第十五節 悲しい別れ
ヤクの怪我が完全に癒えたのは、彼が屋敷に来てから一週間後のことだった。その間でアマツたちの方でも、ヤクの仲間の救出作戦も整っていた。
正面切っての対峙では、救出することは不可能だと考えられたらしい。そこで利用する点が、ヤクが脱出の際に使ったという男子トイレの破壊された壁である。アマツの部下の調査の結果、一週間経ってもそこの部分は補修されていないということが判明。ならば使わない手はない。裏口に当たるそこから内部へ侵入し、子供たちを救出する方法をとった。向かってくるであろう世界保護施設の人間たちは、アマツが切り伏せる手筈になっている。
スグリにはその間、ヤクを守る役目を与えられた。アマツの邪魔にならないように、そしてヤクの仲間の居場所を彼に案内させるため、ヤクには動いてもらわなければならない。それまで、ヤクは死守されなければならなかった。ヤクの子供たちの居場所を突き止めた後、子供たちを誘導しながら本来の入口へと向かうことになっている。そのままブルメンガルテンから脱出、その後は待機させている屋敷の部下たちの誘導で、ガッセ村へと避難する。これが、アマツたちが立ててくれた作戦の内容だった。
そしてついに、その日が来た。ヤクが屋敷に来て7日目に突入した夜遅い時間帯から、彼らは動いた。まずはスグリたちが先陣として村を発つ。事は早朝に済ませた方がいい、それがアマツたちの考えだった。屋敷からブルメンガルテンまでは、馬で移動することになる。アマツとヤクで一頭、ナカマドとスグリで一頭を使う。ヤナギは屋敷に待機することになっていた。救出した子供たちを解放するための準備を、彼にはしてもらっている。
辺りはまだ、夜の帳に包まれている時間。玄関先で馬を用意するナカマドを待っている間、ヤクはこれからのことで恐怖を感じていた。今までいたところに、仲間を救出するためとはいえ戻ることになるとは。しかしもう、ここで引き返すことはできない。逃げてしまったら、何のためにみんなが己を脱出させてくれたのか。手を己の胸のあたりで握り、自らを守るように震えていたが、ふいに肩に誰かから手を置かれる。不安で置かれた肩のほうへ視線を向ければ、翡翠の瞳が優しくヤクを見つめている。
「大丈夫。俺も、父上もついてるから。一人じゃないんだぞ、お前は」
「あ……」
「絶対、助けような」
「……うん」
スグリのその言葉に、緊張が少しだけ和らいだような気がした。ぽん、と肩を叩かれると、何故か穏やかな気持ちになれたのだ。ほっと息を吐いた頃、ナカマドが馬を玄関先まで連れてくる。いよいよ時間だ。アマツに抱えられ、初めて馬の背中に乗る。その後ろにアマツが乗った。
「この手綱を、しっかり握っていなさい。良いな?」
「はい……」
「大丈夫だ、ヤク。お前のことは、私たちが守ろう」
アマツの言葉は、心に沁みる。蚊の鳴くような声だが、感謝の言葉を述べようとするとそれはすべて解決した後だと諭される。ナカマドとスグリの用意もできたようだった。
「では、参ろうか」
その言葉を合図にするかのように、アマツとナカマドは馬を走らせた。ガッセ村を抜け、スグリと出会った竹林を駆ける。突き抜ける風はどこか冷たかったが、背中から感じるアマツの体温や存在感が、ヤクに安心感を与えていた。
馬に乗って揺られていると、徐々に夜が明けていく。ぼんやりとした輪郭が目立つようになった。幸か不幸か霧が濃く出ていて、侵入するには絶好のチャンスといったところである。静寂の中で、やがて草の絨毯が見えてくる。帰ってきたのだ、ブルメンガルテンに。
まだ早朝ということもあってか、住民は寝静まっているようだった。研究施設は村の奥側にある。まずは見つからないようにブルメンガルテンを覆っている林の中に潜り、馬を降りることに。そこで一度、ナカマドとは別れる。彼には、別動隊でこの村に来るアマツの部下たちを先導する役割があった。研究施設には、ヤクとアマツ、そしてスグリの三人で侵入する。
「……こっち、です」
ヤクがアマツとスグリを誘導する。村の入り口からちょうど反対側、世界保護施設の裏側が見える部分まで行くたびに、足が竦むようだった。逃げては駄目だと己に叱責しながら、いよいよ肉眼で施設が捉えることができる距離まで近づいた。施設の所々は明かりがついている。今までの光景が脳内でフラッシュバックする。
「っ……」
「……怖いな、ヤク。だがあともう少しだ、頑張れるか?」
「……は、い……!」
「不安なら、手でも握ろうか?」
ほら、とスグリがヤクに手を差し伸べる。その手を握ろうとして、しかしヤクは握ろうとしない。握ってしまえば、彼の優しさに甘えてしまうかもしれない。そして己のことで巻き込んでしまうかもしれない。そう考えてしまい、怖くなった。そんな躊躇っていたヤクの手を、スグリは自らの手を伸ばし握ってきた。
「一緒にいる、お前は一人じゃない」
「……あり、がとう……」
「そうだぞヤク。私も、息子も、共にいる。怖いときは怖いと、素直に言っていいのだ。それで咎めることなど、私たちはせんよ」
「そういうこと」
「……はい」
