Fragment-memory of lilac-
黒乃
第一話
第一節 あなたに微笑む
そこはアウスガールズの南部にある田舎、ガッセ村。その小さな村から少し離れた場所にある小川。今日は天候も良く、数人の子供たちがそこで川遊びに興じていた。今の時期はオイカワなどが釣れる。しかし子供たちは釣り竿ではなく、手で魚を捕まえる手づかみ漁をしていた。
魚を狙っている子供は、黒髪の美しい子供。朝露に照らされた木の葉のような、透き通った翡翠色の瞳で魚を狙う。その表情はまさに、真剣そのもの。そんな少年に、周りの子供たちもワイワイと声援を送る。
「いけーわかさま!」
「そこだよー!」
「わかってる!そんなに慌てさせんなよ~」
彼らの声援に、楽しそうに返事を返す黒髪の少年。目線の先には、割と大きいサイズのオイカワが。じりじりと距離を詰め、タイミングを見図る。殺気はできるだけ消して、静かに。魚がこちらに気付かないように、慎重に。
風がそよそよと流れ、一瞬だけ止まる。そこが好機と言わんばかりに。黒髪の少年は、そのタイミングを逃がさなかった。
「今だっ!」
バシャッと勢い良く手を入れ、魚をがっしりと掴む。逃がさないように川から持ち上げると、活きのいい魚が暴れだす。その暴れようが思った以上に激しく、手から離れそうになってしまう。
「うわっ、とと……!」
「わかさま、こっち!」
「桶、持ってきてるよ!」
「早く早く!」
「ああ、ありがとっ!」
慌てた黒髪の少年に助け舟を出す子供たち。少年も彼らの声を頼りに、急いで魚を用意してもらった桶の中に放る。水をためていた桶の中に入った魚は、一旦落ち着きを取り戻したのだろう。桶の中で悠々と泳ぐ。桶の中にはすでに数匹の魚が入れられていたようで、今入れた魚で桶の中はいっぱいに。今日の漁は子供にしては大漁、といったところである。
漁の成功に、ふう、と少年は息を吐く。子供たちは桶の中の目一杯の魚に、目をキラキラと輝かせていた。
「すごーいわかさま!」
「やっぱり、わかさまがいるといつも大漁になるね!」
「どうしてわかさまは、そんなに魚獲り上手なのー?」
子供たちに褒められて上機嫌になった黒髪の少年は、へへ、と笑いながら鼻の下を擦る。一度空を見上げてから、彼は子供たちに答えた。風が髪をなでる。
「風が、色々教えてくれるんだ」
「えー!?」
「なにそれカッコいい!」
「でもよくわからないよ~」
「本当だって!でも俺も、どうして教えてくれるかわからないんだけどな~」
子供たちの笑い声に、少年もつられて笑う。穏やかで平和な時間が流れているが、風に乗って湿ったにおいがしたのを、黒髪の少年は感じた。言われても気付かないほど微量だが、間違いなどではない。
風が教えてくれた。もうそろそろ雨が降る、と。このままここにいては、雨で氾濫した川にさらわれる。そうなる前に、帰らなくては。
「さて、じゃあみんな。そろそろ帰ろうぜ」
「えー?まだ遊んでいたいよ~」
「そうだよ~。こんなに天気がいいのに」
「いや、これから雨が降るんだ。ここにいたら危ないんだぞ?」
黒髪の少年の言葉に、子供たちはまだ不服そうだ。こんなに晴れているのに雨が降るはずがない、表情がそう物語っていた。確かに、今は太陽がさんさんと輝き、透き通った青空が顔を覗かせている。雨が降ることなんて考えられないだろう。
「本当に~?」
「俺が嘘ついたことあるか?」
そう尋ねれば、子供たちはややあってから首を横に振る。だろ、と笑って見せてから続けて少年は子供たちに話す。
「俺を信じて帰ってみようぜ。それで嘘だかどうだか、わかるんだから」
「わかさまが、そう言うなら……」
「わかった、帰るよ」
「よし、じゃあ決まり。桶持って帰ろう」
黒髪の少年の言葉に従って川から帰っていく子供たち。彼らが住んでいる村からそんなに距離は離れていないが、川から数メートル離れると途端に雲行きが怪しくなっていく。透き通った青空が暗い曇天に覆われていき、村の入り口に到着するころには、ざあざあと叩きつけるような雨が降り出したのだ。少年も含めて慌てた子供たちは、まずは村の入り口にある小さな小屋で雨宿りをすることに。
小屋の中に入り、濡れた衣類の裾を絞る。雨に濡れた服からは、水が多く絞られていく。ふう、と息を吐く少年たち。
「俺の言ったとおりだったろ?」
「うん、ビックリした……!本当に雨が降るんだもん!」
「疑ってごめんね、わかさま」
「別にいいさ。みんなが川に攫われなくてよかった」
「ありがとう、わかさま!」
笑いあっていた少年たちだったが、小屋に訪問者が現れる。年老いた男性だ。黒髪の少年はその人物を見ると、思わず顔を顰めた。
「げっ……爺……」
