第十九節 果報を待っていた

 ヴァダースが十四歳の誕生日を迎え数か月経った、ある日のこと。その日は一段と、アジト内の空気が張り詰めていた。それは寒さからではなく、別の理由に答えがある。原因は、先日通達された任務内容。


 カーサのアジトは、カウニスの北東にある大陸──ヴェストリ地方北部を中心に広がっている。山岳地帯とも呼ばれているヴェストリ地方には人があまり寄り付かない点もあり、アジトを構えるにはうってつけだった。

 そのヴェストリ地方の西部にどうやら、外部からの侵入者が確認されたらしい。報告には、侵入者の正体は世界保護施設の人間であると確認が取れた。彼らは今は廃れた町の一つを活動拠点にしているらしく、カーサのボスはこれの殲滅任務を戦闘員全員に言い渡した。

 世界保護施設が活動している町の近くには、カーサのアジトの一つがある。そこを襲撃されては、カーサの戦力は落ちる。加えて、そこにはもう一つの訓練生用の修練場があるのだ。当然、捕獲した魔物も存在している。失うわけにはいかない。

 その任務が通達されたのが、今から一週間前。その日から常に厳戒態勢であるため、アジト内の空気もどこか、ナイフのように鋭く研ぎ澄まされていた。


 そして今日が、作戦決行日。この日のために、正式なカーサの戦闘員は全員が作戦部隊に組み込まれている。隊は大きく分けて二つ。世界保護施設の活動拠点の破壊と人員の殲滅──いわゆる実行部隊と、西部アジトにて万が一に備えて警護をする警護部隊。

 ヴァダースのいるシューラ班のメンバーは、シューラとトライ、ディーブが実行部隊。ヴァダースとシャサールが警護部隊に割り当てられた。割り振ったのはシューラであり、経験が浅いから実行部隊ではないのかと愚痴をこぼしたが、彼女は一つ笑った。なんでも、使用する術技や戦闘スタイルに合わせて振り分けたらしい。返ってきた答えが論理的な見解だったために、ヴァダースも不承不承ふしょうぶしょうながら了承するしかなかった。

 刻一刻と作戦決行の時間が迫る中、シューラとヴァダースはアジト本部の食堂にいた。シューラは相変わらず葉巻の煙を纏っている。


「貴女、本当にそれが好きですね」

「ああ、命の次に好きなもんさ。こいつを吸ってるとリラックスできるんでね。まさかアンタ、興味でも湧いたか?」

「実際に吸おうとは思いませんが。まぁいつも貴女が吸っていれば、気にもなってしまうというものです」

「まったく、いつからそんなに可愛くなくなったかねぇ」

「なんとでも」


 そんなヴァダースのそっけない返事に、はいはいと軽くあしらうようにシューラが返す。彼女がふう、と息を吐けば葉巻の煙がゆったりと揺蕩う。


「アンタにとっちゃ、これが初めての大仕事になる。緊張してるか?」

「どうでしょうね。不思議と落ち着けているんですよね、これが」

「……その顔は、どうやら本当のようだな。しっかし大した奴だよ、少し前までアタシにボコられて泣きべそかいてたくせに」

「泣いてませんし、べそもかいていませんよ」


 思わず反論すれば、楽しくなったのかけらけらとシューラは笑う。


「あっはは、そいつは申し訳ありませんでした。ヴァダースお坊ちゃん」

「貴女ね、メイドをするのならもう少し言動を改めたらどうです?そんな言葉遣いでは、奉公人なんて務まりませんよ」

「ご忠告、ありがたく聞き流させてもらうよ。アタシにンなの似合わないよ」

「でしょうね」

「ブッ飛ばしてやろうか?」


 殲滅作戦決行前だというのに、いつもと変わらない会話と彼女との雰囲気。実際のところ、そのお陰だろうか。大仕事の前だというのに、余裕を持って迎えられる心構えができていた。しかしそんな会話がいつまでも続けられるはずもなく、シューラもヴァダースも時間を見て話を切り上げる。シューラは集合場所に、ヴァダースは配置位置に、それぞれ向かわなければならない。

 そして食堂から出ようとしたときにシューラに名前を呼ばれ、振り向くと何かと投げ渡された。小振りのそれは何かのケースらしく、中を開けばそこには彼女がいつも吹かしている葉巻が入っている。


「やるよ、それ。興味が湧いたら試してみな、案外美味いもんだぞ」

「未成年をたぶらかすなんて、とんだ悪人ですね」

「ああそうさ、アタシは悪党さ?アンタはどうなんだ?」

「もちろん、私もですよ。それにこれ、後で返せと言われても返しませんから」


 ヴァダースのその言葉に、シューラは上等と返事を返す。そして合図と言わんばかりに互いに拳を突き合わせてから、各々の持ち場へと向かうのであった。


 ******


 ヴァダースの持ち場は、西部アジトの地下修練場へ続く回廊の入り口付近だった。シャサールも同じ配置であるため、内心安心していた。気心が知れる仲間とそうでない人員とでは、実際問題が起きた時の対応に、大きく変化が生じるからだ。


