第二話

第二十一節 友情に贈る鎮魂歌

 無事に地下空間から脱出できたヴァダースは、扉の前で待機していたシャサールや他の戦闘員たちと合流する。ボロボロの姿になって戻ってきたヴァダースに駆け寄ったシャサールに状況を報告すると、そのまま意識を失う。

 だが、とりあえずの報告はできた。情報がガセだったこと、西の町での戦闘、敵の本命はこちらのアジトの壊滅のこと、そしてアジト壊滅を阻止するためにシューラが一人残り、そのまま殉職したこと。他にも報告しなければならないことはあったのだが、ヴァダースの体がそれについていけなかったのだった。


 次にヴァダースが目を覚ましたのは、本部アジトの医務室のベッドの上だった。横にはシャサールがいて、ここ数日目を覚まさなかったのだと聞く。彼が気を失った後に何があったのかも、彼女はすべて話してくれた。


 ******


 あのあと、ヴァダースと入れ替わるように戦闘員数名が地下空間に突入した。戦闘の跡が見受けられた修練場にあたる場所には、ヴァダースも見た白い生命体の遺体が確認されたとのことだ。そして、無残にも引き千切られたシューラの遺体も。その空間を含め地下空間に他の生命体の反応もなかったことから、敵も味方も全滅と判断されることになった。訓練生の収容数はそこのアジトが本部に次いで二番目に多かったが、彼らも全員が殉職したと。


 白い生命体が出現した理由だが、西のアジトに運び込まれていた身籠った魔物がやはり原因だった。その魔物は世界保護施設の人間によって意図的に妊娠させられていたのか、と。その点についてはシューラから受けた情報をヴァダースからシャサールに伝え、彼女に上に報告してほしいと頼んだ。


 そしてもう一点。西の廃れた街に向かった実行部隊の人員も、例の白い生命体によって全滅させられた、とのことだ。生存者の確認は一人たりとも見受けられなかったらしい。そう告げたシャサールの目元は、うっすら赤く染まっていた。


「そんな……全滅だなんて……」

「……そんで、ボスから戦闘員全員に通達があったのよ。今回の件でカーサは甚大な被害を受けた。それによる組織の体制を見直すため、今は任務もなく待機してるようにって」

「そう、ですか……」


 俯きシーツを強く握る。そんな己の様子を一瞥したシャサールは一つため息をつくと立ち上がり、声をかけてきた。


「アンタはまだ休んでな。病み上がりなんだから」

「シャサール……」

「言っとくけど、アタシはアンタのこと恨んでなんかない。だから謝るんじゃないよ。トライも、ディーブもきっと、自分の為すべきことってやつを全うしたはず」

「それは……」

「シューラだってそうさ。……だからアンタを憎む理由なんてないし、そんなのアタシ一人だけが惨めになるだけ。これ以上、置いていかれるのはゴメンだよ」

「……ありがとう、ございます……」


 そう礼を告げれば、ん、とだけ返されてそのまま彼女は医務室を出た。


 一人残されたヴァダースは、ぼんやりと窓の外を見る。窓の外に見えるのは、暗い色をした山岳地帯の風景だけ。悲しい、という感情は沸かなかった。その代わりに心に残っているこれは、喪失感だろうか。もしくはそれに伴う虚しさか。

 人は絶望したとき、泣き喚くものなのだろうかと考えていたのだが。ぽっかりと穴が開いたようだ、とはいい例えだと感じる。まさに今感じているこの、半身がもがれたような感覚が、そのような気持ちなのだろう。


「トライ……ディーブ……」


 いつも己をからかっていたが、彼らとはいいグループメンバーであり、新しくできた友のようにさえ感じていた。己をお坊ちゃんとからかいながらも、そこには確かに友情に近しい何かがあった──ように、ヴァダースは信じている。ディーブに至っては、出会った初日に音楽に対するアドバイスももらって。結局、一度たりとも彼にヴァイオリンを聞かせることはできなかった。そして──。


「……シューラ……」


 名前を呼んだ途端、思わず顔が歪んでしまう。何もできなかった己に、カーサでいることのすべてを叩き込んでくれた。手加減なしの体当たりな指導をして、それでもそれは、自分を成長させるための手段で。いつも悪いことばかりに誘って、それに乗らなければ、お坊ちゃんとからかって。

 彼女から多くのことを学んだ。口は悪かったが、いつも全力で生きている人だった。これからもきっと、己の隣でいつもの葉巻を吹かしながら笑ってくれるだろうと信じて疑わなかった。そこまで考えて、腑に落ちた。


 そうか、これが戦場で生きるということなのかと。


「……」


 一つ、息を吐く。目を閉じてからゆっくりと開き、窓の外を見る。淡い月光が、医務室の中に入り込んだ。


「……そうですね、折角ですし……」


 幸い、体の痛みもない。怪我の具合も良好のようだからと、ヴァダースは医務室を出ると己の部屋に向かう。静かな本部アジトの廊下を歩き、部屋まで辿り着く。鍵はかかっていない。ドアノブを捻り、開けてみれば。まず最初にヴァダースを出迎えたのは沈黙、ただそれだけだった。ディーブがいれば、手をひらひらと振っておかえりと出迎えてくれていたのだが。

 一抹の寂しさを感じつつ、己のベッドの端に置いてあったヴァイオリンケースを手に取る。ケースを開き中を確認してみるが、幸いにも傷はない。弦の調子も少し手入れをすれば、以前と変わらない旋律を奏でてくれるだろう。


