第四十九節 不信感

 中間成績発表があったその日から、スグリはヤクの様子に違和感を覚え始めていた。時折表情には翳が差し、以前のように笑う回数が少なくなったようにも思える。そこに加えて──。


「なぁヤク、この間のことなんだけど……」

「すまない、私は今それどころじゃない」


 これだ。この、まったくらしくない言葉遣い。似合っていないにも程があるうえ、何処か肩肘を張っているように思えて気持ちが悪い。数日前まではこんな、壁を感じさせる喋り方はしていなかった。中間成績発表の時に、他の士官学生と何かあったのだろうか。


「その喋り方、似合ってないぞ」

「似合う似合わないの話じゃない。これから先軍人になったら、正式な場に出ることも多くなるだろうから。今から、慣れておいてもいいだろう?」

「いつの未来の話してるんだよ。それに、そんなに今から準備しなくても……」

「私のことはいいから。……実技訓練に遅れると悪いから、先に行く」


 それだけ告げられ、ヤクは足早に部屋から出てしまった。ヤクを呼び止めようとした手が、虚しく空を切った。明らかに様子がおかしいが、何度問いただしても大丈夫だとはぐらかされるだけだった。では自分が彼に何かしてしまったのかと尋ねても、そうではないと返される。

 一人で何かを抱えていることは確実だが、ヤクがここまでスグリに隠し通そうとするのは、初めてのことだ。雰囲気が変わった後も一応は自主練習も予習復習も、今まで通りに行ってはいるものの。どうも目の前の人物が、ヤクとはまったくの別人に思えて仕方がない。鬱屈とした気持ちをため息に乗せて吐き出してから、スグリもその日の実技訓練の場所へと向かうのであった。


 それから一週間後。その日の実技訓練終了時、最後に教官から全体通知があった。明日からの三日間は施設内グラウンドや校舎内施設の整備があるので、強制的に休校日になる、とのことだ。自主練習なども厳禁とのことで、士官学校入校日以来の休日になる。士官学校での生活もそろそろ半年になるが、一度しっかりと休み、英気を回復するようにと通達を受けた。

 解散後、士官学生たちは久々の休日ということもあり、休日の過ごし方についての話に花を咲かせている。部屋に戻る途中で、スグリも彼らと同じようにヤクに話題を振った。


「何にもない休日だなんて、本当に久し振りだな」

「っ……」

「ヤク?」

「え?あ……なんだ?」

「なんだって……休日、楽しみだなって。話聞いてたか?」


 スグリの言葉に、聞いていたと明らかな嘘を吐かれる。顔色が悪くなっていることを問いただしたかったが、またはぐらかされるだけかと言葉を飲み込む。しかし彼の様子が変化した原因をこのまま追究しない、というわけではない。アプローチを変えてみようと、スグリは話題を変えた。


「なら、折角だしルーヴァさんたちに会いに行こうぜ。入校日以来一回も帰ってないから、久々に顔見に行ったりとかさ」

「……すまない。私は、遠慮しておく」

「は?」


 まさかの返答に、いよいよスグリの混乱は頂点に達しようとしていた。一方のヤクはそんなスグリの混乱なぞいざ知らず、自分たちの部屋に入る。


 ヤクの目標はルーヴァであり、そんな彼に対して憧憬の念を抱いていることを、スグリは知っている。優しく自分たちを見守ってきてくれたルーヴァの存在は、スグリはもちろんヤクにとっても大きいと言っても過言はない。

 入校日の前日まで、あれほど懇意に接してくれた彼に、会いたくないとヤクは告げた。いつのもヤクならばあり得ないと言わざるを得ない状況に、混乱しないわけがない。ヤクを問い詰める言葉の語尾も、心なしか強くなってしまう。


「なんでだよ?自主練習は厳禁だってお達しだったじゃねぇか」

「私だけじゃなく、他にも数名の士官学生には特別訓練がある。だから無理だ」

「いつ?」

「この三日間も含めて」

「それを信じろってか?なに隠してるんだよ」

「隠してなんかいない」


 ため息をついてから、ヤクはシャワー室へ向かうための準備を始める。その態度がまるで自分に逆らっているかのように思えて、思わず拳に力が入った。


「俺の顔を見て言え」

「どうして私の言葉を信じてくれないんだ」

「信用に足るものがない。それにルーヴァさんに会いに行くことよりも、訓練の方が大事だって言いたいのか」

「……私一人が休むと、他の士官学生にも迷惑がかかる。個人の勝手で全体に迷惑をかけるわけにはいかない」

「そんな訓練があるかよ」

「お前が知らないだけだ」

「言わないからだろ」


 スグリの言葉に返ってきたのは沈黙。ヤクはこれ以上自分と話していても無意味だと悟ったのか、再びため息をついて部屋を出ようとする。逃がしてたまるか、スグリはヤクの腕を掴む。


「……放してくれ」

「嫌だ」

「放せ」

「逃がしてたまるか」

「……逃げてるつもりなんてない」

「嘘つけ」

「嘘じゃない……それに、訓練のことも嘘なんかではない……」

「ならその訓練ってやつの内容を教えろ」

「秘匿事項だ……教えられない……」


 煮え切らない態度のヤクに、いい加減苛立ちが募る。どう質問しても毎回はぐらかされるだけで、それこそ話にならないと判断した。真面目に問答することが馬鹿馬鹿しくなり、そうかよと投げやりに腕から手を放す。


