第十四節 困難に打ち克つ

 その日、ヤクから話があるそうだとアマツから告げられたスグリは、彼の部屋へと向かう。今日はヤクがこの屋敷にきて4日目。アマツたちから、ヤクが世界保護施設から脱走したと聞いたのが、昨晩のこと。昨日の今日ということもあり、スグリは何かあったのかと不安を胸に抱えた。


 部屋の中にはヤクと、ヤナギが待っていた。スグリとアマツが中に入り、襖を閉めたことがわかると、ヤクはぽつりぽつりと話し始める。


「……その。僕は、助けを求めて……逃げてきました。白い、箱から。そこではいつも、僕やみんなが……白い服の大人たちに、殴られたり、実験させられていました。怖くて、痛くて……死ぬんじゃないかって、何度も思った」

「っ……」


 ヤクの言葉に、胸が締め付けられる。昨晩アマツたちからは聞いていたが、いざ本人の口から直接事実を告げられると、その悲惨さが肌に突き刺さるようだった。


「でもみんなが、みんなが助かるために、僕を脱走させてくれ、ました……。僕は助けてくれる人を、探してて……」

「しかし、途中で力尽きそうになってしまっていたのだな」


 アマツの言葉にヤクは静かに頷く。確認したアマツが彼に話の続きを促す。ヤクは拳を胸のあたりで抱えて、懇願するような瞳でアマツとスグリに迫った。


「お願い、です。みんなを……僕の、仲間を……助けてください!早く迎えに行かなきゃ、みんな死んじゃう……!!」

「ヤク……」

「お願い、助けて……!お礼は、なんでもしますから……!!」


 必死に頭を下げるヤク。先に動いたのはアマツだった。彼はヤクの名を呼ぶと、まずは顔を上げなさいと声をかける。恐る恐る、といった様子でアマツを見上げたヤクに、彼は優しい口調で答えた。


「それが、お前がここに来た目的なのだな?」

「……はい……」

「わかった。ならば、喜んで力を貸そう。困っている幼子を助けるのは、当然のことだからな」


 アマツの言葉に、ヤクは安心したのか泣きそうな表情になる。そんな彼の頭を撫でて落ち着かせるアマツに続くように、スグリも口を開く。


「俺も協力する。俺のできることでお前のためになるなら、なんだってするぜ」

「ほん、とう……?」

「当たり前だ。俺だってベンダバル家の人間で、この村の未来の領主になる男だ。友達になりたい奴の力になるのは、当然さ」

「……あり、がとう……」

「はは、よく言ったなスグリ。その気持ちを忘れてはならんぞ」


 にこやかに笑うアマツから、ヤクにしたように頭を撫でられる。それは暖かく嬉しかったが、まずは情報を整理しなければならないと、アマツが話を戻す。

 彼が何処にある白い箱から逃げてきたのか。それを理解しているかどうか。箱の名前は知っているかどうか。アマツの質問に、ヤクは時折首をかしげながら返答していく。


 白い箱というのは、世界保護施設のことらしい。ただ、その施設があった村の名前までは正確には覚えていない、とのことだ。何かヒントになりそうなものはないかと、様々な質問をしていくアマツたち。


「……よく、覚えてなくて……。ごめん、なさい……」

「そうか……。実はな、ヤク。お前がこの屋敷に来た当日にお前が着ていた服に、少々覚えがあってな。私も独自で調べておいたのだ。そこで、いくつか目星をつけた場所があるのだが……見てはくれんか?」


 そう告げたアマツは、ヤナギに地図を持ってくるように指示する。そしてヤナギが地図を持ってくる間に、アマツはヤクに答えづらいことかもしれんがと前置きを置いてから、ある質問を投げかけた。


「……ヤク。もし言いづらかったら、首を振るだけで構わん。お前は、ベンダバル家の人間とその施設で会ったことがあるのではないか?だから、最初私たちの名を聞いたとき、恐怖した。……違うか?」


 静かに、しかし正確に言葉を並べたアマツ。ヤクはその言葉を聞くと、さぁっと顔の色が悪くなる。その反応を見ると、やはり間違いではなかったらしい。ヤクはアマツやスグリたちと出会う前に、ベンダバル家の人間と出会っている。

 カタカタと震えながら小さく頷くヤクに、沈痛な面持ちでアマツがそうかと納得したように言葉を漏らす。


「すまなかったな、怖い思いをさせて」

「……で、も……ここの人、たちは僕に優しくして、くれました……」

「その、何されたんだよ……そんなに怖がるなんてさ」

「っ……ぼ、僕……その……大人たちに、裸にされて……。何度、も……処理?されて。痛くて、暑くて、苦しいって言っても、やめてもらえなくて。太った大きな男の人は、ベンダバルって呼ばれてて。裸になったその人に、僕……何回ものしかかられ、て……!」


 途端にガタガタと震え、頭を抱えるヤク。アマツは目を見開いて、彼を落ち着かせるようにヤクを優しく抱きしめる。ヤクも縋るように、アマツに抱き着く。アマツが小さく、なんとむごいと呟いたことを、スグリは聞き逃さなかった。


