第二十節 希望がかなう

 それから、どのくらい歩いただろう。ヤクの手を握り、ヴェルザンディが指し示す道を歩き続けて、しばらく経った頃。ようやく森の出口に辿り着く二人。

 森を抜けた先で一番最初に見た光景は、盛んな港の風景だった。船が何隻も船着き場に寄せてある。その中で積み荷を運び出す船や、そのまた逆で荷を積んでいる船を視界に捉えることができた。ひとまずの目的地はそこだとヤクに告げる。スグリの言葉にヤクも頷き、そこに向かうことに同意する。


 二人にとってガッセ村以外での大きな街並みに、少なからず緊張していた。森の出口から観察してみたが、街の入り口付近に門番らしき人物の姿は見えない。それでも正面から入るのははばかれると感じたスグリは、心の中でヴェルザンディに抜け道はないかと尋ねる。


『あるよ。風で教えよう、ついて来たまえ』


 造作もない、といった様子で、ふわりと風がスグリに道を指し示す。今一度ヤクの手を握る。ヤクからも、手を握り返された。彼を元気づけるように、笑いながら言葉をかける。


「もう少しだからな」

「……うん」


 そして風の導きに従い、裏道を通りながら海の街ビネンメーアへ向かった。


 ******


 海の街ビネンメーア。そこの港に辿り着いたスグリとヤクは、積み荷の陰に身を潜ませる。数多くの船が泊まっているが、どの船に乗ればいいのだろうか。それ以前に、自分たちはお金を所持していない。つまり船に乗るには、必然的に密航する形になってしまう。どうしたらいい。

 しばし考えて、スグリが導き出した答えは──。


「積み荷に隠れて行くしか、ないかぁ……」

「積み荷、に……?」

「子供二人が隠れられるような大きな荷物があれば、そこに隠れて一緒に運んでもらう形で船に乗れるだろ?」

「……うまく、いくかな……」


 ヤクが不安そうに呟く。彼の不安ももっともだ。正直なところ、スグリ自身にもこの作戦が成功する保証が、どこにもないということを承知している。それでも、ここでこのまま身を潜ませているだけでは、何も変わらないということも理解していた。彼は一度ヤクの手を握ってから、答える。


「わからない……わからないけど、こうするしか方法はないと思う。大丈夫、何があっても一緒だ。二人でなら、俺は怖くない」

「スグリ……。……うん、わかった……」

「ありがとな」


 それから先程と同じようにヴェルザンディに頼み込み、この大陸を離れる船とその船が積み荷を運んでいるかを確認してもらう。幸いにも一隻、ちょうど積み荷を運ぼうとしている船があると教えてもらった二人は移動。

 ある程度の大きさの荷物まで向かい、蓋が開いているかどうか確認することに。そこで一つだけ、蓋の締まりが緩い程よい大きさの荷があることに気付く。これ幸いとその荷に隠れ、運び出される時を待った。息を潜めるスグリとヤク。しばらくすると自分たちが隠れた荷物が浮遊し、運び出される感覚を覚える。箱の外から、船上員らしき人物の声が耳に入った。


「なんだこれ、やけに重たいな」

「測り間違いか?まぁいい、あとでノーアトゥンで確認すればいいだけだろ」

「それもそうだな。よし、残りも運んで出港するか」

「そうすんべ」


 その短い会話を最後に、声は遠ざかる。どうやらまだバレてはいないようだ。一安心して、深呼吸をする。どうかこのまま、見つかりませんように。

 自分たちが隠れた荷物が船に乗せられ、少しして。出航を告げる汽笛の音が響く。突然の大きな音に思わず身を固めたヤクを抱きしめ、彼を安心させる。彼はどうやら、大きな音が苦手らしい。背中をさすりながら、大丈夫だと声をかけた。


 それからは、比較的順調に密航には成功したようだ。船が波をかき分ける音も徐々に聞こえる。そこでようやく無事にガッセ村のある大陸から離れたことを、音を頼りに確認できた。その時点で、溜まっていた疲労が押し寄せてきたのだろう。ヤクもスグリも、まどろみに意識を傾けてしまった。


 それからどのくらいの時間、船に揺られていたのだろう。目が覚めたのは、頭をかき鳴らすほどの罵声と衝撃だった。


「オラ目ェ開けろやこのクソガキども!!」


 そんな声とともに、またしても頭に衝撃と今度は痛みを受ける。呻きながらも目を開ければ、怒髪天を突いたような男の顔が目の前にあった。茹でられたタコのように真っ赤に顔を染めた男は、スグリが目を覚ましたとわかると今度は彼の頬を殴る。殴られた痛みのおかげで、スグリの意識はばっちりと覚醒する。ちらりと見えた景色は、見たことのない港の風景。どうやら無事に大陸を渡れたようだ。

 それと同時に瞬時に理解する。密航がばれてしまったのだと。その騒動に、ヤクも目を覚ましたのだろう。目の前にいた男を前に小さく悲鳴を上げ、怯えて身を固くする。


「この野郎、ガキの癖に密航とはいい身分じゃねぇか!ぁあ!?」

「だからって、殴ることはねぇだろ……!」

「うるせぇ!この船では俺がルールだ、金も払わねぇクソガキにはこれ位しても構わねぇだろがクソッタレ!」


 怒号と共に容赦なく殴りつけられる。その痛みと強さに、脳が掻き回されるのではないかと錯覚してしまう。ある程度スグリを殴りつけた男は、次の標的をヤクに変えた様子だ。ギロリと彼を睨み付け、ヤクに腕を伸ばす。


