第八節 落ちた品格

 それから、実に一年という月日が経った。その人物たちは黒い外套で身を包み、ある街から出ようとしていた。彼らには、探している尋ね人がいる。なんでもその人物は、一年前に集団殺人をした大罪人だとか。しかも一瞬のうちに、ある場所にいた人物たちを死に追いやったそうだ。魔物をけしかけたわけでなく、ある特殊な力を使ったのではないか、そう噂されている。


「しっかし、灯台下暗しってのはこのことかね。まさかこんな近くの森に潜んでやがるとは」


 集団、といっても三人組のその人物たちのうちの一人が、呆れたように言葉を漏らす。彼らは今、その尋ね人が潜伏しているという森に来ていた。アウストリ地方に存在するその森の名は、イーアルンウィーズの森。良質なマナが空気中に漂うその森は、多くの生物が存在している。それと同時に、森の奥には魔物たちも潜んでいるのだ。尋ね人はどうやら、そこにいるらしい。


 尋ね人を探しているのは、彼らだけではない。大罪人が殺した被害者の中には、あの世界の指導者ミズガルーズが所有する、ミズガルーズ国家防衛軍の軍人も含まれていたのだ。一般人による軍人の殺害は死罪に当たる。そのことで、ミズガルーズからは手配書が配られた。しかし今だに、彼らはその犯人を捕らえることができていない。

 また、それとは別の手配書も裏社会の間で回っている。懸賞金が記されているその手配書には、その人物に10憶クローネの金額が記されていた。そんな大金目当ての野党や盗賊団も、その大罪人を探し求めているらしい。

 そして最後に、世界保護施設の人間たち。彼らは過去に一度、その大罪人と接触することができたと聞いている。その人物の叔父にあたる人物の協力を仰いだことで確保することはできたらしいが、残念なことにその場で叔父もろとも大罪人に惨殺されてしまった、とのこと。彼らは大罪人が宿している"力"を解明したいという欲望を叶えるため、世界中を探している。


「まぁ、それは俺らだってそうだったんだから仕方ねぇだろうよ。まさかこんな近くにいるたぁ普通は思わねぇ」

「相手はまだ子供だけど、油断しないようにしなさいよ。なんたって、異形の力の持ち主なんだから」


 先にぼやいた男に答える残りの二人。彼らは森の中を迷うことなく、目的地へと進んでいく。彼らは、大罪人がどこに潜んでいるか事前にわかっているようだ。


「しかし、ボスも何をお考えなのかねぇ。殺すんじゃなくて捕獲しろだなんて。まさか組織に入れるつもりか?」

「さぁ、それは私らが考えることじゃないよ。でもまぁ、いいように教育できれば使い物にはなるんじゃないの?」

「へっ。温室育ちのお坊ちゃまなんて甘ちゃんもいいところだ。もし俺らの組織に入るんだったら厳しく指導してやらぁよ」


 雑談を交わす彼らの足が、ふと止まる。どうやら視線の先に、目的の人物がいたことに気付いたようだ。彼らは目くばせをして、三方に散る。


「やっと見つけたよ。大罪人ヴァダース・ダクター……!」


 三人組のうちの一人の女が、静かに呟いた。


 ******


 ヴァダースは今は、樹に体を預け休息をとっていた。あれから、今日で何日が立ったのだろうか。もうそれを考えることは億劫で、随分前に数えることはやめた。


 一年前、叔父たちの裏切りにあった夜。彼は感情のままに右目を使い、叔父やその妻、そして自分を買い取りに訪ねたという世界保護施設の人間も殺した。そこで彼は気付いたのだ。自分にはもう、頼れる人は誰もいないのだと。そして、やはりあのコンサートホールの殺人は、自分がやってしまったのだ、と。


 ミズガルーズへ出頭することも最初は考えた。しかし彼は幼いながらも、薄々と感じていた。軍人を殺しておいて、普通に生きていられるはずはない、と。軍に捕まれば、自分がどうなるかわからない。世界保護施設だってそうだ。彼らとは初対面だったが、とても好印象を持てる相手たちではない。


 親もいない、親戚もいない、頼ろうと思った人には裏切られ、殺してしまった。

 ならばもう、身分も何も隠して一人で生きていくしかないではないか。このまま誰かに殺される前に、自分の身は自分で守らなければ。

 そう考えたヴァダースは、まずは叔父の家から使えそうなものを盗んだ。食料も保存が利きそうなものをくすめた。衣服はヴァダースのサイズの服はないが、破いたり縛ったりすれば、それなりに着ることもできるだろう。余った布は、傷を塞ぐための包帯代わりにもなる。


