第四十八節 うぬぼれ

 その日も瞑想の訓練を行うも、やはり成果は得られなかった。客観的に自分自身を見つめ直す、瞑想。日に日にコツは掴んでいると思いたいのだが、正解が分からない以上、どうも雲を掴んでいるようにしか思えない。他の魔術専攻科の士官学生たちとも意見交換をしているが、なかなか解決策が見つからないというのが現状だ。


 満足な結果を得られず、重いため息をつきながらシャワー室に向かう準備をしていたヤクに、スグリは苦笑しながら思いつめる必要はないと励ましの言葉をかけてくれた。彼の気遣いが見える言葉には救われる。ありがとうと返事を返し、スグリが元気づけるためだろうか、ヤクの肩を叩いてすぐに手を引っ込めた。


「つめたっ!?」

「え?」

「お前、どうしてそんなに体が冷えてるのに平気そうなんだよ!?」

「……?そんなに冷えてる?」

「まさか、気付いてなかったのか……!?体調とか、大丈夫なのかよ!?」

「うん、別に平気だけど……」


 スグリが言うには、まるで氷に触ったかのようだったと驚かれる。自分では至って体調も普通で、どこも不調なところはない。周囲の気温が低いのかと尋ねられても、そうではない。では何故、と考えたところであることを思い出す。


「もしかして……」


 それは入校日初日の座学で学んだ、魔力基礎構成学と適正属性。マナの変化の中で己が最も得意とする属性──適正属性。確かあの時の診断結果は第一に適した属性が氷属性であり、次いで闇属性と水属性の計三つ。


 今までは属性変化していない、空気中に浮遊しているマナを自分が意図して取り込んでいることで、マナを体内に巡らせているものだと考えていた。しかし、そこからすでに考えが間違っていたのではないだろうか。

 マナが空気と同じ存在だとするのならば、自分は現状既に体内にマナを取り込んでいる状態だと言える。ならばここで必要になる要素は、己を"自然"と"個の人間"で区別するのではなく、自然に己を溶け込ませるというイメージ。己がすでに自然の一部だと考え、あくまでも自身の中で巡らせるマナは自然の流れのまま、己の中を通わせてから放出するということを意識する。それこそ、呼吸をするように自然のままで。


 それとは別に、思い出したこともある。自分が最も得意とするマナの状態変化は、氷属性だ。取り込んでいたマナが、瞑想をしていたことでいつの間にか氷属性に変化していたのだろう。そう仮定した場合、自分の表面温度が冷えていることにも説明がつく。

 マナの状態変化が、身体にも影響をもたらしているのだとするならば。人より体温が低くなってしまうことも、ある程度仕方のないことだと思えた。

 そこまで考えたヤクは、どこか憑き物が落ちたかのような晴れ晴れとした表情で、スグリに礼の言葉を述べた。


「ありがとう、スグリ」

「え、なんで?」

「なんとなく、言いたくなったんだ」

「意味わからないんだが?」

「そのうち分かるから、気にしないで」


 シャワー室に行こう、ヤクは動揺するスグリを置いて先を歩き始める。


「いや、そんなこと言われたら逆に気になるからな!?」


 彼の慌てた声を背中で受けながら、ようやく胸のつっかえが取れたことに安堵する。心地いい気分のまま、少しだけ浮き足立ってシャワー室へと向かうヤクであった。


 その翌日。今日も同じく瞑想の訓練ということで一室に集められた魔術専攻科の士官学生たち。各自指定された場所に座り、いつも通り瞑想を始める。ヤクも同じように瞑想をするが、昨日のそれとは感じる手ごたえが違うことに気付く。


 己がこの部屋にいると考えるのではなく、この部屋に己は初めからいたのだというイメージを膨らませていく。呼吸を一度吸ってしまえばもう、自分はこの部屋と同化するのだと。己の輪郭を溶かし、その場に「在る」のだと思考する。

 やがて、自分は完全に部屋の中へ溶け込んだだろう、という感覚を掴む。すると徐々にではあるが、腹の内側で温かくもどこかひんやりとした熱が溜まっていく感覚を、確かに覚えた。

