エレガントではあるが、インパクトが足りねえ。もっとバーン! ってくるオブジェが必要だな」


 難しい顔で腕を組むマルクの傍ら、半透明をした銀髪・猫目の天使――クロセルも顎に手をやって修正案を提示している。


「インパクトのあるオブジェかあ……でも、今から造ったんじゃ間に合わないよなあ……ああ! そうだ! ちょうどいいのがあったよ! よし! それでいこう」


 さらに考え込むマルクだったが、不意に何かに思い至ると、ポン! と手を叩いて顔色を明るくする。


「でも、他にもまだ工夫がほしいな……マリアンネに作ってもらったカラクリ・・・・だけでなく、クロセル、君にもちょっと手伝ってもらって、みんなが驚くような仕掛けを用意するよ?」


「仕掛け? なんだかおもしろそうだな。よーし、次いってみよおー!」


 さらに何かアイデアが浮かんだらしく、協力を求めるマルクに温泉好きな悪魔も快く了承の声をあげた――。



「――さて、辰国四千年の技を披露するとするネ……」


 一方、マルクに宴会の料理を頼まれた露華は、厨房でその腕を振るっていた。


 食材は帰る途中、トリニティーガーの港の市場に寄って買い込んで来たからよりどりみどりだ。


「ハァ~……ハイ! ハイ! ハイ! ハイ! ハイ! ネ!」


 気合を入れ、高速で繰り出した拳で近海産のオリーブエビの殻を粉砕して剥いてゆく。


「刀剣ハ得意じゃないケド、包丁だけは得意ネ! ワータタタタタタタ…!」


 また、ハムや夏野菜、南国のフルーツなどを、キホルテスの剣技も顔負けな包丁裁きで次々に切り刻んでゆく。


「お頭ガ火の悪魔ヲ宿した竈。火力ハバッチリネ~っ! 辰国料理の極意ハ、このアオリ・・・ニあるネ~っ!」


 さらに大きな炎の燃え立つ、ソロモン王の72柱の悪魔序列23番・火炎公アイムの力を込めた竈で、辰国式のフライパンに入れた具材を豪快に煽って炒めてゆく。


 そうして、まるで拳法演武が如き派手な動きで次々に辰国料理を仕上げていっていたその時。


「露華ぁ~! 悪いけどぉ~! タマゴ、幾つかもらってっていいかなあ~!?」


 ジュウジュウと鍋の焼ける喧噪に包まれた厨房で、マルクの声が不意に聞こえてきた。


「ここのもらってくけどいい~!?」


 見れば、テーブルの上の籠に入ったタマゴを5、6個ほど別の籠に入れ替えている。


「アア~! そのくらいならイイネ~! 何ニ使うカ~!?」


 料理の音で聞き取りづらいため、大声で尋ねるマルクに露華もフライパンを振るいながら大声で答える。


「ヒミツ~ぅ! ありがとぉ~!」


 だが、露華の問いに答えることはなく、何やらニヤニヤと笑みを浮かべながら、マルクは礼だけを言ってタマゴとともに厨房を後にして行った――。




「――だいぶひび割れが目立ってきたな……パパの造ったゴーレム、今のあたしの知識じゃ造り直せないし、大事にしなくちゃね……」


 他方、原質エレメントの入った樽やら、多様な形のガラス製器具やらが並ぶ錬金術の実験室ラポラトリウムで、マリアンネは臼に入れた粘土に水を注いで溶いていた。


 しかも、ただの粘土ではなく、錬金術の書を読んで調合した、特別な鉱物の粉の粘土である。


 そのとなりには、高い天井にも背が届きそうな巨体のゴーレム〝ゴリアテ〟が、壁の専用ラックに固定されて立っている……マリアンネの錬金術研究や兵器開発のために設けられたこの実験室ラポラトリウムで、彼女はゴリアテのメンテナンスをしようとしているのだ。


 と、その時、トン、トン、トンとドアがノックされる小気味よい音が聞こえた。


「はーい! どうぞー!」


「仕事中、ごめん。マリアンネ、ちょっと頼みがあるんだけど……」


 彼女が粘土を捏ねながら返事をすると、開いたドアの隙間からはひょっこりマルクが顔を現す。


 それも、なぜかその手にはタマゴの入った籠を持ってだ。


「頼み? また何か新兵器でも思いついたとか? 今度はどんなものを作ってほしいの? そのタマゴに関係あるもの?」


 いつもの習慣から、今回もそのような依頼だと予想してマリアンヌは尋ね返す。


 錬金術師として、彼女は火薬の調合にはじまり、そんな各種兵器や道具の作成も得意なのだ。


「いや、今日はそうじゃなくてね。ちょっとゴリアテを貸してほしいんだ」


 だが、その予想に反して苦笑いを浮かべたマルクは、そんな意外な頼み事をマリアンネにするのだった。


「え? ゴリアテちゃんを? ――」




 さて、かたやリュカはというと……。


「――カーッ! やっぱうめえな! さすがは悪魔の造ったワインだぜ!」


 先程も言っていた通り夜の宴まで待ちきれず、もうすでに酒を飲み始めていた。


 しかも、食料貯蔵庫に忍び込み、マルクのめいで有翼総統ハーゲンティが名水から練成した極上の赤ワインを……。


「リュカさんといいましたか。このワインは宴に使うとのこと。せっかく造ったのに勝手に飲まれては困るのですが……」


 ワイン樽の栓を開け、無遠慮に木製ジョッキへワインを注いでいるリュカを、半透明のハーゲンティが迷惑そうな顔で見つめている。


「ハン! 悪魔が固えこと言うんじゃねえよ。ちょっとぐれえいいじゃねえか。何も全部飲みゃあしねって……てか、足りなくなったらまた造りゃあいいじゃねえか。簡単にできんだろ? 今度は白ワインもいいな。あ、サングリア(※果物、甘味料、スパイス等を赤ワインに漬けたもの)とかも造れるか?」


