Ⅱ 温泉の悪魔と酒造の悪魔

「――霊よ、現れよ! 偉大な神の徳と知恵と慈愛によって、我は汝に命ずる! 汝、ソロモン王の72柱の悪魔序列49番、浴槽の公爵クロセル!」


 もともとこの要塞にあったプロフェシア教の私的な祈祷所を、悪魔召喚用に改修した魔導書の魔術専用の儀式場……。


 その薄暗い石造りの堂宇の中、ジュストコールの左胸に金の五芒星ペンタグラム、右裾には仔牛の革製の六芒星ヘキサグラム円盤を着けたマルクは、短銃型の魔法杖ワンドを天にかざして悪魔召喚の呪文を唱える。


 その足下の石の床には、とぐろを巻く蛇の同心円と五芒星ペンタグラム六芒星ヘキサグラムを組み合わせた複雑な図形が赤や黄、青、緑といったカラフルな色使いで描かれ、さらにその前方を見れば深緑の円を内包する三角形が記されている………いわゆる〝ソロモン王の魔法円〟と呼ばれるものだ。


「おいっす! 俺を呼び出したってことは、例のアレ・・の件だな?」


 マルクの呼びかけに、ほどなくして銀色の髪に猫のような目をした一柱の天使が、手に氷の剣を携えてどこからともなく前方の三角の上に姿を現す。


 見た目はまさに天使であるが、その半透明の存在こそが召喚魔術で呼び出された悪魔である。


「ああ。君の設計してくれた古代イスカンドリア風の露天風呂は、建築が得意な魔導書『ソロモン王の遺言』の悪魔達を使って完成済だ。後は君の能力で近くの水脈から地下水を引いて温泉にしてくれさえすればいい。よろしく頼めるかい?」


 その天使…いや、悪魔クロセルに、畏れることもなくマルクはそう告げる。


「よーし任せとけ。でも、風呂上がりに湯冷めして風邪ひくなよ? ちゃんと歯ぁ磨けよ? ババンババンバンバン~…♪」


 すると、温泉に関わるその悪魔は二つ返事で了承し、鼻歌まじりにすぐさま姿をくらましてしまう。


「さて、お次は極上のワインだな……霊よ、現れよ! ソロモン王の悪魔序列48番、有翼総統ハーゲンティ!」


 続けざま、マルクは再び召喚の呪文を唱え、さらに二柱目の悪魔を呼び出す。


「なんですか? またワインをご所望ですか?」


 今度、三角形の上に現れたのは、グリフォンの翼と金色の牡牛の角を持つ、赤い肌に黒髪の男の悪魔である。


「ああ、その通りさ。夜に宴を催すんでね。貯蔵庫の樽に名水と名高き湧水をたっぷり用意しといたから、いつものようによろしく頼むよ。真水をワインに変えるくらい、君なら朝飯前の芸当だろう?」


「はあ、私は錬金術師であって、シャトーの職人じゃないんですけどね。まったく。ソロモン王の昔より、ほんと人間は悪魔使いが荒いんだから……」


 こちらも馴れ馴れしい言葉でマルクが頼みごとをすると、ハーゲンティはブツクサ文句を口に、グリフォンの翼を羽ばたかせながら壁をすり抜けて御堂を出てゆく。


「さ、魔術的な準備はこれでよしと……んじゃあ、クロセルがちゃんとお湯を張ってくれたか最終チェックだ……」


 呼び出した悪魔達がそれぞれ指示に従って姿を消すと、マルクも短銃型の魔法杖ワンドを腰のフォルダーにしまい、最後の仕上げにと露天風呂へ向かった――。

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