第二十節 あなたは高潔な人

 化け物という生物はきっと、こういう生命体のことを言うのだろう──。


 ヴァダースの視界に飛び込んできた生命体を前に、彼は思わず言葉を失ったまま硬直していた。理解が及ばなかった、と言っても過言ではない。目の前にいるこの生命体は、いったい何なのだろうか。


 狼のような口に生えている魔物の牙も、巨大な体躯も、太ましい手足も、それぞれのパーツで考えるのなら違和感もないはずなのに。目のない生命体がいることもある、体を白い皮で覆われている生物もいる。それなのに、どうして。

 どうしてそれらが一気に合わさっただけで、こんなにも吐き気を催すほどの嫌悪感を抱くのだろう。生理的な嫌悪感、と言ってもいいかもしれない──しかしすぐにその嫌悪感の正体に気付かされることになる。


 思考が停止していたところに、目の前の生命体はヴァダースがいることを検知したのだろうか。首をもたげた生命体は一つ、鳴き声を発する。

 それはただの咆哮ではなかった。耳がいいヴァダースは嫌でも気付いてしまう。


 その鳴き声に、魔物だけではなく人間の赤ん坊の泣き声が混じっていたことに。


 獣のような口から発せられる赤ん坊の泣き声。人間とはかけ離れているはずなのに、まるで生まれて少し成長した赤ん坊のような四つん這いの構え。加えて声に交じっている赤ん坊は、一人分ではない。何人もの赤ん坊の泣き声が、巨大な白い塊をしている生命体からヴァダースに向けて発せられているのだ。


「っ、ぁアあッ!!」


 耳をふさいでも鼓膜に焼き付くような鳴き声を前に、ヴァダースは思わずその場に膝をつく。動こうにもその鳴き声には衝撃波も混ざっているのだろうか、飛ばされることはないが身動きが取れない。辛うじて目を開き前を見据える。

 不運は重なるというもので、鳴き声を発している生命体の後ろからさらに複数体の同じ生物が、こちらに近付いてきていた。ある生命体の口周りはべったりと血に汚れ、またある生命体の手のひららしき部分には、ひしゃげて潰れた腕が張り付いている。

 それを見て繋がった。地下にいた訓練生たちは、目の前のこの生命体たちによる襲撃を受けてしまったのだと。状況は把握した、連絡を入れなければ。懐にしまっていた通信機を取り出そうとして、足元が暗くなったことに気付く。はっと上を見上げれば、一体の白い生命体が手を振り上げていた。


 このままでは圧し潰される。せめて振り下ろされる手の範囲から逃げなければ。

 しかし鳴き声は一向に収まらず、むしろ感化されたのか別の生命体も鳴き始めてしまう。付け加えるならば、ここは地下空間。閉鎖された場所であるがために声が反響し、予想以上にダメージを与えてくる。単なる衝撃波だったはずのそれが重力波となり、ヴァダースの足を地面に縫い付けた。


「ぐっ……く、ぅ……!」


 絶体絶命、その言葉がふさわしいこの状況。先走りすぎたかと己の失態を悔やんでいたヴァダースに、救いの手が乱入する。


「そら、食らいなッ!」


 その声は鳴き声にかき消されていたが、ふっと体が軽くなったことに疑問を感じ見上げてみる。目の前には、ちょうど白い生命体の背中部分に蹴りを入れているシューラの姿が目に入った。中々に重い一撃なのだろう、白い生命体はその巨体がぐにゃりと折り曲がっている。続けて彼女は鳴いていたもう一体の生命体にも、その横っ面を吹き飛ばすかのように殴りつけた。生命体は衝撃に耐えられず、他の生命体も巻き込んで将棋倒しとなる。

 呆然としているヴァダースの前に着地したシューラは、振り返らないまま彼に声をかけてきた。


「まったく無茶しやがってこの馬鹿野郎が」

「シューラ……?何故、貴女がここに?」

「そいつは一旦後だ。まずはこいつらに落とし前付けてからにしな」


 ほら、と彼女に手を差し出される。納得したようにそうですね、とその手を掴み立ち上がったヴァダースは、シューラの横に並ぶ。手に白いダガーを持ち、マナを付与させていく。


「合わせな」

「了解です」


 シューラが駆け出す。援護するようにヴァダースはダガーを投擲した。


"悲劇を奏でる白い旋律"トラゲディエコンツェルト!」


 風をも切り裂く白いダガー。それらは白い生命体の手足に直撃、彼らの体勢を崩すきっかけになる。

 その隙を見逃すシューラではない。彼女は生命体の手足の間から懐に入り込み、拳にマナを付与。強く踏み込み、振り上げた。


「この……クソッタレ共がッ!!」


 生命体には知能はないらしく、彼女の拳に対し守ることなくそのまま受ける。彼女はそれだけにとどまらない。次に視界に入ったらしい白い生命体には、ヴァダースのダガーが突き刺さっている部分に追撃として蹴りを入れ、残りの一体には上空まで飛び上がってから、首をへし折るように踵落としをお見舞いする。

