第三十八節 青春の喜びと悲しみ

 ヤクが食堂を出た後の静寂に包まれる中、ようやく我に返ったスグリはまずルーヴァに謝罪を入れる。


「ごめんなさいルーヴァさん……。でもその、ヤクのこと……」

「……大丈夫。僕は別に、ヤクのことが嫌いになったわけじゃない。でも、ああでも言わないと分かってくれないかもしれないって、そう思ったんだよ」


 小さく苦笑してから椅子に座りなおしたルーヴァに、スグリは学園内でヤクが零した言葉を伝える。その言葉には、思う部分があるからだ。


「あいつ……俺に言ったんです。俺は何も悪くないのに、馬鹿にする奴らが許せなかった……俺を傷つける奴らが、憎かったって」

「そう……。僕が思っていた以上に、ヤクのキミを守りたい気持ちというか、自分たちに敵意を向ける人物たちへ抱く負の感情は、強くて大きいみたいだね」


 ルーヴァの呟きに、スグリは無言で頷き肯定する。あの時のヤクの言葉には、自分も思わず息を呑んでしまうくらい恐ろしいと感じてしまった。

 確かに自分に言葉で暴力を振るってきていた不良生徒に対して、いい感情は持たなかった。しかし、だからと言って憎むとまではいかなかった。せいぜいが、やかましい連中だと思ったくらいだ。


 ただ、ヤクが自分や己に近しい者の害になり得る人物たちに対して、怒り以上の感情を抱かざるを得ない理由も、理解はできる。彼の過去の経験が、そうさせてしまっているのならば──自分にできることが、果たしてあるのだろうか。


「謹慎期間の間に、何か変わってくれるといいんだけどね……」

「ルーヴァさん……」

「……スグリ。さっきのことに関して、キミはヤクにあまり助言をしないでいてほしい。これはあの子自らが考えて、反省してもらわなきゃ意味がない。もし何か聞かれたら返事をするくらいで、とどめてくれないかな」

「なんで、そんなことを……?」

「……わかってほしいから、ね。学園に通い始めたことで、多くの人と関わるようになって、自分の行いがどれだけ周りに影響をもたらしてしまうのかを。しっかりと」


 まるで祈りにも似たようなルーヴァの言葉に、スグリはかける言葉が見つからず、頷くことしかできなかった。スグリの反応でようやく笑いかけてくれたルーヴァは、最後にとスグリに一つ説教をする。


「心配かけさせまいと思って何も相談してくれないのは、その人を信用していないってことにもなるんだよ。問題を一人で抱え込みすぎるのは、よくないな」

「……ごめんなさい」

「今度からは何かあったら、ヤクでも僕でもリゲル院長でもいいから、抱えないで相談すること。いいね?」

「……わかった」


 スグリの返事に満足そうに頷いたルーヴァは、それだけ言うと孤児院をあとにした。彼の見送りをしてから部屋に戻れば、ベッドの上で片膝を抱えて座っているヤクの姿が視界に入る。部屋の明かりもつけないで、とぼやきながらそれをつけた。


「……ルーヴァさん、帰ったぞ」

「……うん」


 そのあとの会話が続かず、どう言葉をかけるべきかと一人悩んでいたが、不意にヤクの方からぽつりと言葉が漏れ出る。本当に絞り出すような、蚊の鳴くような弱弱しい声で。


「……わかってくれるって、思った」

「え……?」

「僕はスグリに助けられたから、今度は僕がスグリのことを助けたかった。だからスグリをイジメている奴らを懲らしめた。先に手を出してきたのは相手だから、反撃したのは仕方ないんだって……。ルーヴァさんなら、わかってくれるって思った……」

「ヤク……」

「でもそれは間違いだって怒られて……。じゃあ、どうしたらよかったのかな?あんなボロボロにされてたスグリのこと、放っておけばよかったの……?」


 そう言うと、さらに膝を抱えて蹲るような体勢になるヤク。そんなヤクのつぶやきを否定も肯定もしないまま、スグリは彼と背中合わせになるような形で座る。どうして、と嘆くヤクの言葉は止まらない。


