第十節 求められる忍耐

 それからヴァダースはローゲに連れられ、ある部屋へと向かっていた。

 ローゲは部屋の外に出る際に、フードを再び深く被りなおしていた。カーサのボスとはいえ、その手下たちは元は罪を犯した罪人たち。騙しや騙りを専売特許にしている者も多い。万が一その者たちから裏切りに遭った際、素性を割られないために予防策を講じなければならない、とのこと。そのための黒い外套にフードだと、ローゲはヴァダースに語る。

 ローゲも常にアジトの本部にいる、というわけではない。所用で外に出ることもあろう。その際に顔などの情報が割られてしまっていては、その行動に支障が生じてしまう。カーサはまだ、それほど強力な組織ではない。世界征服の目的を達成する前に組織が破壊されては、元も子もないと。


 一理ある。信頼と結束の薄い組織は瓦解しやすいが、他を圧倒する絶対的な強者が頂点に君臨しているのならば、その枠組みはそれなりに動くし成り立つ。その絶対的強者として君臨し続け、カーサという組織を強固なものにしていくためにも、ローゲの存在は絶対厳守を徹底しなければならないのだろう。


 当然、裏切り者は見つけ次第その場で殺処分であると忠告を受ける。ヴァダースはローゲの顔を知っている。ある意味で一番の命綱を握っているも同然。だから圧力をかける必要があった、というわけだ。裏切るものならいつでも切り捨てることができる、と。もっとも、この組織以外の場所でヴァダースがまともに生活できる場所は、皆無であるが。


 そんなことを思いながら、目的の部屋へとたどり着いたようで、中に入るように指示された。部屋の中には長い髪を頭の上の方で一纏めにしている女性が、静かに待機している。女性はボスが入室したことに気付くと敬礼した。

 ローゲが女性に声をかける。


「この子供が今回、新しく訓練生として所属する。指導は任せたぞ、シューラ」

「はっ」


 それだけ告げて、ローゲは部屋から退出する。残されたヴァダースと、シューラと呼ばれた女性。女性はローゲが立ち去ったことを確認すると、胸ポケットから葉巻を取り出す。慣れた手つきでライターで火を灯し、吹かし始めた。


「まぁ……そういうわけだ。アタシはアンタの指導役で訓練生共の教育係、シューラ・ブーゼだ。よろしくな、ヴァダースお坊ちゃん」


 茶化したような彼女の言葉に睨みつけるヴァダース。しかしシューラは動じず、けらけらと笑った。


「そう簡単に怒りなさんな、軽いジョークだろ。それに、これしきのジョークで簡単に怒るようじゃ、アンタはまだまだお子様だ。戦闘員になって任務を遂行したところで、行き着く先は精々魔物の腹ン中だろうよ」

「……」

「理解したようだな。返事がないのが生意気なところだが、まぁいいさ。まずはこの塔の中で、訓練生に与えられた場所を案内しようじゃないか。ついてきな」


 どこか楽しそうに笑うシューラは、しかしヴァダースの返事は聞かずに部屋から退出し、進んでいく。今は彼女に従うしかない。ヴァダースは置いて行かれないように後ろをついていく。

 まず案内された場所は、塔の地下にあたる場所だった。基本的に訓練生は、本部アジトの地下に作られたこの広大な地下空間でのみの移動しか、許可されていないとのことだ。この地下空間の中に、訓練生用の居住空間と修練場があるとのこと。


「基本的に部屋は二人一部屋だ。アンタと同室の人員は……残念なことについさっき、死人になったんでね。アンタの部屋は豪華な一人部屋だよ。恨まれないように注意することだ」

「死人になった……?」

「そう、文字通りの死人さ。……なんだいその顔は?ボスも仰っていたんだろう?最低限の安全は保障しようって。最低限というのはつまり、安心して寝れる場所の確保だけっていうことさ」

「それだけ、ですか?」

「おいおい、贅沢は言いなさんな。追われて逃げまどっていた罪人にとっては、最低限でも最高の施しだろう?天井がある部屋で枕を高くして寝れるってのは、総じて安心するものさ。わからないか?」


 彼女の言葉で、ヴァダースはイーアルンウィーズの森での生活を思い出す。樹木の空洞を利用していた。しかし空洞であるために雨が降れば濡れるし、気候の変化にも案外左右されるものだ。その時と比べれば確かに、最高の施しとやらだろうと考える。


「まぁ、今までふかふかベッドでしか寝たことのないお坊ちゃんからしたら、最低の空間だろうけどね」

「あの、そのお坊ちゃんというのはやめていただけますか。僕はもう、そんなものではありません」

「アンタ自身はそう思っていても、アンタの名前はそうは判断しない。名家ダクター家の跡取り息子ってのは、それだけでも名が知られている。ここいらにいる連中でも、知ってる奴は少なくない。しばらくの間はアタシ以外の連中からも、こういじられるだろうね」

「そんなの……ただの言いがかりです」

「真実だ。それが嫌ってんなら、力でねじ伏せてやればいい。誰もアンタにちょっかいかけることができないくらい、徹底的にね。そのための修練だ」


 ほら、とシューラはヴァダースに視線を送る。いつの間にか鏡張りになっている廊下に来ていた彼らは、そこから見える景色を見下ろす。

 鏡張りの廊下の下にはまた別の地下空間が広がっていて、そこでは訓練生と思われる人物たちが組み手をしていた。男も女も子供も大人も関係なく繰り広げられているその光景に、思わず息を呑む。


