第十三節 たくさん話しましょう
ヤクが屋敷にきて3日目の夜。厠から部屋に戻ろうとしたスグリ。途中アマツの部屋の前を通り過ぎるとき、中の話し声が聞こえてきた。一人はアマツ、もう一人はヤナギだ。特段変わっている点はない。二人は屋敷が静まった後、部下たちからの報告をまとめているのだ。ただその日聞こえてきた会話は、スグリの眠気を吹き飛ばすには十分なほど衝撃的なものだった。
「やはり、あ奴が絡んでいたか」
「はい。追放だけでは、処罰が足りのうございましたな」
「痛いところを突いてくれるなヤナギ。しかし、その通りだ。コウガネ……どこまでベンダバルの名を落とせば気が済むのか」
「またしても対策を立てねばなりませんな。もしあ奴がヤクに気付けば、どうなることか」
「承知している。あの子にも、そして息子にも近付けさせん」
ベンダバルの名前に、ヤクと自分。無関係とは思えず、スグリは部屋の襖を勢い良く開け、中にいた二人を凝視する。突然のことに最初こそ驚いた二人だが、スグリの様子に気付くところがあったのだろう。静かに入るように指示した。
「立ち聞きとは行儀が悪いな、スグリ」
「ごめんなさい。でも俺、聞こえちゃったから……。それに、俺とヤクに近付けさせないってどういうこと?」
スグリの質問に、アマツとヤナギは顔を見合わせしばし沈黙する。しかしそれも数秒のことで、まずはアマツが彼に問いかけた。
「スグリ、依然話した世界保護施設のことは覚えているか?」
「ああ、うん。保護施設って名前は嘘で、本当は人体実験なんかをしてる施設だっていう、あれだろ?」
「左様。ここ数日、部下たちにはその施設について調査を依頼していたのだ。前にパシフィ陛下たちに謁見した際、村の周りで子供たちが消えていると仰っていただろう?私には、このガッセ村の子供たちを守る義務がある」
その調査報告が今日まとまったことで、ヤナギと話していたと告げられる。そしてその報告の中で、意外な人物が関与していることが浮上した、とも。
それが先程聞いた、コウガネ・ベンダバルという人物。スグリの記憶には、そのような人物はいない。家族の誰かなのだろうか。
「お前が知らないのは無理もない。コウガネは私の実の弟だが、お前が生まれる以前に、私が村から追放したのだから」
「追放!?なにしたんだよ、その……叔父上、は?」
「悪事の殆んどはしていたものよ。金にものを言わせ、村人たちや領主様の奥方をも売り飛ばそうとしていたのです。あれは、人の皮を被った獣です」
「その場で斬り捨ててやってもよかったのだが、永久追放で済ませてしまった。それは私の甘さであり、罪である」
苦虫を噛み潰したような表情のアマツ。父親のそんな表情を初めて見たスグリはかける言葉を見つけられず、口を閉ざしてしまう。しかし何故、そんな人物の名前が今出てくるのだろうか。
聞けば調査の結果、コウガネは世界保護施設に資金援助と人材提供をしている疑惑が浮上したのだ、とのこと。叩き出すだけでは性根は変わらなかったか、と悔しさを滲ませたため息を吐くヤナギ。
「それとな、スグリ。これは調査していくうえで確信したことだが……ヤクは、世界保護施設の被験者。つまり、彼は奴らの被害者だった」
「え……!?」
「お前が初めてあの子を連れてきた時に来ていた服に、見覚えがあってな。何かの間違いであってほしいとは思ったのだが……彼の足首には、枷が嵌められていた。そこに記されてあったのだ。……"被験者番号01"と。それで確証が得られてしまったのだ。この子は、その世界保護施設から逃げてきたのだとな」
「もしかして、叔父上があいつを施設に!?」
「それはまだわからん。が、一度は会ったことがあるのだろうな。最初私たちの名前を聞いたとき、あの子はひどく怯えただろう?」
この報告を受けたとき、ヤクの言動が理解できた。今思い返せば、これまでの彼の態度の辻褄が合うと、アマツは続ける。
恐らくヤクは一度、コウガネに会っている。そこで手酷く扱われたのだろう。そのことで心が傷付き、恐怖するようになってしまった。そんな自分が助けられた家の名前がベンダバルと知ったとき、彼はどれほど深く絶望しただろう。助かるために施設から脱走したはずが、コウガネと縁があるかもしれないという家に助けられてしまったなんて、と。それではアマツたちを信頼できないのも、無理はない。あれほど怯え切った表情で、疑心暗鬼になってしまうことも子供ながらに理解する。
そのアマツの話を聞き、スグリはヤクと喧嘩した時のことを思い出す。
──……油断、させてだます、のは……大人たちがしてきた、ことだから……だから……。
