第二節 なつかしい関係

「ははは、それは確かにヤナギにも悪い部分はあったなぁ」

「だろ!?俺は別に何も悪いことしてなかったのに!」


 屋敷の風呂場にて。スグリとアマツはヒノキ風呂の浴槽に浸かりながら、先程のスグリの様子について話していた。スグリが何故不機嫌だったのか、その理由を知ったアマツは笑いながら語る。スグリも未だ納得してない部分があったのだろう、頬を膨らませながら話す。


「俺、みんなにワガママなんて言わなかったのに。爺のヤツ、勝手に俺のせいにしてさ。なんなんだよもう……」

「まぁ落ち着きなさい。ヤナギも何も、お前が嫌いで言ったのではないぞ。お前を案じていたからこそ、ついきつく言ってしまったのだろう」

「けど、何も最初から俺が悪いって決めつけなくてもよかったじゃん!」

「それは確かになぁ。その点については早合点してしまったヤナギに非があろう。しかしスグリ。お前は魚捕りに行くことを、屋敷の者に伝えていたか?」

「あっ……」


 アマツから尋ねられたスグリは、言葉に詰まる。ばつが悪そうにアマツから視線をそらし、湯船に顔の半分を浸ける。確かにスグリは、魚捕りに誘われたことも、そのために川へ行くことも屋敷の誰にも告げなかった。それではヤナギが心配することも当然である。そんな様子のスグリを叱ることはなく、彼の頭に優しく手を乗せる。そして諭すようにアマツは話し始めた。


「スグリ、お前はいい子だ。ワガママを言うこともなく、皆を引っ張っていけるようにと努力もしている。しかし、みなへの思いやりを忘れてはならん。心の優しさは強さとなるのだから」

「心が優しいと、強くなる……?」

「そうだ。心なき強さは強さにあらず。俗に、人道というやつよ」

「んー……?よく分からないよ父上?」


 首を傾げ尋ね返す。それには答えず、しかし楽しそうに笑うアマツの顔が、やけに印象的に残る。いつか分かる時が来る、それだけ告げられた。答えになっていないと反発するも、やはり楽しげに笑われるだけ。


「それよりも、私のためにみなと魚捕りをしてくれたのだな。ありがとう」

「……!うん!たくさん捕ってきたから、たくさん食べてくれよな、父上!」

「ああ、楽しみにするとしよう」


 湯けむりに包まれながら、楽しげに笑うスグリとアマツ。湯浴みを終わらせた二人は浴室から出て、夕飯の準備が整っていた部屋へと向かうのであった。


 その後は会話を交えながら、用意された食事に舌鼓を打つ。スグリたちが捕ってきたオイカワは塩焼きにされ食膳に出されていた。ふっくらとした身は口の中でほろほろと崩れ、丁寧に味付けされた塩加減が程よい甘みも引き出していた。その味わいにアマツの表情も綻んでいたことに、スグリは安心感を覚える。久々に心から笑うアマツの笑顔が見れた。そのことが嬉しくて仕方なかった。


 スグリは今年で12歳になる。4年前、彼が8歳の頃。アマツは一度、大きな戦に飲み込まれかけた村を守るために出陣し、そこで敗北を喫してしまったと聞いた。どうにか村を守ることは出来た。しかし大きな傷を負い他にも精神的にもダメージを受けたらしく、それからの父は以前より少し覇気がなくなってしまったのだ。その事を子供心にも理解したスグリは、どうにか父親に、元気になって欲しいと願うようになった。それからというものの彼は父親のためにと、何かと画策しては行動に移しているのである。


 楽しい夕食の時間も終わり、気付けばあっという間に夜の帳が下りる時間となる。魚捕りを楽しんだスグリは、疲れた体に襲ってくる眠気を抑えることができなかったのだろう。会話の途中で、何度も欠伸を繰り返す。そのことに気付いたヤナギが、従者に彼の寝床の用意を指示した。


「若様、もうお疲れなのでしょう?今日はもうお休みくださいませ」

「それがいいだろう。夜更かしは体に毒ぞ。もう寝なさい、スグリ」

「うん……わかった。おやすみなさい父上、爺」

「はい、おやすみなさいませ」

「ああ、おやすみ」


 スグリは寝ぼけ眼をこすりながら、自分の部屋へと向かっていく。すでに用意されていた布団に身を任せると、そのまま誘われるように眠りにつくのであった。


 ******


 その日は、何やら不思議な夢を見ることになる。

 気付けばスグリは、真っ暗な空間にいた。どこまでも広く続く、闇の中。ここはどこだろうかと、不安にあたりを見回す。なにか目印になるものでもないか。


 誰か、いないのか。

 声をかけるも、ただ反響するだけ。

 そこには誰も、鳥すらも飛んでいない。


 怖い、と。恐怖に震え、一度目を閉じる。すると瞼の裏側にぼんやりと光が見えたのを、スグリは感じた。何かあるのかと恐る恐る目を開くと、闇の奥にぼんやりと輝く場所が、視界に入る。そこから、何かがあると、彼は直感的に理解した。恐怖をぐっと抑えながら近付く。


