Ⅰ 海賊たちの帰還


 新天地においてエルドラニア人が最初に入植した拠点〝エルドラーニャ島〟……。


 その北方の海に浮かぶ小島〝トリニティーガー〟は、エルドラニア人に追いやられたアングラント王国やフランクル王国の入植者が住みついたことを契機として、いつしかエルドラニアですらも手出しができぬ海賊達の巣窟と化していた。


 昼下がり、そのトリニティーガーのとある岬……。


 ギラギラと南洋の太陽が青い海原に照りつける中、断崖絶壁が切り立ち、とてもじゃないが座礁が怖くて船など着けるられそうもないその岩場に、龍の鱗のような緑青色の銅板を船体に貼り付け、悪龍〝レヴィアタン〟の船首像フィギュア・ヘッドを船首に掲げたジーベック船が直進してゆく。


 そのフォアマストの頂で翻る黒い旗に白の絵の具で描かれた、交差する二つの鍵と額に鍵穴の空いた不気味な髑髏……禁書の秘鍵団の海賊船〝レヴィアタン・デル・パライソ号〟である。


 大きな帆に追い風を孕み、このまま突き進めば断崖に衝突して木っ端微塵に砕け散るかと思いきや、ここで不思議なことが起る……どういうわけか、まるで断崖をすり抜けるかのようにしてレヴィアタン号はその中に消えたのだ。


 なんだか狐に抓まれたかのような摩訶不思議な現象……そのカラクリは、彼ら秘鍵団の頭目、魔術師船長マゴ・カピタンことマルク・デ・スファラニアが魔導書を使って仕掛けた目眩まし・・・・の魔術によるものだ。


 彼は魔導書『ゲーティア』にあるソロモン王の72柱の悪魔序列57番・豹総統オセの幻覚を見せる力を用い、実際には存在する岸壁に空いた洞穴の入口を他人には見えないようにしているのである。


 その見えない断崖の洞穴へ入ったレヴィアタン号は、すべての帆を畳みながらその奥に広がる巨大な地下空間までゆっくりと進んでゆく……。


「――やっと我らが城への凱旋でござるな」


 その船首に威風堂々と仁王立ちする時代錯誤な甲冑姿のもとエルドラニアの騎士、ドン・キホルテス・デ・ラマーニャが、幻想的な大洞窟を見回しながら感慨深げに呟いた。


「帰って来るのほんと久しぶりですよね。ネズミが出てないか心配だなあ……てか、旦那様もちゃんと仕事してください」


 その傍らで帆を畳む作業をしている船乗り風の恰好をした少年サウロ・ポンサは、ドン・キホルテスの従者であるにも関わらず、ただ突っ立っているだけの主人を窘める。


「ゴリアテちゃん! 錨をお願い!」


「オオオオオオ…」


 また、甲板中央で操舵輪を握る、赤ずきんをかぶった金髪おさげの少女――ダーマ人(※迫害される戒律教徒の民)の錬金術師マリアンネ・バルシュミーゲが大声で指示をすると、彼女の父親の残した相棒のゴーレム〝ゴリアテ〟は、低い唸り声を響かせながら巨大な錨を洞窟内の水面目がけて放り投げる。


「縄ハ繋いだネ~っ!」


 その間に船から洞窟の陸部分へ跳び移っていた桃色のカンフー服を着たお団子頭のこども…否、小柄で幼い顔立ちをしてはいるが、こう見えてじつは相当に強い、東方の大国〝辰〟出身の少女武術家・陳露華チェンルゥファは柱状をした岩に船と結ばれた縄を縛りつけている。


「フゥ~…ったく、今回の作戦も無茶苦茶だったな。毎度、よく生きて帰って来れてるってもんだぜ……なあ、お頭、無茶振りの侘びに極上のワインをご馳走するっていう約束、忘れてねえよな?」


 一方、青いターバンを頭に巻いた人相も態度も悪い男――リュカ・ド・サンマルジュは、腕だけを毛むくじゃらの〝人狼〟のそれに変化させ、大きな木の板の橋を軽々と船縁にかけながら、背後に顔だけを向けてそう尋ねる。