 最後にその熱を、吐き出す呼吸と共に全身へと行き渡らせる。足の指から爪の先、身体を構築している細胞の一つ一つに染み渡ったものが、己なのだと。例えるなら、自分は自然の中に生まれた一粒の氷なのだと考えて。

 呼吸を吐き出す。直後に。全身が冷やされたマナに包まれる感覚を覚えた。自分の体の中を、血液と共にマナが巡っていると自覚できている。


「総員、休め!」


 突然の教官からの指示。はっと我に返り、ヤクは己の両手を見つめた。今この瞬間も、マナが体内を駆け巡っているのだという確かな感覚が残っている。


「二十五番、何かわかったみたいだな」

「えっ?あ、はい!」


 この士官学校では基本的に、学生名で呼ばれることはない。与えられた部屋の番号が、そのまま名前代わりとなるのだ。ヤクとスグリの部屋は二十五号室。つまり今ヤクは教官に呼ばれた、ということである。最初こそ茫然としてしまったが、教官の問いにヤクは返事を返す。


「ならばお前が理解したことを、今ここで回答してみろ」

「了解です」


 それからヤクは、今しがた掴んだ感覚やそこに至るまでの経緯、考えを述べる。彼の言葉を沈黙して聞いていた教官は、彼がすべて話し終えた後で一言──。


「二十五番、合格だ」

「合格……?」

「そうだ。己が自然と共に初めから在るという意識。それこそ自身の体内を巡るマナの感覚を掴むための、最大の要。自然と個、別のものと分けるのではなく、一にして全、全にして一の思考」


 己は自然界に既に存在しているのだという感覚こそが、内に巡るマナを最大限に生かすための方法なのだと教官は告げる。しかし彼はまだ言葉を続けた。


「しかし随分と回りくどく考えたな。マナを豊富に蓄えている穀物を想像すれば、その原理は理解できように」

「あ……」


 教官のその言葉に、ヤクは思わず言葉を失う。そうだ、考えてみば世に出回っている農産物の多くには、豊富なマナが栄養素という形で宿っている。彼らは人間のように思考する必要もなく、マナをその身に取り込み、自身の栄養素に変化させている。摂理に逆らうことなく存在する作物はまさに、自然と共に在る存在だ。

 ヤクの出した答えへの近道がまさか、農作物にあっただなんて。もっと早く気付くべきだと反省するとともに、そういうことは先に言ってほしかったと一人恨めがましく心の中で呟いたヤクであった。


 ******


「──っていうことがあってさ……」

「そいつはなんていうか、災難だったな」


 その日の全体訓練終了後、ヤクとスグリは士官学生用グラウンドの空いているスペースにて、体術の自主練習を行っていた。そこでヤクはまるで、その日の鬱憤をぶつけるかのように、スグリに拳を突き出す。それを片手で受け流すスグリ。


「気が付かなかった僕も、そりゃあ悪いけど。あんな風に意地悪言わなくてもいいと思わない?」

「そりゃそうかもだけど、自分で考えた方が頭に入りやすいってこともあるだろ?」

「それは、まぁ……」

「それでもやるせないってんなら、とことん付き合ってやるからさ」


 スグリが笑いかけながらも蹴りを繰り出すが、ヤクはそれを見切り躱す。彼のこの優しさが、今は何よりもありがたい。彼がそういうのなら遠慮なく、とヤクは気分が晴れるまでスグリと組み手を交わすのであった。ちなみにその後シャワー室に向かうも一番込み合う時間帯になってしまっていたということは、また別の話である。


 それから士官学校での生活も、三ヶ月が過ぎようとしていた。体内を巡るマナの感覚を確実に掴めたヤクの成長はすさまじく、自身の得意とする術を編み出したりスグリとの自主練習の中で体術の動き方も確実に上達していた。

