第三節 大きな希望
「俺が、世界樹に選ばれた……!?」
動揺の声を上げるスグリに、ヴェルザンディは静かに頷く。どうして、と口から洩れた疑問の声に、彼女は瞳を閉じ言葉を紡ぐ。
「今回の女神の
「今回の?」
「そう。女神の
「……」
「それでも。いつの時代も選ばれた女神の
そう語るヴェルザンディの表情は柔らかく、胸を手に当てる姿は懐かしさに思いを巡らせているようで。そんな彼女を見て、スグリの胸に宿った思いは何か。
急に自分が世界樹に選ばれたとか、女神の
しかしそれ以上に──。
「そっか……。その女神の
「そうだね……キミの頑張り次第で、世界も守れる力を手にすることはできるよ。ただしこの力を求めることは、今の平和な日常には戻れないってことだ。それでもキミは、私の
ヴェルザンディの、見定めるような視線を受ける。日常か、非日常か。12歳の子供に選択を迫るのは酷である。それでも、スグリはまっすぐに彼女を見据えた。その表情は晴れ晴れとしていて、とても悲観しているようには見えない。
「なるよ。俺、守りたい。誰にも悲しい思いをさせたくない。父上も、爺も、村のみんなも。大事な人たちを守れるような俺になりたいんだ」
「それは、どうして?」
「……。俺がみんなを守れるくらい強くなれば、きっと父上も元気を取り戻してくれる。そう信じたいんだ。父上はもうずっと元気がなくて、何か諦めたような顔してて。爺が言ってた。今の父上は、母上が亡くなってしまった時のようだって」
「そう……」
「俺は母上のことは、わからない。俺を産んで、亡くなったんだって。それでも母上は、自分の命を俺にくれた。その命に恥ずかしくない生き方をするのが、俺の目標だから!」
スグリの言葉を受け、ヴェルザンディに去来したものは何だったのだろうか。それまでの真剣な表情から緊張が消え、ふっと優しく笑う。
「12歳なのに、キミは立派に将来の領主の器だね。キミの決意、確かに運命の女神が一人このヴェルザンディが聞き受けた。キミに、神風の加護があらんことを」
彼女がそう告げると、風が一気に湧き上がる。泉の脇に聳えていた樹が揺れ、木の葉が散る。それらはやがてスグリを囲い、彼を歓迎するかのように舞い始めた。スグリは突然のことに驚愕するも、木の葉には敵意がないと感じる。淡く輝いた木の葉たちはやがて、溶け込むように彼の体内へと消えていく。木の葉がすべて消滅してから、スグリは疑問の声を漏らした。
「なんだ、これ……?」
「両手を翳し念じてごらんよ。感じるはずだよ、マナの力を」
ヴェルザンディに言われるがままに、おずおずと両手を胸の辺りで翳す。そして彼女から、試しに風よ舞えと唱えてごらん、と告げられた。指示された通り、心の中で念じる。風よ舞え、と。
瞬間、体内に血とは別の何かが流れる感覚を覚える。熱く、それでいて凪ぐような感覚。全身から手の平へと廻ったそれが、形を作り出し放出される。ぶわっと吹いた風に目を開いてみれば、両手の中で風が舞う光景が目に入った。
「今感じたそれが、体を巡るマナのことさ。今のキミでは風を起こすことが精一杯かもしれないけど、鍛錬次第でキミの思う力に変化してくれるよ。これは私からの贈り物さ」
「いい、のか……?」
「もちろん。戦いの運命に立ち向かう覚悟を約束してくれたキミへの、私からのエールだと思ってくれたまえよ」
「……!ありがとう、ヴェル!」
「ヴェル?」
「あ、えっと、ごめん。その方が呼びやすくて。もしかして嫌だったか……?」
ぽりぽり、と気恥ずかしそうに頬を指でかくスグリ。そんな彼に対しヴェルザンディは数秒呆気にとられていたが、やがて楽しそうにくすくすと笑い始めた。
「運命の女神相手にそんな呼び方をしたのは、後にも先にもキミだけだ。いいね、気に入った。その呼び方で呼んでいいよ」
「サンキュー、ヴェル!」
「さて、もうそろそろ夜が明ける。もうキミは起きる時間だよ」
彼女の言葉に呼応するかのように、突然己の体がふわりと浮き上がる。上へ上へと上昇していく体。ヴェルザンディは、スグリをただ見上げるだけ。まさか二度と会えないのでは。思わず手を伸ばす。
「ヴェル!」
視界が白く輝いていく。あまりの眩しさに目を閉じれば、脳内に直接語り掛けるような彼女の声が響く。
「大丈夫、心配しなくてもいい。私はいつでも、キミを見守っているさ」
