第七節 永久の夢は終わった

 コンサート会場から逃げ出したヴァダース。会場内にまだ誰かいないかと走り回り、そういえば入り口にマエストンがいたことを思い出す。会場内にいない人なら無事なはず、と。そんな祈りにも近い期待を胸に、マエストンを探す。

 全速力で走り会場の入り口付近まで戻ってきたときに、倒れていたマエストンの姿が目に入る。


「マエストン!!」


 倒れていたマエストンに近付き、体をゆする。しかしやはり、一向に動こうとしない彼。まさかと嫌な予感を覚えつつ、仰向けにして顔を見る。視界に入ってきたマエストンの表情に、言葉を失う。


 彼の顔もまた、絶望を張り付け苦しみ悶えた色を表していた。


 いよいよヴァダースに絶望が襲う。

 どうしてこんなことになった。

 どうしてみんなは死んでいる。

 何もしてないはずなのに。

 何も裁かれる理由なんてないはずなのに。

 自分が何かしたのか。

 自分はただ、眼帯を外しただけだ。

 そう、自分がしたことはそれだけなのに。

 どうして、どうして、どうして──。


 なぜ、と自分へ問いかけながら虚ろに視線を横に逸らす。このコンサート会場の壁の一部は鏡面仕様になっていて、己の姿が鏡に映ったかのように映し出される。そこでヴァダースは、自身の姿に変化が生じていたと初めて知ることになる。


 眼帯の外れた右目周辺の傷は、確かに塞がっている。傷跡は多少残っていても、時間の経過とともに薄れていく。そんな些細なことよりも、彼は己の右目に注目せざるを得なかった。

 白目の部分は真っ黒に染まり、眼球部分が月のような美しい金目から、紫に変化している。瞳孔の部分は血のような赤に変わり、蛇の目のように鋭い一直線に線が入っていた。人間としてはあり得るはずのない姿に、恐怖に駆られる。


「そん、な……これが、僕……!?」


 ガタガタと震える唇からようやく言葉が漏れた直後、ひとりでに右目が蠢き、まるで笑ったかのように歪む。一気に恐怖が全身を襲うが、頭はどうにか動いていたようで、体に逃げろと指示を出す。鏡に映った自分から逃げるように、ヴァダースはコンサート会場の外へと出た。


 会場の外に出たヴァダースは、目の前に広がる光景を見て己の目を疑った。会場周りを警備していたはずのミズガルーズ国家防衛軍の軍人たちが、一様に地面に伏せている。彼の耳に入ってきたのは風の音だけ。恐る恐る倒れている軍人の一人に近付く。軍人は胸のあたりを抑え、やはり目を見開いたまま絶命していた。


「う、そだ……嘘だ、嘘だ嘘だ、嘘だぁああっ!!」


 一人叫び、ヴァダースは行く当てもなく逃げることしかできなかった。彼は一瞬にして友人も、従者も、お目付け役も、そして家族までも。そのどれも失ってしまったのであった。


 しかしそんな彼にも、叔父にあたる人物がいた。その人物は幸いにもそのコンサート会場から、割と近い場所に屋敷を構えている。そして叔父とその妻も、ヴァダースのことを愛してくれている、優しい人物だ。叔父のところへ行けば、ひとまずの安全は得られる。子供の足ではどれくらいかかるか予想はつかない。それでも一人よりはましだと考えたヴァダースは、藁にも縋る思いでそこを目指すことにしたのであった。


 ******


 それから3日程時間が経ったということは、叔父の家に到着した後で分かったことであった。ようやく目的の家を見つけたヴァダースは、ふらふらとした足取りながらもドアの前まで辿り着き、ドアベルを鳴らす。すると数分もしないうちに扉が開かれ、叔父の妻であるベトゥーが出迎えに来た。彼女は、訪ねてきた人物がヴァダースがとわかると、彼を抱きしめる。


「嗚呼、ヴァダース!よかった、無事だったのね!?」

「ベトゥー、おばさま……」

「可哀想に、こんなに汚れて……!まずはお入り。ゆっくり休んでね。あなた、あなた!」


 ベトゥーはヴァダースを家の中に招き入れながら、屋敷の奥に向かって叫ぶ。すると彼女の声に反応してか、一人の男性が屋敷の奥から姿を現す。その人物こそ、ヴァダースの叔父であるガオナである。ガオナもヴァダースに気付くと、血相を変えて彼に近付いた。


「ヴァダース!よかった、無事で……!」

「ガオナ、おじさま……ぼ、く……」

「ああ、わかっている。話は、ミズガルーズ国家防衛軍から聞いた。魔物に襲われたところ、よく生き残ってきてくれた……!さぁ、まずはゆっくり休みなさい。落ち着いたら話を聞こう」

「は、い……」


 その後ヴァダースは客室を借り、ベトゥーから体や髪を洗われ、ベッドで休むことになった。疲労困憊だったヴァダースは丸一日眠っており、ガオナの家に辿り着いてから二日経ってようやく、落ち着いて話ができるまでに回復した。

 ガオナたちと昼食後を食べた後、ヴァダースは何があったのかを彼らに説明していく。ただ、自分が殺してしまったかもしれないということは、恐ろしくて言葉にすることができなかった。あくまでガオナが言うように、魔物たちに襲われたと説明するしかない。


 自分だけが助かってしまったこと、助けも呼ばずに逃げてしまったこと、それらを後悔していること。それらを吐露し終え涙を流すヴァダースに、ガオナたちは優しく言葉を紡ぐ。


