第三十七節 思いやり

 生徒護衛委員と共に保健室に来たヤクとスグリはそれぞれ怪我の手当てを受けた後、生徒指導室に連れてこられた。生徒指導室には生徒指導担当の教員もいる。彼らはヤクたちに先程の喧嘩騒動のいきさつを説明してもらうために、ここまで来てもらったと説明した。

 ヤクもスグリも彼らに素直に応じ、生徒護衛委員が展開している魔法具から映し出されている映像と共に、噓偽りなく報告した。映像は、ヤク達の説明の裏取りをするためだそうだ。その映像もあり、先に喧嘩を吹っかけてきたのが不良生徒たちという事実は理解してもらえた。それでも、このまま無罪放免というわけにはいかないと先生から説教を受ける。実際、怪我の具合は不良生徒たちの方が酷いものだそうだ。


 当然だろう。いくら先に手を出してきたのが相手からだとしても、殴り合いに発展するようなことをしたのは己なのだから、と。冷静さを取り戻したヤクは説教を聞きながら、一人考えを巡らせていた。

 それでも。悔いはないと、思ってしまう。スグリ本人は気にしていないと笑っていたが、自分はそれが気に食わなかった。何も悪いことをしたわけでもない、嘲笑ったわけでもないスグリが、謂れのない言葉を投げられている状況が、腹の底から気に食わなかったのだ。

 ヤク自身、自覚していた。自分はそういった、人を不幸に陥れようとする人間たちが、心底嫌いなのだと。こと不良生徒たちに至っては、恨みもしていたと思う。


「まぁ……とにかくだ。ベンダバルは三日間の自宅謹慎、ノーチェは一週間の自宅謹慎だ。このことは、保護者の人にも伝えておくからな」


 生徒指導担当の教員から処分を言い渡され、今後はこのようなことを起こさないようにと改めて説教を受けた二人は、そのまま下校を許された。その日の帰り道での会話は弾むわけがなく、ただ静かに通学路を歩く。しかし時間が過ぎていくにつれ、最後に教員からかけられた言葉が、二人に重くのしかかってきていた。

 保護者に伝えておくということは、つまりはルーヴァに自分たちがしたことを知られるということだ。いつも自分たちには優しいルーヴァ、だが──。


「……約束、破っちゃったな」

「うん……」

「ルーヴァさん、凄く怒るよな……」

「そう、だよね……」


 ──自分が身につけた知識と力の使い方を、決して間違えないこと。それを誇示して、周りの迷惑を顧みない行動をしないこと。そして、知識と力を正しく理解して考えて使うこと。この三つの約束事を、守ってほしいんだ。


 以前ルーヴァと交わした三つの約束を思い出す。絶対に守ると約束したにもかかわらず、自分たちは今回それを破ってしまった。今頃になって、その事実が二人に罪悪感を覚えさせる。


「……嫌われる、かな……」

「……わかんねぇ。けど、謝らなきゃ……」

「うん……」


 いつもより帰りが遅くなった二人は、まずリゲルに学園内で自分たちが起こしてしまったことを伝えた。どうやらリゲルにはすでに学園側から事の次第を伝えられていたらしく、自分たちの話をただ黙って聞いたあと、静かに言葉をかけられる。


「正直、ここ数日お前たちの様子に違和感があったらな。なにかしでかすんじゃないかとは思っていたんだが……。まぁ、私からの説教は追々するとして。まずはルーヴァに謝りなさい。あとでここに来ると、さっき言伝をもらったから」

「はい……」

「ごめんなさい……」

「何があっても、暴力で人をどうこうしようとするのは、一番よくないことだ。お前たちなら身に沁みてわかっていることだろうが、その意味を今一度よく考えなさい。わかったな?」


 リゲルの説教を受け取り、それから夕食を食べ終わってからもヤクもスグリもあまり言葉を交わせずにいた。そしてその日の夜もだいぶ更けた頃、軍の仕事を終えたルーヴァが孤児院まで訪ねてきて、二人を呼び出す。

 自分たちを呼ぶ彼の声は、今まで聞いた声の中でも、底冷えしそうなほど冷たいものだ。扉越しとはいえ、それだけでわかった。ルーヴァが、ひどく怒っていると。


「スグリ、ヤク。二人とも食堂に来るんだ」

「はい……」


 大人しく指示に従い食堂に来た二人を待っていたのは、静かに怒りを纏わせているルーヴァの姿だ。彼は自分たちにまず座ることを促してから、ゆっくりと確認するように話し始めた。


「……夕方ごろ、学園から連絡をもらった。二人が、とある生徒たちと暴力沙汰を起こしたって。喧嘩の発端も顛末も聞いたけど、とても褒められたことじゃない。力で解決しようだなんて、一番あってはならないことだ」

「それは……」

「何か文句でもあるのかい?僕たちは約束もしていたよね、学んだ知識や力を正しく理解して使い、迷惑をかけずに生活することって。こんな簡単な約束を、キミ達は破ったんだ。それでも自分たちは悪くないって言うのかな」


