第十一節 闇の中の道しるべ
翌日、目が覚めたヴァダースは用意された訓練服で身を包み、昨晩シューラから指定された場所へと向かった。そこは修練場から少し離れた位置にある、個人練習用の小さなスペースだ。ヴァダースが到着した時にはすでに、シューラはその場にいて準備を終えていた様子だった。そこで彼女はまず最初に、全体での組み手練習に加わるのは基本的な立ち回りを身に付けた後だと、ヴァダースに告げる。
「何故ですか」
「ひよひよお坊ちゃんが習ってきた弱弱しい立ち回りじゃあ、この先とても心許ないのさ。徹底的にしごいてからじゃないと、すぐくたばりそうだって判断しただけだよ」
「ですからそのお坊ちゃんというのは……」
「いい加減慣れな。それに全体訓練に参加すりゃあ、アタシとは比にならないほど言われることになるんだ。それにいちいち反応してたら、キリないよ?」
「それは……」
納得がいかないように視線を逸らせば、シューラはため息をつきながら話す。
「昨日も言ったろ、ヴァダース。黙らせたいなら、圧倒的な力で屈服させな。誰にも何も言われないほどの力を付けりゃあ、ちったぁマシになるだろうよ」
「……わかりましたよ」
「はは、心がこめられてない返事だこと。まぁいいさ。……さてと。まずはアンタには、基本的な体術を学んでもらう。といっても、アタシも口で教えるのは苦手なんでね。実践しながら教えようじゃないか」
にやりと含み笑いを浮かべたシューラは次に、ヴァダースにある制約を告げた。
その内容は、右目の使用を禁止すること。彼女は制服のポケットからあるものを取り出すと、ヴァダースに差し出した。聞けば、ボス──ローゲ──が用意したものだという。右目の邪眼の力を抑えるための眼帯だとか。
「いくら強力な力だとしても、それにばかり頼るようじゃ天狗になっちまうし、アンタ自身が強くならなけりゃ意味がないからね。そいつはここから卒業するまでは決して外すんじゃないよ」
「天狗になど……」
「さぁどうだか。ここに来る前のことをちぃとばかり聞いたが、アンタはすぐにその右目で相手を殺そうとしてたらしいじゃないか。それは強い力に依存している証拠だ。言い換えりゃ逃げてるってことさ」
「……」
「カーサに正式に所属したいんなら、逃げないこったね」
「……わかりましたよ」
逃げるつもりはないのだが、と心の中で愚痴を吐きつつも眼帯を付け替える。今までつけていた眼帯では右目が重い感覚を覚えていたが、新しい眼帯に付け替えたとたんに軽く感じた。力を抑えている、というのは本当らしい。
眼帯を付け替えたヴァダースを確認したシューラは、話題を切り替える。
「じゃあまずは、どんな手を使ってもいいからアタシが止めっていうまでに、アタシに一撃入れてみな。掠るだけでも今回はよしとする。アタシは魔術は使わないが、アンタはなんだってしてみていいさ」
「それでなにがわかるというのですか」
「文句ばかり言いなさんな。新人の基本的な能力を図るためなのさ。言っとくけどアンタだけじゃなく、他の奴らだって最初は同じことしたんだ。まさか、自信ないのかい?」
挑発するシューラの言葉にヴァダースは反応する。ここまで馬鹿にされてしまっては、一撃食らわせてやりたいと思ってしまう。反抗的な目付きになったことに気付いたシューラは、彼から数歩離れたところで構えた。構えたといっても、手がポケットに入れられた状態であるが。
言われなくてもわかる。完全に舐められている、と。仕方ない、ここまで言われては引き下がれない。ヴァダースは数歩下がり、シューラと距離をとる。
まずは彼女にスキがあるかを窺う。構えらしい構えではない彼女は、一見すると脱力したように感じられる。
それを好機と睨み、一歩踏み込む。
踏み込んだ足を軸足にし、彼女を蹴り上げようと試みた。
しかし──。
「っ!?」
その足は空振りに終わる。ただその場に立っていたはずのシューラとの距離が、いつの間にか一歩分開いていたのだ。彼女は寸前まで微動だにしなかったはずなのに、何故。
「やっぱり、まだまだ甘ちゃんもいいところだ」
「な……」
「おいおい、まさかもう終わりなのかい?」
「っ、まだです!!」
神経を逆撫でするようなシューラの言葉に乗ってしまったヴァダース。改めて踏み込み、今度は彼女の空いている体めがけて掌底を繰り出すも──。
「アンタ、動きが素直すぎるんだよ。簡単に先が読めるってもんさ」
ぱしん、と片手で弾かれ、体勢を大きく崩す。その隙をシューラは見逃さない。棒立ちの状態から、ヴァダースの腹に強めの蹴りを入れた。
