第二話
第二十一節 悲しみは続かない
ルーヴァという人物に連れてこられ、スグリとヤクはミズガルーズ国家防衛軍の駐屯地という名のテントがある場所に向かっていた。黙って男の後をついて歩く間、スグリは考えを巡らせていた。
先程聞こえた話の内容を、スグリはすべて理解できたわけではない。しかし自分たちを拘束するといった男の軍人は、己の言うことを素直に聞いてくれれば悪いようにはしない、とは約束してくれた。どこまで信じられるものかは、わからない。だがここは見知らぬ土地だ、今は素直に従ったほうがいいのかもしれない。
自分の後ろには、ぴったりと張り付いて恐怖を押し殺しているようなヤクの姿。ただでさえ目が回るような展開なんだ、自分がしっかりしなければ。これ以上、ヤクに無理をさせたくない。
「さて、着いたよ。中に入ってくれるかい?」
前を先導していたルーヴァが振り返り、微笑みかけながらスグリたちに声をかける。それに対して小さく頷くだけの返事を返し、ヤクの手を握りながら中へと入った。中には簡易的なベッドが並べられている。
そんな空間の奥で、一人の軍人が怪我人の手当てをしてる。オレンジ色の長い髪の人物。その人物はスグリとヤクに気付くと、手当てしながらも軽く手を振るった。相手が子供だから、怖がらせないようにしようとしているのだろうか。そのままオレンジ色の髪の人物は手当てを終わらせると、ルーヴァに向かって気さくに声をかける。
「あらぁるーちゃんじゃないの。どうしたのその子たち?」
「後で詳しく説明しますよ、ツバキ副師長。だけどまずは、この子の手当てをお願いしてもいいですか?」
とん、とルーヴァにやさしく背中を押される。実際、顔や体の痛みは引いていなかったのだ。オレンジ色の髪の──ツバキと呼ばれた人物はスグリの様子を見て、にっこりと笑う。
「そうみたいね。こんにちは坊や、ここに座ってくれるかしら?傷の手当てしてあげるわよ」
「えっと……」
「大丈夫だよ、この人は味方だから。何も悪いことはしないよ」
ね、と優しく微笑むルーヴァ。ひとまず、すぐにどうこうされるわけではなさそうだと理解して、スグリは指示に従う。椅子に座ると目の前の人物が、怪我の手当てをしていく。傷口に消毒薬を塗られると沁みる。船長らしき男から、思ったよりも強く殴られていたみたいだ。表情を歪めたことに気付かれたのか、ツバキはなだめるようにスグリに声をかけた。
「ちょーっと痛いかもしれないけど、大丈夫よぉ。すぐに治してあげるからねぇ」
そして彼──一応便宜上、男性としている──は消毒薬を塗ったスグリの傷口に手をかざすと、小さく何かを唱える。すると淡い光が彼の手から零れ、落ちていく。雫のような光が傷口に落ちると、そこから痛みが引いていく。打撲の痕すら消滅していく様子に、思わず目が離せない。
しばらく経っただろうか、光が収束したあとには傷一つ残らなかった。試しに殴られた腕を動かしてみても、痛みは全く感じない。
「はい、お手当て終わりよ。どう、痛みもなくなったでしょう?」
「はい……もう、痛くないです。……ありがとうございます」
「どういたしましてぇ」
椅子から立ち上がりヤクに近づけば、彼は不安な表情のままスグリに寄り添う。
「だい、じょうぶ……?痛くない……?」
「ああ、痛くないよ。もう大丈夫だ。それに、お前のせいなんかじゃない。そんなに自分を責めなくていいんだから」
「……うん……」
スグリのその言葉で、ヤクもようやく一安心してくれたみたいだ。小さく息を吐いてから、スグリの服の裾を掴む仕草をする。
そんな二人の様子を黙って見守っていたルーヴァが、彼らを目線を合わせるように膝を折る。それで、と話題を二人に振ってきた。
「説明、してくれるかな?どうしてキミ達は、密航なんてしてきたのか」
「っ……それ、は……」
「大丈夫だよ。さっきも約束したように、僕の言うことを聞いてくれれば、何も怖いことなんてないよ」
あくまでも優しく接してくるルーヴァを前に、スグリはどうしたものかと考えようとして──切なくその場に鳴り響いたのは、腹の虫が鳴く声だった。
一瞬の静寂の後、スグリの顔は真っ赤に染まる。あまりの恥ずかしさに思わず俯き顔をそらした。いや、確かに怖いことも起こらず多少安心していたが。見ず知らずの人に腹の鳴る音を聞かれるということは、存外に恥ずかしさが増す。
一方ヤクはどう動けばいいのかわからないのか、おろおろとスグリと目の前の軍人たちに交互に視線を投げていた。そんな様子に小さく笑ったルーヴァは立ち上がると、二人に食事を提案した。
「食べながら話そうか?」
「……はい……」
優しい問いかけに、消え入りそうな声で答える。次にそのままルーヴァの案内で、軍が用意しているという別のテントまで移動することになった。案内されたテントの中は先程の医療用のテントよりも狭いが、まだ静かな空間だ。スグリとヤクにとっては少し高めの椅子だったが、そこはルーヴァに持ち上げられ、座らされた。
