第二十二節 ほのかな喜び
ミズガルーズに一緒に来てくれないか。
ルーヴァのその提案に、スグリとヤクはすぐに返事をすることはできなかった。予想外だったのだ。拘束するという名目で連れてこられたはずが、保護したいと言われるなんてと。
彼の言葉をもう一度聞き返すように、スグリがルーヴァに尋ねる。聞き間違いではないだろうか、と。
「保護……?」
「そうだよ」
「でも、さっき……密航は罪であり、密入国者は裁かれて然るべきだって。だからその、檻に入れられるのかなって……」
「もちろん、大人が密航したらそれ相応の罰を与えるよ。キミが言ったように、檻にも入れる。……確かにキミ達は罪を犯した、それは消えることはないけど……。そうだね、僕はキミ達をすぐに裁くことはしたくないんだ」
軍人としては甘いかもしれないけどね、と苦笑するルーヴァ。言葉の真意がわからずにお互いを見つめるスグリとヤクに、彼はゆっくりと説明していく。
「キミ達はアウスガールズから大陸を挟んでここまで密航してきた。そうだろう?」
「っ、どうして……わかったんだ……?」
「キミ達の服装は、アウスガールズの北部や南部の地域でよく着られるものだからね。それにキミ達が密航するために乗った船は、大陸を挟んだ海の街ビネンメーアからの輸入便だ。それがわかれば、キミ達が何処から来たのかくらいは予想がつくよ」
それに、とルーヴァは言葉を付け加える。一瞬、どこか懐かしむような遠い目をしたことに、スグリは気付く。
「僕の故郷も、アウスガールズの北部の方にあってね。だからかな、キミ達を放っておきたくなくなったんだよ」
「そんな、理由で……?」
「人助けの理由なんて、ちょっとしたことが多いよ。キミなら、その気持ちは少しわかるんじゃないかな?」
その言葉の後の優しく、しかし研ぎ澄まされたような視線を投げかけられ、スグリは少しだけ息を詰まらせる。この人物は、自分がヤクを守ろうとしていることを見抜いていると気付かされる。
確かにルーヴァの言う通りスグリには彼の、自分たちを保護したいという気持ちに多少の理解ができていた。人助けのきっかけなんて、他人から見たら些細なものでも当人にとっては重要だということも、子供ながらに納得することができる。ちらりとルーヴァを一瞥しても、彼の表情からは嘘は見えない。加えてルーヴァは約束通り、今のところスグリにもヤクにも危害を加えてはいない。寧ろその逆で、労われているようにすら感じていた。
──なら、この人のことは信じてもいいのだろうか。
不安を払拭するように、スグリは言葉を絞り出す。
「……じゃあ、本当に……?」
「ああ、本当だよ。僕は、キミ達二人を保護したいって考えている。だから僕のことを信じて、一緒に来てくれないかな」
彼の言葉に、スグリとヤクは互いに顔を見合わせる。不安そうに見つめるヤクに対して、スグリはもう一度彼の手を握ると一つ頷く。その動きを見て、ヤクもやや時間を要してからゆっくりと頷いた。
「わかった……一緒に、行く」
「……そうか。決断してくれてありがとう、二人とも」
「けど、絶対に約束してほしい!俺はヤク……こいつを、幸せにするために逃げてきた。だから、ヤクを泣かせるようなことだけはしないって。それさえ守ってくれれば俺は、何でもするから……!」
「……スグリ……」
ルーヴァの瞳をじっと見据えながら、スグリは告げる。ヤクの手を強くも優しく握りながら話すスグリを見て、ルーヴァに去来したものは何か。一度目を閉じてから、しっかりとした口調で「わかった」と答える。
「それだけ、キミがヤクを守りたいっていうのなら。僕はその約束を全力で守るよ」
「っ、ありがとうございます……!」
「じゃあ、とりあえずこれからキミ達を送る場所を伝えるけど──」
それからルーヴァからこれからの方針を伝えられる。
まずはミズガルーズ国家防衛軍の軍艦に乗って、ミズガルーズ本国へ向かうと伝えられた。そのあと、二人はとある施設に預けられることになる、とも。施設という単語を聞いたヤクが体をこわばらせるが、ルーヴァが施設は彼が予想しているような場所ではないと説明する。
「大丈夫、キミ達を預ける場所……この場合、保護する場所って言えばいいかな。そこではキミ達と同じくらいの年の子供たちが、みんな仲良く遊んでのびのびと生活できている場所でもあるから」
「……ほ、んとう……?」
「僕の説明を今すぐに信じてくれなくてもいいよ。実際に見てもらえば、きっとわかってくれると思うから。それに、約束したからね。キミを泣かせるようなことは絶対にしないって」
