第五節 悲しんでいるあなたが好き

 その場所の名前は、ブルメンガルテン。咲き誇る村として親しまれている村だが、数年前からその場所は奇妙な村として、村人以外の人間はあまり寄り付かない村となってしまっている。その主な原因は村の最奥に建てられている、とある施設にあった。


「世界保護施設」の施設。実際のところは実験施設である。実験の素体は、なんと幼い子供たち。何処からか仕入れた子供たちを、自分たちの実験のためにいいようにいたぶるための施設だ。

 普通ならそんな施設を村に建てるなど、反対運動が起こるところなのだが。世界保護施設は自分たちのための実験施設のための土地と引き換えに、巨額の金をその土地に住む村人たちに分け与えている。貧相な暮らしから一転、途端に裕福になった村人たちは金が貰えるのならばと、彼らに文句を言うことは一切ない。それどころか村にいた子供たちを差し出し、実験動物として売り渡すほど。


 倫理から外れた村ではあるが、寄り付かなくなった村の状況が幸いして、外にこの実態が漏れることはない。そして今日もまた、子供たちの悲鳴は実験施設内で響く。


 ひとつ、実験が終わったらしい。一人の子供が、研究者に首根っこを掴まれた状態で他の子供たちの休憩場所まで連れて行かれ、放り込まれた。容赦なく地面に叩き落された子供に、心配の声どころか舌打ちをした研究者が部屋から出ていく。

 子供は痛みに呻きながら、ゆっくりと起き上がろうとしていた。晴れた日の空の髪色をした、線の細い子供。子供を心配したのは、同じ境遇にいた別の子供たちだ。空色の子供に近寄り、声をかける。


「だい、じょうぶ……?」

「ぅ……」


 苦しそうに呻く、空色の子。その子供に、一人の子供が手を差し出した。男の子らしいその子供は、空色の子をゆっくりを起き上がらせ、自分の体に寄せる。


「痛かったんだよね、ヤク……」

「その、声……める、つ……?」

「うん、そうだよ。無理しないで、ヤク。こうしてると楽?」

「……うん……あり、が……と……」

「気にしないでいいよ、だいじょーぶ」


 空色の子──ヤクと呼ばれた子供──は、自分を助けてくれたであろう子供に寄りかかる。そんな様子のヤクによしよし、と頭を撫でるメルツと呼ばれた子供。その二人の様子を見守る他の子供たち。


 彼らは今から12年前に、ここから遠い大陸にある村で、世界保護施設に売り払われた子供たちである。雪と氷に覆われた、閉ざされたその村の名はヘルヘーム。世界保護施設は毎年のように、その村から実験動物となる子供を買っているのだ。

 彼らはまず、極端にマナの少ない村であるヘルヘームの村人たちに、自分たちの実験に協力してほしいと持ち掛けた。その実験内容は、極端に言えば村に漂うマナを増幅させるためのもの。自分たちが投薬などを施し、膨大なマナを注いだ人柱を強制的に作り上げる。次に完成した人柱を村の近くにある世界三大泉の一つ、フヴェルゲルミルの泉に安置。泉から湧き出るマナが、人柱を通じて村へ届かせるのかどうか、調べたいと。


 協力に応じてくれるのならば、村人たちに資金援助を約束する。

 貧しかったヘルヘームの村人たちは、彼らの甘い言葉を前に簡単に篭絡された。彼らが用意しなければならない人柱は、一人だけ。しかしほかの実験のために、サンプルとなる子供を提供してくれればさらに金を渡すと告げられた村人たちは、諸手を挙げて子供たちを生贄に差し出した。

 それからというものの、毎年世界保護施設の人間はヘルヘームで生まれた子供たちを吟味し、人身売買を行い、実験のための被験者を労せずして手に入れている。


 世界保護施設の人間たちにとって、子供たちは単なる実験動物。優しく迎え入れるはずはなく。ある程度成長し始めた子供たちには容赦なく投薬や実験を施し、その命を弄んでいる。毎日血を吐く子供もいた。毎日苦しみもがく子供もいた。時には食事に薬品を混ぜ、それを無理矢理食べさせ実験データを採取する始末。


 そんな中、子供たちは何故脱出を考えなかったのか。理由はいたって簡単。

 実験施設から逃げ切れるだけの体力は、日々の実験の中で奪われていくからだ。たとえ逃げ出せたとしても、自分たちのいる場所がわからない子供たちにとって、外の世界は未知の恐怖でしかない。とても、逃げ出せるだけの勇気はない。文字を理解させるため無理矢理読まされた絵本に、憧憬の念は抱いても決して手に入れられないと。現実が嫌でも伝えてくる。憧れを抱いたまま命を落とした子供も、数知れない。


「今日も、実験はヤクばかりだね……ごめんね、代わってあげられなくて」

「……ううん……みんなが、痛い思いするの……僕、嫌だから……いいの……」

「それは、ぼくたちも同じだよ。ヤクにばかり、痛い思いしてほしくないよ」

「そうだよ、一緒だよ」

「ヤクにーにばかりボロボロいやだぁ……」


 休憩場所にいる子供たちは、今現在12名。その中で一番の年長者が、ボロボロの姿であるヤクと、彼を抱えているメルツと呼ばれた男の子。その他はみな、彼らより年下の子供たちだ。物心ついたときはもっと大勢の子供たちがいたが、度重なる実験で命を落としてしまった子供たちもいた。


