第四十七節 きらめき

 ヤクがいる魔術専攻科の士官学生たちが指定された実技訓練の場所はまるで、神殿や教会の一室のような場所だった。音もなく静かな空間は薄暗く、所々に光源代わりのライトが飾られている。その中で微かに漂うフローラルな香りが、動揺していた気持ちを落ち着かせてくれた。まるでこの空間だけ、現実世界から時間を切り取られたかのようだ。

 集合した士官学生たちは、目の前の現状に狼狽した。ひとまずは教官が来る前に整列しておこうと意見が一致し、彼らは待機の姿勢を取った。その直後に、その日の実技担当の教官が入室してくる。彼は士官学生たちが待機していることを確認すると、休めと指示を出す。


「よし、今日はお前たちには精神力を鍛える訓練を行ってもらう。その前に、お前たちにマナの巡りの仕組みを伝えておく」


 教官はそう告げると、次に魔術と精神についての説明をした。ことカウニスに存在する魔術師にとって精神とは、体内に巡るマナの心臓と言っても過言ではない、とのこと。正常な精神が保たれているからこそ、正常なマナが体内を巡ることが出来るのだと。そしてその精神力を鍛えることでマナが体内を巡る量──血中マナ伝達量を増加させることができるのだそうだ。


「この中には「血中マナ伝達量」は「血中マナ含有量」の値を高め、魔術の修行を重ねることで、その値が大きく変化していくものだと教わった者もいるだろう。確かにその説が広く知られているが、場合によってはその説が成り立たない場合もある」


 教官のその言葉に、士官学生の中からどよめく声が漏れる。今まで教えられてきたことが、実は間違っているというのだろうか。そんな声なき声が、教官に伝わったのだろう。あくまで場合によっては、と前提を繰り返された。


「「血中マナ含有量」には確かに、個人別で限界値が存在する。しかしその数値が低い値の者だとしても、限界まで鍛え上げられた精神力を持つ者は「血中マナ含有量」の低さを補える値の「血中マナ伝達量」を持ち、その分効率よく魔術を展開することが出来るのだ」


 ただし大抵の魔術師は己の精神力を極限まで鍛え上げる、ということはないのだそうだ。極限の精神力を得るためには、その分己の命を削るほどの厳しい修行を重ねなければならないからである。下手をしたら、修行の途中で自我が崩壊する可能性もあるのだとか。

 そんな危険な橋を渡ってまで強くなる必要性が、大抵の魔術師には存在しない。平和に暮らす分には、己が使える範囲の魔術を行使するだけで十分なのだ。


 しかし将来的にこの国を守る軍人になる自分たちには、そのような甘い考えは許されない。時には死地に赴かなければならない場合もある。そんな地獄の中からでも、無事に帰還ができるための訓練を積まなければならない。


「訓練内容だが、お前たちにはこれから瞑想を行ってもらう。瞑想の中で、体内に入ったマナが巡る感覚を掴むことが、第一の課題だ。体内にマナが巡っているという感覚を意識的に感じるようになるまで、次の段階へ進むことはできないと思え」


 そして教官は士官学生たちに、配置を指示してから瞑想の方法を伝える。

 瞑想は主に三種類に分かれるらしい。そのうち今回の瞑想で使うのは呼吸瞑想というものであり、文字通り呼吸を使った方法であると説明を受けた。この瞑想は「気付き」に重点を置くものだと聞く。教官の言う体内に入ったマナが巡る感覚というものが、いわゆる「気付き」なのだろうとヤクは考えた。


「やり方はわかったな?では、始め」


 教官の合図で、ヤクを含めた士官学生たちが瞑想に入る。瞳を閉じて腹式呼吸を意識しながら心を無にするよう、精神統一を試みた。

 今まで無意識に感じていたものを意識的に感じるようになれ、という教官の課題は最初こそ簡単だと思っていた。しかし教官は自身の体内を巡るマナの感覚がどういう感覚なのかを、士官学生たちに説明しなかった。それはつまり、体内を巡るマナの感覚がどういった状態であるのか、全く分からないということだ。


 全く分からないものに気付けるのだろうか。血液に乗って流れるマナを意識的に感じることが、本当に可能なのだろうか。その感覚は個人で違うのか、はたまた全員が同じなのか。そもそもこんな瞑想で気付けるものなのだろうか──。


「総員止め!」


 教官の一喝が空間にこだまする。士官学生たちはその声で我に返り、教官を見上げた。当の教官は士官学生たちを見て、一つため息を吐いた。


「雑念が多すぎる。そんなことでは「気付き」はおろか、瞑想すらできんぞ。心を無にしろ、雑念を切り離せ。己の内側に意識を集中させることだけを意識するように」


 説教を受けた一同だが、もう一度瞑想をやり直す。それでも結果は変わらず、精神力を鍛えるどころか疲弊する結果となってしまった。何も得られないまま、ヤクのその日の訓練は終わってしまう。

 どこか重たく感じた身体を引きずるように立ち上がり、部屋へと戻るのであった。


 部屋に戻るが、まだスグリは来ていなかった。時計を見れば、すでに夜の7時を過ぎている。随分と長く瞑想をしていたのに、今回は何も得ることはできなかった。最初からうまくいくわけがないとは、わかっていたが。思わず重くため息を吐く。