 それらを確認したヴァダースはヴァイオリンケースを手に、本部アジトの裏口を使って外に出た。待機命令とのことだが、気を失っていてわからなかったなどと言い訳を並べ立てればいいだろう。

 目的地は本部アジトからそんなに離れてない位置にある、小高い丘だ。そこはシューラ班のメンバーお気に入りの場所だそうで、任務終了後に本部に戻る前に、そこで一服するのが常だった。山岳地帯である山々の隙間からわずかに見える海を見て、気分を落ち着かせるのだと、シューラはよく言っていたものだが。

 慣れた足取りでそこに向かえば、先客が一人いた。薄紫のショートヘアーが揺れているその人物は、シャサールだった。この場所を知っているメンバーは、今現時点では己以外では彼女しかいない。シャサール自身も、誰が来たのか気付いたのだろう、後ろを振り返らずに声をかけてきた。


「いいの、待機命令を無視しても?」

「それはお互い様でしょう?それに私は、待機命令なんて聞いてないって言い訳を並べ立てれます」

「なにそれ、ムカつく」


 小さく笑って彼女の隣に来れば、シャサールが顔を上げる。そしてヴァダースの手に持っていたものに興味を示したのか、それはなにかと尋ねてきた。


「ああ……これはヴァイオリンです。訳あって何故か私の手元に戻ってきたものですが」

「ふぅん?」

「……無性に弾きたくなりましてね。ですが部屋の中では迷惑がかかるだろうからと、ここまで来たんです。貴女は何故ここに?」

「……察しなさいよって言いたいところだけど……まぁいっか。一応は同じ班のメンバーだったからね……弔ってたんだよ、あいつ等のこと」

「そうでしたか……」

「……弾いてやってくれよ。あいつ等が、地獄まで迷わないように」

「……ええ」


 シャサールの言葉に頷いたヴァダースは、丁寧にケースからヴァイオリンを取り出すと慣れた手つきで構える。そして小さく息を吐いてから、ゆっくりと演奏を始める。殉職した三人のために、三曲を。その演奏を、シャサールも何も言わずに耳を傾けていた。

 やがて最後の一曲を弾き終わると、まずは隣の彼女に例の言葉を述べる。


「……さすが、元音楽貴族なだけあるわねアンタ」

「ありがとうございます。本来私の演奏は高いんですけどね……お代をいただける相手がいないというのは、寂しいものです」

「こんな時に野暮ったいこと言わないでよ。それにアタシだけじゃ不満だっていうように聞こえるけど?」

「そんなつもりはなかったんですがね。気を悪くしてしまったらすみません」


 ヴァイオリンをケースに片づけたヴァダースは、懐からあるものを取り出す。それは作戦行動前にシューラから手渡された、シガーケース。


「それ、シューラのでしょ。どうしたの?」

「貰ったんですよ、あの人から。今までこんなの、吸ったことないんですが」


 葉巻を一本取りだし火をつけようとするも、生憎とライターを持っていない。どうするかと悩んでいたが、ふと横からシガーカッターとライターを差し出された。シャサールのライターだろうか。


「なんで葉巻持ってるってのにライターもカッターも持ってないんだかね、このお馬鹿」

「これは……貴女のですか?」

「こんなのアタシの趣味じゃないっての。トライがアタシに渡してきたのさ。あいつも、よくそれ吸ってたから」

「そうでしたか……。ありがたく、お借りしますね」


 シャサールからそれらを受け取ると、火をつけるための準備をする。いつもシューラが葉巻に火をつけるやり方を見ていたから、知っている。記憶の中のシューラと同じように葉巻の先を切り、ライターで炙ってから吹かしてみた──が、それは最初だけでヴァダースは思い切り咳き込んだ。


 これは……美味い、なんてものではない。


 涙目になるまで咳き込んだヴァダースは、手に持った葉巻を恨めしそうに眺めた。


「なんっ……なんなんですか、これっ……!こんなの、よく毎日吹かして……ごほっ」

「初めてならよくあることさ。まったく、子供なお坊ちゃんにはまだ早いよ、これは」


 シャサールはそう言うと、ヴァダースの手から葉巻を取り上げた。そして咽せているヴァダースを横目で見ながら、仕方ないと彼の代わりに葉巻を吹かし始める。

 自分とは違い全く咽せる様子のないシャサールに、疑問の視線を投げかける。それを質問されたと捉えたのか、小さく笑ってから彼女は答えた。


「アタシも吸ってたんだよ、シューラとトライとかと一緒にね」

「……貴女、いくつなんです?」

「ん?アタシは十七になるよ」

「貴女だって、子供じゃないですか」

「女は十六から結婚できるんだから、アタシはもう大人の方だよ」

「とんだ屁理屈ですね」

「なんとでも」


 シャサールが葉巻をふかし、ヴァダースが奥に見える海を眺める。沈黙が二人を包む。しばらくすると、さぁ、とひどく優しい風が通り抜けた。


「……次は、守り抜くわよ」

「ええ……カーサは、また立ち上がります。立ち直らせてみせる」

「そうね……またいつか。その時は奴らとの弔い合戦にしてみせるわ」

「もちろんです」


 決意のこもった瞳で、前を見据えるヴァダースとシャサール。

 二人を応援するかのように、一陣の風がまた通り抜けたのであった。

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