「ああ、もちろんだよ。ご婦人方のために極上の温泉もね」


 その問いに、フード付きの黒いジュストコール(※ジャケット)にウィッチハットのような三角帽トリコーンをかぶった金髪碧眼、そして童顔のまだ若き彼らの頭目、魔術師船長マゴ・カピタンことマルク・デ・スファラニアは愉しげな微笑みを湛えながらそう答えた。


 魔術で隠された洞窟の波止場に海賊船を泊めた彼ら〝禁書の秘鍵団〟の一党は、岩を削って造られた長い階段を登って地上へと向かってゆく……やがて、目が眩むほどの眩しさを感じると、彼らは岬の突端に築かれた、古い石造りの要塞のような建物の中庭へと出た。


 その昔、初期の入植者が築いた後にうち捨てられた要塞を改修した建造物……それこそが、彼ら秘鍵団の秘密のアジトである。


 無論、地下の洞窟同様、この地上の要塞も悪魔オセの力で他の者から見えないようにしてあり、其の他諸々、防犯用の魔術が仕掛けられたりしている。


「――そんじゃ、みんな! 約束通り極上のワインと温泉を用意するから、今日は存分に羽を伸ばしておくれよ。夜になったら大宴会だ!」


 全員が中庭へ出ると、日頃苦労をかけている仲間達に向けてマルクは声高らかにそう告げる。


 先程、リュカも口にしていたが、いつものことながら今回の仕事では特に無茶を仲間達にさせたので、そんな彼らをねぎらう…否、というよりも不満ブーブーだった彼らをなだめすかすために、温泉と旨い酒をふるまうとマルクは約束していたのであった。


「でも、料理はやっぱり僕より露華が作る方がいいと思うからお願いできるかな?」


 ただし、宴には肝心要の料理に関してだけは、労うべき相手の一人である露華に依頼してしまったりなんかする。もと船医でもあるマルクの料理は味よりも薬効を重視するので皆には不評であるし、仲間内では彼女が一番料理得意なのだ。


「マ、そう来ると思ったネ。ココはワタシが辰国四千年の料理デ舌鼓を叩きまくらせてやるネ!」


 だが、それもまたいつものことなので、ちょっと奇妙な言葉遣いで露華はその頼みを快諾する。


「それじゃ、よろしく頼むよ。宴は夕刻からということで。ちなみに温泉は一時間くらいでできあがると思うから、使いたい人は先に使ってくれてかまわないよ。では、また夜に集まろう。解散!」


 最早、秘鍵団の専属料理人と化している露華の了承が得られると、マルクは一応、船長カピタンらしくそう皆に号令をかけ、宴の時間までの自由行動を許可する。


「よーし! んじゃあ、俺は一足先に飲みながら待たせてもらうぜ」


 マルクの言葉を聞くと、素行の悪そうな見た目そのまんまにリュカは早々飲んだくれるつもりである。


「なれば、それがしはそれまで剣の鍛錬をさせていただこう。まだ日課をこなしておらぬからな」


「僕は旦那さまの甲冑や刀剣類の手入れを。今回の仕事でだいぶ痛みましたからね」


 一方、ドン・キホルテスとサウロは、リュカと打って変わって真面目な余暇の過ごし方を計画している。


「あたしもゴリアテちゃんのメンテナンスをさせてもらうよ。頑丈そうだけど、こう見えて土でできてるからね」


「………………」


 また、マリアンネは相棒のゴーレムの整備がしたい様子であり、そのとなりに立つ当のゴリアテはといえば、成人男性の倍はあろうかという巨体を微動だにせず、いつものように極めて無口だ……てか、そもそも喋るように造られていない。


 ともかくも、そうして露華も含めた皆が各々に散開して行くのを見送った後、マルクもその足で中庭に建てられた一棟の小さな御堂へ向かうと、さっそく自分のなすべき仕事にとりかった――。

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