「ここで訓練生は日々修練に励むのさ。そして、月に二度行われる昇進試験で生き残った奴のみが、訓練生を卒業し晴れて戦闘員になることができる」

「昇進試験……?」

「まぁ、簡単に言っちまえばなんでもありの本気の組手さ。相手を降伏させるか、もしくは殺すかで勝ち残りのトーナメントを行う。そこで勝ち抜いた奴にだけ与えられる特権、それがカーサの正式な戦闘員という称号……って言えば、わかりやすいかね」

「殺しても許されるのですか?」

「殺されるのは軟弱である証だからね、いても足手まといになるだけだ」


 そう簡潔に告げて吐き捨てるシューラ。次に彼女は、ここでは弱肉強食のルールが成り立っているとヴァダースに告げた。


「アンタも知ってる通り、ここにいる連中は総じて罪を犯した罪人ばかり。中には思いがけずってこともあるが、そんなの関係ない。多かれ少なかれ、法に触れるようなことをしでかしたクズばかり。そんな奴らが、唯一従うものは何だと思う?」

「……権力?」

「フン、惜しいね。確かにそれも一理あるけど、もっと単純なものさ。……強力な力だよ、ヴァダース。強い力ってのは、それがあるだけで上に立てる」

「強い力って……。そんな単純なものですか?」

「強い奴だけ生き残り、弱い奴は淘汰される。頭のない罪人たちには、それくらいシンプルなのがわかりやすくていいのさ。奴らも、本能的に己が敵わない相手には喧嘩は売ろうとしない、自分の命大好きな馬鹿共だからね」


 万人にわかりやすいということはいいことだ、とシューラは笑う。


「それに、強い力を制するためにはより強い力が必要になってくる。その右目にいいように使われているうちは、アンタは弱いままだ。その右目の力を自分の意志でねじ伏せるだけの力をつけな、ヴァダース。それができれば、アンタは華だよ」

「そんなこと、できるんですか?」

「できるようにアタシが教育してやるんだよ。明日からその生意気な口がどれだけ叩けるようになるか、見物だね」


 そう言うとニヤリ、と人の悪い笑みを浮かべるシューラ。

 そして彼女は訓練場以外の場所も案内していく。居住空間内の部屋の位置や、シャワーブース、飲食スペースに休憩のための娯楽スペース等々。

 訓練生の一日はそのほとんどを修練に費やすのだという。食事は一日に2回、そしていくつかの規則もあるのだと。


 規則その一、許可された空間以外での行動禁止。

 これは地上恋しさに地下空間から地上に逃亡しようとする行為を禁止する、ということだ。地下空間のスペースには当然、太陽の光は差し込んでこない。あるのは電灯だけ。そんな中で、地上に戻りたくなる訓練生もいるのだという。

 しかし、自ら進んで悪になることを決めた人物が、そんな優柔不断であってはならない、とのことだ。違反者は即刻殺処分が言い渡される。


 規則その二、修練時以外の武器及び魔術の行使禁止。

 確かに修練の時は各々武器や魔術の腕を上げるために、それらの行動に制限をかけることはない。しかし限度や程度は必要である。いくら各々罪人同士とはいえ、組織に属する以上は集団行動も必須。そんな中で輪を乱す者は、組織にはふさわしくない。

 よって、それらを指定時間外に行使した者に対しては昇進試験の権利をはく奪の処分が科せられる。


 規則その三、待機時間中の犯罪行為並びに犯罪ほう助行為の禁止。

 厳しい修練の間に与えられる自由時間というのは得てして、油断が生まれるというものだ。一度犯罪に手を染めた人物が、再び罪を犯したくなる衝動に抗うのは、案外厳しいものであるのだ。しかしそこで甘えてしまっては、そこから成長することはできない。

 本能の衝動を抑え込む理性がない者は、それはもはやヒトではない。獣畜生と全く変わらない、とのこと。もし違反した場合はカーサから追放し、二度とその敷居をまたぐことは許されない処分を下す。


「これが訓練生への罰則事項になる。ちなみに、一人でも罰則を犯した人物が出た場合はそれは連帯責任となるから、注意しな。まぁ当事者以外の場合はそうさね、精々が不眠不休の訓練を言い渡されるくらいだろうけど……。そこで死んでも弔ってはやらないから、死んでも生きてから死ねよ」

「……わかりました」

「説明は以上だ。明日からは血反吐を吐くくらいしごいてやるから、最後の安眠の夜を楽しむことだね」


 シューラはヴァダースを彼の部屋まで案内すると、踵を返して廊下の奥へと姿を消す。残されたヴァダースはひとまず部屋の中に入り、用意されていた黒い制服に目を落とす。


 右目のこと、力のこと、カーサのこと。これから学ぶべき、身に着けていくべきことが数多くある。それでも、自分にはこの道しかもうないのだ。ならば、突き詰めてやる。従えてやる。支配してやる。それが唯一、自分に残された道ならば。


 心の中でそう、己に誓ったヴァダース。そしてそのあとはシューラの言う通り、最後の安眠をとるのであった。

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