第三十六節 寂しさ

 その日のヤクは、図書委員の仕事で図書館に来ていた。先日の委員会決めの時、図書委員に立候補したのだ。そして今日は司書役の担当日。彼は席に座り一冊の本を読みながら、時折来る本の貸し出しや返却する生徒たちの対応をしていた。

 それが一段落した頃、ふと窓の外を眺めたヤクに、ある光景が映りこむ。一人の男子生徒が、校舎裏に向かっている様子だった。一瞬見間違いかとも思ったが、の姿を何度も見ていたヤクには分かった。その男子生徒がスグリだと。


 この学園に通うようになってしばらくした頃、ある噂を聞いたことがある。校舎の裏側ではよく不良グループがたむろしているから、不用意に近付かない方がいいと。

 そんな場所に、スグリが自ら行くとは考えにくい。誰かに呼び出されてしまったのだろうか。誰に、なんて考えるだけ野暮だ。校舎の裏側に行くということは、十中八九不良グループが関係している。嫌な予感が胸を掠めたヤクは、気付けば委員会の仕事をほかの図書委員の生徒に押し付け、駆けだしていた。


「スグリ……!」


 学園で授業を受けて方法を学んでから、ヤクは己の中を巡るマナの使い方にもだいぶ慣れてきていた。ルーヴァからも何度か指導を受けながら練習を繰り返し、今ではいくつかの簡単な魔術を使えるようになってきている。

 成長した今の自分なら、スグリを助けることができるかもしれない。出会ってから今まで彼に助けてもらってばかりなのだから、自分も彼を助けられるような存在になりたい。そんな思いを胸に抱きながら走り、辿り着いた校舎裏。

 そこには地面に倒れているスグリと、彼を囲うようにして暴力を振るっている上級生の生徒の姿が目に映る。その光景が目に入った瞬間、ほぼ反射的にヤクは一人の男子生徒に向かって風の魔術を放っていた。ヤクがいたことに気付くも反応に遅れた男子生徒は、その攻撃をまともに受けて吹っ飛ぶ。


 男子生徒の悲鳴でようやくその場にいた全員が、状況に気付く。倒れていたスグリはと言えば、こちらを見て驚愕の表情を浮かべていた。


「ヤク……!?」


 スグリには殴られた跡がある。それを見て、ヤクは湧き上がってくる怒りを抑えることができなかった。上級生相手、しかも不良グループと呼ばれる素行の悪い生徒たち相手だというのに、強気な姿勢を崩そうとしない。


「スグリから、離れろ……!」

「やめろヤク、俺のことはいいから!」


 ヤクがしたことに気付いたスグリが彼を止めようと言葉を投げるも、今のヤクはすでに沸点を通り越していた。前々から思っていたのだ。スグリ本人は気にしていないと笑っていたが、自分はそれが気に食わないと。どうして、彼は普通に過ごしているだけなのにそんな風に貶されなければならないのかと。彼がそんな風に馬鹿にされて黙っていられるほど、自分はできた人間じゃない。彼を馬鹿にする生徒をいつか、痛い目に遭わせてやりたいと思っていたのだ。

 身勝手な考えかもしれない。しかしどうしても、スグリを馬鹿にする彼らのことを許す気にはなれなかったのだ。


 不良グループの一人である男子生徒が、下品な笑顔を浮かべながら近づく。


「おーおー、ヒーロー気取っちゃってまぁ。自分が何してるか、わかんないのか?」

「それは、お前たちにも言えたことだ……!スグリから、離れろ!」

「聞いたか?こいつ、俺たちに説教垂れてるつもりだぜ?」

「そこまで本気になるっつーことは、デキてるのは間違いないみたいだなぁ」


 不良グループはあくまで、スグリから離れるつもりはないようだ。こっちが言葉で言っても聞いてくれないなら仕方ない。ヤクは静かに、気付かれないようにマナを集束していく。やがて不良グループの一人が、こちらを見下しながら問いかけてきた。


「嫌だって言ったら?」

「……こうしてやる」


 その言葉の直後、ヤクは集束したマナをその生徒に対して放つ。イメージしたのは風の弾だ。それをいくつもその不良生徒に向かって投げつける。その魔術を受けた男子生徒は弧を描くようにして宙を舞い、地面に落ちる。どさりと地面に落下した男子生徒。一瞬の間をおいて、その様子を見せつけられた不良グループの生徒たちに緊張と怒りが走ったように思えた。血相を変え、ヤクを睨みつける。


「てめぇ、ちょっと綺麗な顔してるからってふざけんじゃねぇぞ!?」

「野郎、ぶっ潰してやる!」


 怒号が合図であるかのように、不良グループの男子たちは一斉にヤクへ向かってきた。

 大人数で襲い掛かられようとしているのに、どうしてだろうか。ヤクの心の中には怒りが渦巻いていたからか、恐怖の感情はない。大切な、一番の友達を傷つけた人間は誰であろうと絶対に許さない。潰すのはこちら側だ、という考えに染まっていた。


 自分の中のマナを巡らせ、身体能力を向上させる。反射神経の速度を上げられると思い、考えて練習していたことだ。そのお陰か、男子生徒の動きがよく見える。自分に向かって振り下ろされる拳を避け、スグリの分のお返しだといわんばかりに、その生徒の腹に蹴りを入れた。