「それに、僕があの白い人間たちと一緒だなんて……。そんなこと絶対にない……。スグリは、僕が間違ってると思う……?」

「俺は……正直、お前が間違ってるとか間違ってないとか、分からない。だけど、お前があの時助けに来てくれたことは、嬉しかった」


 ヤクの質問に、ぽつりぽつりと答えていくスグリ。

 確かにあの時ヤクが助けに来てくれたことは、意外だと思うより安心感の方が勝っていた。まさか彼が助けに来てくれるとは思っていなかったのだ。恐怖もあっただろうに、それを顧みず自分の危機に手を差し伸べてくれたことは、心の底から感謝していた。しかし──。


「でもそれよりも、お前を巻き込んだことが、何よりも悪かったって思ってる……。お前に、俺が不良生徒からいじめられているって気付かれたときに、俺が最初に相談していたら、こんなことにはならなかったんじゃないかって思った……」


 スグリは今までの行動を思い返しながら、反省の言葉を述べる。イジメられていたことを、もっと素直に相談できていたらと。今までなにかと自分一人で考え、解決できたことも多かった。だから今回も同じように一人で解決できると驕っていたのだ。

 加えて慣れない学園生活でも楽しんでいるヤクに、自分の問題で苦しい思いをさせたくはなかった。その独りよがりな考えが原因で、あの喧嘩騒動に発展してしまったというのならば。大元の原因は自分にあるのだろうと、スグリは考えた。


「昔、出会ってすぐの頃にお前に掴みかかっただろ?あの後、言われたんだ。他人のためだと言い訳を振りかざし、簡単に人を傷つける大人になってほしくないって。たぶん、だけど……ルーヴァさんはお前に、そう言いたかったんじゃないかな」

「……わからない、よ……。僕は誰かを傷付けたつもりなんて、ないのに……」

「……ゆっくり、考えてみたらどうだ?どうせお前は一週間、学園に行けないんだからさ」

「……うん……」


 その日はもう休むことにして、言い渡された謹慎期間を大人しく過ごすことにした。


 それから四日後。先に自宅謹慎の処分が解かれたスグリが学園に行くと、まず最初にクラスメイトの友人たちから心配だったと声をかけられる。謹慎期間の間に、スグリとヤク、そして不良生徒のことはあっという間に噂となっていた。そして友人たちの話から、スグリに先に暴行を加えた生徒たちは、取り巻きを含め全員が退学処分を言い渡されたそうだ。

 思っていたよりかなり重い処分だと驚愕したが、どうも彼らはスグリ以外の生徒にも以前から同じようにいじめ行為を行っていた、とのこと。内容もスグリが受けていたものよりも悪質なものだったそうで、被害生徒は自殺未遂までしていたらしい。その被害を鑑みて、今回の処分を下したのだと聞かされた。


 それを聞いて安堵する。退学処分なら、少なくとも学園内でこれ以上彼らから被害を被ることはないだろう。一人息をつく傍ら、友人たちが話す。


「でも、とにかくお前が無事に戻ってこれてよかったぜ」

「悪い……心配かけたな」

「なーんのなんの。でも今度からは俺たちにもちゃんと相談しろよ?」

「わかってる。もう一人で抱え込んだりなんかしないさ」


 そんな風に友人たちと談笑していると、クラスの入り口からスグリを呼ぶ数人の男子生徒が現れる。スグリ自身はあまり話をしたことのない生徒であり、不思議に思いながら近付く。


「スグリ・ベンダバルって、お前のことでいいんだよな?」

「確かにスグリは俺だけど……俺に何か用か?というか、お前たち誰だ?」

「僕たちはノーチェのクラスメイトで、友達なんだ。それで、同じ孤児院に住んでいるお前にお願いがあって」

「ヤクの友達が、俺に?」


 もう一度尋ねたスグリに対しヤクのクラスメイトは頷くと、とあるお願いを頼まれる。断る理由のないスグリはそのお願いを聞き入れ、彼らからあるものを手渡された。それを、ヤクに渡してほしいのだと。