「そんなに自分を責めなくともよい。子供なのだ、怖くて混乱することは当然のことよ。私たちはお前を責めたりしない。生きてここに来てくれたことが、本当に嬉しいのだ」

「ガオナおじ様……」

「そうよヴァダース。あの二人もきっと、貴方が助かったことを誇りに思ってくれるわ。だから泣かないで、ね?」

「ベトゥーおば様……」


 二人のやさしさに触れたヴァダースは、堪えきれずにボロボロと泣き始める。そんな彼を慰めるガオナとベトゥー。ひとしきり泣いた後、緊張の糸がふっと切れてしまったのだろう。ヴァダースは夕飯ができるまでぐっすりと眠っていた。


 その後の夕食の時間は、久しぶりに穏やかな気持ちで過ごせたような気がした。こんな形ではあったが、久々の叔父とその家族との再会に会話も弾んでいた。しかし楽しい時間はあっという間に過ぎるというもので、もう就寝しなければならない時間まで夜が更けていた。


「なぁヴァダース。明日は出かけてみようか。いい場所があるのだよ」

「本当ですか?」

「ええ。きっと、貴方も気に入るはずよ」

「そうなのですね……!楽しみです!」

「だろう?そうと決まれば、今日はもう寝なさい」

「はい。おやすみなさいガオナおじ様、ベトゥーおば様」


 笑顔で就寝前のあいさつを交わし、ヴァダースは客室へと向かった。ベッドに入り床に就こうとしたが、昼間に寝てしまったせいか中々寝付けない。どうしたものかと困り果てるが、ひとまず目を閉じていればそのうち眠れるだろうと考える。


 それから、どれくらい時間が経っただろうか。まどろみに片足が浸かっている状態のヴァダースは、部屋に誰かが入ってきた音に耳を澄ませる。ガオナだろうか、ベトゥーだろうか。それにしては、聞こえる足音が多いような気がする。

 気になるが、起きないほうがいいかもしれないと判断したヴァダース。その分、聞こえてくる音を鮮明に拾おうとした。


 最初に聞こえてきたのか、ガオナの声だった。


「……寝ているか?」

「……ええ、ぐっすりと」

「よし……。では、頼みますよ」


 ガオナが誰かに声をかけた瞬間。ヴァダースの体を包んでいたシーツが何者かに剥ぎ取られ、ほかの誰かに腕を引っ張られる感覚と痛みに目を開く。


「いった……!え、なに!?」


 混乱し、暴れようとするヴァダースを誰かがベッドに押さえつける。何が起きたのかわからず、ひとまず顔を上げた。いつの間にか部屋の明かりは点されていたのだろう。部屋は明るく、誰がいるのかがはっきりと見えた。彼の視線の先には、笑顔のガオナとベトゥーが。にんまりとした瞳で彼を見下ろす姿に、恐怖すら感じ恐る恐る声をかける。


「おじ様、おば様……?なにを……?」


 ヴァダースの問いかけに答えたのはガオナだ。そして彼の口から発せられた信じられない言葉に、ヴァダースは目を見開くことになる。


「悪く思わんでくれな、ヴァダース。私たちはお前を、世界保護施設に売り渡すことにしたのだ」


 ガオナの言葉が、いやに脳内で反響する。

 売り渡す?誰を?自分を?


「お前がコンサート会場の人間を殺したことは、ミズガルーズ国家防衛軍から聞いていた。それを聞かされた私たちは、もしここに来るようなことがあったら知らせてほしいと、彼らに頼まれたのだ。殺人の容疑で連行するためにな」

「けれど、それから私たちのもとには世界保護施設の人たちが来てこう話してくれたのよ。聞けば貴方の首には、5億クローネの懸賞金がかかっているそうじゃない。だから主人と話し合って決めたの。そのお金と引き換えに、貴方を売ろうってね」


 ガオナとベトゥーから発せられる言葉に、ヴァダースは思わず言葉を失う。

 信頼できると思った親戚からの突然の裏切りに、彼の頭は混乱を極めていく。抱きしめてくれたことも、笑いかけてくれたことも、全部嘘だったのだろうか。すべて自分を欺くためだけの、演技だったのだろうか。


 そう考えていくうちに、心の中に闇が広がっていく感覚を覚えるヴァダース。


「5億もの大金が手に入るチャンスなど、もう二度と回ってこんからな。お前には悪いが、私たちにも生活があるのだ。諦めてくれ」

「貴方が経験できない贅沢を、私たちが代わりに楽しんであげるからねぇ」


 にやにや、と笑いが止まらないらしい二人の卑しい声が耳障りだ。ベッドに顔を押し付け、ゆっくりと頭を揺らす。つけていた眼帯が、ずり落ちていく。


「……る、さい……」

「どうしたヴァダース?なにか言いたいことでもあるのか?」

「うるさい……うるさい、黙れ!!あなた達なんか、もう僕には必要ない!!僕の前から消えろ!消えてしまえ!!」


 ヴァダースは顔を上げ、そう叫ぶ。右目を開き、視界に映りこんでいたガオナとべトゥーを睨みつける。一睨みされた彼らは、悲鳴を上げ藻掻いていく。尋常ではないと、部屋の中にいたほかの人間が気付く。しかし彼らが動くよりも先に、ヴァダースが彼らを睨むスピードのほうが速かった。


 10分もたたず、その屋敷にいた生物すべてがヴァダースによって絶命する。静寂となった空間に、一人残されたヴァダース。彼は何も言わずに眼帯を付け直すと、そこから逃走するために準備に取り掛かるのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る