ルーヴァのその言葉に、裏は感じない。なら彼の言葉は本当のことなのだろうと信じてもいいのかもしれない、そうスグリは思い始めていた。そこで、ヤクの様子を一瞥する。相変わらず不安そうな表情のままだが、硬さは多少薄らいだように見える。
「わ、かった……」
「ありがとう、二人とも。じゃあご飯を食べたら出発するように、部下に指示してくるからね」
「あ、うん……」
そっけない自分たちの返事にも嫌な顔一つもせずに接するルーヴァ。そんな彼に対して多少の気まずさを感じながら、スグリは少し冷めてしまったコーンスープを再び口にするのであった。
その後簡易的な食事を終わらせてから、少し経った後。ルーヴァを含めた軍人たちが軍艦に搭乗するためか、港付近は慌ただしい雰囲気に包まれていた。ミズガルーズ国家防衛軍の白い軍服に身を包んだ人物たちが近くを行き交う度、ヤクは震えながらスグリにしがみつく。
白い大人たち、という点で恐怖心が蘇っているのかもしれない。落ち着かせるように彼の背中をさすりながら、大丈夫と声をかける。スグリの声を聞くたびに小さく頷くも、やはりそう簡単に嫌な記憶は消えないのだろう。ヤクが一刻も早く安心して生きていける場所に連れていきたい。軍艦はまだ出ないのだろうかと考えながら、スグリはヤクを慰め続けていた。
******
それからミズガルーズ本国に到着するまでの間、スグリとヤクはルーヴァの仕事場という部屋で匿われていた。あまりにも震えが止まらなかったヤクを見て心配したツバキが、ルーヴァにそうするよう提言したのだ。
ヤクの震えの理由をスグリは伝えなかったが、彼らはある程度察してくれたのだろう。特にスグリたちに問いただすことなく、部屋で休息をとった方がいいと提案してくれた。その狭い部屋の扉がノックされ、部屋の主であるルーヴァが入室してきた。
「お待たせ、ミズガルーズに到着したよ。ヤクの震えは……大丈夫かな?」
ルーヴァがヤクの様子を尋ねる。部屋に置いてあったソファで寄り添うように座っていた二人は、ヤクがスグリにすがるように体を寄せていた。先程よりも震えは治まっていたが、それでも瞳を強く閉じながら身を固くする姿に、ルーヴァも思うところがあったのだろう。ゆっくり近付いて、彼に謝罪する。
「ごめんね、ヤク。まさかそんなにも、怖い思いをさせていたなんて思わなくて」
「ぁ……ち、ちが……ごめん、なさい……僕、ぼく……」
「大丈夫、僕以外の人員にはもう軍艦から降りてもらってるよ。今ここには僕しかいないし、この部屋を出ても他の軍人とは会わないよ、約束する」
「……本当に、本当だろうな?」
「ああ、もちろん。もちろん言葉だけじゃなくて、行動で示すよ」
ルーヴァと視線を交わす数秒。彼の真剣な表情に、やはり嘘は感じられなかった。
「……もし、またヤクを怖がらせるような場面にあったら。俺はお前を許さないかもしれない……」
「心得てるよ。本当に申し訳なかった」
「ヤク……」
「うん……。いい、よ……」
それからの行動は早かった。まずルーヴァ以外のミズガルーズ国家防衛軍の軍人と鉢合わせないようにと、ルーヴァがヤクを背負う。ルーヴァ相手ならまだ比較的震えは出ないようで、視界を塞ぐためか、背負われたヤクはルーヴァの背中にぴっとりと張り付く。
次にずっと素足だったスグリには簡易的な靴を用意し、ルーヴァの後を歩いてついてきてもらうように指示される。
準備ができた一行はルーヴァの案内でまず軍艦から降りると、城壁に囲まれている国──ミズガルーズ本国へと歩を進めた。外からは中々わからなかったが、国内はかなりの広さを有しているようだ。行き交う人の多さが古郷とは段違いであり、もはや圧倒されかけていた。
ルーヴァは国に通じる大きな石橋を渡ると、左の方角へと歩いていく。スグリもこの人ごみの多い中で見失わないようにと、必死に彼の後ろを追いかける。
それからどれくらい歩いただろうか。最初は騒がしい音しか聞こえなかったが、その喧騒が少し和らいだような気がして、スグリは目の前を見た。
周囲を策で囲われてはいるが、その中にある自然は広く整備されている。ところどころには遊具だろうか、見たことのない物体が置かれている。そして自分と大して年の変わらない子供たちが、その中で楽しそうに遊んでいる様子が見て取れた。見たことのない光景に目を奪われていると、不意に隣にいたルーヴァが声をかけてきた。
「着いたよ。ここが、キミ達を保護してあげられる場所だよ」
「……なに、ここ……?」
「なんて言えばいいのかな。孤児院、みたいなものだよ。ここにいる子供たちは、みんなキミ達と同じ──」
親兄弟を亡くした子供たちが、救われる場所なんだよ。
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