 スグリもヤクと同じで自主練習をすることで動きの切れもよくなり、最近はヤクに教わりながら瞑想をして自身のマナの感覚を掴むための訓練もしている。互いに魔術専攻科と剣術専攻科と、科が分かれていることもあって得意不得意がわかるようにもなっていた。


 ある日の講義終了前。その日の座学の教鞭をとっていた教官は、士官学生たちにあることを伝えた。


「本日の午後の訓練終了から数時間後になるが、本日までの訓練成績を表にしたものを掲示する。各教官の判断を基に作られたものではあるが、各自確認して今後の参考にするように」


 ちなみに総合成績表は存在しない、とのこと。加えて成績表は魔術専攻科と剣術専攻科ペア、医療専攻科とメカニック専攻科ペアとで分けたものとなっているらしい。さらに個人成績ではなく、部屋別での成績だそうだ。つまりルームメイトの成果が合わさった成績がつけられている、ということになる。


 ここ最近ヤクとスグリは自主練習に励んだり、講義や実技の予習復習などの反復練習なども積み重ねていた。その成果は日々の訓練の中で順調に活かされている、とここ数日は強く感じるようになっている。その努力の積み重ねが、教官たちに認められればいいのだが。しかし彼ら以外のルームメイトたちも自分たちと同じように、自主練習をしている姿を確認したことがある。

 その日の訓練が終了した士官学生たちは、各々落ち着かない様子で成績表が貼り出されているというロビーに向かっていった。ヤクもスグリと合流しシャワーを浴びてから、ロビーへと向かった。ロビーにはいまだ多くの士官学生が集まっており、各自成績表に記されている自分の部屋番号を探しているようだ。


「あんまり下の順位じゃないとは思うんだけどな」

「そうだね。スグリは最近、苦手な座学でも成績がいいし、それなりに上にいるとは思うよ」

「だといいな。えっと、二十五号室はっと……」


 スグリが目を細めながら、自分たちの部屋番号を探す。ヤクも目を凝らして成績表を見てみるも、なかなか見つけられない。もしかして思ったほど成績は良くないのかと考えたが、それは隣にいたスグリの言葉で覆る。


「ヤク、やったぜ!」

「え?」

「成績表、一番上を見てみろよ」


 彼に促され、魔術専攻科と剣術専攻科ペアの成績表に目を向ける。スグリの言う一番上には、こう記されていた。


「二十五号室スグリ・ヤク、総合一位……!?」


 呟いてからスグリを見れば、彼も歓喜を隠せないようだ。満面の笑みでヤクを見ていた。そして握りこぶしを突き出され、意味を理解したヤクは己も拳を握ってスグリのそれにこつんとぶつけた。


「やったな!」

「うん!これまで頑張ってきた甲斐があったね!」

「だな、これからももっと頑張ろうぜ!」

「もちろん!」


 互いに健闘を称えあっていたところに、数人の士官学生が二人に近付く。彼はヤクに用事があったらしく、見つけたと言葉を漏らした。


「あーいたいた。二十五号室のノーチェって、キミのことでいいんだよね?」

「そうだけど、僕に何か用?」

「ああ。俺たちもなんだけど、教官からの伝言で第三講義室に集まれってさ」

「そうなんだ、わざわざありがとう。でも教官からは、何も聞かされてないんだけどな……」


 顎に指をあてて考えてみるも、教官に呼び出される理由は全く思いつかない。それは目の前の士官学生たちも同じらしく、その中の一人が頭をかきながらぼやく。


「俺もなんだよ。しかもまだ他にも数人呼び出されている奴がいるんだ。何の用かは分からないけど、早めに行ってみないか?」

「教官からの呼び出しなら、無視もできないね。わかった、一緒に行こう」

「ごめんね、折角ルームメイトと楽しそうだったのに」

「大丈夫だよ。それじゃあスグリ、ごめん、行ってくるよ。もしかしたら夜の自主練習はできないかも……」

「そんなこと気にすんな。まぁ気楽な気持ちで行ってこいよ」

「うん、ありがとう」


 それだけ言葉を交わしてから、ヤクは複数人の士官学生たちと共に第三講義室へと向かうのであった。

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