「……明後日だ」

「え?」

「俺は明日の休みから孤児院に行く。そこでルーヴァさんに会って、お前と会う約束を必ず取り付ける。だから絶対に来い」

「そんな、勝手な!」

「先に勝手をしたのはお前の方だぞ。文句は言えない立場のはずだ」

「それは……」

「……先にシャワー室行けよ。今日はもう、お前と話したくない」

「っ……」


 冷たく突き放されたヤクは一瞬だけ傷付いた表情を見せるも、すぐに踵を返して部屋から出ていく。しん、と静まり返った部屋の中、一度強く壁を殴りつけた。どうしようもない感情が、スグリを苛む。


「なんでだよ……あの大馬鹿野郎……!」


 苦々しく吐き出した言葉はしかし、誰に聞かれるでもなく虚しく部屋に溶けるだけだった。


 翌日。いつも自主練習のために早起きしている習慣が身についていたためか、思ったより早い時間に目が覚める。いつもならヤクと共に朝練をするためにグラウンドへ向かうが、今日からの三日間は使用禁止だ。

 二度寝しようとも考えたが、目が完全に冴えてしまっている。仕方なしと、考えていた予定よりも早く街に向かおうと、準備に取り掛かった。二段ベッドの上、ヤクが寝ているであろう場所を一瞥する。


 昨晩、ヤクがシャワー室から帰ってきたタイミングでスグリはシャワー室へと向かったのだ。その後シャワーを浴びて部屋に帰ってきたときには、すでに部屋の中にヤクの姿はなかった。

 本当にあの後、二人は一言も言葉を交わさなかった。今はどうやら眠っているらしく、規則正しい寝息が聞こえる。起こしてやろうという気にもなれなかったスグリは、自身の愛刀と必要最小限の荷物だけ持って宿舎を出た。


 街は顔を見せ始めた太陽に照らされ始めていた。士官学校の敷地内から出て、以前住んでいた孤児院に寄る前に、ある場所へと向かう。目的地は大通りから少し離れたところにある高台。街の景色を見下ろす形で一望できるその閑静な場所は、自分の息遣いすら木霊しそうだ。

 手すりに手をかけて、街を見下ろす。朝の清められた空気で迎えられたにもかかわらず、スグリの心の中は灰色に覆われている。どこで何が狂ってしまったのだろう。答えのない迷路に迷い込んでしまったかのようだ。肺に溜まった濁りを吐き出すようにため息を吐けば、ふと名前を呼ばれた。


「スグリ?」

「え?あ……ルーヴァさん」

「久し振りだね、こんなところで会えるなんて思わなかったから驚いたよ」


 名前を読んだ人物は、半年ぶりに再会した自分たちの保護者であるルーヴァだ。見たところ彼は散歩していたわけではなさそうだった。尋ねれば、休暇の日は朝のロードワークをすることから一日が始まるのだ、とのこと。スグリもルーヴァから街にいる理由を尋ねられ、士官学校が今日から三日間休校日であることを伝えた。


「そうか、もうそんなに時間が経ったんだね。それよりも、休校日ということはヤクも一緒じゃないのかい?」

「あ……それは、その……」


 ルーヴァの質問に言い淀んでいると、彼は何かを察してくれたのだろうか、聞くよと一言だけ言葉をかけられた。ルーヴァのこの優しさが懐かしくもあり、また安心感を思い出させる。スグリは彼の言葉に甘えさせてもらうことにした。

 それからスグリは中間成績発表のあとのヤクについて、ルーヴァに説明する。彼はスグリの話を静かに聞いていた。


「そんなわけだから明日、ヤクに会ってほしいんだ。もしかしたら俺に言えないことでも、ルーヴァさんになら話せるかもしれないし……」

「それは構わないけど、スグリはそれでいいのかい?」

「……俺がなにを言っても、最近のヤクは相談もしてくれなけりゃ悩みも話してくれないんだ。無理に聞こうと思っても意固地になりそうだし、実際俺にできることがあんまりないと思うから……」

「スグリ……」

「俺、あいつの一番の親友だと思ってたのにな。そんなに信用できないのかって思ったらなんか、ワケわからなくなったしアイツと話したくなくなった」

「……」

「このままでいいだなんて思わないけど、俺にも落ち着くための時間が必要だって、なんとなく感じて……」

「……そっか」


 重くため息をついて、手すりにもたれかかるように上半身の体重を腕に乗せる。そんなスグリの頭を、ルーヴァが優しい手つきで撫でた。


「わかった。そういうことなら協力するよ」

「……ありがとう、ルーヴァさん」

「僕は二人の保護者だからね、当然だよ」


 顔を上げルーヴァを見れば、慈しみに溢れた笑顔がそこにある。自分たちの絶対的な味方だ、と表情が物語っている。その顔を見てようやく、スグリの表情も綻んだ。

 そして安心した途端スグリの腹の虫が鳴く音が響く。静寂な空間が災いしてその音は、ルーヴァにもしっかりと聞かれてしまう。気恥ずかしさに顔に熱が集まる感覚を覚えれば、ルーヴァは苦笑しながらも彼に朝食を振舞うと告げた。身体は素直であることを痛感しながら、スグリはルーヴァの提案を受けるのであった。

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