小さく会話を交わしていると、目的の壁が破壊されたままの男子トイレがあるであろう場所が、視界に映り込む。あそこ、とヤクは指を指し、アマツとスグリは確認する。破壊された壁の大きさから、ヤクとスグリは問題なく侵入できる。しかしアマツには少々小さいようだ。どうするのかと不安そうに彼を見上げると、アマツはにっこりと笑い、答えた。
「穴が小さいのならば、無理にでも大きくするまでよ」
「え……?」
どういうことだろうと尋ねるよりも先に、アマツはゆっくりと壁のほうへと歩いていく。置いて行かれないようにとヤクとスグリは、慌てて彼の背を追う。
ある程度の場所で立ち止まったアマツは、腰に下げていた刀を鞘からすらりと抜くと、構えをとった。その直後のこと。
「"秘剣 天狗風"!」
上段で構え、振り上げたままの状態から、一気に刀を振り下ろした。その際にアマツが踏み込んだ地面は抉れ、振り下ろされた刀からは衝撃波が発せられる。まるで上から下の地面に叩きつけんばかりの暴風。衝撃が直撃した壁の部分は音を立ててひび割れ、崩れ落ちた。
「今だ、行くぞ!」
アマツの掛け声以前に目の前に起きた光景に衝撃を受けたヤクと、慣れているのかわかったと頷くスグリ。スグリに手を引っ張られ、ヤクはようやく我に返った。
「おい、行くぞ!?」
「あ、は、はい……!」
慌てながらもついていくヤク。男子トイレから施設内に入ると、突然の事態に狼狽している研究員たちが見えた。無謀にも向ってくるところを、アマツがヤクとスグリの前に立ち再び構える。
「そなた達と出会うのは初めてだが、悪いが斬らせてもらおう。未来の子供たちのためにな。……散るがよい。"秘剣 斬鉄"!」
アマツが刀で一閃。廊下の両端が一瞬にして割れ、向かってきた研究員たちをそのまま生き埋めにする。呆気にとられることばかりだが、囚われている子供たちの居場所はと尋ねられ、ヤクは案内を始める。その間も向ってきた研究員たちは、アマツがことごとく切り伏せていった。
自分たちが囚われていた場所は、何となく覚えている。ヤクは記憶を頼りに案内をしていくが、そう事がうまくいかないというのが世の常である。
ある曲がり角を曲がったところで、構えていた研究員がバールのようなものを振り下ろす。直撃を受ける寸前、誰かに背中を押されて前に倒れるヤク。直後に鈍い音がして、振り返ってみれば殴られた様子のスグリが見て取れた。どさ、と地面に倒れるスグリ。アマツも相対していた研究員を切り伏せ、彼に近づく。倒れたスグリの頭からは、血が流れている。その光景を目にし、一気に血の気が引く。
「スグリ!!」
「いっ……つ、ぅ……」
「ぁ……あ……!!」
「チッ、ガキかよ。……って、ぁん?テメェ、脱走した実験動物じゃねぇか!」
スグリを殴った研究員が、後ろで震えていたヤクを見ると声を上げた。研究員はヤクに近付きながら、卑下た笑いを隠しもしない。
「なんだぁ?今更どの面下げてきやがったんだ?」
「か……かえ、して……!みんなを、返して……!!」
「みんな?みんなって……ああ、テメェの脱走を助けたクソガキどもか!」
研究員はにんまりとした笑みを浮かべ、馬鹿にするようにヤクを見下ろすと、静かに告げた。
「よーく聞け。お前の言うみぃんなは、テメェの脱走を助けた罰で実験回数を増やしに増やした。アッチの処理相手も、お前以外のみんなを俺らでマワしてやった。その結果……ははは、残念だったなぁ──」
──死んじまった奴もいるぜ
冷酷に、しかし楽しそうに報告してきた研究員。彼の口から発せられる言葉が最初は理解できず、ヤクは小さく返事を返すことしかできなかった。
「ぇ……?」
今、なんて言われた?
死んだ?誰が?どうして?
「特にナンバー02だったか?テメェを一番最初に庇ったあのクソガキには、今までよりもひでぇ実験も施した。処理相手として魔物もけしかけてやった。苦しそうに喘いでたが、いっつも言ってたぜぇ。"ヤクが来るから負けない"ってな」
「……あ……!」
ナンバー02とは、己をこの施設内で一番理解してくれていた存在のことだ。優しい瞳の、メルツ。そんな彼が、己の身代わりになっていた。ガタガタと震えながらもヤクは、確認せずにはいられなかった。
「め……める、つは……どうし、たの……」
「ああ、ついさっき死んだわ」
「っ……!!」
死んだ。死んだ?メルツが?
間に合わなかった?あんなに、誰よりも優しくて強くて、自分を守ろうとしてくれたメルツが?己を信じて脱走を助けてくれたみんなが?
なんで、なんでなんでなんで──。
──……ああ、そうか……。
「ぼ、ぼく、の……僕の、せいで……!!」
自分のせいだ、自分が生きているから。
でも何も、どうして。
そこまですることないじゃないか。
「っうぁあああ──!!」
そう考えた瞬間、体中を巡る何もかもが沸騰した感覚を覚えた。
体の何かが爆発し、一気に体の外へ放出する。しかしもう、知ったことか。
自分はみんなを助けられなかった、間に合わなかった。
でも、なにも。
殺すことなんて、ないじゃないか──!!
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