 そして夜もだいぶ更けたころを見計らって、ヴァダースは叔父の家から脱走。そのまま最初は街のほうへ出ようとしたが、ふと足を止める。

 幸か不幸か、自分は名家ダクター家の一人息子ということで顔が割れている。このままひとたび街へ出てしまえば、すぐさま街を保護している憲兵に引き渡されてしまうのがオチだ。それに叔父たちは彼に、自分には5憶クローネの懸賞金がかけられていると告げた。5憶クローネ。性格を変えてしまうほどの大金だ。万が一盗賊などに見つかってしまえば、自分はたちまち殺されてしまうだろう。ならばもう、逃げ道は一つしかないではないか。


 踵を返し、ヴァダースは近くのイーアルンウィーズの森へと向かった。森の奥は入り組んでもいる。そう簡単に見つかることはないだろう、と。しかし問題点が一つある。それは、森の奥に棲んでいる魔物たちだ。

 確かにヴァダースは魔術の鍛錬もしていた。使えない、というわけではない。しかし彼が学んでいた魔術の用途は、せいぜいが狩り用のもの。魔物との戦闘に特化したものではない。それでも、人間たちに殺されるよりはましか、と。


 森の奥へと進んだヴァダースの目の前には、やはり獲物を見つけたといわんばかりに魔物が現れる。ぐるる、と呻き声をあげる魔物たち。森の奥に入った途端の絶体絶命な状況に、思わず失笑が零れたほどだ。

 しかし、敵意に満ち満ちたその目に睨まれると、妙に右目に痛みが走る。まるで右目こちらの瞳で彼らを見ろと言わんばかりに。痛みは鋭さを増す。それでも魔物たちは関係ない、とじりじり近寄ってきている。タイミングを見計らい、ヴァダースの余裕のない様子に一気にとびかかる。


 その瞬間、眼帯を外したヴァダースが目を開き顔を上げる。そこから発せられた衝撃波のようなものは魔物の一体を、容赦なく襲う。勢いそのままに樹木に叩きつけられた魔物は、やがて絶命。

 それから少しして、その様子を見たほかの魔物に変化が生じる。あれほど釣り上げていた目が垂れ、尻尾も耳も下を向く。本能的に、ヴァダースに逆らうことを危険と判断したのだろう。そのまま魔物たちは尻尾を巻いて、森の奥へと姿を消すのであった。


「……人間より、よっぽど素直だな……」


 ひとまずこの忌まわしい右目がある限りは、魔物たちからの被害を受けることはなさそうだと理解したヴァダース。それから程よく洞穴が開いている樹木を見つけた彼は、そこで生活を送ることにしたのだった。


 幸いなことに、そこは良質のマナが空気中に多く漂う芳醇の森だった。狩りをすればウサギなどから肉を摂取することもできたし、森の中に流れている川から魚も獲ることができていた。屋敷に暮らしていた時とは天と地ほどの差がある生活になってしまったが、今の自分が安心して生活できる場所は、もうここくらいしかないのだ。そして見知らぬ人間の手に殺されるのだけは、どうしても嫌だった。だから逃亡したのだ。誰かに利用されるのも、裏切られるのも、もう懲り懲りだ。

 それが、事件発生から今日までのヴァダース・ダクターの生活だ。


 はあ、とため息を一つつく彼の近くに、とある人物が近付いてきた。黒い外套で身を包んでいたその人物は、明らかに不審者だ。ヴァダースは一気に警戒心をむき出しにする。黒い外套の人物が口を開く。


「ヴァダース・ダクターだね。悪いけど、アンタには一緒に来てもらうよ」

「……お断りします」

「アンタの意見は聞かない。これは決定事項なんでね。あんまり言うこと聞かないようなら、痛い目見ることになるけど」

「うるさいですね、僕のことは放っておいてください」


 どうにも高圧的な相手の態度にヴァダースは苛立つ。顔を逸らして言葉を吐き捨てれば、その人物はくつくつと笑う。何がおかしいのかと睨み付ければ、わざとらしく肩をすくめるジェスチャーを見せた。


「おお、怖い怖い。怒っちゃったかな?ヴァダースお坊ちゃん?」


 その物言いの無神経さにいよいよ腹が立ったヴァダースは立ち上がり、黒い人物に向かって怒りをぶつけた。


「いい加減にしてください!なんなんですかあなたは!」

「ははは、冗談も受け流せないってか?その目の力は恐ろしくても、やっぱりまだまだお子ちゃまだねぇ……それに、怒れば怒るだけ視野は狭くなるよ。これは今のうちに覚えておきな?」


 その言葉が聞こえた直後、ヴァダースの足元で何かが炸裂する。気付いた時には閃光が放たれ、あまりの眩しさにヴァダースは目を覆う。その隙をついてか、ヴァダースは誰かに地面に組み伏せられた。

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