「ね、みんなもこう言ってるよ……」

「……みん、な……あり、がとう……」


 ヤクが小さく笑った瞬間、休憩場所の扉が開かれる。一気に体を強張らせる子供たちを無視し、一人の研究員らしき男がズカズカと中に入り込む。


「チッ、さっさと起きやがれこの死に損ないが!テメェの実験は終わってねぇんだよ、何呑気に寝てやがる!!」


 男はヤクに毒づくと、彼の髪を掴んで持ち上げようとする。痛みに顔を歪めるヤクと、慌てて止めようとするメルツ。


「やめて!またヤクばかり痛い思いさせるんでしょ、やめて!」

「たかだかモルモット如きが邪魔すんじゃねぇよ!」


 男は言うなり、メルツに対し遠慮なく蹴り上げる。細いメルツの体は途端に地面に叩きつけられ、彼の手はヤクから離れてしまう。男はそれでもまだ虫の居所が悪いのか、倒れこんだメルツの腹を目掛け踏みつけた。休憩場所に響く音に震える子供たち。恐怖で体がガタガタと震え、指の一本も動かせないでいる。痛めつけられているメルツを救おうと、ヤクが声を絞る。


「ごめ、んなさい……いき、ます……。だから、メルツのこと……いじめな、いでくだ……さい……」

「ヤク……!」

「当たり前だろうがこの愚図!!さっさと立てやオラァ!!」


 さらにぐい、と強い力で髪を引っ張られたヤクは、痛みに耐えながらゆっくりと立ち上がる。男はヤクが立ち上がったことを確認すると、やはり無理矢理髪を引っ張り、まるで物のように彼を連れていく。不安に見上げる子供たちに、声をかけることも踏みつけたメルツに謝ることもせずに。


 連れてこられたのは実験室。実験用の大きな椅子にがっているのようなものに座らされ、両の手首と足首を固定される。椅子の後ろには、様々な太さのパイプが繋がっている。

 先程受けた実験のダメージが回復しきっていなく、項垂れているヤク。研究員の一人がそんな彼の状態は知らないといわんばかりに、彼の頸動脈あたりに薬品を打ち込む。注射の中身に入っていた薬品らしき液体が全て注ぎ、研究員たちはその場から離れる。


「よし、電源を入れろ」


 冷酷に響く声。何かが起動し始める電源音。動作の確認を行い、異常がないという声が届く。


「では、これから第9644回の実験を行う。電圧を最大まで設定」

「電圧を最大まで設定、了解」


 研究員の一人の言葉の後、椅子から放電したような、パリッという小さい音が聞こえた気がした。そして一瞬遅れて、突如身体に強い電流が流れる。

 ヤクは突然の衝撃に悲鳴をあげた。布を裂かんばかりの痛々しい悲鳴。容赦なく肌を焼くような痛みが、全身を巡る。逃げ出したいと体を動かすも、すでに固定されている状態では成すすべなく。


 痛い。

 痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたい。


 喉が潰れそうなほどに叫ぶ。苦しいと声を上げる。流れる涙さえも痛い。

 しかし周りの研究員たちは、まるで何事もないかのようにただ淡々とデータを採取しているだけ。つまらなそうに、カリカリとペンが紙を走るだけ。

 ヤクが最後に感じることができたのは、全身の血液が沸騰するかのような熱だけであった。


 実験が終わったのか、研究員の一人が気絶していたヤクの頬を強く叩く。痛みにぼんやりと意識が浮上してしまったヤクに、研究員が吐き捨てる。


「オイ、なんでこんなにつまんねぇデータしか出さねぇんだお前は?ぁあ?」

「……な、に……?」

「ふざけんじゃねぇぞ、9年前テメェは元々人柱だったんだ。それをテメェの片割れが邪魔してくれたおかげで、ヘルヘームの馬鹿どもから俺たちは顰蹙を買わされたんだぞ!素直にテメェが死んでりゃあ、俺たちも下手な後始末に追われずにすんだのによ!」


 怒りに震えた研究員が、ヤクを殴りつける。その痛みよりもヤクは、耳に入ってきた言葉に衝撃を受けた。元々は自分が人柱?片割れが邪魔をした?


「双子だからってまんまと騙されたぜ。でもまぁ、その分テメェにはたっぷり実験を施してやる。馬鹿みてぇにテメェにはマナを蓄えさせてやったんだからな、きっちりデータ残してもらわねぇと困るんだよ!」


 ヤクは、その言葉で理解してしまった。

 自分には血の繋がった兄弟がいて。そんな人物を自分は、殺してしまったのだと。ああ、だから。だから自分ばかり実験させられるのか。自分は、人の命を犠牲にしてしまったから。これは、神様が自分に与えた、罰なんだと。

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