「げっとは何ですか若様!大雨になっても屋敷にお戻りになられないから、某は心配して参ったのですぞ!?それをげっとは……」
嘆かわしい、と言わんばかりにため息を吐く老人。しかし老人は子供たちに向き直ると、優しく声をかけた。
「お前たちもすまんなぁ。若様の我儘に付き合わされたのだろう?」
「待てよ爺!俺は別にワガママなんて言ってねぇ!」
「はてさて。いかがなものでしょうかね?」
「なんだよ!」
老人の言葉に納得のいかない少年が反論しようとしたその時。子供たちのほうから反論の声が上がった。
「ヤナギさま、わかさまは悪くないよ!」
「僕たちがわかさまのこと誘ったの。わかさま、魚捕まえるの上手だから」
「うん。私たちが手伝ってほしいって言ったの。本当だよ?」
「わかさまに手伝ってもらったから、こんなに魚が獲れたんだよー?」
ほら、と子供たちが老人──ヤナギ──に、持っていた桶を見せる。その中には大量のオイカワが。桶の中身と子供たちを交互に見たヤナギは、なるほどと納得したようだ。子供たちの頭を撫でてから話す。
「そうかそうか、すまなかったなぁ。この魚は、お前たちで分けるがよい」
「あのね、僕たちわかさまたちにもこのお魚食べてほしいの!」
「うん!アマツさまに元気になってほしくて、魚獲ろうってなってたから~」
「お前たち……」
「だからわかさまにもお願いしたんだ!一緒においしいお魚獲ろうねって~」
「ね~わかさま?」
子供たちから急に話題を振られた黒髪の少年は、一瞬どもりはしたが頷く。確かに昼間縁側に一人座っていた時に、彼らに誘われたのだ。最近すっかり精力がなくなってしまったこの村の領主であるアマツのために、魚を食べて元気になってもらおうと。その誘いに二つ返事で返した少年は、彼らとともに川に出たのだ。少年はそのアマツの一人息子だ。父親のために何かしてあげたいと思うのは、子供として当然である。
事実を知ったヤナギは、もう一度笑みを深くすると子供たちから差し出された桶を受け取る。
「そうだったのか……。感謝するぞ、お前たち。後で仕訳けて、お前たちの家にも届けさせよう」
「ホント!?」
「ありがとうヤナギさまー!」
「さぁ、もう雨も止んだ。風邪をひいてはいかん。おうちに帰りなさい」
ヤナギの言葉に外を見れば、雨はすっかりあがっている。彼の言葉に従った子供たちは、元気に手を振りながら帰路へつく。
「ありがとーわかさま!」
「また魚獲りいこーねー!」
「ありがとなみんな!気をつけろよー!」
黒髪の少年も子供たちに負けないように手を振り、彼らを見送る。その後ろ姿が見えなくなるころ、ヤナギが話しかけてきた。
「さて、我らも帰りましょうぞ若様」
「……」
「若様?」
「うるさい!爺なんてもう知らねー!お前なんか一人で帰ってこい!魚もお前が届けろ!これは俺を信じなかった罰だっ!」
言うが早いか、黒髪の少年はヤナギの言葉を聞かずに一人小屋から飛び出し、家である屋敷に戻る。その後姿を、やれやれといった様子で見守るヤナギであった。
******
ガッセ村の最奥にある、大きな屋敷。そこが少年の住む家である。門をくぐると、屋敷に仕えている従者たちが自分を迎えた。
「おかえりなさいませ、若様」
「うん、ただいま……」
「まぁまぁ、お体が汚れていますね。湯浴みの用意はできておりますよ」
「ああ、うん。ありがとう」
むくれっ面のまま玄関に入ると、そこにはとある男性が待っていた。その人物は優しく笑いながら、少年を出迎える。
「また随分遅い帰りだったな、スグリ」
「父上……」
「大雨が降っていたのにお前が帰ってこないからと、ヤナギが心配して探しに行ったのだが……すれ違いになってしまったかな?」
出迎えた男性──少年の父親であるアマツ──の言葉に少年スグリは、むっと頬を膨らませ声を荒げてしまった。
「爺なんて知らねーしっ!!」
「はは、これはまたご機嫌斜めとみえる。一悶着あったな?」
「爺が悪いんだからな!?俺の言うこと信じてくれなかったんだから!」
「まぁまぁ落ち着きなさい。それよりも、雨に濡れたのだろう?私もそろそろと思ったが、一緒に風呂でもどうだ?そこで話を聞こうではないか」
「はーい……」
まずは用意しなさい、とアマツに指示される。スグリは靴を脱ぎ、自分の部屋へと向かう。縁側を歩いていた時、穏やかな風が彼の頭を撫でた。まるで、元気を出せと優しく語りかけてくるように。
「慰めてくれんのか?ありがとな」
小さく笑って部屋に入ると、スグリは湯浴みのための準備をするのであった。
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