 ルーヴァの正論を前に何も反論ができず、黙って俯くしかできない二人。その様子を、反省していないと捉えられたのだろうか。一つ大きくため息を吐いたルーヴァは、もう一度尋ねてきた。


「どうなんだい、二人とも。黙ったままじゃ、何も伝わらないぞ」


 彼の問いかけに対し、最初に口を開いたのはスグリの方だった。彼は謝罪の言葉を述べてから、今回のきっかけを話す。


「……ごめんなさい。今回の喧嘩は、もとはと言えば俺がからかわれていることを一人で解決しようとしたのも、いけなかったんだと思う。でも俺がからかわれているだけなら、ヤクに相談しなくてもいいって考えたんだ。余計な心配かけさせたくなかったから……」


 スグリの反省の言葉に、ヤクは思わず被せるように言葉を荒げる。今回スグリに至らなかった点は、何一つなかったのだから。


「それは違う!スグリは何も、悪いことなんてしてない!喧嘩だって、いじめのことだって、全部不良生徒たちが悪いんじゃないか!スグリは、なにも迷惑をかけたわけじゃないのに……!」

「ヤク……でも──」

「それにあの喧嘩だって元はあいつらがスグリを無理やり呼び出したことが原因だし、最初にスグリを殴ったのはあいつらなんだよ?そんなの、許せるわけないじゃないか!」

「ヤク、落ち着きなさい」


 ルーヴァの呼びかけに、ハッと我に返る。それでも怒りは収まらず激高するように言葉を紡ごうとしたヤクを宥めるように、ルーヴァが冷静に問いを投げる。


「喧嘩の原因は確かに彼らからかもしれない。でもだからって、暴力に暴力で返してもいいと、キミはそう思っていたのか?」

「……約束を破っちゃったのは、悪いことだと思ってます。ごめんなさい……。でも最初に言葉で暴力を振るってきたのは、あいつらの方だったんですよ!?」

「……」

「それに対してスグリは何も返さなかった。それなのに、何度も何度もあいつらは言葉の暴力を繰り返してたんだ!ルーヴァさんはそれでも、それを黙って聞き流しておけばよかったって言うんですか!?反撃しちゃいけなかったって言うんですか!?」


 噛みつくようにルーヴァに言葉を投げつけるヤクを一瞥してから、落胆した様子で彼はヤクからの質問に答える。


「そうは言っていない。けどキミの行動が正しいなんて、僕は思っていない。ヤク。今のキミの言葉を聞く限り、キミは自分の行いを反省していないようにしか聞こえない。まるで不良生徒に、暴力を返されたのは自業自得だって言っているようだ」

「そう言っちゃ、ダメなんですか……!?」

「……もしかして、だけど。最近僕に魔術を習っていたのは、いつかその不良生徒たちに反撃したかったから、だったのかな?」

「っ……」


 図星を突かれ、ヤクは言葉に詰まる。そんなヤクの様子に、ルーヴァに去来したものは何だったのだろう。今までにないくらい怒りが籠っている声色で一言、そうかと呟いた直後。ヤクはルーヴァから平手打ちを受けた。

 突然のことでわけがわからず呆気に取られながらも、ルーヴァを見上げたヤク。彼の表情には、怒りにも悲しみにも似た色が浮かんでいた。


「えっ……」

「最低だよ、ヤク。暴力で解決しようとしても、そこには何も残らない。それは、キミ自身が一番理解しているものだと思っていた。だけど、間違っていたようだね」

「なに、え……?」

「一体いつからキミは、自分の思いやりを言い訳にして暴力を振るうような、悪い子になってしまったんだい。自分の感情を盾にして、詭弁で自分を正当化するなんて。そんなの、キミを実験体にしていた世界保護施設の人間たちと何も変わらない。人としてはクズの生き方だ。キミは今、そんな人間たちと同類なんだよ」


 ルーヴァの言葉をようやく理解できたヤクは、彼の言葉に反論する。自分があの、世界保護施設の人間と同類なんて。そんなこと、あるわけがない。何故なら、自分はただ守りたかっただけなのだ。


「ち……違います!僕はスグリを守りたくて──」

「ほら、今も言い訳して。そう考えていたってことは、僕との約束なんて最初から守る気なんてなかったってことだよね。残念だよ、本当に」

「違いますルーヴァさん!僕は……!」

「言い訳なんか聞きたくないよ。自分の行いを反省する気がないのなら、謹慎処分じゃなくて僕が退学手続きをしておいてあげる。僕はそんなことを覚えさせるために、キミを学園に通わせているわけじゃないからね」


 自分の言葉に聞く耳を持たない、と言わんばかりのルーヴァの態度に、ヤクもいよいよ黙っていられなかった。拳を握り締めながら、絞り出すように言葉を漏らす。


「っ……どうして……どうして、わかってくれないんですか!?僕はあいつらからスグリを守りたかっただけです!言葉の暴力だって心が殴られているのに、何もしないでただ耐えてるだけじゃ、何も救われないんです!だから実力行使で黙らせるしかないって思っただけで……それをやっただけなのに!もう、いいです……!!」


 わかってくれないのならもういい、と。弾かれるようにして、ヤクはその場を立ち去ったのであった。

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