 しかし、リュカは盗み飲みをやめようとはせず、それどころか逆にハーゲンティへ注文までつけてくる。


「あなたは私を呼び出した術者じゃないでしょう? ハァ……船長も船長なら船員も船員だ。なんと悪魔使いの荒い……」


 そんな悪魔を悪魔とも思っていないリュカに、ますますハーゲンティは迷惑そうに眉根を寄せた――。




「――フゥ~……お頭が悪魔の力で強化してあるっていうのにかなりの刃毀れだったな。まあ、ハーソン卿の魔法剣と斬り合ったんだから、それも仕方ないのかもしれないけど……」


 飲んだくれているリュカに比べて真面目なサウロはといえば、小柄なその身に革製のエプロンを着け、武器庫で主人ドン・キホルテス愛用のブロードソード(※当時戦場用として主流のレイピアよりも幅広の剣)を丹念に砥石で研いでいた。


 その剣にはやはりソロモン王の72柱の悪魔序列43番・堕落の侯爵サブノックによる武装強化の魔術がマルクの手で施されているのだが、サウロがぼやいているように確かに刃毀れがだいぶ目立つ。


 今回の仕事で、彼らの天敵とも呼べる海賊狩りの精鋭部隊・白金の羊角騎士団の団長ドン・ハーソン・デ・テッサリオが持つ古代の魔法剣〝フラガラッハ〟と激しく斬り合ったためだ。


 〝フラガラッハ〟はひとりでに鞘走って敵を斬るという反則的な力を持つ古代異教の民が造り出した魔法剣であり、その製造法は失われた技術ロスト・テクノロジーとなっている……魔導書の魔術で悪魔の力を宿してあるとはいえ、所詮は紛い物・・・なのだ。


「これが本物・・の魔法剣との差ってやつか……こりゃ、一度、鍛冶師に鍛え直してもらった方がいいかもしれないなあ……」


 研いだその刀身を蝋燭の火にかざして見つめながら、サウロはまた独り、そんなぼやきを口にした。


「にしても汚れちゃったな。汗もかいたし。宴会の前に旦那さまも誘って一風呂浴びておくか……」


 剣を布で拭いて鞘に納め、ふと自分の手を見れば真っ黒だ。また、研いだ際に出た金属の粉や砥石の汁なんかもあちこちにはねて前進汚れている。


「旦那さま、騎士のくせにそういうとこ無頓着でたまに臭いからな。従者の僕がその分、エチケットを気にかけてあげねば」


 とりあえす作業を終えると、この後に控えている宴会のことを気にしつつ、主人思いの従者サウロはそう言って片づけを始めた――。




 さて、その主人、ドン・キホルテスはといえば……。


「――フン! ……せやあっ…!」


 ギィィン! ……ギィィィン! …と、周囲に鳴り響く甲高い金属音……要塞跡の外に生えた一本の大木の下で、キホルテスは剣の稽古に勤しんでいた。


いや、アジトである要塞跡から一歩外へ足を踏み出すと、悪魔・豹総統オセの幻覚でそれ自体が見えなくなるため、そこは草木が生い茂る人里離れた岬にしか見えないのだ。


 その岬にそそり立つ大木の枝にはロープで一本の十字型ヒルトの長剣が吊るされており、打っては返ってくるそれを相手にキホルテスは剣を振るっている。


 しかも、より負荷をかけるために重く長大な両手剣〝ツヴァイへンダー〟を使っての過酷な稽古だ。


 さらに実戦を想定し、普段着ではなく甲冑を着けてのものだったりもする。ま、彼の場合、外では常時身に纏っているため、この中世騎士のような甲冑が普段着みたいなものだったりするのであるが……。


「うーむ……ハーソン殿の魔法剣はこんなものではない……これでは稽古にならんな。今度、マリアンヌ殿に頼んで専用のカラクリを造ってもらうか……」


 一旦、ツヴァイへンダーを振り下ろしたままその手を止めると、なおも来ては返る十字剣を見つめながら、キホルテスは独り言を呟く。


 彼が行っているその訓練法は、今回、対決したドン・ハーソンの魔法剣を想定してのものである。


 なんとか引き分けに持ち込んで終わったが、いずれまた相見あいまみえることは明らか……その時のたっめの備えである。


「旦那さま~!」


 と、そんなところへ、サウロが彼の名を大声で呼びながらやって来た。


 豹総統オセの力で要塞跡は見えないため、まるでどこからともなく、突然、サウロが現れたかのように見える。


「おお、サウロか。如何した?」


「作業でだいぶ汚れたんで、宴の前にお風呂へ行こうと思いまして。旦那さまも汗をかかれたでしょう? 一緒にいかがですか?」


 両手剣を肩に担ぎ、額の汗を拭いながらキホルテスが尋ねると、忠義者の従者は汚れた手を前に出してそう答える。


「おお、そうだな。ハーソン殿にこっぴどくやられた打ち身にも温泉はよく効きそうだ。よし。もう100本振ったらともに参ろう。それまでそこらの木陰ででも休んでいてくれ」


 対して従者思いの主人も即座に頷くと、ついさっきまで自分のために仕事をしてくれていたサウロをそう言って労った――。

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