「そうだったのだな……。嗚呼、本当に申し訳なかった。謝ってもお前の傷は癒えんかもしれないが……」

「父上?」

「……知らなくてもいいことなのだよ、スグリ。少なくとも、お前には知っていてほしくなかったことだ」

「え……?」

「……お前が成長して大人になったときに、教えよう」


 それ以上は何も言うまい、と言わんばかりのアマツの背中。そんな背を見てしまっては、スグリもそれ以上何も問う気にはなれなかった。おとなしく口をつぐむ。

 やがて部屋までヤナギが戻ってくる。その時にはもう、ヤクも落ち着きを取り戻したのか、アマツから離れていた。


 畳の上に広げられた地図には、いくつか丸がついている箇所があった。ここガッセ村から一番近くについている丸には、ブルメンガルテンと記されている。アマツがその地図に記されている竹林を指差し、確認をとる。


「お前が倒れていたという竹林は、ここだ。そしてこの竹林から近い場所にある、世界保護施設がある村がこれらだ」


 竹林の周りには、ブルメンガルテンを含む三つの村に丸がついていた。この三つの村のうちのどれかにヤクはいたはずだ、とアマツは話す。


「こんなに、あるんだ……」

「そうだ。もしかしたら、これより多いかもしれん。だが今は、ヤクがいたと思われる村を見つけることが先決だ。……ヤク。よく、思い出してみれはくれんか?どんな小さなことでも、些細なことでも構わんのだが」

「……えっと……」


 必死に思い出そうとしているのか、頭を抱えうなるヤク。しばらくしてから、そういえばと呟く。


「箱から出たとき、草の絨毯があったような気が……します……。逃げてても、最初は……足の裏、痛くなかったです……」

「草の絨毯?」

「……なるほど、それは良いことを思い出してくれたな。この三つの中で草の絨毯がある村は、このブルメンガルテンのみよ」

「本当!?」

「違いない。それにブルメンガルテンからからの距離ならば、あの竹林で倒れるのも頷ける」


 冷静に分析をするアマツ。目的地が分かったヤクは、今すぐにでも行きたそうに視線を向けてくる。スグリもヤクと同じで、アマツに今から発とうと訴える。しかしその視線を受けて、アマツが出した答えは否だった。


「どうしてだよ父上!?」

「スグリ、何事にも準備は必要なのだよ。それはヤク、お前も同じだ。お前の怪我はまだ完全には癒えていない。そのような状態で向かえば、最悪の場合はお前の仲間どころか、お前まで守り切れなくなる。わかるな?」

「……で、も……!」

「傷が癒えるまで待ちなさい。お前が回復するためにも、必要な時間だ」


 それだけ言うと、アマツはヤクの頭に手を乗せる。彼の仲間の救出には必ず力を貸すと約束して。それで、一応早くも納得したのだろう。小さな声ではい、と返事を返す。そのあと、アマツはスグリにヤクのそばにいるようにだけ伝えると、ヤナギと共に部屋から出て行ってしまった。

 部屋に残された二人。スグリはちら、とヤクの表情を除いてみる。彼の顔は、不安いっぱいといった様子。なんとか元気づけようと、スグリはヤクに声をかけた。


「不安かもしれないけど、父上はああ言ったら絶対に約束を守ってくれる。だからそんなに心配すんなよ」

「ほん、とう……?」

「最初にあった時も言ってたろ、嘘は苦手だって。きっと全部、大丈夫さ」

「ありが、とう……」


 気休めにしかならない言葉に思えたが、ヤクはほっと息をつく。少しは不安が消えてくれたようで安心したと感じたスグリは、ところでと話題を振ってみる。


「どういたしまして。……なぁ、仲間って言ってたよな。どんな奴らなんだ?」

「どんな……?」

「そうそう。いい奴らばっかりなんだろ?」

「……うん。みんな僕を信じて、危険だってわかってたのに、僕を逃がしてくれたんだ……。だから、僕はみんなを助けたい……」


 きゅ、と胸の前で手を握るヤク。彼の言葉を聞いたスグリはどこか寂しさも覚えつつ、そうかと頷いた。


「じゃあなおのこと、怪我をしっかり治して迎えに行かなきゃな!ボロボロのままで行ったら、そのみんなも悲しむだろ?」

「そう、なのかな……」

「そういうもんだよ。大切な人には、傷付いたままでいてほしくないって思うのは当たり前だろ?」

「……うん」

「父上もきっと、お前と同じ気持ちだよ。お前の大切な仲間を助けたい、そう思ってる。だけど父上は、お前のことも守りたいって思ってるんだ。だからお前には、父上を信じてもらいたい。きっと、全部解決してくれるから」

「しん、じる……?」


 よくわからない、と呟くヤク。彼の素性を知る前のおのれのままならきっと、出会った当初はその言葉に頭にきて怒鳴っていたことだろう。しかし、今なら彼の言葉を理解できる。小さく苦笑してから、スグリはこう伝えるのであった。


 いつか分かる日がきっと来る、大丈夫だ、と。

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