 近付くたびに、自然と恐怖が消えていくことを、スグリは体感した。ぼんやりと輝いていたそこは泉であり、やたら立派な樹木が聳えている。初めて見るはずの光景なのに、彼はその場所を懐かしいと感じた。前からここを知っているような、既視感のようなものだ。出かけた先で見たものだろうかと頭を捻らせていると、とある声が耳に届く。


「おや……こんなに早い覚醒だなんて。これは驚きだね」


 ひどく透き通った女性の声。いったいどこから聞こえたのかと辺りを見回していると、声の正体がふわりと舞い降りる。青葉の髪に、草原の色をした服。透き通る双眸には、エメラルドの光が宿っているようで。

 ガッセ村では見たことのない女性に、スグリは数秒言葉を失っていた。そんな彼に笑いかける女性は、気さくな雰囲気を纏わせ話しかける。


「やあ、この姿ではキミとははじめましてだね。私の名はヴェルザンディ。この世界の行く末を見守る、運命の女神の一人さ」

「え?あ……?」

「おや、私の声はちゃんと理解できているかい?一応、それなりに柔らかい表現で説明したつもりだけれど」

「えっと、うん、聞こえてる。聞こえてるけど……。お前……どこかで、俺と会ったことがあるのか……?」

「ああ、そういうことか。そうだね、キミにはこれの方がわかりやすいかな?」


 ヴェルザンディと名乗る女性が、一つ指を鳴らす。瞬間、一筋の優しい風がスグリの中を吹き抜ける。その風で彼はようやく、既視感の正体を知った。何故ならその風は、いつも自分を助けてくれた風なのだから。


「そっか……この風の正体は、お前だったんだな?」

「そういうことさ。どう?少しは落ち着けたかな?」

「うん、なんとか」

「それはよかった」


 にこ、と笑うヴェルザンディ。そんな彼女にスグリは、どうして自分がここにいるか問いかけた。ここは何処なのか。そして、何故自分の前の彼女が現れたのか。

 彼の問いかけに、ヴェルザンディは順を追って説明を始める。


「そうだねぇ。まずキミはこの世界がどのように成り立っているか、知っているかい?」

「なん、となく。この惑星には世界樹ユグドラシルがあって、その樹が惑星を守る形で生えているってこと。目には見えない樹だけど、世界をいつも見守ってて、そこからマナって力をもたらしてるって」

「ほうほう、子供にしては上出来すぎるくらいに知ってるね?」

「父上が教えてくれたんだぜ!俺の父上は、何でも知ってるんだ!」

「それはそれは。さぞかし賢明な御父上なのだろうね」

「ああ!なんたって自慢の父上だからな!」


 楽しく語るスグリの表情を、ヴェルザンディはまるで子供を見守る親のような顔で見下ろす。一度頷くと、彼女は泉に聳え立っていた樹木を見上げながら語る。


「そう、その世界樹ユグドラシルは、世界に根を張っていてね。そのうちの一つが、キミの住むガッセ村からそう離れていない場所にあるんだ。ここはその場所の潜在意識の中、とでも言えばいいのかな」

「ん?ってことは、俺もしかして寝ている間にそこに行ったのか!?」

「安心したまえ。ここはキミの夢と直結している。現実のキミは、今はお布団の中でぐっすり夢の中さ」

「んんん?つまり、ええっと……?」

「ああ、ごめんよ。簡単に言えば、ここはキミの夢の中で、キミは夢を介して私と話しているってことさ」

「なるほどな、それならわかりやすい!」


 子供なりに理解したスグリは、しかしすぐに首を傾げた。何故自分の夢が、そんな場所と繋がっているのかと。その問いに、彼女は答えた。それは、自分が彼女の力を受け継ぐ人物だったから、と。


「俺が、お前の力を受け継ぐ……?」

「正確には私の力の一部を借りれる、といった感じなのだけど……。御父上から聞いたことはないかい?世界樹の傍には、その樹木と惑星の行く末を見守る女神たちがいるってことを」

「そういえば、聞いたことがあるような……。世界には、運命を司る三人の女神がいて、その女神たちは惑星の運命と世界樹を守っているって……」

「そう。そして、その一人が私。私は現在の時間軸を見守る、運命の女神。そして運命の女神と直接コンタクトが取れる存在が、世界には三人いるんだよ。それが、女神の巫女ヴォルヴァと呼ばれる巫女」

「女神の、巫女ヴォルヴァ……」

「女神の巫女ヴォルヴァは運命の女神から予言を賜り、世界を導き守り抜く義務が課せられる。それは決して逃れることのできない、絶対的な運命。しかも巫女になる人物は私たち運命の女神ではなく、世界樹が定めるんだ」


 言葉を止め一瞬苦しそうな表情をしたヴェルザンディだったが、真剣なまなざしでスグリを見据え、静かに告げる。


「その世界樹に選ばれたのが、スグリ・ベンダバル。キミだったんだよ」


 彼女の言葉は、スグリの衝撃を与えるには十分すぎる一言だった。

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