衝撃に一瞬息が詰まったヴァダースは、受け身をとれないままに数メートル先までシューラに蹴り飛ばされる。地面と衝突し、体の奥から生暖かい感覚を感じるとそのまま吐く。地面に広がった色は赤。吐血したようだ。
しかしこのままでは終われないと、苦し紛れではあるがヴァダースはマナを集束させ、放つ。
まだ貴族でいた頃に習った、射撃用の魔法の矢。習っていた先生からは免許皆伝をもらったほどの威力と精密さだが、果たして。
「へぇ、お貴族様ってのはこんなので満足してたのか」
向かってくる魔法の矢に対し、笑いながら対応するシューラ。彼女は手刀を構えると、その矢をなんと一刀両断していった。彼女の手刀に、魔力を付与している様子は感じられない。まさか肉弾戦だけでマナが集束された矢を叩き折るのか。
動揺するヴァダースを尻目に、とうとう彼女は自身に向かってきていた矢をすべて叩き割ってしまう。
「ぼさっとしなさんな!ここが戦場なら、アンタはもう死んでるよ!」
やたらと近い位置でシューラの声が聞こえると感じた直後。我に返ったヴァダースの目の前にはシューラがすでに合間に入っていた。そのことに気付いた時にはもう彼の胸ぐらは掴まれ、ぐいっと持ち上げられると地面に叩きつけられてしまう。
容赦ない彼女の動きに、ヴァダースは再び血を吐く。
そんなヴァダースを一瞥し、シューラは一つため息を吐いた。
「まったく……。こんなんじゃ先が思いやられるよ」
「貴女……子供相手に、大人げないじゃ……ないですか」
「はははっ、文句言うだけの根性はあるか。そこだけは認めてあげるよ。だけどねヴァダース、それが戦場ってものなのさ。特にアタシらみたいな外道にとっては、男も女も子供も年寄りもみんな関係ない」
「関係ない……?」
「そうさ。戦場で生き残るのは、賢い奴と強い奴。そんでもって
ふう、とため息を吐きながら彼女は胸ポケットから葉巻を取り出すと、気だるそうにふかし始めた。ヴァダースは体の痛みを堪えながらよろよろと立ち上がる。彼女はヴァダースに背を向けながら、話を続ける。
「口先だけ偉くなったって、中身が備わってないんじゃ意味がない。カッスカスの中身しかない蟹なんていい例さ。アンタは──」
彼女が振り返り、言葉を続けようとした瞬間を狙う。マナを集束させて作った即席のナイフを、彼女の首元めがけて突き付けた。一瞬だけ目を見開いたシューラだったが、にやりとあくどい表情を見せる。
「……アタシの言葉、ちゃーんと聞いてたみたいだね」
「ええ……。貴女はまだ、"止め"って言っていない……。まだ……終わってはいま、せんよ……!」
「そうさ、アタシは止めって言ってない。だけど、だからってアンタが有利だって考えるのはまだ早い」
それだけ言うとシューラはナイフを突きつけていたヴァダースの手を掴むと捻り上げ、彼の足に己の足を引っかけてヴァダースを転倒させる。
体勢を再び崩されたヴァダースは次の瞬間には、彼女に頭を地面に縫い付けられるような形で押えられた。悔しさに歯ぎしりするヴァダース。そんな彼を見下ろしてから、シューラはヴァダースを解放すると立ち上がる。
「だがまぁ、頭の良さと記憶力はさすがってところだね。大抵の奴はさっさと諦める奴も多いんだけど、アンタはめげなかった。めげないってことはいいことさ」
「こ、の……!」
「今日はもう"止め"だ。これ以上やったって、今日のアンタではアタシに一撃を入れるなんて到底無理なこった。諦めも肝心ってやつさ」
「まだです!僕は……ここで止まるわけには、いかないんですっ!」
ヴァダースはナイフにマナを付与させて、シューラに向かって投擲する。しかしそのナイフはいとも簡単に躱された挙句、彼女は指で挟みこむようにそのナイフをキャッチした。
「な……」
「はぁ。聞き分けのなってないガキの躾はゴメンなんだがねぇ、仕方ない。今のはアンタが悪いからな、ヴァダース。歯ァ食いしばるんだね」
そう言うなり、シューラはヴァダースの胸ぐらを掴み無理矢理に彼を立たせる。何をするつもりかと尋ねる前に彼女はヴァダースの腹部辺りに手を添え、小さく詠唱を唱えた。
「
直後、腹部で爆発が起きたかのような衝撃を受け、ヴァダースは宙を舞った。一気に体を圧迫されたような感覚に、息が詰まる。そのまま地面に衝突した彼には、今日の分の気力はもうなかった。悔し気に拳を握ろうとしたヴァダースに、シューラの声が降ってくる。
「ここにいる間はアタシの命令は絶対だ。次破ろうものなら、その時は忠告なしに殺すからね。今日はそこんとこ、しっかり頭に叩き込んでおきな」
ヴァダースが意識を手放す直前に聞こえた彼女の声。それは厳しくも憐れんでいるような声だった。
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