それが、夢の中でスグリが最後に聞いた言葉であった。
******
次に目を開ければ、そこは見慣れた自分の部屋の天井で。ゆっくりと上体を起こして、試しに手を握ってみる。ぼやけた頭で考えた言葉が、不意に口から零れた。
「夢……?」
『夢ではないよ、スグリ』
「っ!ヴェル……!?」
彼の問いかけに、返ってくるはずないと考えていた声で返事が返ってきた。辺りを見回しても、彼女の姿はないというのに。何処にいるのだろうかと考えたが、それはヴェルザンディの声が答えた。
『女神の
「じゃあこれからはずっと一緒なんだな?」
『もちろんだとも。キミが朝の鍛錬に遅刻しそうなことも、私は見ているよ』
「えっ!?」
彼女の言葉に驚愕し、時計を確認する。毎朝行っている剣の鍛錬の時間が始まるまで、あと5分もない時間だった。一気に目が覚め血の気が引いたスグリは、大慌てで鍛錬着に着替える。
「そっ……そういうことは早く教えてくれよなヴェル!!」
『それは難しいねぇ。私はキミの母親ではないのだから』
「あーもう!爺のやつ怒らせると怖いってのにーー!!」
若干涙目になりつつ鍛錬の支度を整え、スグリは屋敷に併設してある道場へと向かうのであった。
結局その日は朝の鍛錬に遅刻し、大目玉を食らったスグリ。いつも以上にスパルタなヤナギの指導を受けた彼は、朝食の時間まで道場で休憩することにした。その彼のもとに訪問者が訪れる。アマツだ。
彼はヤナギにこってりとしごかれたスグリを見て、笑いながら彼のそばに寄る。
「どうやら、朝っぱらからヤナギの大目玉を食らったようだな?」
「うぅ……いや、俺が悪いのはそうなんだけど……爺のやつ、厳しすぎ……」
「それだけお前に期待しているのだよ、ヤナギは。お前が立派に、一人前の剣士となれるように」
「はい……。俺、頑張ります……!強くなるんだ……!」
肩で息をしていたスグリ。呼吸を整えていると不意に、アマツからこんなことを聞かれた。
「スグリ、強さとは何か答えられるか?」
その言葉の意味を、スグリはすぐ理解することはできなかった。強さとは何かという、哲学的な話。子供の思考では難しい答えを返せるはずもなく。
「強さは強いってことじゃないのか?」
「さてどう説明したものか……。強さにはまず、種類があるのだよ」
「種類?」
そうだと頷いたアマツは、何処か遠くを見つめながらスグリに教える。強さには硬い強さと柔らかな強さ、その二種類の強さがあると。そして、まずそのどちらが強いかと尋ねられる。スグリは、硬い強さと答えた。
「何故そう思った?」
「硬いって頑丈ってことだと思ったんだ。鉄や鋼も硬くて、硬いってことは折れないってことかなって」
「成程、一理ある。しかしこの場合、硬いというのは心の在り方のことを指している。単純に見た目だけの問題ではないのだよ」
「心の、在り方……?難しいよ父上」
むくれるスグリに、苦笑しながらもアマツは彼の頭を撫でる。そして諭すように、その意味を噛み砕いて伝えていく。
「硬いだけでは、ふとした拍子にポッキリと折れてしまうのだよ。例えば、壁に当たった時。例えば、己の不甲斐なさに直面した時。一度折れた心を元に戻すのは、大変なことなのだ」
「……」
その言葉の意味を、やはり幼い彼は完全に理解することはできなかった。どういう意味かと、首を傾げる。アマツはどこか、遠い目をしながら語っていく。
「柔らかな強さとは、人の心を忘れないこと。他人を思いやる慈愛の心や優しさ。人が人足らんとする、もっとも大事な部分。それを忘れずにいることが、真に強くなることの秘訣だ」
昨日も伝えた、人道というやつだ。
わかったか、と優しく微笑みかけるアマツ。そんな彼を見上げながら、スグリは高らかに告げた。
「うん。じゃあ俺が父上のことも村のみんなも守れるくらいに、もっともっと強くなる!誰にも負けないように、頑張るよ!」
その言葉に対して、アマツがにっこりと笑い頭を撫でる。
「ああ、それでこそ私の自慢の息子だ。楽しみにしているぞ」
「へへ、楽しみにしててくれよな父上!」
目いっぱいに笑い返すスグリ。そんな彼らに朝食の用意ができたと、ヤナギが二人を迎えに来たのであった。
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