 崩れ落ちる男子生徒。それもそうだろう、一見普通の足蹴りに見えるが、蹴る足の方にマナを集めてみたのだ。威力が上がるんじゃないか、と。予想通り思った以上に威力が上がったようで、自分の蹴りでも男子生徒の動きを止めることができた。

 そのことに一瞬安心したが、その隙を突かれた。別の男子生徒がヤクの顔面を狙い、拳を突き出していた。反応が遅れ、頬に拳が入る。脳まで揺らされたような感覚を覚えるが、スグリはこの何倍もの痛みを受けたんだ。倒れてなんかいられない。口の中に錆びた味が広がるが、気にせずに向かっていく。


「このクソ野郎……!!」


 不良グループの一人が懐からナイフを取り出す。勢いそのままヤクに突き刺そうと動くことに気付くも、他の不良生徒を相手していたために反応が遅れる。このままではナイフが突き刺さると覚悟したが、その前に自分と不良生徒の間に入る影が一つ。


「させるかよ!!」


 その影は不良生徒のナイフを持っていた方の腕を掴むと、そのまま背負い投げをお見舞いする。彼の声で、影が誰かを理解したヤク。


「スグリ……!」

「ったく、無茶しやがって。でも、ありがとな」

「だって、僕が嫌だったから。……スグリを傷つける奴らが、憎かったから」

「憎いって、お前……」

「なにイチャついてんだクソどもが!!」


 まだ向かってくる不良グループたち。彼らの攻撃をかわしつつ、無力化を図る。もはや喧嘩というより乱闘のようになっているが、互いに引けなかった。相手は喧嘩慣れしている分、ヤクとスグリもそれなりにダメージは入っている。


「負けない……!」

「こいつは、お返しだっ!」


 それでも二人は、着実に一人一人倒していく。ヤクは時に、向かってきた不良生徒に対して地面の砂で目潰しをしてから殴るという、徹底ぶりを見せながら。

 そしていよいよ最後の一人になる。その生徒は、いつもスグリの陰口を叩いていた生徒だった。スグリはまだ、ほかの生徒の相手をしている。拳を握り締めながら近付けば、その不良生徒はひっと情けない悲鳴を上げつつも、ヤクに向かってきた。


「こ、この野郎がぁあっ!」


 へっぴり腰で殴りかかってくるものの、威力もスピードもないその拳は簡単に避けることができた。よけられたことでバランスを崩したのか、不良生徒は転ぶ。それを好機と睨んだヤクは彼の上に馬乗りになり、胸ぐらを掴んだ。


「な……なんだよ!田舎者を田舎者って言って何が悪いんだよ!?」

「……うるさい……」

「お、お前もどうせ田舎者だろ!それに男のくせに髪切らないとか気持ち悪──」

「うるさいっ!!」


 不良生徒が言い終わる前に、ヤクは彼の顔面を殴る。勢いそのまま、彼も叫び返しながら何度も拳を打ち付けていく。


「お前に何が分かる!スグリの何が分かるんだ!!スグリがお前に迷惑かけたか、何かしたか!?田舎者だろうが何だろうが、普通に生きていられるスグリのことを馬鹿にしていい権利なんて、お前にあってたまるか!!謝れ、謝れよ!!」


 感情が静脈に乗って逆流したかのように、ヤクは激情に駆られながら何度も不良生徒に拳を振り下ろす。それこそ不良生徒の顔面が腫れ上がるほど殴り続けていたが、それをスグリに止められた。


「もういい!もう大丈夫だから落ち着け!」

「っ……はぁ……」


 スグリに肩を掴まれたことで正気に戻ったヤクは、途端に襲ってきた酷い疲労感にぐったりする。スグリに体を預けるようにもたれかかり、肩で息をする。


「大丈夫か?」

「うん……。ちょっと、マナを使いすぎた、だけ……」

「……本当に、ありがとな。俺のために怒ってくれたんだよな」

「だって……許せなかったから。スグリは何も悪くないのに、それを馬鹿にする奴らが許せなかったんだ……」


 だから、そんな奴らを倒すために強くなりたかったんだ、と。この言葉はまだスグリには伝えず、飲み込んだ。また無茶をするなと叱られそうだから。

 スグリの体に身を寄せていたが、どこからか複数の足音が聞こえる。その音が大きくなり、やがて目の前で止まったように思えたヤクは顔を上げた。そこには複数人の、腕章を付けている生徒たちが武器を構えている光景が視界に映る。


「全員動くな!生徒護衛委員だ!」

「って、もう終わった後みたいだな?」

「ぁ……」


 一瞬警戒するも、生徒護衛委員と分かると緊張が解けた。彼らは、自分たちが学園中に張り巡らせているセンサーに自分たちが引っ掛かったからと、状況を治めに来たのだそうだ。ヤクは疲労感で頭が回らないため、彼らとのやり取りはスグリが代わりにしてくれている。


「だけど、遅かったようだな」

「そうみたい。悪いけど、生徒指導室まで一緒に来てくれない?状況を教えてもらいたいから」

「ああ、わかった。けど……」

「わかっている、まずはその怪我の手当てが先だ。保健室まで行こう。そっちの彼は大丈夫なのか?」

「はい……。マナを一気に、使っただけなので……」

「わかった。とりあえず俺がおぶろう」


 言われるがままに生徒護衛委員の一人に背負われたヤク。そしてそのままスグリと他の生徒護衛委員と共に、怪我の手当てをするため保健室へと向かうのであった。

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