第九節 用意された平穏
まだ他に誰かいたのか、とヴァダースは歯を食いしばりながら己の不注意に苛立ちを覚える。藻掻こうとするが、自分を押さえつけている人物は男のようだ。まったくびくともしない。
「抵抗するんじゃないよ。大人しくしてりゃあ怪我しないんだから」
「このっ……!はな、しなさい……!!」
「放すわけねぇだろ、異形の右目で暴れられちゃあこちとら命が危ないんでな」
「っ……!」
この右目のことを知っている、ということは。この人物たちはミズガルーズ国家防衛軍なのだろうか。それとも、世界保護施設の人間か。どちらにしろ、彼らに連行されるなんて冗談ではない。しかしこのままでは脱出の隙が無い。ヴァダースは体から力を抜き、無抵抗を彼らに示す。
「よし、聞き分けのいいガキだな」
自分を組み敷いていた男が押さえつけていた力を抜き、ヴァダースの体から移動しようとする。その一瞬のスキを、ヴァダースは待っていた。勢いよく振り返ると同時に右目の眼帯を外し、男を睨みつける。
「ガッ!!」
右目から放たれた衝撃波は男を吹き飛ばし、樹木へ叩きつける。目の前の人物──声からして女だということは分かった──には、手を突き出し魔術を放つ。女はその攻撃を難なく防ぎ、一つ毒付く。
「はは、やっぱりクソ生意気なお坊ちゃんだこと」
「黙りなさい。僕は、あなたたちの言うことには従いません!」
「威勢だけはいいじゃないか。けど、言ったはずだよ坊や。怒れば怒るだけ視野は狭くなるってね」
女が沿う言葉を告げた直後。ヴァダースの視界を黒い布が覆う。しゅるりと彼の両目付近にしっかりと巻き付いた布は、どう外そうとしても皮膚にぴったりと接着されているようだ。混乱するヴァダースに、先程の男とも女とも違う声が届く。
「そういうこと。残念だったねぇ、ホントは三人いましたとさ」
「こ、のっ……!」
「アンタの右目は確かにおっかねぇけど、認識されてないならどうとでも対処はできるんだよねぇ」
にしし、と男が笑う。そして別方向から、無事だったのか先程の男の声が聞こえてきた。この声からは若干の怒気が混ざっているように聞こえる。
「まったく、こっちが下手に出てやりゃあ調子乗りやがって。このまま連れていくつもりだったが、予定変更だ。ちぃとばかり痛い目見てもらうぜ?いいな?」
「しゃあないね、暴れられても面倒だし」
「けど、一発だけにしてやんなよー?本気出すとこの子、簡単に死ぬし」
「わぁってらぁよ。ちょっとした躾だっつの。……てなわけで、お坊ちゃんにはきついかもしんねぇけど、一発くらいな!」
3体1、しかも子供一人に対して大人三人では太刀打ちなんて到底できなかった。最後に理解できたのは、男のいる方角にマナが集まっていく感覚。そして──。
「
強い衝撃だけだった。まるで空気を圧縮して作られた塊が、体の直撃する。子供の体に対してその衝撃は凄まじく、ヴァダースはいとも簡単に吹き飛ばされ樹木へと激突する。そのまま倒れ伏すと、痛みで意識がブラックアウトするのであった。
******
それから、どのくらいの時間がたったのだろうか。次に目を覚ますと、黒い天井が自分を見下ろす光景が広がっていた。
初めて見る場所だ、どこかの地下牢だろうか。それにしては、何か柔らかいものの上に寝かされていたようだが。体を起こしてみる。意識を失う前に感じた体の痛みは、今は一切感じない。どういうことだろうか、いったい何が起きている。混乱するヴァダースの横から、ある男性の声が聞こえてきた。
「目を覚ましたか、ヴァダース・ダクター」
「っ……!?」
声の聞こえるほうに振り向けば、そこには目深にフードをかぶっている男性が、彼を見下ろしていた。男性から発せられているオーラからは本能的に恐怖を感じ、ヴァダースは思わず息を呑む。しかし何故だろう、その声がとても聞き覚えのある声に聞こえる。
「安心するといい。少なくとも私は、お前を殺すつもりも尋問するつもりもない。ただ、お前に話があるだけよ」
「……」
「どうした、まさか聞こえていないとでも言うつもりではあるまいな?」
「あなた……ローゲ医師、ですよね?声色を使っているつもりでしょうが、その声には聞き覚えがあります」
ヴァダースの質問は、問いかけというより確認の意味合いが近かった。そう、目の前の人物の声は若干低めではあるが、間違いないと彼は確信した。その声の人物の正体は、自分の右目の状態を診ていたあのローゲ医師だと。
ヴァダースの問いかけに少々時間をおいてから、男はくすくすと笑う。