 現在の時刻は、殲滅作戦決行から一時間ほど経っている。今のところ大きな動きや戦乱などの問題もなく、いつも通りの回廊のままだが。心配していたが杞憂に終わりそうだ、とシャサールが独り言ちる。


「そういや、先日捕獲してここに保管された魔物が産気づいてるって話は聞いてるかしら?」

「そういえば、本部の食堂でそんな話をしていた方がいましたね。予定では、出産は一週間後だとか」

「らしいねぇ。しっかしまぁ、そんな魔物を捕獲するなんて。担当した班のメンバーは馬鹿の集まりなのかしら」

「さぁ、そんなのわかりかねます。しかし──」


 話を続けようとして、ヴァダースは言葉を止める。一瞬、回廊の奥から何か聞こえたような気がしたが。ヴァダースの様子が変わったことにシャサールも気付いたのか、どうしたと声を掛けられる。


「……今、何か聞こえませんでしたか?」

「聞こえたって、どんなのよ」

「どう、説明したらいいか……子供の泣き声のような、魔物の咆哮のような……」


 気が付けばヴァダースは持ち場を離れ、地下修練場へ続く扉の前まで自然と走っていた。後を追うようにシャサールも彼に続く。

 回廊から扉までは案外距離があり、灯りも少ないために視界が悪い。しかし奥に進むにつれて鼻をつく生臭い匂いが漂うことに、二人は確かに感じていた。回廊の最奥、地下修練場に続く扉の前で彼らを出迎えたのは、その身を血で染め上げられた戦闘員の男だった。男性は、まるで扉を塞ぐように座り込んでいる。すぐに二人はその男性に駆け寄った。

 肩を掴むと、多少だが息があることに気付く。呼びかけてみると、うっすらと目を開けた男性が、ヴァダースとシャサールの姿を捉えた。


「気付きましたね、何があったんですか」

「……町、は……囮……。本命はここ……地下の魔物、産んだ……化け物に気を付け……アレを外に出しては……殺さ、れ……」


 男性はそれだけ言うと、がっくりと項垂れそのまま動かなくなる。

 緊急事態が発生したことは明白。ヴァダースはまずシャサールに、このアジト全体に警報を出すように指示する。その指示を受けたシャサールはすぐさま、応援要請のために持っていた通信機で全体に通信を流す。最後に、おあつらえ向きに壁に設置してあった警報器を鳴らす。


「どうする?」

「応援を待つか……しかし敵の数もわからないままでは、被害拡大を防ぐこともできないかもしれません……。……私が先行して状況を貴女に伝えます。貴女はここで応援の到着を待っていてくれませんか?」


 ヴァダースの提案に、シャサールは何を言い出すのかと目を見開く。


「アンタね、なに勝手なことを!」

「ええ、勝手かもしれません。ですが二人でここで待っていて、状況が変わるとも思えません。それに最悪の場合、私には右目コレがありますから」


 とんとん、と軽く右目を叩く。その堂々としたヴァダースのいで立ちに、シャサールは暫し時間をおいて、しかし納得してくれたようだ。盛大なため息をついてから彼の背中をとん、と押す。


「死んだら生きて帰ってきてよね。アンタのこと、実は結構気に入ってるんだからさ。それにアンタに何かあったら、アタシがシューラにどやされるんだからね?」

「ふふ、そうですね。でもまぁ、それも少し見てみたいんですが」

「馬鹿言ってないでさっさと行く!」

「はいはい、わかりましたよ」


 からかうように返事を返してから、息を吐く。そして閉ざされた扉のドアノブを掴み、ゆっくりと開く。途端に風に乗ってきた血生臭さの塊のような臭いに顔をしかめつつ、彼は地下修練場へと足を踏み入れた。


 地下ではすでに、訓練生たちの悲鳴の合唱が響き渡っている。阿鼻叫喚とはまさにこのこと。これは気を引き締めてかからないとならない、と小さく呟く。


「……さて、参りましょうか」


 まずは敵の正体を確認しなければならない。あの息絶えた男性の言葉は途切れ途切れだったが、おそらくは先日ここに運び込まれた魔物が産み落としたものが原因だろうと推察する。しかし化け物とはどういうことだろうか。

 確かに世間一般から見たら魔物は化け物だろう。しかし生まれてからすぐに人間を襲えるほど、化け物染みているわけではない。もしそんな生物が存在するのならば、そこには何かしら人の手が加えられている可能性が大きい。


 相手は世界保護施設。対象の実験などお手の物の集団だ。だからこそ、考え付いてしまう。彼らは魔物の腹に何かを仕込み、それを使って何かしらの実験をするのではないか、と。この仮説が立証されなければいいのだが、と考えながら辿り着いた修練場の広場。そこには、見るも悍ましい──それこそ、化け物と呼ぶにふさわしい──巨大な物体の姿が。

 まるで人の赤ん坊のように四つん這いをして、肉やら脂肪やらが詰まっているかのような太い手足は、白い暑い皮膚で覆われて。恐らく顔を思しき部分には、生物には存在するはずの目はなく。口はまるで、成獣のそれを植え付けたような裂かれ具合。そこから見える獰猛な牙は、それこそ魔物のよう。


 突然目の前に現れた未知な魔物に、ヴァダースは思わず言葉を失うのであった。

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