「っ……そいつに触るなっ!!」


 男がヤクを捕まえる前にと、スグリは間に割り込んで腕を広げる。スグリのその反抗的な態度がどうやら男の癪に障ったようで、さらに激高した。もう一度男が拳を振り上げたところで、ある別の男の声が割って入ってきた。


 ──「これは何の騒ぎかな?」


 凛とした声に、その場が一瞬で静まり返る。彼らの視線の先には、白い服を身に纏った人物たちがこちらに歩いてくる様子が見て取れる。中でも一際目立った、海の波のような色の髪を持つ男性。彼は後ろに控えている白い服に人物たちを率いるように歩き、スグリたちに近付く。

 その男たちに対して、まずスグリを殴りつけた男が言葉を漏らす。


「ミズガルーズ、国家防衛軍……!?」

「……軍人……?」


 男の言葉に、スグリが呟く。ミズガルーズ国家防衛軍。初めて聞く名前だった。暴力を振るった男を前にしても、目の前の男は悠然とした態度でもう一度尋ねる。


「おや、聞こえなかったかな。これは何の騒ぎかなと聞いたのだけど」

「あ……ぐ、軍人様!これはその、私の船にこのガキ共が潜り込んでいたようで!密入国者です!!」

「ほう……それはそれは、一大事だね」

「そうなんです!だから──」

「だから、殴ったと?」


 男の声を遮るように語る、軍人の男性。男性はにこやかに微笑んでいるだけのはずなのに、何故だろうか。まるで罪人を断罪するかのような目付きであり、言ってしまえば背筋が凍るようだ。

 暴力を振るった男も同じように感じたのか、口を噤んで息を飲み込む。そんなことはいざ知らずと、軍人の男性が続けて話す。


「密入国者を見つけたのならば、何故すぐに我が軍の憲兵に引き渡さなかった?」

「そ、それは……」

「もちろん密航は罪であり、密入国者は裁かれて然るべきだ。もし野放しにしたら、どうなることかわからない。そう考える貴方の立場も理解できる。……しかし無駄に暴力を振るう必要が、どこにあったのかな?しかも、子供相手に」


 鋭い視線に、暴力を振るった男はたじろぐだけ。しかしやがてその視線に耐え切れなくなったのか、素直に謝罪の言葉を述べた。大人しくなった男に対し軍人の男性も微笑み、男の非を許す。


「わかっていただけて何より。ではこの子供たちは軍で身柄を拘束するが、それで構わないね」

「はい……軍人様方のご指示のままに」

「ありがとう。それと、密入国者の報告は感謝してるよ。これからは、素直に憲兵に引き渡すこと、いいかな?」

「了承しました……」


 それを最後に解放されたスグリとヤクの前に、先程の男と変わるように軍人の男が膝をつき、声をかけてきた。先程までの冷たい視線ではなく、あくまで怖がらせないようにと柔らかい表情になるが。


「さて、キミ達にはしっかりと事情を聴かなければならないけど……」


 軍人の男が話しかけてくるが、スグリはそれでも警戒を解かずにヤクを守るように立ちはだかる。後ろではいまだ、ヤクは震えているのだ。二人の様子を見た軍人の男は、小さく笑ってから手を差し伸べた。


「まずは、その怪我を治療しなければいけないね。大丈夫、拘束するとは言ったけど、僕の指示を聞いてくれれば何も怖いことはないから」

「それは……本当のこと、か?」

「もちろん。ミズガルーズ国家防衛軍の名に懸けて」

「っ……」


 軍人の男の言葉を聞いたスグリが、様子を窺うようにヤクに視線を送る。彼に振り返り優しく名前を呼べば、恐る恐るといった様子で彼は目を開けた。スグリの顔を見た彼は、顔色を変えて縋る。


「スグリ、怪我してる……!僕の、せいで……!!」

「違う、お前のせいなんかじゃない。大丈夫だから」

「でも、でも……!」

「お前は何も悪くないから、安心しろって。それに、この人は俺たちに怖いことはしないって言ってくれたんだ。俺はその言葉を、信じてみようと思うんだけど……お前は、どうする?」


 スグリの言葉に、ヤクは震えながらも彼の後ろにいた軍人の男を見る。スグリも振り向き軍人の男に視線を送れば、彼は優しく笑って一つ頷く。その様子を見たヤクは、小さく頷き返す。


「……わかった……スグリが、信じるなら……」

「……わかった」


 ヤクの返答を聞いたスグリはもう一度軍人の男に向き直ると、差し出されていた手を握る。スグリの行動に、軍人の男は安心したように笑顔を見せた。


「ありがとう、二人とも。じゃあまずは話を聞く前に、軍のテントで怪我を治療しなければいけないね」

「軍の、テント……?」

「そう、近くに設置してあるんだよ。まずはそこまで行こうか」

「……わかった。えっと……」


 スグリが言い淀みながら軍人の男に視線を投げかければ、彼は一つ納得したかのように頷いた。そう言えば、名乗っていなかったねと声を掛けられる。


「僕の名前は、ルーヴァ。ミズガルーズ国家防衛軍、魔導部隊に所属している、ルーヴァ・ヴァイズングだよ。よろしくね」


 これがスグリとヤク、そして二人の恩人となるルーヴァとの出会いであった。


 第一話 完

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