「わかった、渡しておく」

「それと、ノーチェに伝言も伝えてほしいんだ。待ってるからって」

「……わかった。これを手渡すときに一緒に伝えとくさ」

「ありがとう、助かる」


 彼らからの言伝も受け取ったスグリはその後、謹慎前と変わらない学園生活を過ごして帰宅する。部屋に戻ると、ヤクは一人で勉強していたらしい。教科書を広げながらノートを記入していたが、彼はスグリに気付くと声をかけてきた。


「おかえりなさい」

「ああ、ただいま」

「学園……どう、だった……?」

「大丈夫、謹慎前と何も変わらなかった。あとそうだ。これ、お前に」


 スグリはカバンからヤクのクラスメイトに手渡された、あるものを彼に差し出す。それは手紙であり、スグリは今朝その手紙をヤクに渡してほしいと頼まれていたのだ。差出人に心当たりがないのだろうか、首をかしげながら手紙を受け取るヤクに説明した。


「それ、お前のクラスメイトの友人って奴たちから預かったんだ。お前に渡してほしいって」

「みんな、から……?」

「ああ。それと、待ってるからって伝言もな。お前、しっかり友人作れてたんじゃんか。とにかく、読んでみたらどうだ?」


 意図が分からないながらも、ヤクは頷くと手紙の封を開け手紙を読み始める。しばしの沈黙の後、不意に名前を呼ばれた。


「……スグリ」

「なんだ?」

「……友達に、心配をかけるって……こんなに痛いこと、だったんだね」


 何処か毒気の抜けたような表情のヤクを前に、黙って話を聞く。彼はもう一度かみしめるように手紙に目を落としながら、書いてある内容をスグリに話し始めた。


「手紙に、早く学園に戻ってこいよって、書いてあるんだ。問題を起こした僕を心配して、授業に遅れないようにノートはしっかり書いておくから、安心しろって」

「そっか……よかったな」

「うん。だけど……書いてあることは凄く嬉しいのに、こんなことを友達たちに書かせてしまったって考えると、心がすごく痛い……」


 カサ、と手紙をなぞってから胸の辺りを掴む仕草を見せるヤク。その横顔には反省の色が浮かんでいると感じた。


「僕……誰も傷付けたつもりなんてないって思ってたのに。いつの間にか友達たちもスグリも、たくさん傷付けてたんだね……」

「ヤク……」

「ごめんなさい、スグリ……。僕、スグリが傷付けられているのが許せなくて、守りたいから強くなりたかった。だから秘密でルーヴァさんに、魔術を習っていたんだ。力を付ければ、スグリを傷付ける奴らを痛めつけられるって」

「そっか……。でも俺は、お前に俺のためだからって誰かを傷付けるような人間に、なってほしくない。俺も最初から、そう言えばよかったな」

「スグリは何も悪くないよ。僕が、我が儘だったから……」


 そんなことはない、いやある、なんて言い合いをしていたが、不毛だということに気付き二人して苦笑する。その後ヤクは一度言葉を止めてから、後悔の念を滲ませて呟いた。


「……ルーヴァさんのことも、傷付けちゃってたんだ……」

「っ……そう、だな」

「……謝りたい、な……」


 痛みすら伴っているような表情のヤクにかける言葉が見つからず俯いていたが、不意にドアがノックされた。はい、と短く返事をすればリゲルが入室する。彼は自分たちの様子を一瞥してから、いつものように優しく微笑む。


「さっきルーヴァから、今日ここに来ると連絡があったぞ」

「本当ですか?」

「ああ、もちろん。……話したいことが、あるんだろう?」

「はい……」


 自信がなさそうに答えるヤクに、大丈夫だと背中を押すリゲル。スグリも彼に続くように、ヤクに声をかけた。


「隣にいるから」

「……うん。ありがとう」


 スグリの言葉に小さく笑うヤク。その日の夜、また三人で食堂に集まることになった。

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