 三体の生命体にそれぞれのダメージを入れたシューラは仕上げにと、拳にマナを付与させると地面に叩きつける。衝撃を受けた地面は盛り上がり、波となって白い生命体たちへと直行。彼らを瓦礫で生き埋めにした。


 静まったことを確認すると、シューラは一つ息を吐きヴァダースのもとへ寄る。


「……お見事です」

「お世辞はいいよ」

「それで、先程の質問に答えてくださっても?」

「そうだね、アンタには言っておこうか。……単調直入に言えば、ガセ掴まされてたのさ」

「ガセ……?」


 彼女の説明の詳細はこうだ。

 まず元より、世界保護施設が西の廃れた町の一つを活動拠点にしているという報告は、まったくの出鱈目だったとのこと。大陸に侵入者が入ったという情報は確かだったのだが、廃れた町へ向かってもそこには世界保護施設の人間はいなかったのだ。その代わりにその町で徘徊していたのが、先程ヴァダースを襲ってきたあの白い生命体たち。

 見た目だけではそれほど力はないと思っていたのだが、その判断が命取りとなった。あの生命体は、己以外の生命の臭いを嗅ぎ分ける能力があったらしい。別の生命の臭いを感知した白い生命体たちは、まるで猪突猛進する赤ん坊のように、構えていたカーサの実行部隊に突撃。そのまま新しいおもちゃを扱うかのように、人間を目一杯掴んでは握り潰したり、叩きつけたりしたとのことだ。


 その時点でこれが陽動だということに気付いた一部の人員は、どうにか戦線を離脱してこの西のアジトに向かった。シューラは事前に手渡されていた、カーサで開発途中でもあった空間転移の輝石を使用し、ここ地下空間に到着したと告げる。


「あの生命体は一体……なんなんですか?」

「……聞いたところで吐き気しかしないブツだよ。それでも聞くか?」

「……はい」

「……わかった」


 ヴァダースの返事を聞いたシューラが、重い口を開く。

 あの生命体は、世界保護施設の実験の産物。彼らは生まれたばかりの赤ん坊に投薬などを施したあと、魔物のメスの腹を切り裂きそこにその赤ん坊を移植させ、孕ませたのだ。

 赤ん坊は魔物の腹の中で、無理に成長させられる。その中で突然変異する際に目は失われ、人間としての骨格は残しつつもその体は、人間のものからは乖離。その後魔物が出産すると同時に急成長し、あのような醜い巨体になったのだ、と。

 シューラはそれを、西の廃れた町で白い巨体のデータを取っていた世界保護施設の人間から吐かせた。そして実は胎に赤ん坊を孕ませた魔物は、わざとカーサに捕獲させるように動いていた、とも。彼らにとって、カーサの存在は厄介極まりなかったらしいのだ。故に知らないうちに毒を盛ろうと、今回の襲撃を企てたと。


 その説明を聞いて、一気に血の気が引く。人間が行う所業とはとても思えない。まるで悪魔そのものだ。犯罪者集団である自分たちよりも、タチが悪い。


「まんまとしてやられたってワケ。この落とし前は、きっちりつけさせてもらう」

「そう、ですね……。あの、もう一ついいですか?」

「なんだい?」

「その、貴女と同行したトライとディーブはまだ、その西の町に……?」


 彼の質問に、やや時間を要してから。シューラは呟くように答えた。


「……先に地獄で待ってるってさ」

「っ……!そう、ですか……」

「……」


 沈黙が地下空間を包む。しかしそれも数秒のことで、シューラが瓦礫に埋まっているであろう白い生命体の生死を確認するように、そちらへ歩く。彼女の行動に俯いていたヴァダースも我に返り、シューラの後を追う。先程から沈黙しているところを推察するに、無事に倒せたかのように思えるが。


 からり、と小さく音が聞こえる。

 なんだろうと上を見上げた先。そこにはへばりついている、白い生命体が。

 理解する前にヴァダースは叫ぶ。


「シューラ、上です!!」


 ヴァダースの叫びに一瞬シューラが遅れる。咄嗟のことで体が動かない二人に向かって落下してくる、白い巨体。防御、いや間に合わない──。


「歯ァ食いしばりなヴァダースッ!!」

「っ!?」


 前から声が聞こえた瞬間、腹部に強烈な衝撃。何かしらの攻撃を受けたヴァダースは、立っていた場所から後方に吹き飛ばされる。崩れた壁に激突した彼は慌ててシューラへと顔を向けた。