「ここで少し待っていてくれるかい?今何か食べるものを持ってくるよ」
そう告げたルーヴァが一度、テントの外に出る。二人だけとなったテント内で、まずスグリはヤクに声をかける。
「大丈夫か?何か、怖いものとかあるか?」
その質問は、問いかけというよりは確認の意味合いが近い。スグリは、ここに連れてこられたヤクが先程よりも緊張している様子だったことに、気付いていた。表情が先程よりも硬いのだ。そのうえ、小さく震えている。スグリの言葉に、ヤクはややあってから小さく言葉を零す。
「……白い大人が、いっぱいいるの……こわ、い……」
「白い大人って、あの軍人たちのこと?」
「うん……。僕、いつも……白い大人の人たちに、痛いこと……されてたから……」
「……そっか……。大丈夫、何があっても俺が守る」
震えているヤクの手を握るスグリ。不安そうに自分を見つめてきた瞳に、ゆっくりと頷き返す。それでヤクも少しだけ落ち着きを取り戻したのか、小さく頷き返事を返す。その直後に、お盆を持ったルーヴァが戻ってきた。
「こんなものしかなかったけど、よかったら食べてね」
申し訳なさそうに言いながら彼がスグリたちの目の前に置いたのは、バターロールとコーンスープだった。ガッセ村ではあまり見ないものだ。ルーヴァ自身も同じものを自らの前に用意して、食べようと声をかけてくる。
その言葉にすぐ答えることはできなかったが、ルーヴァが何の問題もなくそれらを口にしているところを見て、安全であることは理解した。そこでスグリがまず、スプーンに手を伸ばす。その先にあるのは、コーンスープの皿だ。
皿に盛られているコーンスープからは湯気が立ち上り、スプーンで掬えば淡い黄色の液体が、とろりと零れる。トウモロコシの甘い匂いにひかれて一口啜れば、優しい味わいが口の中に広がった。生クリームだろうか、クリーミーな味わいとトウモロコシ自体の甘みが、張りつめている精神を和らげていく。
次にバターロールを一口サイズにちぎり、口に運ぶ。焼きたてで、ふわふわとした生地の触感と、そこからじんわりと染み渡るように広がるバターの味わい。舌の上で溶けてから口内に広がる風味、鼻から抜ける香ばしい香りに、素直に美味しいと感じたスグリである。
この二つからは変な味はしない、食べても大丈夫だ。そう確信したスグリは、ヤクに一つ頷く。スグリの様子を窺っていたヤクはそれを見てから、恐る恐るといった様子で同じようにコーンスープを口に運ぶ。飲み込んでから、それが美味しいと感じたのだろう。ほっと小さく息をついてから、また口にする。
「美味しいかい?」
「あ……はい。美味しい、です」
「……おい、しい……です……」
「そっか、それはよかった。今日のメニューは僕の好物なんだよ」
緊張を紛らわそうとしてくれているのだろうか、ルーヴァはスグリとヤクに笑いかけることをやめずに話しかけてくれている。しかし食べながらも、彼はスグリたちに質問を投げかけることはやめなかった。
「まずはそうだね、キミ達の名前を教えてくれるかな?」
「えと……俺は、スグリ。スグリ・ベンダバル……です」
「……ヤク・ノーチェ……」
「スグリにヤク、だね。二人は兄弟……では、ないよね?」
存外に鋭い問いかけに、思わず息を呑む。確かに外見に大きく違いがあるスグリとヤクを、兄弟に見せることは難しいのかもしれない。しかし大抵の人なら騙せるのではないか、と考えたことも事実だ。だがこうもはっきりと断言されては、反論のしようがなかった。大人しく、ルーヴァの問いかけに頷く。
「……はい」
「それから、もう一つ。家族の人はどうしたのかな?」
「それ、は……」
「もしキミ達が普通の迷子なら、軍で情報提供を呼び掛けて親元に戻すこともできるけど──」
「それはダメだ!!」
親元に返す、それはつまり折角出てきた大陸に逆戻りにされる。ルーヴァの言葉を聞いたスグリは、弾かれるように思わず言葉を荒げた。叫んだ直後に静まったテント内に気まずさを感じ、スグリは声を小さくしながらも反論の言葉を述べる。
「俺たちに、親はいない……。逃げてきたんだ、俺たち。だから……」
「大丈夫、ある程度の予想はついていたよ。子供だけで密航してくるなんて、余程の理由がないと考えられないからね。紛らわしい言い方してごめんよ」
「えっと……」
「そうだね、誤魔化さないで伝えようか。僕はキミ達を、僕がいる国で保護したいって考えている。だから、僕たちと一緒に来てくれないかな」
──僕たちがいる国、ミズガルーズまで。
ルーヴァの提案は、スグリたちにとっては願ってもみない案だった。
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