 その直後、部屋のドアが開きルームメイトのスグリが入室してきた。どうやら剣術専攻科の訓練も終わったようだ。彼の様子は少し疲れたというか、どこか億劫に感じていることがあるような表情。スグリは先に部屋にいたヤクに気付くと、片手をあげた。


「ただいま。早かったんだな」

「おかえり。でも僕も今帰ってきたところだよ」

「そっか。どうする、先にシャワー浴びに行くか?」

「混雑する前に行っちゃおう。後になると詰まるだろうし」

「そうだな」


 夕食後になるとシャワー室は混雑する可能性がある、ということを事前のオリエンテーションで聞いていた二人は、準備を整えてからシャワー室へと向かった。

 脱衣所ではすでに何名かの士官学生たちが、各々気楽に過ごしている様子が見て取れた。空いているロッカーを見つけ脱いだ訓練着を中に入れてから、シャワーへと向かう。隣同士が開いていたシャワーにそれぞれ入ってから、一日の汚れを洗い流していく。


「はー、気持ちいいな」

「その言い方、なんかオヤジ臭いよ?」

「おいやめろ俺まだ十五だぞ。それよりも、今日の訓練そっちは何したんだよ」


 オヤジ臭いと言われたことにスグリは傷付いたようだが、その話題を掘り下げないと言わんばかりに別の話題を振られた。一応謝罪の言葉を述べてから、ヤクは己が受けた訓練内容を伝える。ヤクの話を興味深そうに聞いていたスグリが、話の内容を自分の中で噛み砕いたのだろうか、ぽつりと呟く。


「なんか座禅みたいなもんだな」

「座禅?」

「ん?ああ、アウスガールズの田舎の方では、姿勢を正して精神統一をすることをそう言うんだ。修行の一種、だとかなんとか。精神を統一させることで、自分の心を改めて見つめ直すんだと」


 瞑想とあまり変わらないだろ、スグリは言う。言われてみれば、瞑想も客観的に自分自身を見つめ直す行為のようなものだ。どちらも、自分自身と向き合うという点に関しては一致している。

 ヤクは一度シャワーを止め、体を洗っていく。


「じゃあ、スグリはその座禅をしたことがある?」

「いや、試したことはあったんだけど全然駄目だった。落ち着きないからな、俺」

「そっか……何かヒントがあるかなって思ったんだけど」

「アドバイスできなくて悪いな」

「謝る必要なんてないよ。僕の方こそ、ごめんね」


 ボディソープで体の汗を落とすように、スポンジで体をこする。ほんのりと桃の香りのするそれが、いいリラックス効果になっているのか安心する。

 身体を洗いながら、話題は剣術専攻科の訓練内容についてに移った。ヤクからの質問にスグリも、今日の出来事を伝えた。


 剣術専攻科の士官学生たちは、今日はどの程度の技術を持っているかを知るため、教官と一人一人簡単な手合わせをしたのだという。本当に簡単な打ち合いだけだったのだが、士官学生たちは全員が簡単に教官に往なされてしまったのだとか。わかっていたけどやはり悔しい、と苦笑するスグリである。

 そこに加えて、スグリには別に億劫に感じてしまった事柄があったらしい。


「予想はしてたんだけど、自前の武器を持参した中でアウスガールズの刀を扱っていたのは、やっぱり俺だけでさ。他の奴らが物珍しいやら何やらで、随分とからかわれたんだ。そんな長い包丁みたいな剣で、何ができるんだって」

「えっ……」


 彼の話を聞き、ヤクの脳裏によぎったのは魔法学園での出来事。入学して間もない頃から、スグリがアウスガールズの田舎者と陰口を叩かれていた、当時のことを思い出してしまう。

 またあの時のように、スグリは何もしていないにもかかわらず差別をされているのだろうか。そんな心配がはっきりと表情に現れていたらしい。ヤクを見たスグリが苦笑してから、大丈夫だと笑う。


「本当に……?」

「ああ、本当だ。長包丁って言われたのは腹立ったけど、ここは士官学校で学生の中でも競争があるんだ。何か言ってくる奴がいても、実力で黙らせればいいだけさ」

「スグリ……」

「心配してくれたんだろ?ありがとな、気にかけてくれて」

「当たり前だよ、スグリは僕の大事な友人だし今はルームメイトなんだから、心配しないわけがない。スグリが大丈夫って言うなら僕はもう何も言わないけど、また一人で抱え込まないでね?」

「それはお前にも言えることだからな?何かあったら、俺に相談しろよ?」


 そう言いながらシャワーで身体の泡を洗い流すスグリに、ヤクは頷いた。同じようにシャワーで泡を洗い流し終えてから、でも、と言葉を続ける。


「実力で黙らせればいいって言うのは、そうだね。じゃあ僕たちの目標ってことで、この士官学校を首席で卒業しようよ」

「お?いいなそれ。ならそのためにはどうするか、寝る前にでも考えようぜ」

「そうだね。その前に夕食を食べに行かなきゃ」


 シャワーを浴び終えて、二人は脱衣所に戻る。夕食のメニューが楽しみだと笑いあう二人。士官学校初日はこうして、比較的気楽に過ごしたのであった。

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