 目の前ではちょうど、白い巨体と一緒に落下してきた天井の瓦礫がシューラめがけて降り注いでいた。救出を試みようと駆け出すも、思った以上に天井の崩壊は著しく、二人を隔てる壁のように埋め尽くされる。シューラと白い生命体から距離があったヴァダースは、彼女たちから分断されてしまう。


「シューラッ!!」


 その後反響した、瓦礫の崩れる音。壁の奥からでも聞こえてきた白い生命体の鳴き声。そしてそこに交じってか細く耳に届いた、シューラの悲鳴。どうにか壁を崩せないかとヴァダースは壁に向かって攻撃するも、微塵とも動かない。


「シューラ……!シューラ!!状況を教えてください、シューラッ!」


 声をかけるも、返ってくる音は衝撃音だけ。やがてその音すら聞こえなくなり、沈黙だけが答えとなってヴァダースに届く。


「……シューラ……?」


 その声に答える音は、無音のみ。嫌な予感が閃光のよう胸を駆ける。

 まさか、そんなこと。彼女に限ってそんなこと──。


「シューラァアアッ!!」


 ありったけに、何度も、ヴァダースは壁の奥に向かって叫んだ。手に持てるサイズの瓦礫を掴み地面に放りながら、その奥に広がってしまっているであろうイメージ映像を払拭するように、無我夢中で。

 それでも音は返らず、絶望の淵に立たされる。どうして、失いたくないと思うものばかりが掌から零れ落ちていくのだろうか。こんなに自分は、無力なのか。


「返事をしてください、シューラッ!!」


 唇を噛み、もう一度だけ彼女の名を叫ぶ。

 それでも声の一つも聞こえず、膝から崩れ落ちそうになった時。希望の声がかすかに壁の奥から聞こえた。


「……そんなに叫ばなくても聞こえてるよ、お坊ちゃん」


 返ってきたその声は、間違いなくシューラの声だった。思わず顔を上げ、縋るように声をかける。


「シューラ!無事だったのですね!?待ってください、今──」

「待ちな、ヴァダース……この壁は崩したらダメだ」

「なっ……何を言っているんですか、貴女は!!」

「この壁は奴らを閉じ込められる檻だ……。言ったろ、落とし前をつけさせるって。世界保護施設、の奴らに……データを拝ませる前に……アタシが、こいつらを地獄に送り届けてやる……」


 シューラの言葉の意味を、ややあってから理解してしまう。

 彼女は、ここで自決するつもりなのだと。


「貴女、なに生きることを諦めているのですか!?あんなに生にしがみついていた貴女が、どうして!」

「あのなぁ……アタシ今、ひっどい状態なんだよ。こんな格好のままアンタやシャサールの前になんか……出れないって……」

「貴女ね……そんなプライド、捨ててしまいなさい!!意地汚く生きればいいじゃないですか!」

「ははっ……元お坊ちゃんらしからぬセリフだねぇ。いいこと聞けた」

「ふざけないでください、シューラ!!」

「ふさけてなんかない……それに、聞きなヴァダース……アタシ、もう満足できるくらいには、生きたんだよ……」


 壁の奥からシューラの、達観したような声が聞こえる。


「何かに奪われて死ぬんじゃないんだよ、アタシ……アンタやシャサールを守って死ぬんだ……言っちゃなんだが、それはアタシの誇りだ。自分の子供を切り捨てたアタシが……アンタら若い子供を、守れるんだ……嬉しいのさ、それが……」


 だからこの選択を受け入れてほしい、と。

 笑ったかのようなシューラの言葉に、ヴァダースはそれ以上何も言えなくなってしまった。これ以上の制止は彼女の矜持を踏みにじる。ぐっと唇を噛んでから、そっと瓦礫に手を添える。


「残念ですね……貴女が私のメイドになったら、それなりに報酬を用意したんですが」

「ハハッ、こんなナリじゃ……甘いパンケーキの一つも焼いてやれないよ?」

「それなら今度、頑張って焼いてみてくださいよ。味見してあげますから」

「そうだねぇ……そんで、美味い紅茶でティータイムと洒落込むのも、乙なもんだなぁ」

「……ええ。トライやディーブ、シャサールも呼びましょう。きっと、楽しいです」

「そいつはいいや、楽しいに決まってる」


 そんな場違いな程に他愛ない会話の後、瓦礫の壁の奥から地鳴りが聞こえた。


「……それじゃあ、先に戻りますね」

「ああ……ありがとうな、ヴァダース」


 シューラの言葉を聞き、立ち上がったヴァダース。そのまま振り返らずに出口へと向かう。最後の衝突の音を、背に受けながら。


 第一話 完

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