「……さすが、堕ちても音楽家の血を引く少年。絶対音感を持ち合わせていたか」
観念したような言葉を吐いた男性がフードを外す。見間違いない、緋色の髪に暗い血のような赤い瞳。ヴァダースの主治医だった、ローゲ医師その人だった。あの時とは若干顔つきが異なるが、何故今また彼が己の前に現れたのだろうか。
「久しいな、ダクター。一年しか経っていないが、随分と雰囲気が変わったようだな。まぁ無理もない、あの惨劇を引き起こしてからはそうならざるを得んか」
「あ、あなたは……知っていたのですか!?この右目のことを!!この右目のせいで、今まで散々な目に遭ってきました。あの時真実を教えてくれれば、僕は!!」
「家族を殺さなくて済んだのに、か?それは結果論にすぎんよ、ダクター。遅かれ早かれ、お前の結末は一緒だった。それに、言ったではないか。呪いの魔物から受けた傷の可能性もある、とな」
「っ、そんな……それでも……!」
「早合点はよせ。それに私はお前に、こうも告げたぞ。もしその魔物から受けた傷だったときは、呪いなんて吹き飛ばすほどの力とともに全力でキミ守ろう、とも」
ローゲの言葉の意味が分からない、とヴァダースはローゲを睨む。その視線に答えるようにローゲはまず彼に、今ヴァダースが置かれている状況を説明した。
ここは、ヴェストリ地方にある山岳地帯の一角、黒い森と山岳に囲まれた都市ヴァーナヘイム。その街に立つ、黒い塔の最上階の部屋。そしてこの塔は、国家犯罪組織カーサの本部だと。
「カーサ……!?」
「ああそうだ。お前も知識としては知っていよう?私たちは、魔物を従えて世界征服を企む、国際的犯罪テロリスト集団だ。ここに所属している者たちは全員、国際的に指名手配されている大罪人たちなのだよ」
「それがどうして、僕を守ることと繋がるんですか!?」
「お前は自覚しているはずだが?自分が、懸賞金をかけられるほどの大罪人になってしまっている、と」
「っ……」
ローゲの言葉に、息も言葉も詰まる。悔しいが、それは事実だった。悪意はなかったとはいえ、無辜の命を踏みにじりミズガルーズの軍人さえも殺し、挙句の果てには逃亡しているのだ。それが大罪人といわずに、なんと呼ぼうか。悔しさに思わず手を強く握る。そんな彼を見ながら、それでもローゲは淡々と語った。
「それに、確かにカーサは国際的犯罪組織ではあるが……果たして私たちだけが大罪人と呼べようか?私たちよりももっと罪を犯している人間は、他にも多くいるのにもかかわらずに」
「何が言いたいんですか……自分たちは、まっとうだとでも……?」
「そうは言わん。だが見覚えはないか?善人の皮を被った悪人に、いいように利用され裁かれることに」
その言葉で、ヴァダースは自分が叔父たちに裏切られたことを思い出す。
ローゲは、そのように善人に利用され捨てられ罪を犯した罪人たちをまとめ、カーサを設立したと話す。
「私は世界征服というお題目を隠れ蓑に、そのような愚かしい人間たちに鉄槌を下すためにカーサを作り上げ、今日まで活動している。お前を引き抜いたのは、まぁ情もある。この組織にいる限り、罪人共は追われる必要も苦しみ喘ぐ必要もない。必要最低限の安全は保障しよう」
「……」
「その代わり、戦闘員になってもらう必要はあるがな。カーサだって保護施設ではない、働かざるもの食うべからずだ。そこには子供も大人も関係ない。これは社会とやらのルールらしいからな」
どうだ、と尋ねられるヴァダース。どうだと言われても、選択肢などあってないようなものだ。ここから逃げ出せば、また逃亡と殺人の日々が待っている。いつ捕まってしまうのかという恐怖を抱く生活に、戻ってしまう。
もう自分は罪を犯した大罪人。ここ以外のどの世界にいても、平穏が得られないというのなら。これしか、選択肢はないではないか。たとえそれが、目の前の男に敷かれたレールの上だとしても。今の自分には、それしかできない。
ヴァダースは拳を強く握りしめ、ローゲに伝える。
「……わかりました。それしか、道がないのなら。僕はカーサの戦闘員になりましょう。たとえ、あなたに利用されているとしても。少なくても、見知らぬ誰かに利用されるよりは多少はマシですから」
「そうか、悪に染まりきる選択を選んでくれたか。ならば我らカーサは、お前を歓迎しよう、新たな戦闘員としてな」
これが、名家ダクター家の一人息子から世界的テロリストへと生きる道を変えた、ヴァダース・ダクターの選択肢であった。
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