あの時、ヤクは不信感たっぷりに言っていた。
ヤクは、周りの大人たちに騙されて裏切られてきたんだ。だから、自分を守るためにあんな言葉を言っていたのか。それだけではない。彼は仲直りして笑った後、こうも言っていた。
──で、でも……いつも、は。笑うと……殴られていた、から……。
笑うだけで殴られるなんて。そんなの、理不尽にもほどがあるじゃないか。
ぐっ、と膝の上で握っていたこぶしを強く握る。俯いていた己の頭にアマツの手が乗る感覚を覚え、彼を見上げる。
「父上……」
「スグリ、私は村は当然だがあの子のことも守りたい。協力してくれるか?」
慈愛に満ちたアマツの瞳には、嘘偽りはない。それにこの瞳に、いつだって自分は助けられてきたのだ。自分ができることなら、彼の力になりたい。子供心に強く感じたスグリは真っ直ぐにアマツの瞳を見据え、宣言した。
「もちろんだよ!俺も、あいつのこと守る!」
「ああ、よかった。お前が優しい子に育ってくれて、私は嬉しいぞ」
「俺も、父上の子供でよかった!」
微笑ましい会話に、先程までの重い空気が和らぐ。一度ぽん、とスグリの頭を軽く叩いたアマツが、彼に寝るよう促す。
「さぁ、もう寝なさい。明日も鍛錬があるのだから」
「わかった。おやすみなさい父上、爺」
「ああ、おやすみスグリ」
「おやすみなさいませ、若様」
挨拶を交わし、部屋から出たスグリは自分の部屋に戻る前にヤクの様子を確認しようと、彼が休んでいる部屋に向かう。寝ているだろうかと考えていたが、部屋の前の曲がり角を曲がった先で、ヤクの姿を見つける。
彼は廊下の柱に寄りかかりながら、ぼう、と空を見上げていた。片膝を曲げ、抱えるように座っている。しばらく彼の様子を観察していたが、視線に気付いたのだろう。体を震わせながらスグリへと視線を向けた。
「っ、だれ……!?」
「あ、ごめん。俺だよ」
「あ……」
「えーっと……ああそうだ。その、隣座ってもいいか」
スグリの言葉に小さく頷くヤク。彼の許しを得たスグリはヤクの隣で胡坐をかく。何をしていたのかと尋ねれば、目が覚めてしまったから空を見ていた、と。
「空?」
「本物の月、はじめて見ました……」
ヤクの言葉につられるように上を見上げる。今晩は晴天だ。美しい三日月が夜空に浮かんでいる。屋敷の明かりがほどんど消えているため、月明かりだけでも結構な明るさだ。
「今日は三日月だな。空、好きなのか?」
「……わからない、です。空も、月も、星も。全部、本物は見たことなかった。見れるなんて、思ってなかったから……」
「……そっか」
「ごめんなさい……」
「なんで謝るんだよ?謝らなくていいんだぜ、お前何も悪いことしてないじゃん」
「……求めてた答えを答えられないやつは、人間じゃないって……」
暗い表情になり俯くヤク。彼の言葉で、世界保護施設という施設がどれほど酷い場所か、幼いスグリでも容易に想像できた。
「そんなことない。お前は、俺と同じ人間だよ」
「……おな、じ……?」
「傷つけば悲しいし、嫌なことがあれば怒る。楽しければ喜ぶし、嬉しければ笑うだろ?お前はまぁ、まだ笑ったりするの少ないけどさ。それに、爺の薬膳を食べないと腹も減るだろ?」
「……へり、ます……」
「だろ?だから同じだよ、俺もお前も同じ人間。自由に生きていいんだよ。誰かに生き方を命令されて、無視したらぶん殴られる生き方なんて、俺は嫌だ」
お前はどうなんだ、と尋ねる。彼の問いかけにヤクは少し俯いてから、首を小さく縦に振った。
「いや、です……」
「そうだよ、それでいいんだぞ」
「……はい……」
「あとさ、その……。その敬語、やめてくれないか?俺、自分と同じくらいのやつに畏まられるの苦手だから。お前、いくつ?」
「……12歳、です」
「なんだ、同い年ならなおさらだ!俺のこと、呼びたくなったらでいいからスグリって呼んでくれると嬉しい。同い年の友達なんて、俺の周りにはいないからさ」
言っているうちになぜが照れくさくなり、頬をかきながら目線をそらす。最初こそはぽかん、としていた様子のヤクだったが。やがて小さな声で控えめにいいの、と聞かれる。
「当たり前だろ。そんなことで怒ったりするかよ」
「……あり、がとう……」
「どういたしまして、でいいのかな」
改めて笑顔で返し、もう一度三日月を見上げる。
もしもヤクから信用されるようになったら、腹を割ってなんでも話し合える友達になりたい。そうなれたら嬉しいと、一人心の中で感じたスグリであった。
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